八 飲み屋にて
いつもより少し早く目が覚めた城宮は、なぜか得も言われぬ全能感を感じていた。身支度を整えて部屋を出ると、初めて川沿いの遊歩道を散歩する。
点在するベンチの一つに座って、まだ早朝の空気を湛えた川面を見つめていると、対岸の遊歩道に牛車が現れた。それはだんだん数を増し、網代車や半蔀車が行き交っている。
その中にひと際絢爛に飾られた糸毛車が牛飼童に引かれて現れる。城宮はそれに魅入られる、気が付くと心拍数が上がっている。ゆっくりと進む糸毛車が視界から消えると、川面は急に霧が立ち込めたかと思うと、さっと吹いた風が流し去り、対岸はまたいつもの遊歩道の景色に戻った。城宮は早まる鼓動が抑えられないままベンチからしばらく立ち上がることができなかった。
これが跨世虚記憶なのだろうか、としばらく逡巡する。牛車とはずいぶん昔のものだったなと、苦笑いする。もう一度見ることができなかと目を凝らしてみるが、いつまで経っても穏やかな川面と遊歩道のままだった。
午後からは賭博場に出かけた。形山が来ていると良いななどと思いながら、自動扉をくぐる。玉のフロアに移動して一回りする。形山の姿が見つけられず少し残念な気持ちになったが、いつもはなかなか空きがない機種に珍しく空席があったので座って玉を借りる。
この機種は盤の中央に櫓が組まれており、下の役物に玉が入ると櫓の左右の柱が開いて玉を拾う構造になっている。櫓の中には玉受けが回転しており、当たりの位置に玉が入ると、回転盤の抽選が開始すると同時に、櫓の左右の柱が定期的に開いて玉を拾い、拾われた分の報酬が返ってくる。回転盤の抽選結果によって柱が開く回数が変る仕組みになっている。
朝起きた時からの高揚感がまだ続いているのか、射出される玉にも小気味よい勢いを感じる、盤に放たれた玉もこれまた小気味よい拍子を刻んで役物に吸い込まれた。柱が開き玉を拾うと生きているかの様に玉受けの当たりの位置に吸い込まれた。柱が定期的に開閉し回転盤の抽選が始まる、これも大当たりの図柄で停止して、好調な滑り出しを見せる。
その後も大当たりを含め、いつも以上に当たりを引き続け、玉が遊技台から溢れ始めた。店員が持ってきた箱に玉を移すと椅子の後ろに箱を置く。箱は一つでは足りず二箱、三箱と積み上がり、両手でも足りないところまで積みあがった。
「調子良さそうだね」と後ろから声がして、振り向くと形山が笑顔で立っていた。
「ああ、どうも、なんだか今日はおかしいんですよ」と返す。
「確かにおかしいと言いたくなるぐらい積みあがってるしね」と言って笑う。
「この後のご予定は?」と尋ねる。
「結構やられたから、そろそろ帰ろうかな」
「だったらこの後コーヒーでもどうですか? 良かったらですが、この間のお返しを……」城宮は恐る恐る尋ねる。
「本当に? 嬉しいよ」と形山は素直に喜んだ。
二人並んで賭博場を出ると外は帳が下り始めており、ずいぶん長い間やっていたことに気づかされる。
「この間の店でいいですか?」と城宮が尋ねる。
「コーヒーはまた今度ってことにして、こんな大勝ちした日はビールで祝杯の方が良くないか?」
「ビール…… ですか……?」
「そう、ビール。あれ? 飲んだことないの?」
「ええ……」
「そうか、そうか、それなら猶のことビールだな、行こう」そう言って笑うと踵を返して繁華街の方に方向転換した。
繁華街の雑踏に入って一つ目の角を曲がると、「酒」と書かれた小旗が下げられた建物が目に入った。
「あそこ、あそこ」と形山がその小旗を指差す。
形山は玉のれんの前に立つと、格子戸を横に引いて中に入る。
「いらっしゃいませ」と店員が迎えてくれる、「二人なんですけど、空いてます?」と形山が返す。
「こちらへどうぞ」と奥の方のテーブルに通されて、「どうも」と言いながら向かい合って座る。
「こんな感じのところなんだけど大丈夫かな?」と形山が気遣う。
店の中は小上がりの席やテーブルの席、カウンター席があり八割がたが埋まっていた。一見すると客はみな飲んで饒舌に語り合い笑っている。
「はい、楽しそうなところですね」と返すと形山はうんうんと頷いた。
店員を呼んでビールを頼むと形山は帽子を取っておしぼりで手を拭いた。城宮も真似をしておしぼりを手に取る。ビールが運ばれてくる。
「乾杯」と形山がジョッキを掲げる、城宮も真似してジョッキを掲げると、形山はこつりとお互いのジョッキを重ね合わせると、二口三口と喉を鳴らしてビールを呷った。
その様子を見た城宮も、恐る恐るジョッキに口を付けて慎重に黄金色の液体を一口飲む。口の中で炭酸がしゅわしゅわと弾けると苦味が広がりそれを飲み込むとすっとホップの香りが鼻を抜け、苦味が弾くと甘さが余韻を埋める。
二人で「美味い」と言い合った。喉が渇いていたのか、あっという間にジョッキを空にして二杯目を注文する。
「しかし今日の玉の出はすごかったね、あんなの初めて見たよ」と形山が思い出して楽しそうに言う。
「ですよね、自分でもびっくりですよ、ただ…… なんとなく今朝起きた時から、なんだか調子が良い感覚はあったんですよね」と言うと朝の不思議なできごとを話した。
「へえ、牛車ねえ、ずいぶん年代を感じるというか…… でもそのおかげで大勝ちだもんね」
「やっぱり関係あるんですかね、これが過去の記憶の思い出しなのかと思ってたんですが……」城宮は自信なさげに言う。
「こっちに来てそろそろ三か月だっけ、ぼちぼち思い出す頃だよね、にしても昔過ぎるよね」
「ですかね」そう言いながらビールを一口飲む。
「結構いける口だね、これも美味いよ」そう言いながら霞を進める。霞を口に入れる城宮を見ながら続けた。
「まあ思い出すのも前世だけとは限らないしね、前々世とか前々前世とかもっと前のものだってあるかも知れないし」
「形山さんは、どんなことを思い出してますか?」
「俺は、レンジャーだったことがある、たぶん前世だと思うけど……」
「レンジャーって何ですか?」酔ってるのか躊躇なく聞き返してしまう。
「あれ、知らない? 野生動物を密漁から守る仕事だよ、サイの角とかゾウの牙とかそういうのを狙う輩が後を絶たなくてね」
「守るってどんな風に守るんですか?」
「基本は国立公園の中を巡回して、不審者がいないかとか、人為的に傷付けられた野生動物がいないかなんかを確認する、そして不審者を見つけたらまずは警告からだな」
城宮はジョッキを置き、黙って頷く。
「立ち去るように警告して、それで退散してくれればそれで良し」
「警告ですか…… 捕まえたりはしないんですか?」
「不審なだけで何かをしたわけじゃないからまだ捕まえたりはできないし、レンジャーの仕事を理解してもらう為にも無駄に対立はできないんだ」
「理解ですか?」城宮は不思議そうに質問する。
「そう、そもそもなぜ野生動物を守らなければならないのか、と思って生きている人もいる、不幸な事故で恨みを持っていることだってあるし……」
「不幸な事故?」
「身内が野生動物に襲われたりとかね、そっちの側から見ればなんで守る必要があるんだよってことになる、だから密漁でどんどん数が減っている事実なんかを説明して解ってもらう必要がある」
「はい」とだけ応えると二人してジョッキに手を伸ばした。
「でもさ、密猟の現場はとても残酷なんだ、あいつらはサイを押さえつけて、角を取り残さないように顔の一部から抉り取るんだ、サイはまだ生きているのに」と悲しい顔をして形山は言う 城宮も悲痛な表情になり返事もできない。
「ただ実際に密漁を実行しているのは、金持ちに雇われた貧しい者達で、彼らにも生活があるんだろう、弱みを握られてしぶしぶやらされていることもあるんだろうと思う、まあ結局その中のとある一組にやられてこっちに旅立って来たわけだけど……」
「そうなんですか……」
「でも結局誰が正しいかなんて分からないよな、こっちは動物を守ろうって信念が正しいと信じて行動しているけど、長い目で見たらそれがどう影響するのかはまったく分からないし、良かれと思ったことが裏目に出ることなんて、それこそ星の数ほどあるだろうし。そもそも人間が自然を守るなんていうことも、大きな欺瞞なんだろうなと思うこともあるよ、人間が地球のためになんて考えたって、計画通り上手く行きましたなんてことには絶対にならないだろうし」
「そうですかね、それでもやっぱり考えた方がいいんじゃないかと思いますけど……」城宮は自信無さげに言う。
「そうかも知れない、でも人間が考えてこれが最適解です、なんて絶対にあり得ないと思うんだよね、『重力ピエロ』って本の中で、主人公の春が『人間の賢さは、人間のためにしか役立っていない』って言うのだけど、本当にその通りだと思うよ、色々な意味でね」
「へえ、『重力ピエロ』って本、読んでみたいです」と城宮は神妙な面持ちで言う。
「ああ、図書館に行けばあるんじゃないかな、明日でも行ってみる?」
「ぜひ」
その後、一緒に転生してきた梨山の話なんかもして明日の待ち合わせを決めて宴たけなわとなった。




