序章 黒鴉の爪痕 その2 新野城の面々
まず、劉備の義兄弟で関羽と張飛。
「このふたりは、もう隆中で会っているから知っているな?
しっかり者のほうが関羽、粗忽者のほうが張飛。おれの頼もしい兄弟たちだ、仲良くやってくれ」
劉備は「仲良く」と指示をしたが、兄弟たちはまったくそれを守る気がなさそうで、孔明をぎろりと睨んでくる。
万軍の敵と言われるだけのことはあり、長髯の関羽と虎髯の張飛、両者ともにすさまじい目力である。
並の人物なら、ここで「うまくやっていけそうにありません」と辞去してしまうところだが、あいにく孔明は並の人間ではなかった。
にこりと微笑んで、よろしくお願いいたします、と頭を下げる。
その花が咲いたような笑みを受け、関羽のほうがたじろいで、小さく「うむ」と言い、張飛のほうは面白くなさそうに、目を逸らした。
「つづいて、こちらは麋竺、字は子仲。
わしの大切な妻の兄上にあたる。
孔明とは同じ徐州の出身だから、名前くらいは聞いたことがあるだろう。
ともかく出来た人だから、孔明も安心して付き合ってくれ」
麋竺の名は全国に鳴り響いていた。
とうぜん、同じ徐州出身の孔明も、麋竺の名を良く知っている。
万を超す雇人を抱える大商人であったことも有名だし、その財のほとんどを投げうって劉備に尽くしているのも有名だし、妹を劉備に嫁がせたのも有名だし、なにより、温厚篤実な性格で有名でもあった。
天女が目の前にあらわれて、火事で財産を失う危機をまぬかれた、という嘘のような経験をしている人物でもある。
人望が高いのもわかるような、品の良いおとなしそうな人物で、ふてくされているほかの家臣たちとはちがい、嬉しそうに笑っていた。
「で、麋竺どのの隣にいるのが、弟の麋芳、字は子方だ。まぁ、こっちも上手くやってくれ」
と劉備は意外にも、ぞんざいな紹介をする。
「まぁ、こっちも」の、「まぁ」の部分に含みがある気がした。
しかし、当の麋芳は気にしていないようで、誇り高い人物らしく、作法通りの礼は取るが、兄の麋竺とは違って、孔明と目を合わせようとしなかった。
頑固そうな男である。
むすっと引き結ばれた唇は、微笑むことがあるのだろうか。
「こっちは孫乾、字を公祐。
真面目で、器用で、なんでもこなしてくれる、すごいやつだ。
元直(徐庶)が来るまでと、かれが抜けてからは、城の事務は孫乾が取り仕切ってくれていたのだ」
かなり有能なのだなと、孔明は感心して孫乾に礼を取るが、孫乾は、その場にいる家臣のなかでも、いちばんといっていいほど渋い顔をしていた。
几帳面に鼻の下の髭をととのえているところからして、神経質なところがうかがえる。
じっさい、孫乾はぴりぴりしていて、劉備がいる手前、仕方なく礼を取っている、というふうで、顔を上げると、すぐにそっぽを向いてしまう。
困ったなと孔明が思っていると、劉備は取りなすように、孫乾の背中をばんばん、と元気よく叩いた。
「うまくやってくれ、頼むぞ。おまえはたしかに出来るやつだが、融通が利かないのが玉にキズだからなあ」
と、劉備が笑う。
それを受けて、孫乾は引きつった笑みを浮かべていた。
「孫乾のとなりが、簡雍、字を憲和。
こいつは仲良くなると面白いぞ。しゃべり上手で、仕事もそつなくこなす。
まあ、ちょっと偏屈なのが困りものだからな」
「困らせた覚えはございませぬぞ」
と、簡雍は冗談めかして口をとがらせる。
一瞬、孔明と目が合ったが、簡雍は孫乾に遠慮をしているらしく、これまたすぐに顔を背けてしまった。
すこし工夫すれば、話が通じやすそうな人物だなと、孔明は思う。
里芋のような印象の、ころっとした体形の御仁で、目じりの笑い皺が、愛嬌の良さを示していた。
「後ろに控えているのが、わしの可愛い養子の劉封だ。
鼻っ柱が強いが、腕っぷしも強い。若いのに、とても頼りになるやつだ。劉封、礼を取れ」
劉備に言われて、劉封はしぶしぶというふうに礼を取った。
鼻っ柱が強いと紹介されるだけあり、孔明とはばっちり目を合わせて、ぎらぎらと睨んでくる。
劉封からすれば、大好きな父親を、あとからよくわからない男に横から搔っ攫われたという具合なのだろう。
劉封は荊州牧の劉表につながる一族の人間だという話である。
気が強い人物と言う評判は、孔明も隆中の庵を出る前から耳にしていた。
と同時に、劉封を養子にむかえてほどなく、劉備の妻のひとり甘夫人が、実子である阿斗が生んだことで、その将来を危ぶむ声がある、ということも聞こえている。
なるほど、関羽と張飛を義兄弟にする劉備が好みそうな、気性の荒そうな青年だが、世間の評判も外れていないなと、孔明は率直に思った。
つづく