七 研究室にて
形山は部屋を出ると、出口までとぼとぼと歩いた。根島の言った城宮の交友関係の把握、という目的にはまだ遠いことを実感する。次はどうしたものか、そんなことをぐるぐる考えながら廊下の角を曲がると、向こうから白衣姿で眼鏡をかけた初老の男が、袋をぶらぶらさせながら歩いてくるのが見える。手を伸ばせば届く距離まで近づいたところで、初老の男が声をかけた。
「あんまり見ない顔じゃな、こんな時間にどうされましたかな?」
声をかけられると思ってもいなかったので、言葉に詰まりながら「あ、いや、その、根島さんのところに用が……」と咄嗟に答える。
「根島……さん……ね、そうですかそうですか、で、もうお帰りになられる?」
「え、あ、はい、そのつもりで…… もう用も終わりましたので」予想外の展開に形山の混乱が静まらない。
「なんだか元気がなさそうに見えたもんでしてな、気をつけてな」笑みを浮かべながらそう言うと歩き始める。
「あ、ありがとうございます」と応えながら考える。なぜ声をかけてきたのかはまったく読み取れないが、輪廻転生センターの中に知り合いが増えるのは、悪いことではない気がした。むしろ千載一遇の機会ではないのか、と自問する。そして初対面ではない気がした。
「あ、あの……」振り返り、すれ違って少し離れたところにある背中に声をかける。初老の男も振り返り笑みを返す。
「声をおかけいただいちゃってすいません、何かお手伝いできることがあったりしますか?」形山は何か引っかかれと意味不明な言葉を並べる。初老の男は笑いながら少し考えると手に持った袋を掲げる。
「これでも飲んでいかれますかな?」
「はい」と応えて後ろを歩き始める。
「どうぞ」と案内されたのは彼の作業部屋のようだった。机の席札には「川奈顕造」と書かれている。
「川奈さん…… で良かったでしょうか?」形山は帽子を取りながら質問する。川奈も席札を一瞥すると「はい、川奈です、そちらへどうぞ」と応えて椅子を進める。
袋からビールを出して形山に手渡すと、自分の分も取り出して斜め前の椅子に座る。お互い缶を開けて「乾杯」と言い合い一口呷る。
「いやあ、旨い、本当は内規でセンター内で飲んじゃ駄目なんですが、残業のお供に少しだけ、内緒で頼みますぞ」と川奈が笑いながら言い訳を並べた。
「そうなんですね、大丈夫です、墓まで持っていきます」と答えて笑いあった。
「しかし随分遅くまでお疲れ様ですな、根島さんも人遣いが荒い」そういうとまた一口呷って「え、と、なんとお呼びすれば?」と聞いた。
「あ、すいません、申し遅れました、形山剛士と申します」
「あ、いや、こちらこそ失礼、形山さんね、センターには良く来られてるんですか?」
「ええ、ボランティアなんかでたまに」と答えるとビールを一口飲んで質問を返す。
「残業のお共っておっしゃられてましたが、川奈さんはこちらでどんなお仕事をされているんですか?」
「転生されてこられた方の状態の確認とか、あちらとこちらのつながりの研究とかそんなことをぼちぼちやっとりますな」
いろいろと質問したいことは山ほどある気持ちを抑えながら「へえ、それはすごい」と声を上げる。
「形山さんも、そいういった方面のことに、ご興味はおありかな?」
「はい」少年の様に目を輝かせて返事する、さっきまでの憂鬱は微塵の影もなくなった。
「最近はどんな研究をされているんですか?」身を乗り出して形山は質問を続ける。
「そうですな、色々とやっとりますが、あちら側での死がこちらからもだいぶ観測できるようになりましてな」川奈はそういうとまた美味しそうにビールを呷る。
「あちら側と言うのは此岸の死ですか?」
「そうです、まあひと昔前からあちらの死自体は観測できていたのですが、その後の魂の識別ができなかったんですな、観測機器の改良とか観測方法の改善でそれがだんだん識別できるようになりました。そうするとあちらの死が無事にこちらに来た、なんてことが分かるようになってきたと」
お互いにビールに口を付ける。
「そうするとですな、あちらでお亡くなりになっているのにこっちには来ない魂があることが分かりましてな」
「はあ、どこに行ってしまうんですかね、その魂は?」
「そこの観測がとても難しいんじゃな、どの死がこちらに来ないのかがあらかじめ分かれば観測のしようがあるのじゃが、なかなかそこの壁が乗り越えられておらん、気が付いたらどこかに行ってしまっておる」そう言うと悔しいんだか楽しいんだかわからない笑い声をあげる。
「そもそも、その死は、こちらから行ったどの魂が転生したのかは分からないのですか?」
「そうじゃな、あちらで死んだ者がいつ生まれたのかを調べて、その頃にこちらから輪廻した記録を調べれば、該当しそうなリストぐらいは作れそうじゃが…… いかんせん数が多いから難しいだろうな、そもそもあちらでいつ生まれたかを調べるのも難しいしのう、しかしその元を辿ってみるという発想は悪くないのう」とまた楽しそうに笑う。
「すいません、素人考えをつい……」
「いやいや、そんな硬いことは言わんでいいって、いろいろな見方をしてみるのは大事なことじゃよ」
そんな話をしていると、二人してビールを飲み終える。形山はそろそろ潮時かと思い帽子を手に持つ。
「あの、これ、ご馳走様でした、そろそろおいとましようかと……」
「おお、もうそんな時間か、すっかり引き留めてしまったな、おかげで美味いビールが飲めたわい」
形山が立ち上がると川奈も立ち上り「またセンターに来ることはあるのかね?」と声をかける。
「はい、あると思います」と応える。
「そうか、そうか、そうしたらここにも顔を出しなさい、またいろいろ話をしようじゃないか、まあビールがあるかどうかは保証できんがね」と言って豪快に笑った。
形山が廊下の角を曲がるのを見届けると、川奈は部屋に戻ると片付けをしながら、彼と出会った当時のことを思い出していた。
確か彼がこちらの世界に転生してきたのは十年前ぐらいだった。その前の年から研究職に着いて、上司の下で混濁について調査を始めていた。
ずっと文献調査だけを行っていたところに、初の混濁が発症している転生者として彼が現れた。解らないことだらけの中で、試行錯誤の検査を繰り返して、やっと場所や大きさなんかが解った程度だった。
その後も経過観察と称して一年ほど検査を繰り返したが、特段の変化も見られないことから経過観察も打ち切りとなった。彼もボランティアでよくセンターに来ていて、こちらも異常行動の類が見られないこともその理由の一つだった。
当時は上司が表立って対応に当たっていたので、彼は私のことを覚えていない様だったが、こちらはセンターで彼を見かける度に元気にしてるか見守ってきたようなものだった。そして見かける度に最新の検査機器でもう一度彼の検査を行えば何かわかるのでは、という思いを募らせてきた。
そして今日、職員も帰っている様な時間にばったり彼と出くわした。何も考えてなかったが、声をかけてみると思いもよらなかった展開になった。
「そういえば、根島のところに用があったと言っていたのう」そう独り言ちると、帰り支度を始めた。




