第46話 減った縫い手
翌朝。
王都南区の実務宿は、王都市の頃とは違う忙しさに包まれていた。
市は終わった。
だが書簡は増えている。
帳場には商人が出入りし、裏庭では荷運び達が木箱を積み直していた。
サラは帳場の窓から通りを見ていた。
「最近、みんな同じ札ですね」
クラリスが顔を上げる。
「同じ札?」
「はい」
サラは窓の外を指差した。
向かいの馬車宿。
その隣の宿。
荷置き場。
赤。
白。
青。
どこも同じ札だった。
「前はもっと色んな紙を貼ってたんです」
サラは首を傾げる。
「今はどこも同じです」
ノアも窓の外を見る。
三色札。
王都南区へ広がっている。
ラウルの仕組みは、もう試験運用ではなかった。
◇
昼前。
宿屋組合。
担当者は上機嫌だった。
「本日も追加導入が決まりました」
机の上に書類を並べる。
「こちらが二軒」
「こちらが三軒」
「こちらは馬車宿組合です」
どれも三色札関連だった。
追加発注。
導入申請。
運用報告。
紙の束が積み上がっている。
「正直、ここまで広がるとは思いませんでした」
担当者は笑う。
近くの宿主も頷いた。
「助かっています」
「新人でも使えますから」
別の宿主も口を開く。
「帳場が楽になった」
「下働きも迷わない」
「洗い場も回りやすくなりました」
悪意はない。
皮肉でもない。
本心だった。
クラリスは机の上の書類を見る。
増えている。
昨日より。
確実に。
ミリアも黙っていた。
悔しい。
だが否定できない。
改善している。
それも事実だった。
「もう前のやり方には戻れませんよ」
宿主の一人が笑った。
周囲も頷く。
クラリスは小さく息を吐いた。
「負けていますね」
担当者は困ったように笑う。
否定しなかった。
ノアも否定しない。
「はい」
短い返事だった。
ラウル・グランベルは勝っている。
しかも正しく。
◇
帰り道。
三人はしばらく黙って歩いていた。
通りのあちこちで三色札が揺れている。
王都南区の景色が少しずつ変わっていた。
「便利なんですね」
クラリスが呟く。
「はい」
ノアは頷いた。
「広がる理由があります」
それ以上は言わなかった。
クラリスも続けなかった。
認めたくないわけではない。
認めている。
だから苦しかった。
◇
宿へ戻ると、帳場の主人が一通の書簡を持ってきた。
「エルネスタ様」
「領地からです」
クラリスは受け取る。
封蝋を見る。
ガルドだった。
「ガルドさん?」
ミリアが首を傾げる。
珍しい。
クラリスは封を切った。
紙を広げる。
短い。
驚くほど短かった。
⸻
二人辞めた。
若いのも入らん。
このままじゃ回らん。
⸻
それだけだった。
だが。
部屋の空気が変わるには十分だった。
ミリアが書簡を覗き込む。
そして固まった。
「この二人……」
指が止まる。
「知っているんですか」
クラリスが聞く。
ミリアはゆっくり頷いた。
「ベテランです」
「戻り布も見ていました」
「修繕前の確認も」
「傷み方の判断も」
声が少し掠れる。
「私より詳しいくらいです」
クラリスは言葉を失った。
ただの人手ではない。
経験だった。
技術だった。
積み重ねだった。
「見る人も減ります」
ミリアが言った。
静かな声だった。
「縫う人が減れば」
「布を見る人も減ります」
「傷み方を知る人も」
「直せるか判断する人も」
戻り布。
修繕。
分類。
黒候補。
誰かが覚えていなければ残らない。
「仕事ごと減ります」
部屋が静かになった。
◇
ノアは書簡を見ていた。
視界に数字が浮かぶ。
【売上:増加】
【契約:増加】
【利益:増加】
【生産能力:減少】
【技術継承:減少】
【三ヶ月後損失:高】
数字は悪くない。
むしろ良い。
だから厄介だった。
「どうしました」
クラリスが聞く。
ノアは顔を上げる。
「今は勝っています」
「ラウルさんですか」
「エルネスタもです」
クラリスが息を止めた。
「注文は増えています」
「売上も増えています」
「利益も出ています」
ノアは書簡を机へ置く。
「だから誰も気づきません」
ミリアが黙る。
「今月は回ります」
「来月もたぶん大丈夫です」
そして静かに続けた。
「だから危険です」
部屋が静まり返る。
「作る手は減っています」
「見る手も減っています」
「今は帳簿に出ません」
ノアは言った。
「あとで出ます」
◇
クラリスは書簡を見つめた。
二人辞めた。
若い者も入らない。
このままでは回らない。
短い文章だった。
だが重かった。
頭の中には別の数字も浮かんでいた。
王都市。
契約。
追加発注。
宿屋組合の笑顔。
増えていく注文。
あれは確かに本物だった。
嘘ではない。
エルネスタの商品は売れた。
評判も変わり始めた。
前へ進んでいるはずだった。
「……分かりません」
気づけば口にしていた。
ミリアが顔を上げる。
クラリスは書簡を握る。
「売れています」
「契約も増えています」
「前より良くなっているはずなんです」
言い訳ではなかった。
本心だった。
だから苦しい。
「それなのに」
言葉が続かない。
ノアは何も言わなかった。
答えを与えなかった。
クラリス自身が向き合うべき問いだった。
しばらく沈黙が続く。
最初に口を開いたのはミリアだった。
「私」
小さな声だった。
「嬉しかったんです」
クラリスが顔を向ける。
「王都で売れて」
「使ってもらえて」
「戻り布も見てもらえて」
少し笑う。
だが、その笑顔は続かなかった。
「でも」
机の上の書簡を見る。
「辞めた人も、同じものを作っていたんですよね」
部屋が静かになる。
クラリスは目を閉じた。
売れた。
だが足りなかった。
契約は増えた。
だが守れていないものがある。
その事実だけは否定できなかった。
ゆっくりと目を開く。
窓の外では三色札が揺れている。
ラウル・グランベルは勝っている。
認めざるを得ないほどに。
そして。
エルネスタも前へ進んでいるはずだった。
なのに。
失われているものがある。
クラリスは立ち上がった。
「戻ります」
今度は迷いがなかった。
ミリアが顔を上げる。
ノアも見る。
「エルネスタへ」
書簡を握る。
「何を見落としていたのか」
「確かめなければなりません」
窓の外では三色札が揺れている。
ラウル・グランベルは勝っている。
その事実は変わらない。
だからこそ。
三人はエルネスタへ戻ることを決めた。




