白百合と烙
「私のボディガードになってください。」
その言葉を聞き、彼は心の中で意味ありげに笑った。
とんでもない男をボディガードにしてしまった。
白百合は、胸の中に不安が広がっていくのを感じた。
これ以外に生き残る選択がなかったのだから仕方がない。
だがやはり、白百合の中には少なからず後悔の念が残っていた。
そんな彼女の様子に気が付いていないのか、彼は少しばかり浮かれた声で、話しかけてきた。
「僕は九曜 烙。あなたの名前は?」
白百合は逡巡した様子を見せた後、答える。
「結城 白百合と言います。」
この男に名前を教えても大丈夫だろうか?
いや、そうせざるを得ないので仕方がないのだが…。
すると、烙は猫のような顔をパァッと輝かせるとにこりと笑う。
「白百合様と呼んでも?」
その様子に白百合は、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「そんな堅苦しい呼び方はやめてよ。呼び捨てでいいわよ。」
「じゃあ、白百合って呼ばせてもらうね。」
そう言ってから、彼は白百合の方に向き直る。
掴めない男だなと白百合は思った。
あんなことがあった直後なのに、飄々としている。
だがそこが不気味でもあった。
きっとこんなことなど日常茶飯事なのだろう。
ふと、白百合は気になっていたことを尋ねた。
「九曜さん、あなたは殺し屋なんですか?」
「九曜さん、じゃなくて烙って呼んでくれたら教えてあげてもいいよ。あと、敬語は禁止ね〜。」
白百合はその言葉を聞き、咳払いをした。
なんだか向こうのペースに呑まれている。
だが仕方があるまい。
「烙、あなたは殺し屋なの?」
すると彼は満足気に目の端を吊り上げると、答えた。
「違うよ。ただのフリーターだから。今はね。」
今はね。ということは元々はそうだったのだろうか?
白百合は再び口を開いた。
「今は違うってこと?じゃあ、あなたは殺し屋だったの?」
「まあ、そうだね。元・殺し屋だね。今は本当に違うんだよ。嘘じゃないから。」
彼はそこを強調しながら言った。
元・殺し屋。それもそうだろう。あれで、殺し屋でもなんでもないという方に無理がある。
「いつ辞めたの?昨日?それよりももっと前?」
すると、その発言聞いた烙はおかしそうに声をあげて笑った。
そして、まだ血で汚れていない、綺麗な床の部分を見つけると、そこに腰を下ろしながら答える。「どうして昨日なんて発想になるの?流石にそれよりは前だよ。辞めたのは半年前くらい。だから今はアルバイターとして頑張ってるんだよ?」
白百合は揶揄われたことに気づき、バツが悪くなった。
だが、彼はそんな様子を見ると、長い足を組みながら、また楽しそうに笑った。
よくわからない男だ。何がそんなに面白いのだろうか。
そう思っていると、今度は烙の方から話しかけてきた。
「白百合もとりあえず座りなよ。大丈夫。ほんとに襲ったりなんてしないから。」
そう言いながら、自分の正面を白くほっそりとした手で叩いた。
白百合は警戒心を抱きつつも、言われた通り、その場所へ腰を下ろした。
そこでふと、自分のワンピースに赤いシミが殆どないことに気が付いた。
もしかして、そんなところにまで配慮して、彼らを始末したのだろうか。
だがそれ以上は考えるのをやめた。
余計なことを考えれば、ますますこの男に対して疑心暗鬼になってしまう。
そんなことを思いながら、そろそろ屋敷の護衛たちが到着する頃だろうか。と思った。
目の前で涼し気な顔をしている男をチラリと盗み見てみる。
彼があっという間に殺し屋たちを片付けたおかげで少し時間ができてしまった。
早く来て欲しい。
今はとにかく、この男と2人でいることに居心地の悪さと、なんとも言えない不快感を感じていた。
白百合の視線に気がついただろう。
烙が顔を上げ、見つめ返してくる。
そこで、彼女はどうしても気になっていたことを、つい口に出してしまっていた。
緊張しているのを誤魔化すように、乾燥した唇をペロリと舐めた。
「烙、あなた、どこの殺し屋組織に居たの?」
もしかしたら、最悪のパターンかもしれない。
白百合は心の中で、あることを考えていた。
その質問を聞き、烙は、どこか迷っているような様子を見せた。そして足を組み直した。が、それも一瞬のことで彼女の目をまっすぐに見据えた。
「それは、白百合が聞いて分かることなの?」
「分かる分からないじゃなくて、気になったから聞いたの。教えてくれない?」
ここで引くわけにはいかない。もし、最悪の答えが来てしまったとしても。
そうではありませんように、と今は祈るしかできない。
烙はそんな彼女の様子を汲み取ったのか、口を開く。
「僕がいたのは、『Lynx 』って組織。流石に聞いたことくらいはあるかな。そして僕はそこで、特別戦闘員…《prime 》だった。」
白百合は、喉からヒュッと音がしたのが聞こえた。
最悪だ。
来ないで欲しいと願っていた答えが、今、彼の口から放たれてしまった。
殺し屋組織、または暗殺組織『Lynx 』。
裏社会で生きている者ならばその名を聞いたことが無い者など、1人もいないだろう。
数多存在する殺し屋組織の中でも最上位に位置し、絶大な権力と、影響力、そして圧倒的な戦闘力を誇るグループ。
そしてその中でも、選りすぐりの精鋭だけが選ばれた部隊《prime 》。
そもそも、存在しているのかすら定かでは無い。
都市伝説みたいなものなのだ。
その化け物が今、目の前にいる。
それだけではない。
『Lynx』は、白百合にとって…
そこまで考えて、ふっと気が遠くなっていくのを感じた。
下の方から何やら騒がしい音が聞こえる。
ばあやたちが到着したのだろう。
だがそれすらも、今はぼんやりとしか聞こえない。
薄れゆく意識の中で、自分の体を誰かが受け止めてくれたことだけは、はっきりと感じ取った。




