第一話 【鬼の進撃】
俺だけは知っている。
この女が、
これからどれほど非情な手を使って
会社を成長させていくのかを。
そして――その果てに、
俺が何をすることになるのかも。
俺の口角が、自然と持ち上がる。
なるほど。人生二周目か。
だったら今度は――こっちが使う番だ。
俺、詞荷科美央が配属されたのは、
相模原営業所だった。
当時、
海星堂商会の本社はまだ八王子にあった。
相模原営業所は、
地場の役所や中小企業を得意先に持つ、
社内でも中堅どころの拠点だ。
前世の記憶では、この営業所こそが、
のちに首都圏全域を制覇する
海星堂商会の礎になる場所だった。
俺は、
その歴史の起点に立っている実感を
噛みしめながら、電話一本、
伝票一枚から仕事を覚えていった。
配属から二か月が過ぎた頃、
事件は起きた。
凄樺玖芳子が、
相模原営業所に赴任してきたのである。
肩書は「副所長」。
だが、実務らしい実務は
一切割り振られなかった。
誰もが察していた。
これは、会長――玖芳子の祖父の
肝入りによる、
いわば「箱入り娘の現場体験」だ。
創業家の後継者候補に、
若いうちから現場の空気を吸わせておく。
そんな見え透いた人事だった。
古株の所員たちは、
最初こそ「お飾り」と侮っていた。
しかし、
その認識は一か月と経たずに覆される。
玖芳子は、着任早々、
営業所の売上を全社中トップに
押し上げてみせたのだ。
無論、裏の事情を俺は知っている。
会長の口利きにより、
上得意先の顧客が、
こぞって相模原営業所に
注文を回すようになっていたのだ。
会長の知己たちからすれば、
これは
「孫娘のデビュー祝い」に他ならない。
玖芳子個人の実力とは、
正直なところ言い難い。
だが、玖芳子の恐ろしさは、
その先にあった。
彼女は、転がり込んできた注文を、
ただ独り占めにはしなかった。
古株の営業社員数人を選び、
その注文を巧みに割り振っていったのだ。
「あなたの実績、私、ちゃんと見てるから」
そう囁かれた社員たちは、
瞬く間に
玖芳子への忠誠を誓うようになった。
実力ではなく、恩義と利権で縛る。
それが玖芳子のやり方だった。
こうして、社内には瞬く間に
「玖芳子親衛隊」とでも呼ぶべき
派閥が形成されていった。
営業所全体を掌握した玖芳子は、
そこから本性を露わにする。
靡く者には、蜜のように甘い。
だが、靡かぬ者には、容赦がなかった。
些細なミスを
揚げ足取りのように咎め、
皆の前で叱責し、
閑職に近い担当へと追いやっていく。
権謀術数を駆使し、
恐怖と恩恵を巧みに使い分けて、
営業所を完全に支配下に置いていった。
世に言う「鬼の進撃」の、
これが始まりだった。
ある日の朝礼、
古参の営業マン・
榊原さんが標的にされた。
前月、
たった一件の見積もりに
数字の誤記があっただけだ。
それだけのことを、
玖芳子は所員全員の前で、
十分近くにわたって延々とあげつらった。
「こんな初歩的なミスをする人に、
大口の顧客を
任せられるわけがないでしょう?
これだから、古い人は困るのよ」
榊原さんの顔から、
みるみる血の気が引いていく。
誰も口を挟めない。
挟めば、次の標的は自分になる。
それを、
この場にいる全員が理解していた。
俺は、その光景を、
腹の底で舌打ちしながら見ていた。
前世で、
俺自身が何度も味わった構図だ。
理不尽な叱責、萎縮する職場、
恐怖で統率される組織。
三十年前も、三十年後も、
この女はきっと
同じことを繰り返すのだろう。
だが同時に、
ある種の懐かしさすら覚えていた。
前世で散々味わった、
あの理不尽な会長のやり口。
だが今の俺には、
前世にはなかった武器がある。
四十年先までの、
この会社の未来を知っている
ということだ。
俺は表向き、
誰よりも巧みに玖芳子に取り入った。
「会長のご判断はさすがです」
「副所長のお力添えあってこそです」――
心にもない言葉を並べ立て、
彼女の懐に深く食い込んでいく。
その一方で、玖芳子に睨まれ、
排除されそうになっている者たちには、
人目を忍んで声をかけて回った。
「今は堪えて、大人しく、
地道に努力していてくれ。
悪いようにはしない。
いずれ必ず、
俺が陽の目を見させてやるから」
まだ何の権限もない
新入社員の口約束だ。
信じる者は少なかった。
榊原さんも、
力なく苦笑いを浮かべただけだった。
だが、それでいい。
俺は、前世で
この会社が辿った歴史を知っている。
玖芳子がこれから何を仕掛け、
誰を切り捨て、
そしてどんな手段で
会社を大きくしていくのか。
その一部始終を、
俺だけが先回りして知っているのだ。
彼女の権謀術数は、
いずれ会社を成長させる原動力になる。
ならば俺は、その炎に薪をくべながら、
じっと機を待てばいい。
玖芳子が己の野心のままに突き進み、
この会社を
東証スタンダード市場の頂へと
押し上げたその瞬間――今蒔いた種を、
一斉に刈り取ってやる。
今蒔いた種が、何年後にどう実を結ぶか。
それを知っているのは、
この会社で俺一人だけなのだから。
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非情な業務命令で、
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本日、14:10 に、第2話を投稿します。




