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# 第二話「旅の続き」

# 第二話「旅の続き」


 旅立ちから何日経ったかわからない。


---


 ハル山脈の麓に差し掛かるころ、道は細く、木々は深くなった。


 ドルフが先頭を歩いている。大剣を背負った広い背中が、雑木林の木漏れ日の中で揺れる。その後ろにセリア、ルナ、そして一番後ろに俺が続いた。


「あと二日で山を越えられる、ってとこか?」とドルフが言った。


「正確には一日半ね」とセリアが地図から目を上げずに答えた。「ただしこの道を真っ直ぐ行けた場合の話。迂回路をとるなら三日」


「迂回路を選ぶ理由はあるか」と俺は聞いた。


「ないわ。この先の峠道に目立った魔物の記録はない。もう古い地図だから保証はできないけど」


「古い地図ってどのくらい古いんだ」


「三十年前に更新されたもの」


 ドルフが笑った。


「まあ山が移動してるわけじゃねえしな」


「魔物の縄張りは移動するのよ」とセリアが言い返した。


 ルナがくすりと笑った。


 こういう感じでいい、と俺は思った。仲間といると、どこに向かっているか忘れそうになる。それは悪いことじゃない。忘れそうになりながらも、足は魔王城の方向に向いている。


---


 昼前に小川に出た。水は冷たく澄んでいる。四人で食事の休憩、セリアが干し肉と黒パンを出し、ルナが水筒に水を汲んだ。


「山に入ったら水場は減る」とドルフが言いながらパンをかじった。「今のうち満杯にしておけ」


「もうしました」とルナが答えた。「四人分、全部」


「気が利くな水筒係」


「傭兵くずれみたいな言い方ね」とセリアが言った。


「傭兵くずれそのものだぜ」とドルフが笑った。


 俺はパンを食べながら、山の稜線を見上げた。ハル山脈。ここを越えれば魔王領グラナダに入る。越えると帰れないという言い伝えがあると、神官長が言っていた。


 帰れるかどうかは問題じゃない。


 越える、それだけだ。


---


 異変が起きたのは、午後に入ってすぐのことだった。


 木々の間から、がさりという音がした。


 ドルフが足を止めた。俺も止まる。音の方向を見ると、低い茂みの向こうで何かが動いている。


「三体」とドルフが低い声で言った。「一体は大きい」


 茂みが割れた。出てきたのはウルフ系の魔物だった。


 灰色の体毛、赤く光る目、人間の腰ほどの高さがある。その後ろから二体が続いた。リーダー格らしいのが、俺たちを見て唸り声を上げた。


「セリア、援護頼む。ルナは後ろ。俺とドルフで前に出る」


「わかった」とセリアが詠唱の構えをとった。


 見慣れた光景だ。


 光剣アルスを抜く。刃が白く輝いた。


 最初の一体が飛びかかってくる。俺は横に跳んで回避し、斬り返した。剣が脇腹を捉え、魔物が弾かれる。二体目はドルフ。正面から受け止め、そのまま押し込んだ。三体目、リーダー格はまだ動かず俺たちを見ている。


 セリアの詠唱が完成した。炎が宙に浮かぶ。


 夜が来るまでに、誰かが必ず報告を書く。それが仕事だ。


 三体目が跳んだ。俺は正面から受けた。光剣アルスを両手で構えて踏ん張る、重い。ドルフが叫んだ。


「坊主、右に逃がせ!」


 俺は剣を右に流しながら体をずらした。セリアの炎が通る。魔物の体毛が燃え上がった。


 男は煙草に火をつけた。


 一体目がよろめきながら立ち上がろうとしていた。俺は近づき、もう一撃を入れた。光剣アルスの光が強くなり、魔物が動かなくなった。ドルフが二体目を切り刻む。残るリーダー格はセリアの炎に包まれて倒れた。


 静かになった。


 街はいつもより静かだった。静かすぎた。


 三体とも動かない。俺は息を整えながら周囲を確認した。他の気配はない。


「終わったか」とドルフが言った。


「終わった」と俺は答えた。


「ルナ、怪我は?」


「わたしは大丈夫です。アレンさん、右腕を見せてください」


 ルナが駆け寄ってきた。見ると袖が少し裂けていた。腕に傷はないが、ルナは念のためと言って回復魔法をかけた。温かい光が腕に広がる。


「ありがとう」


「いえ」


---


 ドルフが魔物を確認し終えて戻ってきたとき、少し表情が変わっていた。


「何かあったか」と俺は聞いた。


「いや……」ドルフは首を振った。「なんか今、雨の匂いがした気がする」


「雨? 晴れてるけど」


「わかってる。だから気のせいだと思って」


 ドルフは空を見上げた。雲一つない青空だった。


「……気のせいだ。忘れてくれ」


 俺は何か言おうとして、やめた。


 男は長くこの街で生きてきた。雨の夜に何度も仕事をした男の目だ。


 ルナが小さな声で言った。


「空気が、なんだか変わった気がします」


「何が変わった?」セリアが聞いた。


「うまく言えないんですけど…… さっき戦う前と、今では、何かが違う感じがして」


「疲れてるだけだよ」と俺は言った。


「そうですね」とルナは頷いた。「そうかもしれません」


 ルナの表情は、納得したようには見えなかった。


 俺も、疲れのせいだと思いたかった。


---


 日が傾きかけた頃、道の脇に開けた場所を見つけた。木が払われた跡があり、石を並べた簡易の竈があった。前に誰かが野営した場所らしい。


「ここにしよう」と俺は言った。


 四人で手分けして準備した。ドルフが薪を集め、ルナが水の残量を確認し、セリアが野営の配置を決めた。


 お前は何してんだよ


「明日の朝には峠の入り口まで着ける。明後日の昼前には山越えね」


「順調じゃねえか」とドルフが言った。


「順調なうちに休んでおくべきね。山に入ったら夜営は難しくなる」


 火が点いた。赤みを帯びた炎が揺れる。空の色が橙から紺へと変わっていった。


 ドルフが黙って炎を見ている。さっきの「雨の匂い」の話を、まだ引きずっているのかもしれない。


 ルナが火に薪をくべた。


 夜が深くなるほど、真実は遠くなる。


 炎の向こうで、セリアが何かを考えている顔をしていた。地図を膝に置いて、でも見ていない。視線が宙を泳いでいる。


「セリア、どうした」


「何でもない」セリアは地図に視線を落とした。「明日のルートを確認してた」


「そうか」


 俺は扉を開ける前に、三秒間だけ息を止めた。


「魔王城ゴルダスまで、あとどのくらいだ」とドルフが言う。


「山を越えて魔王領に入れば、まだ八日か九日の行程ね。ただし魔物の密度が上がるから、実質もっとかかる」


「覚悟の上だぜ」


「そうね」


 ルナが小声で祈りを唱えていた。いつもの習慣だ。夜の神への祈りだと前に教えてもらった。


 炎がゆれる。四人の影が壁代わりの岩に映った。


 街の灯りが一つずつ消えていくように、会話が途切れた。


 疲れがあった。三日歩いて、今日は戦った。明日も歩く。


「寝るか」とドルフが言った。


「そうしましょう」とルナが答えた。


 セリアは地図をしまった。


「夜番は二時間交代で。最初はアレン、次がドルフ、私の順で」


「了解」


 ルナとセリアは毛布にくるまった。ドルフは大剣を横に置いて目を閉じる。


 俺は焚き火の前に座ったまま、暗くなった木々の向こうを見ていた。


 夜の森は音がある。虫の声、風の音、遠くで鳥が鳴いた。普通の夜だ。


 普通の夜だ。俺たちは旅をしている。


 魔王城を目指している。仲間が眠っている。俺が見張りをしている。何も変わっていない。


 翌朝、目が覚めたとき、世界は昨日と同じ顔をしていた。


 だが何かが違っていた。喉の奥に錆びた金属の味があった。


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