第47話 帰路
王都を出たのは朝だった。
宿の裏庭には荷箱が並んでいる。
戻り布の見本。
契約書の控え。
宿屋組合向けの運用表。
王都市十四日で積み上げた成果だった。
「忘れ物はありませんか」
クラリスが確認する。
ミリアが荷台を見る。
「大丈夫です」
ノアも頷いた。
御者が手綱を引く。
馬車がゆっくり動き始めた。
王都南区の景色が後ろへ流れていく。
実務宿。
裏庭。
洗い場。
戻り布。
短い滞在だったはずなのに、随分長くいた気がした。
「また来てくださいね!」
サラが手を振っている。
クラリスも手を振り返した。
「ええ」
「また来ます」
サラは満足そうに笑った。
その姿が見えなくなるまで、クラリスは窓の外を見ていた。
◇
昼過ぎ。
街道。
馬車は静かに進んでいた。
ミリアは注文書を整理している。
ノアは帳簿を開いている。
クラリスだけが窓の外を見ていた。
王都市は成功だった。
契約は増えた。
評判も変わった。
王都でエルネスタの商品を知る人も増えた。
それなのに。
胸の奥が重い。
ガルドの手紙を思い出す。
二人辞めた。
若いのも入らん。
このままじゃ回らん。
短い文章だった。
だが。
王都市の成功より強く頭に残っていた。
「ノア」
「はい」
帳簿から顔を上げる。
クラリスは少し迷った。
そして聞く。
「私は間違えたのでしょうか」
馬車の中が静かになった。
ミリアも手を止める。
クラリスは続けた。
「売上は増えました」
「契約も増えました」
「王都での評価も変わりました」
それは事実だ。
数字も証明している。
「ですが」
視線を落とす。
「人が辞めました」
「若い人も来ません」
言葉が重い。
「私が見落としたのでしょうか」
ノアはすぐには答えなかった。
少し考える。
帳簿を見る。
注文書を見る。
そして首を振った。
「まだ分かりません」
クラリスは顔を上げる。
「分からない?」
「はい」
ノアは静かに言った。
「売上が増えたことも事実です」
「人が辞めたことも事実です」
「今はまだ、その間が見えていません」
クラリスは黙った。
否定されなかった。
慰められもしなかった。
だからこそ、その言葉は重かった。
◇
「この人でした」
ミリアが小さく言った。
紙を見ている。
「辞めた人です」
クラリスが覗き込む。
「知っているのですか」
「はい」
ミリアは頷いた。
「戻り布を見ていた人です」
紙を指差す。
「赤札か黒札か迷う時、私も聞いてました」
もう一人の名前を見る。
「こっちは修繕前の確認です」
「縫う前に直せるか見てました」
クラリスは言葉を失う。
ただの二人ではない。
技術だった。
経験だった。
判断だった。
帳簿には出てこない仕事だった。
ミリアは唇を噛む。
「私」
少し俯く。
「代われません」
その一言が重かった。
馬車の中が静かになる。
ノアも何も言わない。
代われない。
それが事実だった。
◇
夕方。
丘を越える。
見慣れた景色が広がった。
エルネスタ領。
帰ってきた。
クラリスは窓から身を乗り出す。
工房が見える。
煙突が見える。
そして。
違和感に気づいた。
「……少ない」
思わず口に出る。
煙だった。
夕方ならもっと上がっている。
もっと。
ずっと。
工房は動いているはずだった。
だが。
煙が少ない。
明らかに。
以前より。
ミリアも気づく。
「そんな……」
ノアは黙って煙突を見ていた。
数字ではない。
帳簿でもない。
目の前の現実だった。
クラリスの手が強く握られる。
王都で成功した。
それでも。
ここでは何かが減っている。
その事実だけは誤魔化せなかった。
「クラリス様」
ノアが言う。
「はい」
「急いだ方がいいです」
クラリスは頷いた。
もう迷いはなかった。
馬車は速度を上げる。
沈みかけた夕日の中。
煙の少ない工房が、少しずつ近づいていた。




