表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
49/62

第45話 減った依頼

 翌朝。


 ミリアは迷い箱の蓋を開けて、首を傾げた。


「……少ない」


 赤箱。


 白箱。


 迷い箱。


 昨日まで机の上に積まれていた戻り布が、明らかに減っている。


 向かいで帳簿を見ていたノアも顔を上げた。


「減っていますね」


 クラリスがペンを止める。


「傷みが減ったのでしょうか」


「違います」


 ノアは帳簿を開いた。


 宿屋組合試験導入。


 継続契約。


 戻り布評価。


 数字を追う。


 減っているのは布ではなかった。


「依頼数です」


 ミリアが顔を上げる。


「依頼?」


「はい」


 ノアは帳簿を回した。


「戻り布評価を継続しない宿が出ています」


 部屋が静かになった。


 クラリスは数字を見た。


 二軒。


 三軒。


 四軒。


 増えていた数字が、今朝は減っている。


「理由は分かりますか」


「まだです」


 ノアは帳簿を閉じた。


「確認しましょう」


     ◇


 昼前。


 三人は宿屋組合を訪れた。


 王都市は終わったが、組合は相変わらず忙しい。


 帳場係が書類を抱えて走り回っている。


 宿主達も出入りしていた。


 先日の担当者は、クラリス達を見ると困ったように笑った。


「エルネスタ様」


「依頼が減っています」


 クラリスはまっすぐ言った。


 担当者は頷く。


「はい」


「理由を伺えますか」


 担当者は近くにいた男へ視線を向けた。


「ちょうど本人がいます」


 振り返ったのは中規模の馬車宿の宿主だった。


 王都市でも何度か話した相手だ。


 男は気まずそうに頭を下げた。


「エルネスタ様」


「継続しなかったのは、私です」


 クラリスは黙って頷く。


 男は慌てて続けた。


「ですが、誤解しないでください」


「商品が悪いとは思っていません」


「戻り布評価も大事だと思っています」


 ミリアは少しだけ安心した。


 だが。


 男の表情は晴れない。


「ですが」


 困ったように頭を掻く。


「うちには難しかった」


 ミリアの肩がわずかに動いた。


「難しい?」


「下働きが覚えられません」


 男は苦笑する。


「帳場係も説明できない」


「私も全部は分かりません」


 責める口調ではなかった。


 本当に困っているだけだった。


「黒候補は必要です」


 ミリアは思わず言った。


 男は頷く。


「そうなんでしょう」


「同じ傷みを繰り返す布があります」


「修繕しても戻ってくる布があります」


「だから――」


 そこで言葉が止まった。


 男は困った顔をしていた。


 反論している顔ではない。


 本当に分からない顔だった。


「すみません」


 男は頭を下げる。


「私には違いが分からないんです」


 ミリアは口を閉じた。


 説明はできる。


 傷み方も。


 戻ってくる理由も。


 黒候補が必要な理由も。


 だが。


 一言では伝わらない。


「グランベルは分かるんです」


 男は続けた。


「赤」


「白」


「青」


「それだけですから」


 帳場係も頷く。


「新人にも教えやすいんです」


「現場も迷いません」


「混在も減りました」


 ノアは黙って聞いていた。


 反論はできる。


 だが、それも事実だった。


「エルネスタ様の方が丁寧です」


 宿主は言う。


「ですが、現場には少し難しい」


 クラリスは何も言わなかった。


 昔から聞いてきた言葉だった。


 正しい。


 だが届かない。


 必要。


 だが伝わらない。


 担当者が申し訳なさそうに頭を下げる。


「完全に切ったわけではありません」


「様子を見る宿もあります」


 だが。


 減ったことは事実だった。


     ◇


 組合を出た後。


 三人はしばらく無言で歩いた。


 王都南区の通り。


 荷車。


 宿。


 働く人々。


 そして。


 赤。


 白。


 青。


 グランベルの札が増えている。


 昨日より。


 明らかに。


「黒は必要です」


 ミリアが小さく言った。


「必要なんです」


 クラリスは何も言わない。


 ノアも否定しなかった。


 だから余計に悔しかった。


「クラリス様」


 聞き覚えのある声がした。


 三人が顔を上げる。


 ラウルだった。


 整った身なり。


 無駄のない立ち姿。


 そして周囲の流れを自然に読む目。


 ラウルは近づいてくる。


「ラウルさん」


 クラリスが言った。


 ラウルは軽く会釈する。


「組合ですか」


「ええ」


「そうでしょうね」


 結果は知っているのだろう。


 ラウルは周囲の札を見る。


「札は好評です」


「そうでしょうね」


 クラリスも認める。


「現場が覚えられます」


「新人でも使えます」


「宿主も説明できます」


 それが強さだった。


 分かりやすい。


 だから広がる。


「黒はありません」


 ノアが言った。


 ラウルは即答した。


「ありません」


「必要ないと?」


 ラウルは少し考える。


 そして首を振った。


「必要かもしれません」


 ミリアが顔を上げた。


「ですが」


 ラウルは続ける。


「まず混ぜないことの方が先です」


 静かな声だった。


「現場はそこまで進んでいません」


「だから三色です」


 ノアは札を見る。


 赤。


 白。


 青。


 王都南区へ広がっている。


 視界に文字が浮かぶ。


【分類損失:減少】


【運用負荷:減少】


【再発損失:未計測】


【将来負担:保留】


 今は見えない。


 だが、消えたわけではない。


「その費用は、あとで払うことになります」


 ノアは言った。


 ラウルは少しだけ笑った。


「かもしれません」


 否定しない。


 だが迷いもない。


「ですが」


 ラウルは答える。


「届かなければ、払う機会もありません」


 ノアは黙った。


 その言葉もまた事実だった。


「では」


 ラウルは軽く頭を下げる。


 それ以上は言わない。


 勝者の余裕はあった。


 だが見下してはいない。


 だから厄介だった。


     ◇


 夕方。


 宿へ戻ると、サラが帳場から飛び出してきた。


「クラリス様!」


「どうしました」


「また来ました!」


 差し出された紙を見る。


 追加発注票だった。


 赤札。


 白札。


 青札。


 追加枚数。


 設置場所。


 担当者名。


 今日だけで三件。


 昨日より増えている。


 クラリスは紙を見る。


「増えていますね」


「はい」


 ノアは答えた。


 ミリアは手の中の黒紐を見る。


 今日も選ばれなかった。


 宿主にも。


 帳場係にも。


 下働きにも。


 必要だと分かっている。


 だが。


 まだ伝わっていない。


 指先に力が入る。


 悔しかった。


 クラリスは窓の外を見る。


 赤。


 白。


 青。


 風に揺れる札。


「強いですね」


 静かな声だった。


 ノアは頷く。


「はい」


 ラウル・グランベルは勝っている。


 今も。


 だが。


 ミリアは黒紐を離さなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ