十一 花見にて(2)
井福と山富はビールと霞を買って山富の家に向かう。
「お邪魔します」と上がると二人はビールを開けて乾杯をして飲み始める。
井福はビールと一緒に買った霞を頬張ると「美味しい」と言う。
「あんたは本当に霞が好きだよね」と山富がほほ笑む。
「はい、これがあれば他は何も要らない」と笑い返す。
今日の花見を振り返った後、井福が思い出した様に聞く。
「そう言えばこないだの彼岸生活者支援懇親会でこっちに来た人は元気?」
「ああ、凪のこと? うん、元気だよ、たまに繁華街の方に行ったりしてる。どうした? 急に」と山富は答えると質問で返した。
「そう言えばと思って、繁華街の方ってみんなで?」
「みんなだったり二人だったり、最近は二人で行くことが多いかも」
「そうなんだ…… 二人?」と井福は口を尖らせて寂しそうに言う。
「あれ? どうした?」
「別になんでもない……」とさらに口を尖らせる。
「もしかして拗ねてる? 妬いてる?」山富は笑いながら訪ねる。
「拗ねてない……」と最後はもう言葉になっていない。
「何よ、もう、嫉妬しちゃって可愛いの」そう言うと山富はもう笑いが止まらない。
井福は「だってさ…… そんなに笑わないでよ……」と言うと山富が井福の頭を撫でて返事を返す。
「うん、分かった分かった、ごめんごめん、分かったからもう拗ねないの、今度まさこにも紹介するから」と優しく言った。
まだ機嫌を直さない井福に冷蔵庫から出したビールを渡すと、自分の分も取り出しながら話を続ける。
「でも、まさこも彼岸生活者支援懇親会で目が離せなくなった人が居るって言ってなかったっけ?」
「あれは……」
「何?」山富は疑惑の眼差しで井福の顔を覗き込む。
「その後は全然何も無いんだよね、何だったんだろう、はっきり覚えてはいるから、見たり出会えば気が付くと思うんだけどね」そう言うとビールを口にする。
「ふうん、幻? 思ったんだけどこっちの世界で恋愛感情が起きるのも珍しいよね」
「あれが恋愛感情だったのかどうかは、はっきりしてないけどね」と否定を含ませて言うと「でも言う通り、確かにこっちの世界では恋愛感情ってあんまり無いよね、なんでだろう?」と続けた。
「不思議だよね、思ったのは、こっちの世界では結婚とか家族が増えるみたいなことがないでしょう? だからかなって」と山富が持論を展開する。
「でも恋愛感情が起きないから結婚に進むこともないんじゃなくて?」
「逆ってことか、こっちでも恋愛感情が起きれば結婚もあり得るってことか」
「それか、そもそも恋愛感情が湧かないように頭の中を操作されてるとかかな、それでこっちの世界の恋愛、結婚、出産が無いって秩序が守られているとか……」
「操作って怖いよ、でもどっちが先なんだろう、もう頭が痛くなってくるね」
二人はなぜこちらの世界では恋愛というものがないかについて延々と議論した。
「あれ、もうこんな時間、遅くまでごめんね、大丈夫?」と井福が時計を見て言う。
「大丈夫、大丈夫、もう帰る?」と山富が応える。
「うん」
「片付けはやっとくからいいよ、忘れ物ない?」
「多分」
「気を付けてね」
「うん、ありがとう、またね」と言って手を振った。
◆
井福は山富の家を出るといくつか路地を曲がって川沿いの道に出る。日中の好天の余韻は残っておらず、この時期らしい夜の冷えた空気が身を包んだ。川面を風が通り抜ける度に、酔いが少しづつ覚めていく。
山富には恋愛感情かどうかははっきりしないと言ったが、彼岸生活者支援懇親会での衝撃はまったく忘れられないでいる。あの感覚がなんだったのか、自分なりに整理して理解したいとも思った。もしあの時の感覚をもう一度味わえるなら、それ以外の多くのことを諦めても良いとも思った。
そんなことを考えて歩いていると、向こうから黒い人影が一つ近づいてくるのが見える。のんびり歩いているのか、酔っているのか少しふらふらとしている。気にせず歩いていると、人影が街灯の下に入り姿が照らし出される。引き寄せられる様に一瞬その顔を見た井福は、はっと息を飲んだ。
――あの時のあの男だ、あの男が歩いてくる。
そう思うと鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。今度は井福が街灯の下に入ると、人影は一瞬立ち止まり、一転してしっかりとした足取りで進み始める。手が伸ばせるところまで近づくと二人は立ち止った。
互いに目を見つめ合う二人のの間を一陣の風がひゅっと吹き抜けると、たちまち漆黒の中に暗雲が立ち込める。辺りは濃い霧に包まれたかと思うと、稲光が闇を照らし出し、その刹那、雷鳴が轟くと二人を過去の記憶が駆け巡る。
「まさこさん…… ですよね」「道雅君……」どちらともなくお互いの名を呼びあう。
さらに二人の記憶が呼び覚まされる。伊勢からの帰りを待ちわびた日々、ようやく京に戻り重ねた逢瀬、突然の出家で立たれた恋路、高欄に結びつけられた手紙、そして急逝。
「そっか、あの時の……」井福はそう言うと言葉を失った。
「うん、はっきりとは思い出せないけど、僕らは昔愛し合っていた、そして悲しい別れがあった」と城宮も答える。
「私、あなたを見たのよ、彼岸生活者支援懇親会で。遠くからだったけどあなたを一目見たらとても胸が苦しくなって……」とまた言葉に詰まる。
「え、自分もあの日あなたが居るのを見て、同じ様な気持ちになったよ、そしてことある度に思い出して……」城宮もそう答える。
「うん、同じ、あの日は何が起こったのか分からなかったけど、忘れることはできなかった。でもあれから随分経つけど全然出会えなかったね」井福はそう言うとほっとした様に笑う。
気が付くとあたりに立ち込めていた霧はすっかり晴れ、空には星が戻っている。
「さっきの雷はなんだったんだろうね?」と笑いあった。




