第4話 試作品は、寒さに値段を聞かない
夜戻り布の試作品は、翌日の昼過ぎに形になった。
工房の作業台の上に置かれたそれは、見た目だけなら、やはり地味だった。
深い灰色。
飾りはない。
端も華やかではない。
王都の市場に並べれば、ほとんどの客は隣の明るい布を見るだろう。
だが、手に取ると重さがあった。
無駄に重いのではない。
中身が詰まっている重さだった。
ガルドは布の端を指で押さえた。
「縁は厚めにした」
ノアは覗き込む。
「理由は?」
「詰所で雑に畳まれる。濡れた床にも置かれる。端から死ぬ」
「なるほど」
ノアは帳簿に書いた。
端から死ぬ。
クラリスが横から帳簿を覗き込み、眉を寄せた。
「……それ、商品説明には使わないでね」
「使いません。内部記録です」
「内部でも、もう少し言い方があるでしょう」
ノアは少し考えて、書き直した。
端から傷む。
ガルドはそれを見て、短く鼻を鳴らした。
「そっちの方がまだましだ」
ノアは頷いた。
少しだけ、言い方を直せた。
その程度で人に届くとは思わない。
だが、直さないよりはいい。
ガルドは布の中央を叩いた。
「大きさは古い夜番布より少し小さい。だが、膝から腹までは覆える。肩に掛けて歩くには重い。だから歩く布じゃねえ」
「戻った人を包む布」
クラリスが言った。
「そうだ」
ガルドは短く答えた。
「夜回りから戻って、座って、体を戻すための布だ」
ノアの視界に表示が浮かんだ。
【試作品:夜戻り布】
【用途:夜番詰所/仮眠用/帰還直後の保温】
【保温性:高】
【携帯性:低】
【耐久性:高】
【想定価格:銀貨三枚台後半】
【価格競争力:低】
価格競争力、低。
ノアは少しだけ目を細めた。
分かっている。
銀貨一枚半には勝てない。
数を揃えるなら、なおさら厳しい。
だが、それでも見るべき場所がある。
「今日、持ち込みます」
ノアが言うと、クラリスは頷いた。
「南区の夜番詰所ね」
「はい」
ミリアが布を見た。
「一枚だけで足りますか?」
「足りません」
ノアは即答した。
「ですが、試すには一枚で十分です」
「一枚だけ持っていって、買ってくださいって言うの?」
「言いません」
クラリスがノアの方を見る。
「今日は売らないのね」
「はい」
「では、何をするの?」
「使ってもらいます」
ノアは試作品に手を置いた。
「寒さは、説明では納得しません」
◇
南区の夜番詰所へ着いたのは、日が落ちる少し前だった。
前日と同じように、詰所の前には夜番たちが集まり始めていた。
槍。
鈴。
油灯。
薄い外套。
そして木箱の上には、グランベル商会の冬布が積まれていた。
昨日より数が増えている。
ノアはそれを見た。
【グランベル簡易冬布】
【在庫数:増加】
【使用者数:増加】
【価格優位:高】
【現場浸透:進行】
現場浸透。
進行。
ラウルは速い。
必要だと思った場所へ、すぐに数を入れている。
クラリスもその数に気づいた。
「増えているわね」
「はい」
「昨日の今日で」
「はい」
「痛いわね」
「痛いです」
ノアが即答すると、クラリスは少しだけ苦笑した。
「そこは少し柔らかくしてほしかったわ」
「柔らかく言っても、数は減りません」
「そういうところよ」
それでも、クラリスは逃げなかった。
布を持って詰所へ向かう。
昨日の年長者がこちらに気づいた。
「エルネスタの方か」
「昨日はありがとうございました」
クラリスは一礼した。
「お預かりした布は、工房で確認しています。今日は、試作品を持ってきました」
年長者の目が、クラリスの腕にある灰色の布へ向いた。
「もう作ったんですか」
「一枚だけです」
ノアが答えた。
「売り込みではありません。使用確認です」
年長者は眉を上げた。
「使用確認」
「はい。夜回りから戻った方に使ってもらい、どこが足りないかを聞きます」
若い夜番が木箱のそばから言った。
「値段は?」
「今日は取りません」
年長者の顔が少し険しくなる。
「ただですか」
ノアは首を振った。
「無償配布ではありません。試用です。使用後に評価をいただきます。汚れ、重さ、畳みやすさ、温まり方、邪魔になる箇所。それが対価です」
年長者はしばらくノアを見た。
「妙な商売ですね」
「はい」
クラリスがすぐに言った。
「ですが、以前の私たちは、それをしませんでした。使う場所を見ず、売る側で決めました。だから、今回は見ます」
年長者は少しだけ目を細めた。
それから、詰所の中を顎で示した。
「では、置いてください。ただし、皆が使うとは限りません」
「構いません」
クラリスが答える。
「使われなければ、それも評価です」
ノアはその言葉を帳簿に書いた。
クラリスが横目で見る。
「それも書くの?」
「良い言葉です」
「……そう」
少しだけ、クラリスの耳が赤くなった。
◇
夜番詰所の中は、昨日より少しだけ暖かく見えた。
グランベルの冬布が増えたからだ。
肩に掛けている者。
膝に置いている者。
壁際に畳んでいる者。
使われている。
それは事実だった。
ノアは、まずそこを認めた。
悪いものではない。
十分ではないだけだ。
夜戻り布を詰所の長椅子の横に置く。
グランベルの冬布と比べると、明らかに重い。
場所も取る。
若い夜番が近づき、指で押した。
「重いですね」
「はい」
「歩くには無理だ」
「歩くためではありません」
「でしょうね」
若い夜番は、少し笑った。
「でも、座る時ならよさそうだ」
年長者が声をかける。
「最初に戻ったやつに使わせる。感想を言え」
「了解です」
夜回りの組が外へ出ていく。
扉が開いた瞬間、冷たい風が詰所に入り込んだ。
油灯の火が揺れる。
クラリスが小さく肩を縮めた。
ノアはそれを見た。
「寒いですか」
「寒いわ」
「外はもっと寒いです」
「分かっているわ」
クラリスは夜戻り布を見た。
「だから、作ったのでしょう」
「はい」
ノアは頷いた。
その時、詰所の隅で年若い夜番がグランベルの布を畳んでいた。
薄く、軽く、たしかに扱いやすい。
畳めば小さい。
濡れても乾きやすい。
数を揃えられる。
ノアはそれを見て、帳簿に書く。
安布の利点。
軽い。
小さい。
数が揃う。
乾きやすい。
否定してはいけない。
勝つためではなく、間違えないために。
クラリスがその帳簿を見た。
「相手の良いところも書くのね」
「書きます」
「敵なのに?」
「敵だからです」
クラリスは少し黙った。
「あなたは、そういうところは強いわね」
「そうですか」
「ええ。嫌なものからも目を逸らさない」
ノアは返事に困った。
褒められているのか、少し分からなかった。
ただ、クラリスの表情は穏やかだった。
◇
最初の夜回り組が戻ってきたのは、鐘が一つ鳴った後だった。
扉が開く。
冷気と一緒に、二人の夜番が入ってくる。
頬が赤い。
手がかじかんでいる。
肩にはグランベルの冬布。
だが、外気を吸った布は薄く冷えていた。
「寒いな」
「まだ序盤ですよ」
若い方が笑う。
だが、笑い方に余裕はなかった。
年長者が夜戻り布を指した。
「それを使え」
「これですか」
「試しだ」
戻ってきた若い夜番が、夜戻り布を持ち上げた。
「重っ」
ミリアが少し不安そうな顔をする。
ガルドは来ていない。
だが、もしここにいたら眉を吊り上げていただろう。
若い夜番は長椅子に座り、夜戻り布を膝から腹に掛けた。
布が重く沈む。
太もも、腹、手元まで覆う。
肩には掛けない。
歩くためではない。
戻るための布だ。
最初、若い夜番は何も言わなかった。
十呼吸。
二十呼吸。
やがて、手を布の下に入れた。
「……ああ」
それだけ言った。
年長者が見る。
「どうだ」
「戻ります」
「何が」
「手が」
若い夜番は少し笑った。
「あと、腹が」
詰所の中が少しだけ静かになった。
もう一人の夜番が近づく。
「そんなに違うか?」
「座るなら、こっちです」
「肩に掛けて外へは?」
「無理です。重いし邪魔です」
ノアは書いた。
外歩き不可。
座位保温良好。
手先回復あり。
腹部保温あり。
若い夜番は布を少し持ち上げた。
「ただ、立つ時に引っかかります」
「どこが?」
ノアがすぐ聞く。
「端です。膝のところ。急に呼ばれて立つと、たぶん落とす」
ノアは布の位置を見た。
「端の重さ」
「はい。あと、ここ」
若い夜番は布の角を示した。
「掴む場所があるといいです」
「掴む場所?」
「暗い時に、どっちが上か分かりにくい。戻ってきてすぐ使うなら、手探りで分かった方がいい」
ノアは筆を止めた。
それは、作業台では出なかった意見だった。
ミリアが小さく言う。
「しるしを付ける?」
クラリスが顔を上げた。
「色?」
「色は暗いと見えません」
ノアは答えた。
「手触りです」
「手触り?」
「角の一つだけ、編み目か縁の感触を変える。暗くても向きが分かる」
若い夜番が頷いた。
「それは助かります」
年長者も布に触れた。
「確かに、夜番は暗い中で雑に使う。見た目より手触りだ」
ノアは帳簿に書く。
向き識別。
視覚ではなく触覚。
クラリスが横で呟く。
「売場では分からないことね」
「はい」
ノアは短く答えた。
「寒い場所でしか出ない情報です」
◇
夜戻り布は、その後も使われた。
一人目。
手が戻る。
ただし立つ時に端を踏む。
二人目。
腹は温かい。
肩が寒い。
三人目。
重さが安心する。
だが、干す場所に困る。
四人目。
仮眠には良い。
ただし二枚並べると場所を取る。
五人目。
グランベルの布を肩に掛け、夜戻り布を膝に置いた。
それが一番良かった。
ノアの筆が止まった。
「併用」
クラリスが小さく言う。
「ええ」
若い夜番は、少し気まずそうに笑った。
「すみません。でも、外から戻った時は、肩に軽い布があって、その上で膝に重い布がある方がいいです」
ノアは首を振った。
「謝る必要はありません」
今度は、少しだけ自然に言えた。
「使い方が分かっただけです」
クラリスがノアを見る。
少しだけ目が柔らかかった。
ミリアが、グランベルの冬布と夜戻り布を見比べた。
「安い布を買った人にも、戻る場所が必要なんですね」
ノアは頷いた。
そして帳簿に書く。
競合ではなく併用。
外歩き用:軽布。
戻り用:重布。
夜戻り布は、グランベル布を完全に置き換えない。
ノアはその行を、もう一度見た。
完全に置き換えない。
これは敗北ではない。
むしろ、正しい位置が見えた。
ラウルの布は、外へ持って出る。
エルネスタの布は、戻ってきた体を温める。
違う役割に立てる。
値段で殴り合わず、用途を分ける。
「クラリス様」
ノアは言った。
「はい」
「売り方を変えます」
「どう変えるの?」
「グランベルの布を否定しません」
詰所の中が少し静かになった。
ミリアもノアを見る。
クラリスは驚かなかった。
「続けて」
「夜番には、軽い布も必要です。数も必要です。そこを否定すると、現場を見ていないことになります」
「ええ」
「だから、夜戻り布は“外用ではない”と明記します」
「最初から用途を絞るのね」
「はい。夜回りから戻った後、詰所で体を戻す布。数は少なくていい。全員分ではなく、戻った者から使う」
年長者が腕を組んだ。
「それなら、十枚はいらんな」
「何枚なら必要ですか」
「三枚。できれば四枚」
ノアは即座に書いた。
最低三枚。
推奨四枚。
銀貨三枚台後半なら、総額はまだ高い。
だが、十五枚ではない。
商談の形が変わる。
「修繕込みで四枚なら?」
ノアが聞いた。
年長者が目を細める。
「値段次第です」
「でしょうね」
「でも、聞く気はあります」
クラリスの表情がわずかに変わった。
それは購入ではない。
注文でもない。
ただ、「聞く気はある」。
今のエルネスタにとっては、それだけでも前進だった。
クラリスは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。次は、値段と仕様を整えて持ってきます」
「高すぎたら断りますよ」
「構いません」
クラリスは顔を上げた。
「その時は、何が高いのかを聞かせてください」
年長者は、少しだけ笑った。
「変な売り込みですね」
「はい」
ノアが答えた。
「まだ、売っていません」
◇
帰り道、クラリスは馬車の中でずっと帳簿を見ていた。
ノアが書いた評価。
夜番の言葉。
必要枚数。
併用。
触覚のしるし。
干す場所。
立つ時の引っかかり。
思った以上に、修正点は多い。
だが、クラリスの顔は暗くなかった。
「勝ったわけではないわね」
「はい」
「売れたわけでもない」
「はい」
「でも、聞く気はあると言われた」
「はい」
ノアは頷いた。
「信用回復としては、小さいですが有効です」
「小さいのね」
「小さいです」
「でも、有効」
「はい」
クラリスは帳簿を閉じた。
「あなたの言い方にも、少し慣れてきたわ」
「それは良いことですか」
「危険なことかもしれない」
クラリスは窓の外を見た。
王都南区の灯りが遠ざかっている。
あの場所では、今もグランベルの布が肩に掛けられている。
それは間違いなく、誰かの寒さを少し減らしている。
だから、敵は弱くない。
悪くもない。
クラリスは小さく言った。
「ラウルの布を否定しないのは、悔しいわね」
「はい」
「でも、否定したら、夜番の人たちまで否定することになる」
「はい」
ノアは少しだけ間を置いた。
「商品を否定する時は、使っている人まで否定していないか確認が必要です」
クラリスはノアを見た。
「今のは、良い言い方ね」
「そうですか」
「ええ。帳簿に書いておきなさい」
ノアは本当に書いた。
クラリスが笑った。
◇
工房に戻ると、ガルドは待っていた。
腕を組んでいる。
顔は不機嫌。
だが、作業台には道具が並んでいた。
「で」
ガルドが言った。
「使えたのか」
「使えました」
ノアは答えた。
「ですが、修正が多いです」
「言え」
ノアは帳簿を開いた。
「歩く布ではない方針は正しいです。戻った後の保温には有効でした」
ガルドの目が少しだけ緩む。
「ただし、端が重く、立つ時に引っかかります」
「直す」
「暗い中で向きが分かりません」
「縁を変える」
「肩が寒いという意見がありました」
「肩まで覆うと重くなる」
「はい。なので外用軽布との併用が最適でした」
ガルドの眉が跳ねた。
「グランベルの布とか」
「はい」
工房の空気が少し固まった。
ミリアもクラリスも黙る。
ガルドはノアを睨んだ。
「それを俺に言うか」
「必要なので」
「腹立つな」
「分かります」
「分かってねえ顔だ」
「ですが、使い方として正しいです」
ガルドはしばらく黙っていた。
それから、深く息を吐いた。
「……外で軽い布。戻って重い布」
「はい」
「役が違う」
「はい」
ガルドは作業台の上の試作品を見た。
「なら、うちの布は戻ったやつを逃がさねえ布にする」
「逃がさない?」
「冷えた体を、温かい方へ戻す。途中で冷気を逃がさねえ」
ノアは帳簿に書く。
温かい方へ戻す。
冷気を逃がさない。
ガルドがまた顔をしかめる。
「だから、何でも書くな」
「商品名に関わります」
クラリスが反応した。
「商品名?」
「夜戻り布は悪くありません。ただ、もう少し用途を明確にできます」
ミリアが言った。
「戻り守り布?」
ガルドが少し考える。
「夜戻り守り布」
クラリスが首を傾げた。
「少し長いわ」
ノアは紙に三つ書いた。
夜戻り布。
夜戻り守り布。
戻り温め布。
全員が黙った。
ガルドが言う。
「夜戻り布でいい」
クラリスも頷いた。
「ええ。短い方がいいわ」
ミリアも頷く。
「詰所の人も言いやすいと思います」
ノアは一つ目に丸をつけた。
【商品名:夜戻り布】
【用途:夜回りから戻った体を温める】
【売り文句案:外を歩く布ではありません。戻った体を温める布です】
【併用前提:軽布との競合回避】
【必要枚数:詰所三〜四枚】
「売り文句が正直すぎるわね」
クラリスが言った。
「嘘ではありません」
「嘘ではないけれど、もう少し……」
彼女は少し考えた。
「夜を回る人に、戻る温かさを」
工房が静かになる。
ミリアが小さく頷いた。
「いいと思います」
ガルドも否定しなかった。
ノアはその言葉を書いた。
夜を回る人に、戻る温かさを。
クラリスは少しだけ照れたように視線を逸らす。
「仮よ」
「良いです」
ノアが言うと、クラリスは一瞬止まった。
「そう」
短く答える。
だが、口元は少しだけ緩んでいた。
◇
その夜、ノアは帳簿を整理していた。
夜戻り布。
寝床守り布。
補修用羊毛布。
高級一枚布。
商品が増えている。
増やしすぎれば、在庫も説明も崩れる。
だが、分けなければ届かない。
価値を守るには、用途を分ける必要がある。
用途を分けるには、現場を見なければならない。
ノアは帳簿に線を引いた。
【課題】
【商品数増加による管理負荷】
【説明者不足】
【職人工数増加】
【価格優位なし】
【信用回復:微増】
微増。
また微増だ。
だが、ゼロではない。
ノアは帳簿を閉じようとして、手を止めた。
余白に、クラリスの言葉が残っている。
夜を回る人に、戻る温かさを。
数字ではない。
だが、売るためには必要な言葉だった。
ノアはそれを消さなかった。
その時、扉が叩かれた。
クラリスが入ってくる。
「まだ起きていたのね」
「はい」
「食事は?」
「後で」
「駄目」
クラリスは皿を置いた。
硬いパンではない。
温かいスープがある。
「あなたは、自分の分だけすぐ削る」
「領地の財政を考えると」
「食べなさい」
「ですが」
「交渉ではありません」
ノアは黙った。
クラリスは椅子に座る。
「今日、夜番の人が言っていたわね。これしかないなら、これで越す、と」
「はい」
「あなたも同じことをしがちよ」
「私は布ではありません」
「ええ。だから余計に面倒なの」
ノアは返答に困った。
クラリスは帳簿を見る。
「値段をつけるのは、守るためなのでしょう」
「はい」
「なら、自分の食事にも最低限以上の値段をつけなさい」
ノアはスープを見た。
湯気が上がっている。
それは、帳簿に載らない温かさだった。
「……いただきます」
「ええ」
クラリスは立ち上がる。
扉の前で、少しだけ振り返った。
「明日、南区の夜番詰所にもう一度行くわ」
「仕様がまだ確定していません」
「ええ。だから行くの。今度は、値段の話をするために」
ノアは顔を上げた。
クラリスの目は、逃げていなかった。
「聞く気はある、と言われたのでしょう」
「はい」
「なら、聞く気があるうちに行く」
クラリスは静かに言った。
「寒い夜は、こちらの準備を待ってくれないもの」
ノアは少しだけ黙った。
それから頷いた。
「はい」
クラリスが出ていく。
ノアはスープに手を伸ばした。
温かかった。
その温かさが、今日の夜番詰所で見た布の重さと、少しだけ重なった。
◇
翌朝。
王都南区では、グランベル商会の荷馬車が、夜番詰所の前に止まっていた。
荷台には、銀貨一枚半の冬布が積まれている。
昨日より多い。
明らかに多い。
ラウル・グランベルは、詰所の前で年長者と話していた。
「追加分です。予備も含めて二十枚」
「助かります」
「寒さは待ちませんから」
ラウルは穏やかに笑った。
その時、通りの向こうから、エルネスタ領の馬車が見えた。
ラウルはそちらを見る。
ノアとクラリスが降りてくる。
その後ろに、ミリア。
そして荷台には、灰色の布が三枚。
昨日の試作品を直したものだった。
ラウルは目を細める。
「早いですね」
ノアは荷台の布を見た。
グランベルの冬布。
二十枚。
その数字は、痛い。
だが、昨日よりは見えている。
何と戦うべきか。
何とは戦わないべきか。
ノアは夜戻り布に手を置いた。
「はい」
短く答える。
「寒さは、待ってくれませんので」
ラウルは一瞬だけ黙った。
そして、楽しそうに笑った。
「なるほど」
王都南区の朝の冷気の中。
銀貨一枚半の布と、夜戻り布が、初めて同じ場所に並んだ。




