最終話:おはよう
〈六四回目〉の頃から、ニュクスの様子が少しおかしくなった。明らかに遊びに出かけるのに気乗りしない素振りを見せるようになり、妙に質問するようになってきた。
「同じ日でいいのかい?」
別に構わないと答えた。
〈一二八回目〉の朝。
「つまらなくないかい?」
楽しんでいると答えた。
〈二五五回目〉の朝。
「明日はいらないのかい?」
その日、繰り返される妙な質問に、とうとう我慢できなくなったオレは怒鳴った。
「しつこいんだよ、ニュクス。オレはずっと今夜がいいって願ったって知ってんだろ!」
ニュクスは悲しそうに眉をひそめた。いつもうっすらと笑みを浮かべていた顔に、そんな感情が表れるのは初めてだった。
目を瞑って小さく息を吐くと、伏し目がちにニュクスは口を開く。
「……じゃあ、明日で明日とさよならだ」
「どういうことだよ?」
「僕はしばらくの間だけ、続く夜をあげるつもりだった。けど、限界がきた。タイム・ボルテックスで時間の環を閉じ続けると、〈渦〉の勢いが強くなりすぎて元に戻れなくなる――特異点ができるんだよ、時間のブラックホールだ。だから、途中で脱け出さないとならない」
「は? ふざけんなよ、そんな急に……」
「こんなに長く続くと思わなかった僕も悪い。けれど、それでも君は続けるんだろう? ……だから、さよならだ」
言うだけ言って、オレが静止の言葉をかける前にニュクスは部屋を出ていった。
その日、夜になってもニュクスは帰ってこなかった。
そして〈二五六回目〉の紫色の朝が来た。
そこにニュクスの姿はなかった。
その日は学校をサボり、夜まで自室でダラダラと過ごした。もしかしたら、ニュクスが帰ってくるかも知れないから、入れ替わりになると面倒だと思ったからだ。しかし、一向に相手が帰ってくる気配はなかった。午後九時を回った時計を見て、そこで何となく、ニュクスはもうこの家に帰ってこないと確信した。
思わず、なぜか舌打ちをした。何にイラだっているんだろうと自問して、夕飯を食べていないことに気づいた。外で飯を食えば、気分転換にもなるだろうし――と、その日初めて家から外に出た。
そうだ、あんなやつのことはもう忘れよう。
と、決心したのにも関わらず、ニュクスに言われた言葉を思いだしてしまう。どこか適当な店を探す道すがら、明日――〈二五七回目〉――のことが頭から離れなかった。
今日を過ぎたら、明日は永遠にこない? なんだ、それこそ望んだとおりの結末だ。変わらない日々に意味がないから、同じ日々に意味を求めたんだ。この〈ループ〉の中では、オレだけが意味を持っている。他の奴らが、〝あっち〟の別の時間の流れで先に進もうが、〝こっち〟に残された時間の世界だって本物だ。そして、その世界を回している中心の歯車として、オレがいる。いいじゃないか。見事にオレは、この世界で意味を手に入れた。このままで、永遠に変わらず、知りつくした今日がきて、恐れることは何もない。
オレだけの夜だ。
一人だけの夜だ。
――独り。
それは。
意味があるのか?
酒など飲んだこともないのに、酔いが覚めた気がした。あるいは、血の気が引くというのは、こういうことなのかも知れない。寒くもないのにやけに体が冷える気がした。
何でだ?
何が今までと違う?
オレでなくてもいい世界に意味を感じなかったから、永遠の夜を望んで、その通りになって、オレだけの、オレだけに意味のある夜を手に入れたのに、何で今になって、意味を求めているんだ?
どうしてオレは孤独を感じているんだ?
この二五六回、何も変わっていないのに――
思わず道の真ん中で立ち止まった。集中しようと、無意識に思考の邪魔になるものを視界から追いだすために、何もない上を向いた。そこには、真っ黒な月のない夜空が広がっている。
――あぁ、そうか。
夜なのに、お前がいない。
次の瞬間、行くあてもないのに、身体は走りだしていた。
探すことしか頭になかった。コンビニ。カフェ。カラオケ。本屋。公園。ファミレス。ニュクスと一緒に行った場所をひたすら見て回ったが、どこにもいない。あいつのいそうな場所を、二五五日も一緒にいたのに知らない。
何時間、街中を走っただろうか。もう人通りもなくなり、店も閉まっている。疲れて眠くなり、身体も重く、頭も働かない。もし、ここで寝てしまえば、もう永遠にニュクスに会えなくなる。スマホの時計を見ると、もう四時になっていた。日付は変わったが、まだオレが寝ていないから、〝今日〟は続いているだけだ。
もう朝になる時間だ。道の向こう側にある電灯が、まるでオレを追いつめるように、白から紫に変わりはじめる。やってくる朝が、オレを追いたてようとするが、朝の中で途方に暮れるしかない。
もう、朝なのに、お前を見つけられない。この暗い朝のどこにお前はいるのだろう。疲れすぎて、どうでもいいことが頭を過る。何回目のときだったか、朝を見たいとかなんとか、そんな話をした。あぁ、確か何か言っていた気がする。
――朝日を迎えるなら
はっとする。同時に確信する。あそこしかない。
肺が破れそうなほど走って、学校にたどり着いた。閉じられた鉄製の表門をよじ登り、グラウンドを突っ切る。施錠されていた昇降口の窓ガラスを割り、無理矢理中に入った。どこからか電子音が聞こえてくる。きっと警報音だ。気にしてられるか。一気に階段を駆け登ると、屋上へのドアは開け放たれていた。
緊張と切れかけた息でばくばくとなる心臓を、歩調をゆっくりにして整えながら、ドアをくぐった。
広い屋上の、フェンス際に、見慣れた後ろ姿があった。
「ニュクス!」
叫ぶと、相手はびくりとして、こちらに驚きの表情を向けてきた。
「君か。……まだ、〝今日〟を続けていたとは、驚きだよ」
「ニュクス、オレは、その……」
口にするのが遅すぎた言葉を、勇気を振り絞って吐きだした。
「オレはお前と過ごす夜が楽しかった! 楽しすぎた!」
「は?」
「あぁ、いや、そうじゃない……オレはきっと、〝明日〟が怖かったんだ……朝が来るのが怖くて、それでずっと続く夜を願った……何にも変わらなくて、変われなくて……先が見えない恐怖を、怒りや不満で誤魔化してた。この〈ループ〉でお前と過ごす時間は楽しくて、いつの間にかそんなことは忘れてた。けど、終わりがくるって知って、本当にこの先がなくなるってわかったら……あぁ、クソッ、何て言えばいいんだ」
自分の考えが上手く言葉にまとまらず、頭をかきむしる。喋れば喋るほど、本筋からずれていく気がする。もういい、変に上手く伝えようとするのはよそう。
「明日を失うのはもっと怖いって気づいたんだ。オレは、何かになりたい。夜は好きだけど、その先の朝を迎えたい……」
次の言葉を口にすれば、すべて終わる。しかし、不思議と緊張や焦りはなかった。
ニュクスの目をまっすぐに見つめる。
「オレに明日を返してくれ」
その言葉を聞いたニュクスは、困惑しているような、意外そうな顔をしたかと思うと、少し泣きだしそうな表情で微笑んだ。
「……なんだ、ちゃんと朝が欲しいんじゃないか、このいじっぱりめ」
その言葉と同時に、世界が一変を始めた。
夜空の闇が薄れて青黒くなり、やがてほのかに緋色を帯びた白へ変わっていく。星は消えて、うっすらとした白い月が見え始め、そのころには空は水色になり、地平線から光が漏れだした。
太陽の光を背にしたニュクスの姿は影法師のようで、朝日を見ているのか、こちらを見ているのか、わからなかった。
「ありがとう。君と過ごした二五五回の夜は、僕も楽しかったよ」
ニュクスは少し肩をすくめたようだった。
「でも、ごめん。どっちにしろさよならだ。ここにいる理由がなくなってしまったからね」
「〝夜〟にお前はいるだろ」
少しの間をおいて、「あぁ」とニュクスは首を上向きにした。
「……そうだね」
太陽がゆっくりと昇ってくる。光が強くなって、ニュクスの影がどんどんと濃くなっていく。影絵のような姿のまま、ニュクスは小さく手を振った。
「じゃあ、また今夜。バイバイ」
地平線から太陽がすべての身を乗りだしたときには、ニュクスの姿は影の中に溶けるように消えていた。
朝日は馬鹿みたいに眩しくて、久しぶりの目には刺激が強すぎて涙が滲んできた。
「朝だからおはようだよ、バカ」




