序章 黒鴉の爪痕 その1 諸葛孔明、新野に至る
大変お待たせいたしました。
序章 黒鴉の爪痕、再掲載を本日より「割り込み投稿」で投稿します。
週1回、月曜日の更新です。
27回くらいの長さの話となります。
あらためてよろしくお願いいたします!
桃の花咲き、薫るころ、諸葛亮、字を孔明は、三顧の礼を受けて新野城へやってきた。
それは建安十三年(西暦208年)のこと。
新野城は、荊州の対曹操の最前線である。
馬上の孔明は、劉備、関羽、張飛の三人とともに新野の城市をながめやり、とうとう、ここがわたしの住処になるのだなと感慨深く思った。
書生時代から何度か足を運んだことのある新野城。
城の主である劉備が、民思いだという良い評判はかねてより聞いていたが、そうだからといって、まさかかれに仕え、ともに天下を目指すことになるとは夢にも思っていなかった。
人生とは、わからぬものだと、孔明はあらためて思う。
馬を進めていくうち、商人の荷車や、農作業の帰りの農夫たちや、旅人たちが移動していく門前で、ただひとり、劉備たち一行を待ち受けている男がいることに、孔明は気づいた。
身じろぎひとつせず、ただひたすらに劉備たちを見つめている。
その男は、身の丈は八尺(約180cm)はあろうか、遠めでも均整のとれた体つきがわかった。
過度な武装こそしていなかったが、その凛としたたたずまいから、武芸をたしなむ男だろうことは想像できる。
孔明のとなりの劉備が、ぱっと顔を輝かせて、その男に手を振る。
「おお、子龍、使者が行ったか。待っていてくれたのだな、すまぬな」
劉備が声をかけると、子龍と呼ばれたその男は、返事の代わりに丁寧に礼を取った。
几帳面な性格らしいのは、その無駄のない一連の動作から知れる。
孔明を乗せた馬がどんどん門前に近づくのと同時に、その男の風貌をはっきりと見ることができた。
『おや、これはなかなか』
孔明がおどろくほどに、容姿端麗な男だった。
自分と変わらない年のように見えるが、じっさいは三十過ぎくらいだろうか。
それにしては若々しい肌艶で、手入れの行き届いた真っ黒な髪を持っている。
衣服に汚れなども目立たず、立派な刀剣を腰に佩びていた。
顔を上げた男と目が合う。
ほんの一瞬だが、相手が、はっと息を呑んだのが孔明にも伝わった。
孔明の清雅な美貌をはじめて見た相手は、たいがいこういう反応をする。
なので、意外でも何でもなかったのだが、つづく反応がめずらしかった。
その男は驚きの表情をさっとひっこめ、仮面のように感情の読み取れぬ無表情に転じたのだ。
『自分の感情を読まれることを嫌うか。慎重で……いくらか内気なたちなのかもしれぬ』
孔明はそんなことを考えつつ、馬から素早く降りると、男の前に立ち、自身も丁寧に礼を取った。
「お初にお目にかかります、趙子龍どの。わたくしは諸葛孔明と申します」
「孔明どの、ご高名はかねがね。それがしの名を?」
と、趙雲はちらっと、同じく下馬をはじめている劉備たちを見る。
劉備たちが応える前に、孔明は、はきはきと言う。
「道中、新野城のみなさまのことを教えていただいたのです。子龍どののことも、わが君から聞かせていただきました。わが君の主騎で、槍の名手だとか」
「名手かどうかはさておき、たしかに槍はたしなむ」
ぶっきらぼうに趙雲は答えると、孔明を含む四人に、すこし声を張り上げてたずねる。
「道中、お疲れではありませぬか。城にて風呂の支度をさせておりますが」
「おお、隆中からここまで、旅の埃にまみれて難儀をしていたところよ。気が利くな、子龍」
劉備は嬉しそうに言い、それから付け加えた。
「道中かんがえていたのだが、おまえには軍師どのの主騎(ボディーガード)も頼もうと思う。どうだろう」
言われて、驚いたのは孔明だけだった。
どうやら趙雲には劉備の命令は絶対のようで、唐突な提案だったろうに、あっさりと、
「わかり申した。では、いまから」
などと答えている。
あわてて孔明は言った。
「わたしに主騎をつけてくださるというお心づかいは嬉しいのですが、しかし、子龍どのの手間になりますまいか。そも、わたしはこの城では無名の存在。だれに狙われるとも思えないのですが」
「無名は言いすぎだろう、先生よ。兄貴の好意を受け取っとけよ。それともなにかい、自由に動きたいから、子龍は邪魔だとでも?」
張飛がまん丸の目をむいて指摘してくる。
孔明は、この虎髯の大男・張飛、字を益徳が、案外真実を突いたことを言ってくるので、なかなか油断ならないお方だなと認識を変えた。
「邪魔だなどと、とんでもない」
思わず反駁した孔明に、関羽、字を雲長が言う。
「兄者は二度も軍師を失うわけにはいかんと思っておられるのだ」
張飛の援護射撃を関羽がしてくる。
関羽、張飛ともに、劉備の義兄弟である。
「徐庶のように、貴殿を失いたくないという兄者の御心を無碍になさるな。貴殿は、ただ大人しく守られていればよいのだ」
自由のある孤独を愛する孔明としては、このたいそう見栄えが良いが、しかし表情の乏しい男に付きっきりにされるのは迷惑この上ない。
だが、道中も孔明とはろくに口を利くことがなかった関羽と張飛がそこまで言うのなら、仕方がない。
今後のためにも反論することは控えたほうが賢明であろうと判断した。
「わが君の御心を慮らず、わがままを申しました、おゆるしください」
誤魔化さずに素直に頭を下げると、関羽と張飛は気まずそうに、
「お、おう。わかればいいんだ」
と口ごもりつつ言った。
つづく
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それでは、次回をお楽しみにー♪




