序章 黒鴉の爪痕 その3 楽しくもない歓迎の宴
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夜が更ける前に、歓迎の宴がはじまった。
会場に入るなり、孔明は趙雲が心配していた理由を理解した。
孔明を見るなり、会場にいた者たちが、いっせいにぴたっと会話を止め、視線をいっせいに集めてきたからである。
その視線は、どれもこれも、とても友好的とは言い難い。
『癖がある、か。なるほど』
納得しつつ、孔明は度胸のいい所をみせて、悠然として、顔には穏やかな笑みをたたえたまま、劉備のとなりに着席する。
さいわいだったのは、劉備の次席に座っている初老の男だけが、優しい笑顔を見せてくれたことだ。
品の良さそうな、目の表情のとびきり優しいその人物は、劉備の妻の兄で、孔明とおなじ徐州の出身の麋竺、字を子仲だろう。
徐州の人物らしく、孔明とおなじくすらっとした体躯で、髪に白い物が混ざっているものの、衰えているという印象は受けない。
『そういえば、麋家の男はだれもが弓馬に長けているという評判だったな』
孔明は思い出しつつ、笑顔で会釈してきた麋竺に、丁寧に自分も頭を下げた。
「新野城へようこそ、孔明どの。家臣を代表して、歓迎いたしますぞ」
と、麋竺が言った。
劉備に近い席には、旧来の家臣たちが多くはべっているようだ。
かれらは麋竺をのぞいて、だれもがこちらを胡散臭いものを見る目を向けてくる。
それを知っているだろうに、知らぬふりをしているようすの劉備は、満面の笑みで、声を張り上げた。
「みんな集まったな。こちらが、わしがあらたに迎えた軍師の諸葛孔明どのだ」
劉備はいったんことばを切り、会場にあつまっている男たちの顔をぐるりと見回す。
だれもことばを発さず、ほとんどが口をへの字にして劉備に目線を集めている。
それでも劉備は笑顔のまま、つづけた。
「孔明は、徐元直の弟弟子にあたり、臥龍先生とも呼ばれている。心強いことに、明日から即戦力になってくれるぞ。さっそく城の仕事についてもらうから、みな軍師の言うことを良く聴いてくれ」
劉備がそこまで言っても、だれもが口を閉ざしている。
重苦しい沈黙を打破すべく、孔明がにこやかな笑みを浮かべつつ、みなに礼を取った。
「新参者ですが、わが君のため、けんめいに努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします」
孔明が遜って挨拶をしたこと、そしてその張りのある声に圧倒されたことで、家臣たちはようやく、しぶしぶ、というふうに、劉備に礼を返した。
「わが君のおっしゃる通りにいたします」
劉備は、さらに唇の両端を上に向けた。
「そうとも、みんな仲良くやってくれ。では、今宵は楽しもう。おおいに飲んで喰らって、明日に備えるのだ」
それを合図に、家臣たちは目の前の長卓にならべられた大皿の料理に、いっせいにかぶりつきはじめた。
「みな、人見知りをするようでな、さいしょは愛想は悪いが、すぐに慣れる。軍師は軍師のやりたいようにやってくれ。わしもできうる限り後押しするから」
酒を飲みながら劉備が言った。
しかしその横では、関羽と張飛が面白くなさそうにしている。
時々横目でにらんでくるのにも、孔明は辟易した。
劉備の義兄弟の二人がそんな様子なので、ほかの家臣もいわずもがな。
とくに、麋竺のとなりにいる神経質そうなちょび髭の男は、じっとりした目線をさきほどから劉備と孔明に交互に送ってくる。
「あの方のお名前は?」
孔明が劉備に問うと、
「孫乾、字を公祐だ。徐元直(徐庶)が抜けたあとは、城内の事務仕事を仕切ってくれた男さ。ちょっと細かいところもあるが、仕事はできる。よく話し合って仕事を進めてくれ」
分かり申した、と孔明は返事をしたが、孫乾があまりにも自分を恨んでいるような目で見てくるので、ついつい、じろりと見返してしまった。
すると孫乾は顔を赤くして、ぷいっと横を向いてしまった。
そして、聞えよがしに言う。
「臥龍だか何だか知らぬが、けっきょく、どこの馬の骨ともわからぬやつではないか。即戦力というが、いままで田舎に引きこもっていたやつに、城の仕事のなにがわかる。冗談も休み休み言ってほしいというものだ」
劉備に聞こえてもよいのかと、聞いた孔明のほうがひやっとしたが、劉備はちょうど、関羽と張飛の機嫌を取っていて、孫乾の嫌みを聞いていなかったらしい。
たしなめたほうがいいか?
いや、まだ城になじんでいないわたしが、いまかれをやり込めると、関係がこじれそうだなと算段していると、孫乾のことばに合わせるように、となりのやわらかそうな癖のある毛をした優男が言った。
「まったく、兄上のおっしゃるとおりです。いままでの兄上の努力を横から掻っ攫おうとする者に、頭なんぞ下げる必要はありませぬ」
だれだ、あれは? 焚きつけてどうする、と孔明が憮然としていると、孔明の背後から、声がした。
「あれは孫直といって、孫乾の末の弟だ」
孔明がぎょっとして振り返ると、趙雲であった。
趙雲は劉備と孔明の主騎として、近くの席に、酒も飲まずに待機していたようである。
つづく




