第15話「上場、そして奈落」(最終話)
再建から数年。
海星堂商会は、
業界内でも異例の速さで
経営を立て直した。
デジタル化構想を核とした事業改革、
透明性の高いガバナンス体制、
そして何より「不正を自浄した企業」
としての信頼回復──そのすべての
実務の中心には、常に詞荷科美央がいた。
そして令和のある秋の日、
海星堂商会は
東証スタンダード市場への上場を果たした。
証券取引所での上場記念式典。
壇上には、
常務から社長に就任した遠藤と、
経営企画担当取締役として
名を連ねる美央の姿があった。
フラッシュが焚かれ、拍手が鳴り響く中、
美央は静かに会場を見渡す。
──前世、
俺はこの会社の営業部長として、
こんな晴れがましい場所に立つことなど
一度もなかった。
接待麻雀に明け暮れ、
居眠り運転で死んで終わった人生。
それが今、こうして。
式典が終わり、
来賓や記者が引き上げ始めた頃、美央は
ロビーの片隅に一人佇む
女性の姿に気づいた。
玖芳子だった。
もう社員ではない。
数年前に
自主退職という形で会社を去った彼女は、
今日この式典に招かれてすらいなかった。
それでも、
かつて自分が育てた会社の晴れ舞台を、
遠くから見届けたかったのだろう。
地味なコートに身を包み、
受付にも近づけず立ち尽くす姿は、
美央がかつて仕えていた威圧的な
「鬼の副課長」の面影を、
ほとんど残していなかった。
「玖芳子さん」
美央が声をかけると、
玖芳子はびくりと肩を震わせ、
振り返った。
「……詞荷科、くん。
あんたが、私を呼び止めるなんて」
「少し、お話ししませんか」
美央は玖芳子を
式典会場近くのカフェに誘った。
向き合って座ると、
玖芳子はかつての勢いなど微塵もない、
ただ疲れた一人の女性だった。
「私、ずっと考えてたの。
どこで間違えたんだろうって。
あんたを信用しすぎたのかな、それとも……」
美央は少し笑い、静かに口を開いた。
「玖芳子さん。
私は、あなたに初めて会った日から、
ずっとあなたを利用するつもりでいました」
玖芳子の目が見開かれる。
「あなたの権力と我儘を利用して、
この会社を成長させ、いずれ膿を出させ、
そして──
最後には、あなたを突き落とすために」
「……なんで、そんな……」
「理由は、
あなたには関係のないことです。
ただ一つ言えるのは、
私は前世という記憶を持って
この世界に生まれ、その記憶の中で、
この会社に
人生の全てを奪われた人間だった、
ということだけです」
玖芳子はしばらく言葉を失っていたが、
やがて、ぽつりと呟いた。
「……信じられない話だけど。
今のあんたを見てたら、
なぜか、信じられる気がする」
美央は立ち上がり、伝票を手に取った。
「玖芳子さん。これから先、
どう生きるかはあなた次第です。
私はもう、あなたに関わりません」
それだけ言い残し、
美央はカフェを後にした。
振り返ることはなかった。
数年後──。
美央は海星堂商会の会長職に就いていた。
上場からの安定成長を見届けた遠藤が
勇退し、後を託されたのだ。
会長といっても、
実務は有能な後継陣に任せ、
美央自身は
週の半分だけ本社に顔を出す
悠々自適の日々を送っている。
桧山は経営顧問として、
窪田は取締役として、
宇佐見は人事部長として、
氷室は
海星堂メンテナンスの新社長として、
それぞれ会社を支えている。
かつて美央が
「いずれ陽の目を見させてやる」と
声をかけた者たちは、皆、
約束通りの場所に立っていた。
穏やかな昼下がり、
美央は会長室の窓から、
上場記念のプレートが飾られたロビーを
見下ろす。
──前世でやり残したことは、
もう何もない。
静かな満足とともに、
詞荷科美央の長い復讐劇は、幕を閉じた。
(第15話・完)
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10/31 18:10 に
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