対話
白百合は、実言から彼を正式にボディガードにする許可をもらった。
そして、実言が部屋を出ていくと、彼の待つ離れへ向かうため支度を始めた。
ネグリジェを脱ぎ、すみれ色の、レースがあしらわれたワンピースに着替える。
すると、部屋のドアをコンコンと叩く音がした。
「どうぞ。入って大丈夫よ。」
そう扉の向こう側へ声をかけると、長身で細身の、若い少年が部屋に入ってきた。
その姿を見た瞬間、白百合は思わず笑みを溢した。
「怜王、おはよう。」
「ゆりさん、おはようございます。それより、体調は大丈夫なんですか?」
少年は、ポーカーフェイスのまま聞いてくる。
だが、白百合には彼がとても心配してくれていることが分かっていた。
藤井 怜王。
白百合が屋敷に来た時から共に育った、いわば家族のような存在だ。
そして、この家の中で特段優秀な護衛でもある。
年が近いこともあってか、彼とはずっと仲が良く、お互いのことが手に取るように分かる。
「大丈夫よ。傷ひとつすらないから。昨日は迷惑をかけてごめんなさい。」
そう彼へ謝った。
きっと昨夜は、怜王にもたくさん迷惑をかけたに違いない。
しかし、彼は首を横に振った。
「とんでもありません。無事で良かったです。それに元気そうですし。」
彼はそう言った。
そして、その澄んだ紅茶色の美しい瞳を、彼女へ向けた。
何か言いたげだった。
おそらく九曜 烙のことだろう。
彼女は、怜王には自分の口から伝えたかった。
だから、彼へ話すことにした。
「昨日の夜、助けてもらったの。元・殺し屋の男に。」
だが、彼はそれを聞いても眉ひとつ動かさなかった。
「知っていますよ。僕もあの工場に駆けつけましたから。それにあの男が言っていました。ゆりさんを助けたのは自分だと。」
そこまで知っていたのか、と白百合は少し驚いた。
ならば、彼が知りたいのはおそらく、ボディガードの件についてだろう。
「そう。実はその彼にプロポーズをされたの。ボディガードにしてくれとも言われた。だから彼を側に置いておくことにしたの。」
すると先程は、ぴくりとも動かなかった彼の表情が、一気に曇った。
どうやら気に食わないらしい。
そう顔に書いてある。
昔から彼は分かりやすい。
「どういうことですか?ゆりさんは、そのプロポーズを許可したってことですか?」
動揺しているのが声で分かった。
そんな彼を安心させるため、彼女は言い切った。
「いや、プロポーズははぐらかしたから。ボディガードにしただけ。流石に結婚なんてしないから。」
それを知ると、彼は安堵したようだった。
家族同然の彼に誤解されるなど、たまったものじゃない。
自分の口から伝えられたことにホッと胸を撫で下ろすと、彼女は怜王に告げた。
「じゃあ、今から彼と話をしてくるから。もし気になることがあったらまた後で教えて。ちゃんと応えるからね。」
すると怜王が言う。
「俺も一緒に行きます。ゆりさん1人じゃ心配ですよ。」
だが、彼女はそれを断ると、部屋を出て行った。
その姿を見送ると、彼は首筋に手を当てた。
悩んでいる時の、彼の癖だ。
白百合は婚約はしていないと言っていた。
それならきっと大丈夫だろう。
でもーー。
あの人を守るのは自分の役目だったはずなのに。
幼い頃からずっと、彼女を想ってきたのに。
1番近くにいるのは、自分だけだったのに。
そう、彼は心の中で呟いた。
白百合は、広い玄関ホールの扉を開けると外に出る。
まだ少し寒さが残っている空気を吸う。
冷たい空気に混じって、沈丁花の爽やかな香りが鼻腔を満たした。
頭が冷えていくのを感じ、心地が良くなる。
辺りには、梅の花弁が散っていた。
もう、この華の季節も終わるのか。
そう思った。
すると、離れまでの小径にある四阿に、烙が座っているのが見えた。
とても静かで穏やかに。
どうやら、読書をしているらしかった。
話しかけてもいいものかと決めあぐねていると、彼は白百合の視線に気がついたらしい。
口元に笑みを浮かべると、手招きをしてきた。
彼女はそれに従い、ベンチに腰掛けている彼の元に行った。
今日は昨日と違い、白シャツに真っ黒のワイドパンツというラフな出立ちだ。
「おはよう。白百合。何か話でもあるのかな?」
彼は声を弾ませながら言った。
とりあえず、彼の正面へ腰を落とした。
そして彼の切れ長の目を見つめると言った。
「あなたを正式にボディガードにすることが決まりました。今日からあなたも屋敷の一員です。」
それを聞くと、彼は美しい瞳をキラリと輝かせた。
「本当に?良かった!寺島さんは特に納得してくれなさそうだったからねー。まあ一安心だよ。」
そう言うと今度は、彼女の目線を捉えた。
「それを報告しに来てくれたの?」
白百合は答える。
「まあ、それもあるけど…。あなたと少し話がしたくて。まだお互いのことを何も知らないでしょう?」
すると、烙は意外そうな顔をした。
「確かにそうだね。でもびっくりだな。白百合の方からそんなことを言うなんて。だけど嬉しいよ。僕に興味をもってくれたってことだよね?」
どうやら、この男はかなりのポジティブシンキングの持ち主らしい。
まあ、いいか。と思い、彼女は尋ねた。
「あなたはどうして、昨日あの場所にいたの?」
「結構直球に聞くね。昨日、僕はあの組織に少し用があったんだよ。そこに君が攫われてきた。そういう感じかな。」
白百合は釈然としない気持ちが残りつつも、これ以上聞くのもどうかと思ったので、一旦納得することにした。
そして質問を変えた。
「烙は今幾つなの?私とそこまで変わらないように見えるけど。」
彼は答える。
「今、21だよ。早生まれで誕生日は2月。だからこのあいだ歳を取ったばっかり。白百合とは5歳差だね。」
21歳。
いや、成人しているのか。
私、未成年なんだけど…と思いつつも、そこは黙っておくことにした。
それにしても、16歳の彼女と5つしか変わらないなんて。
いつから殺し屋をやっていたのだろう。
気になったので、聞いてみる。
「殺し屋っていつからやってたの?まだそんなに若いのに…。」
その質問に、彼は淡々と応えた。
「確か10歳のときかな。でも、親がいなくなってそういう世界の人に育ててもらったから。それより前から訓練は受けてたよ。ずっと。」
10歳。
ということは白百合が5歳の時だ。
5歳。それは両親が殺され、この屋敷に引き取られた時だ。
もしかしたら…そう思い、自分の鼓動が速くなっているのを感じた。
だが同時に、彼女は胸が少し痛むのを自覚した。
そんなに幼い頃から…。
彼に、少なからず同情している部分があった。
「じゃあ、学校も行ったことがない?」
「そうだね。小学校は少しだけ通ってたけど。すぐに辞めちゃった。辞めさせられた、の方が正しいのかな。」
彼は無機質な声でそう答えた。
「そうなの。私も、学校行ったことないの。」
白百合がそう言うと、彼は何故か寂しそうに笑った。




