第5章:訓練、そして新たな身分(5.2)
第5.2章までお読みいただき、誠にありがとうございます。
最近は仕事の方が少し忙しくなってきたため、次回更新のスケジュールを約1週間ほど延期させていただくことになりそうです。
第6章は今月16日の公開を予定しております。
楽しみにお待ちいただいている皆様にはご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありません。
できる限り良い形でお届けできるよう執筆を進めてまいりますので、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
――第三部:新たな身分
ヴォルダ郊外の訓練小屋で過ごす最後の夜。
雨は降っていない。
風もない。
それなのに空気はどこか重く、粘りつくようだった。
まるでこの土地そのものが、誰かが旅立とうとしていることを理解しているかのように。
外ではT-80BVMとT-60が静かに並んでいる。
訓練を終えたばかりの車体にはまだ砂埃が残っていた。
だが、誰も洗おうとはしなかった。
そこには新たな戦車クルーの魂が宿っている。
誰かに与えられたものではない。
彼ら自身が勝ち取ったものだからだ。
テントの中では石油ランプが揺れ、
淡い黄色の光が壁の傷跡を照らしていた。
三人の影が木の壁へ長く伸びる。
まるで過去の亡霊のように静かだった。
焚火は小さく燃え、
乾いた薪が時折パチパチと音を立てる。
外では虫の鳴き声が途切れ途切れに響き、
変わらない静寂を切り裂いていた。
ミンは中央に座る。
両手を膝の上に置き、
背筋は指導員だった頃と変わらず真っ直ぐだった。
だが視線は炎へ向いている。
その目はもはや指揮官のものではない。
何かを手放そうとしている者の目だった。
「俺たちが操縦を覚えた後、
あんたはどうするつもりなんだ?」
ダリオスが尋ねた。
ミンは少しだけ炎を見つめる。
そして静かに答える。
「分からない。
たぶん明日、この場所を離れる」
低く、平坦な声だった。
感情の波は見えない。
エリラが瞬きをする。
手に持っていた温水入りのカップが途中で止まった。
ダリオスも顔を上げる。
木製のペンを持ったまま固まった。
誰もすぐには言葉を返さない。
驚いたわけではない。
だが心のどこかで何かが崩れ落ちた気がした。
エリラはカップを置く。
両手で袖口を弄びながら、
視線を逸らしたまま小さく尋ねた。
「……本当に決めたの?」
「三か月で十分分かった。
俺は一つの場所に留まる人間じゃない。
行かなきゃならない」
ミンは炎から目を離さない。
ここへ残っても意味はない。
それを理解していた。
ダリオスは後頭部を掻く。
「どこへ行くんだ?」
「前にエリラが言っていただろう。
エデンの街だ。
冒険者ギルドがある。
地図も情報もある。
そして――俺と同じような人間がいるかもしれない」
エリラは顔を上げた。
ゆっくり頷く。
「商業ギルドも冒険者ギルドも寛容よ。
技術さえあれば受け入れてくれる。
あそこなら、この町よりずっと可能性があるわ」
そう言ってから少しだけ口ごもる。
何か言いたそうだったが、
結局飲み込んだ。
ミンは軽く頷く。
何も言わない。
だが両拳は静かに握られていた。
「その前に、
エデンへ行くための条件を知りたい」
エリラは驚かなかった。
彼女には冒険者ギルドに伝手がある。
商売人との繋がりもある。
エデンへ行くこと自体は大きな問題ではない。
◇ ◇ ◇
翌朝。
三人はT-60に乗って再びヴォルダへ戻った。
まず冒険者ギルドへ向かい、
討伐素材を換金する。
報酬は均等に分配された。
「金貨四枚と銀貨九百枚。
これが今回の討伐報酬と依頼達成報酬だ。
そのうち金貨二枚と銀貨六百枚は君の取り分だ。
俺たちを助けてくれた礼でもある」
「そんなに多いのか……?
でも正直、この世界の物価が全然分からないんだ」
ミン――いや、まだミンだった彼は苦笑する。
エリラは肩を竦めた。
「エデンへ行けば分かるわ。
あそこには親切な人も多いし、
ヴェリンディアの相場も教えてもらえる。
それと、私が少し聞いておいたのだけれど――
協力してくれる商人がいるみたい。
ただ、その前に必要なことがあるわ」
「必要なこと?」
「名前と身分よ。
エデンでは入城前に身元確認がある。
危険人物を入れないためにね」
「なるほど。
じゃあ俺は何をすればいい?」
「管理庁へ行きましょう。
知り合いがいるから、
簡単な身分証を作れるはずよ」
◇ ◇ ◇
ヴォルダ町役場。
「なるほど。
他所から流れてきた旅人か。
ヴェリンディア国内で働いたり移動したりするための身分証が欲しいんだな?
問題ない。
書類を書いてもらえれば、
昼前には発行できる」
「助かります。
それで、どう書けばいいんですか?」
担当者は一枚の用紙を差し出した。
だが問題があった。
翻訳用ルーンリングは会話しか翻訳してくれない。
文字までは読めないのだ。
「エリラ、
少し手伝ってくれないか?
文字が読めなくて……」
「大丈夫。
代筆してあげる。
でもその前に、
名前を決めなきゃね」
(名前……か)
(この世界では、
どんな名前を名乗るべきなんだろう)
ミンは近くの本棚を見る。
背表紙には理解できない文字が並んでいた。
「なあ、
あの本棚の作家たちの名前って何ていうんだ?」
「ん?
あれは魔法のない世界を題材にした空想小説よ。
作者は――
シラン・ガウタット。
ハリー・ワトン。
イルフェン・ロクシー。
フランク・ネミー……」
ミンはしばらく考え込む。
そして一つの考えが浮かんだ。
「じゃあ……
『シラン・イルフェン』で頼む」
「シラン・イルフェンね。
分かった。
じゃあ今日から、
ヴェリンディアでのあなたの名前はシラン・イルフェンよ」
エリラは微笑んだ。
「これで私たちも呼びやすくなるわ。
それで年齢は?」
「二十三歳くらいでいい。
実年齢にも近いし」
サラサラ――
ペンが紙を走る。
「はい、完成。
あとは提出するだけ」
エリラは書類を渡した。
「これであなたは――
シラン・イルフェンよ」
◇ ◇ ◇
書類提出後、
昼頃に身分証を受け取りに来るよう言われた。
シラン・イルフェン。
新しい名前。
だが彼はまだ知らない。
この名が、
ヴェリンディアだけでなく、
いずれこの星全土を巡る長い旅路の始まりになることを。
「じゃあ次は商業ギルドへ行きましょう。
エデンへ入るための手助けをしてくれる人がいるわ」
数分後。
T-60のエンジン音と共に、
三人は商業ギルドへ到着した。
シラン・イルフェン。
少し伸びていた髪は短く整えられ、
服装もこの土地の一般的な旅人と変わらない。
首には低級ルーンの首飾り。
道行く人々はもう彼を異邦人とは見ない。
最近噂になっている無名冒険者一行の一人として見ていた。
受付へ向かう。
「いらっしゃいませ。
本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ヴァリック様にお会いしたいのです。
今朝お約束がありまして」
エリラが答える。
「少々お待ちください――」
「ほっほっほっ。
その必要はない」
突然、
外から笑い声が響いた。
赤い外套。
丸みのある温厚そうな顔。
だが目だけは鋭い刃物のようだった。
ヴァリック。
その人物である。
「お初にお目にかかる。
君がエデンへ行きたいという者か?」
「そうです」
「ちょうど運び手を探していてな。
最近は魔物が活発で、
誰もエデンまで行きたがらん」
ヴァリックはシランを見る。
その目がわずかに輝いた。
「君が例の機械を操る男か。
噂は聞いている。
名前は?」
「シラン・イルフェン。
エデンへ行く代わりに、
何をすればいい?」
ヴァリックは落ち着いた声で答えた。
「荷物を一つ運んでほしい。
その代わり、
入城通行証。
それに銀貨二百枚を支払おう」
「荷物の内容は?」
「人ではない。
武器でもない。
だがそれ以上は聞かないことだ」
数秒。
二人は視線を交わした。
シランの目は揺れない。
ヴァリックも瞬きをしない。
やがてシランは頷いた。
「契約成立だ。
ただし先に通行証をもらいたい」
「構わん。
ただし覚えておけ。
荷物のことは誰にも話すな。
受取人以外にはな」
ヴァリックは銀色の通行証を差し出した。
ルーン刻印が太陽の光を反射する。
「沈黙と約束の対価だ」
シランはそれを受け取った。
井戸水のように冷たい金属。
そして、
結末の見えない約束のように重かった。
◇ ◇ ◇
その後、
三人は別れの準備のため買い物へ向かった。
そして鍛冶屋の前で立ち止まる。
エリラが用事を済ませるためだ。
ダリオスも手伝いに行った。
シランだけがT-60の側で待っていた。
その時だった。
近くの無名の鍛冶師が、
T-60を見て目を見開く。
「まさか……
祖父の話は本当だったのか」
男は震える声で呟く。
「青い鉄の怪物。
そして赤い星……」
彼はシランを見た。
「なあ……
あんたは祖父がずっと待っていた人なのか?」
シランは困惑する。
「何かあったんですか?」
男は名乗った。
「俺はグラ。
鍛冶師だ。
祖父は去年亡くなった。
戦乱の時代に流れ着き、
そのままヴォルダで生涯を終えた人だった」
グラはT-60を見つめる。
懐かしむように。
「祖父はよく話してくれた。
自分が生まれた国のことを。
青い鉄の機械のことを。
そして――
祖国を守るため戦った偉大な人々のことを」
グラの話を聞いても、イルフェンにはまだこの世界のことがよく分からなかった。
戦争があった――。
それ自体は特別なことではない。
どの世界にも争いは存在するものだからだ。
「そうでしたか……。
お祖父様のことは残念でした。
ですが、その話と隣の機械に何か関係があるんですか?」
イルフェンが尋ねると、
グラはゆっくりとうなずいた。
「祖父は昔、その機械を整備する仕事をしていたそうだ。
それに――
もしあれを動かせる者に出会ったなら、
故郷へ届けてほしい形見を渡せ、と言われていた」
そう言ってグラは荷物袋の中から黒い物を取り出した。
イルフェンへ差し出そうとする。
しかし彼は首を横に振った。
「ですが、僕はお祖父様の故郷の人間ではありません。
申し訳ありませんが、受け取れません」
そう言って背を向けようとした時だった。
ごつごつした手がそっと彼の腕に触れた。
鍛冶師の手だった。
厚い皮膚。
無数の傷跡。
グラは何も言わない。
ただ一本の鉄製工具を差し出した。
手作りのバール。
そして片側はレンチになっている。
重く、
古く、
先端は少し摩耗していた。
そこには星の刻印と共に、
『231-IS―』
という番号が刻まれている。
だが後半は擦り切れて読めなかった。
「特別な物じゃない。
祖父が残した遺品だ。
だが必要な時――
きっと特別な物になる。
祖父はそう言っていた」
グラは静かに続ける。
「君は祖父の故郷の人間ではない。
それでも……
私が持っているより、
君が持つ方がずっと良い気がするんだ」
イルフェンは鉄の工具を見る。
それからグラの顔を見た。
何も尋ねない。
ただ静かにうなずく。
「ありがとうございます。
では、お預かりします。
もしこれを見て分かる人に出会えたら、
その人へ渡します」
「ありがとう、旅人さん……」
グラはそう言って小さく笑った。
◇ ◇ ◇
やがてエリラとダリオスが戻ってきた。
イルフェンは再びT-60のエンジンを始動させる。
三人は訓練小屋へ戻った。
その夜――
T-80BVMとT-60の傍らで送別会が開かれた。
干し魚。
温めた麦酒。
揺れるランプの灯。
誰も多くを語らない。
だが沈黙の中には、
語られなかった何百もの言葉が詰まっていた。
「それで……
明日ここを離れたらどうするんだ?」
ダリオスが尋ねる。
イルフェンは少し考えた後、
静かに答えた。
「今の俺にはもうこれを操れない。
だから置いていく。
持っていくのは小さい方だけだ」
「嘘でしょ?」
エリラが顔を上げる。
「三か月も一緒に訓練したのよ?
持って行った方がいいわ」
ダリオスも同意した。
「そうだ。
俺たちは元々あれが無くても生きていた。
小さい方だけでも十分だ」
だがイルフェンは首を横に振った。
「大きすぎる力には代償がある。
帝国も、
他の勢力も、
必ずこの機械を狙う」
炎が彼の横顔を照らす。
「それに俺はもう完全に操縦支援を失った。
今の俺では動かせない」
二人は黙る。
イルフェンは続けた。
「だからここへ残す。
町を守るために。
そして君たちに管理してもらうために」
彼は二人を見る。
「思い出してほしい。
なぜ俺が三か月も訓練を続けたのかを」
二人は何も言えなかった。
目の前の男は、
あの鉄の怪物で自分たちを救った人物だ。
だが今、
その怪物を動かせなくなった彼が、
町の未来を二人へ託そうとしている。
エリラは静かにうなずいた。
「分かったわ。
あなたの決断を尊重する」
「ありがとう」
イルフェンは微笑む。
そして懐から一枚の金色のカードを取り出した。
星印と『*』の記号が刻まれている。
「最後の餞別だ」
彼はカードをエリラへ渡した。
「完全に故障した時のために、
燃料も弾薬も倉庫へ補充しておいた。
必要になったら使ってくれ」
「HE弾とHEAT-FS弾だけだ。
APFSDSは無いけどな」
そして軽く笑う。
「町を頼んだぞ、隊長」
――T80BVM、ラインナップから除外されました。
――新規車両使用料:1,200,000SL
(等価交換、完了)
(T80BVMとゲーム操縦支援システムとの接続を解除しました)
――補償:SP+50
◇ ◇ ◇
翌朝。
夜明け前。
イルフェンはT-60へ乗り込んだ。
バール兼レンチは車体脇へ固定されている。
商業ギルド前へ到着すると、
ヴァリックは既に荷物を梱包し終えていた。
「これが荷物だ。
契約通り頼むぞ」
「分かりました。
最善を尽くします」
銀色の通行証。
そして身分証。
『シラン・イルフェン』
という名が刻まれている。
それらを胸ポケットへしまい、
彼は北の平原へ向けて走り出した。
目的地――
エデン。
町の外にはエリラとダリオスが立っていた。
誰も笑わない。
だが誰も泣かない。
「じゃあな、みんな」
イルフェンが言う。
エリラが答えた。
「道中気を付けて。
シラン・イルフェン」
「君たちもな」
ダリオスも力強くうなずく。
「また会おう!」
イルフェンは最後に二人を見る。
そして前を向いた。
仮想キーボード上の自動運転スイッチを押す。
T-60のエンジンが小さく震え――
次の瞬間、
重低音を響かせて唸りを上げた。
まるで新たな旅路の幕開けを告げるように。
彼は振り返らない。
だがバックミラーには、
二人の姿が映っていた。
少しずつ小さくなり、
やがて朝霧の中へ溶けていく。
T-60は主の決意を理解したかのように加速する。
履帯が地面を削り、
長い轍を残した。
まるで地図へ一本の線を刻むように。
「行こう。
新しい街へ――エデンへ!」
――新規任務:エデンへ到達せよ
報酬:
SP+100
弾薬補給箱
燃料補給+修理50%
ランダムバックアップ×5
(Hardbass が再び流れ始める……)
◇ ヴォルダ編・総括 ◇
所持金:
金貨2枚
銀貨600枚
車両:
T-60
20mm弾薬:210発
7.62mm弾薬:248発
SL:632,000
累積XP:2100
現在SP:100
GE:?
GJN:?
War Thunderバージョン:2020年10月
Backup:2
> BTR-152A(対空車両)
> All vehicles
※T-80BVM譲渡によりバックアップ1個消費
――第四部:最初の街道
朝日が木々の隙間から斜めに差し込み、
森に漂う薄い霧を淡い黄金色に染めていた。
T-60はヴォルダ北方の森の縁を進む。
目的地はエデン。
危険な街道を進むその姿は、
まるで地を這う一匹の鉄の亀のようだった。
速度を上げるたびに車体前面へ土埃が舞い上がる。
装甲の隙間から覗く鈍い灰色の金属。
そこには朝露が薄く張り付き、
冷たい汗のようにも見えた。
イルフェンは閉じられた操縦席の中に座っていた。
古びた革張りの座席。
身体を傾けるたびに20mm砲架がギシギシと音を立てる。
足元に置かれた革袋を開く。
中には黒いノートパソコン。
傷防止と防塵用の保護シールが貼られているだけの簡素なものだ。
彼はそれを開き、
数回キーを叩いた。
カタ……
カタ……
静かな音。
画面が点灯する。
青白い光が鼻筋と静かな瞳を照らした。
目的地まで約60km。
現在地点はわずか8km地点。
小川の近くだった。
統合VRシミュレーションシステムは依然として機能している。
ノートPC画面に張り付くより遥かに便利だった。
データが流れる。
立体地図が表示される。
低木林の地形。
そしてエデンへ続く黄色い誘導線。
イルフェンは長く息を吐いた。
まるで三か月間の記憶を吐き出すかのように。
(ゲーム開発者を名乗るあの男……
一体何者なんだ)
(この世界に来た時、
俺には身を守る手段としてT-80BVMしかなかった)
(今はT-60だけ。
SPも制限され、
ゲームはプレイヤー自身をナーフし続けている)
(現代兵器を金で買えば無双できる。
そんな話じゃなかった)
(結局必要なのは、
プレイヤー自身の技術と経験だ)
彼は苦笑する。
(バージョンダウンされる前は、
もっと都合の良い物語だと思っていた)
(異世界へ来て、
力を授かり、
魔王を倒して、
英雄になって、
美女たちに囲まれる――)
(そんなアニメみたいな話をな)
画面に映る自分を見つめる。
(だが現実は違った)
(ここでは一秒遅れれば死ぬ)
(強力な魔物。
変異種。
過酷な環境)
(神を信じても、
魔王を信じても、
待っている結末はそう変わらないかもしれない)
彼は頭を振った。
(今は考えるな)
(まずはエデンへ行こう)
(帰る方法の手掛かりがあるかもしれない)
ブロロロロロ……
T-60。
第二次世界大戦初期の軽戦車。
現在唯一、
ゲームの操縦支援が対応している車両。
強くはない。
だが軽快だ。
20mm砲なら低級魔物程度は十分倒せる。
そして今、
彼の全てだった。
◇ ◇ ◇
24km地点。
イルフェンは一度車両を停止した。
システム画面を確認する。
――SL:632,000
――累積XP:2100
――現在SP:100
「せめて無料燃料1000km分が残っていて助かったな……」
彼は苦笑する。
「車両譲渡でSLを取られるとは思っていた。
だがあそこまで高いとは」
異世界の存在。
本来この世界に存在しない兵器。
他者へ渡すには代償が必要だった。
空は昼へ近付いている。
彼は小川の傍で休憩を取った。
パン。
そして砂糖を混ぜて固めた牛乳。
現代日本の味に少し似ている。
それだけで少し気分が軽くなった。
◇ ◇ ◇
「グルルル……」
再び乗車。
VR-HUDを起動。
エンジン始動操作。
最初は少し咳き込むような振動。
やがて安定した回転音へ変わる。
首の低級ルーン。
胸ポケットの身分証。
通行証。
すべて確認。
アクセルキーを押す。
T-60が再び走り出した。
履帯が砂利を砕く。
ガチャ……
ガチャ……
ギギギ……
草が潰れ、
車体へ張り付いていく。
「頼むから……
もう魔物とは遭遇したくないな」
だが。
その願いは叶わなかった。
32km地点。
彼の前に広がったのは、
破壊された馬車の残骸。
そして比較的新しい白骨死体。
――ランクⅡ魔物:ゾンビ型
――ランクⅡ魔物:狼型
エンジン音を聞いた瞬間、
魔物たちが一斉に襲い掛かってきた。
ゾンビ十体。
狼五体。
まるで栄養ドリンクでも飲んだような勢いだった。
「くそっ……
またかよ!」
イルフェンはハッチを閉鎖。
20mm砲を目標へ向ける。
照準支援起動。
発砲。
ドゥドゥドゥドゥドゥドゥ――!!
――Critical Hit
――Target Destroyed
27mm近い貫徹力を持つ20mm砲は、
魔物たちを容易く粉砕した。
一マガジンで大半が沈黙する。
残ったゾンビ一体。
ゆっくり近付いてくる。
ドドドドドドドッ!!
7.62mm機銃。
魔物は地面へ崩れ落ちた。
しかし。
次の瞬間――
ドォォォォン!!
グルアアアアアア!!
「なっ!?」
森の茂みを突き破って現れた巨大な影。
全長五メートル以上。
黒い角質の鱗。
鋼鉄のような四肢。
巨大なハンマーのような頭部。
――特殊ランクⅡ狼型魔物
――固有能力:疫病感染
「ちくしょう……
本命はこっちか!」
ガシャァァァッ!!
イルフェンは即座に砲塔を旋回。
20mm砲を連射した。
ドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥ!!
TNSh20mm砲が吠える。
薬莢が車内へ散乱する。
カラン。
カラン。
車体が震える。
弾丸は魔物の側面へ命中。
肉が裂け、
血飛沫が装甲へ飛び散る。
だが止まらない。
ドゥドゥドゥドゥドゥ!!
――Hit
――Hit
――Critical Hit
20mm弾が次々穴を穿つ。
しかし魔物はまだ走る。
遺跡で遭遇したゴブリンのようだった。
イルフェンは分析する。
「効いてはいる……
標準弾でも十分だ」
「だが魔法装甲があったら終わっていたな……」
20mm弾切れ。
機銃へ切り替える。
彼は一人だった。
この世界で。
銃声と硝煙だけが仲間だった。
ドドドドドドドドド!!
追加の7.62mmベルト。
だが表示は――
――Ricochet
――Hit
残る20mm弾薬は最後の一本。
ガシャァァァン!!
再装填。
その瞬間。
魔物がよろめいた。
しかし慣性は止まらない。
そのまま左履帯へ激突した。
ドォォォォン!!
車体が揺れる。
履帯が破断。
さらに鋭い岩へ乗り上げる。
T-60は後方へ弾き飛ばされた。
だがゲーム補助のおかげで、
イルフェン自身はダメージを受けない。
画面が少し揺れる程度だった。
――Fキーを押して修理
――修理時間:30秒
砲はズレている。
今この瞬間にも魔物が生きている。
「終わらせるしかない」
W+S
ギギギギギ……
片側履帯だけで無理やり車体を旋回。
砲口を敵へ向ける。
「これ以上面倒を起こされる前にな」
すると。
魔物は突然、
クゥン……
と鳴いた。
目に涙を浮かべる。
まるで叱られた子犬のように。
だが――
ドゥドゥ……
ドゥドゥ……
ドゥドゥ……
ドゥドゥ……
(この世界では――)
(残酷さもまた、
生き残るために必要なものだ)
(それが俺がここで学んだ最初の教訓だった)
◇ ◇ ◇
戦闘が終わる頃には昼を過ぎていた。
残弾。
20mm弾:10発。
イルフェンはエンジンを停止する。
ハッチを開放。
熱気が壁のように押し寄せた。
――修理中
――30……29……28……
たった三十秒。
だが一時間にも感じられる。
彼は荷物を確認しながら立ち上がる。
大きく息を吐いた。
午後の日差しが森を斜めに照らしている。
修理完了後、
彼は亡くなった旅人たちのために、
腐木と鉱石粉で作った簡易線香を三本供えた。
さらに魔物の結晶を回収する。
かつてダリオスがしていたように。
袋へ詰めて車内へ積み込む。
そして再び出発した。
数時間後。
遠く。
黄金色の霞の向こう。
巨大な壁が見えた。
白い石造りの城壁。
エデン。
その都市だった。
圧倒的な存在感。
壮大な景色。
イルフェンは初めて理解する。
この世界がどれほど広く、
どれほど謎に満ちているのかを。
今。
ここにいるのはただ一人。
新しい名前を持つ青年――
シラン・イルフェン。
異世界を彷徨う、
終わりの見えない旅の途中にいる一人の旅人だった。
第V部:城門と黒い影
エドヘンの城門は天を突くほど高く、原初の岩のように冷たかった。
それは幾世代もの旅人を見届けてきた証人のように、ただ静かに佇んでいる。
門の下には白い石畳が敷き詰められ、所々に苔が浮かび上がっている。川の水が引いたばかりなのか、路面はまだ湿り気を帯びていた。
T-60が停止する。
履帯には夕陽が反射し、まるで鋼鉄に油を塗ったかのような黄金色の光を放ちながら、石畳の上に深い轍を二本残した。
夕暮れの陽光が差し込む城門前。
ユルフェンはゆっくりと車両を進める。
周囲の人々は青い鋼鉄の奇妙な乗り物を見ても特に驚かなかった。
この都市には地竜や巨竜といった巨大な荷運び獣が存在する。
T-80BVMですら見劣りするほど巨大な輸送竜もいる中で、T-60など低級な荷運び獣程度にしか見えなかったのだ。
「次の者」
検問所には荷車や商人、荷運び獣を連れた人々が列を作っていた。
「身分証を」
「名前:ラスルトックス。二十五歳。出身:カウント村」
「入城目的は?」
「農産物の運搬です」
「身分証と通行証を提示してください」
「こちらです」
しばらく確認した後――
「通行を許可します」
「ありがとうございます」
「次」
別の女性が前へ出る。
「お願いです。私は娘を探しに来ただけなんです」
「身分証を」
「持っていません。でも娘を――」
男は面倒そうにため息をつき、衛兵へ命じた。
「どかせろ」
女性は列の外へ追い出された。
(身分確認ってこんな感じなのか……)
(この事務的な口調、妙に居心地が悪いな……)
その時。
「おい、そこの君」
別の衛兵が声を掛けた。
「四番ゲートへ回れ。小型の荷運び獣用だ。個人搬送はそっちだ」
「分かりました」
ユルフェンは車両を移動させる。
そこには先程の堅物よりも若い職員が座っていた。
――そして。
ようやく順番が回ってきた頃には、太陽は地平線へ沈みかけていた。
「君、降りてくれ。身分証、通行証、それと積荷の確認を行う」
ユルフェンは車両から降り、新しく取得した身分証とヴァリックから受け取った通行証を差し出した。
職員は魔導端末を操作する。
《シラン・イルフェン》
ボルダで登録されたばかりの名前。
現在はエドヘンの行政記録へ同期され、
職業:運搬人。
所属不明。
パーティー不明。
魔法適性なし。
鉄の乗り物を連れた謎の男。
そんな情報だけが記録されていた。
しかし――
ヴァリックの通行証を魔導石へかざした瞬間。
淡い青色の光が灯った。
特殊な認証文字が浮かび上がる。
若い衛兵は一瞬だけ目を見開いたが、それ以上は何も言わなかった。
「問題ありません」
そう告げた後、事務的に説明を続ける。
「エドヘンには十年以上前から続く暗黙の法があります」
「召喚禁止令です」
「都市内での魔物召喚、模擬召喚魔法は全面禁止」
「かつて異世界人が未知の白い板を使い、南区画を爆破した事件がありました」
「捕縛に向かった兵士にも多数の死傷者が出ています」
「それ以来、このような板状の物体――」
彼は壁に貼られた図を指差した。
「――を利用する召喚術師は警戒対象です」
「無許可使用が発覚した場合は即時拘束となります」
「以上です。通行を許可します」
ユルフェンは一瞬だけ固まった。
「あ……ありがとうございます」
「ところで、第四貨物埠頭はどちらでしょう?」
「依頼品を届ける必要があるんです」
「真っ直ぐ行って右だ。集積所が見える」
「助かります」
(やっぱりな……)
彼は胸の内で呟いた。
衛兵が言っていた白い板。
それはほぼ間違いなくノートパソコンだ。
彼のノートPCは今も茶色い軍用バッグの奥深くにしまわれている。
もし不用意に取り出せば――
この都市で最初に狩られる異端者は自分になる。
Devとの等価交換によってVRシステムが統合されていなければ、今頃とっくに詰んでいたかもしれない。
城門を抜ける。
近くの衛兵がT-60を見ながら呟く。
「珍しいな。鉄の皮を被った荷獣か」
「油臭いし、歩く音もうるさい」
すると年配の衛兵が笑った。
「その油の匂い……少し懐かしい気もするな」
「まあいい」
「十二年前の爆発事件が再び起きることはないさ」
「ははは」
そう言いながらも、彼らは次の荷物検査へ意識を向けた。
「この荷物、確認が必要です!」
若い衛兵の声が響く。
そして彼らは、一人の異邦人を見逃したまま仕事へ戻っていった。
――――
ユルフェンは第四貨物埠頭へ向かった。
ヴァリックの言葉通り。
そこには黒ずくめの男が待っていた。
黒い外套。
深く被ったフード。
左肩から右腕へ伸びる一本の赤い刺繍。
友好的な雰囲気など欠片もない。
T-60が停止した瞬間――
男は車体へ飛び乗った。
そして銃のような武器を突き付ける。
「封印は無事だな」
「ヴァリックの使いか?」
焼けた紙のようにかすれた声。
ユルフェンは即座に拳銃へ手を伸ばした。
だが動けない。
「ヴァリック商会の依頼だ」
「俺は運搬人だ」
「通行証を見せろ」
銀色のカードを差し出す。
男はそれを確認すると武器を下げた。
「本人確認完了」
「車両から降りろ」
人気のない場所へ移動する。
男はようやく口調を緩めた。
「警戒するな」
「裏仕事同士だ」
「エドヘンは沈黙を守る者には優しい」
ユルフェンは黙ったまま荷物を差し出した。
男は封印箱を受け取り、愉快そうに笑う。
「受領確認」
「報酬は明日、商会支部で受け取れ」
そして立ち去り際に振り返った。
「鋼鉄召喚士か……珍しいな」
「お前みたいな奴は他にもいる」
「近いうちに誰かがお前へ目を付けるだろう」
「俺の上司も興味を持っている」
そう言い残し、闇の中へ消えた。
――――
ユルフェンは深く息を吐く。
まず必要なのは宿だ。
安全な駐車場所。
そして今夜眠る場所。
夕暮れのエドヘン。
西南から川風が吹き込み、市場の喧騒と馬の蹄の音が混じり合う。
生きている都市。
秩序という名の迷宮。
誰も彼が何者か知らない。
誰もこの鉄の機械がどれほど多くの命を奪ってきたか知らない。
そしてそれこそが――
最も危険なことだった。
同時に。
この都市の破滅への秒読みが始まったことも意味していた。
――神が滅びを決めるのか?
――違う。
――俺たちが裁く。
――神すら。
地下深く。
誰かの声が響く。
その声には、世界を揺るがす危険な意志が宿っていた。
――――
ミニマップが薄く表示される。
T-60を馬小屋へ預けた後、ユルフェンは徒歩で市街地へ入った。
仮想地図には通路、門、区域が次々と記録されていく。
戦場で培われた勘。
そして近づく混乱の気配。
それらが彼の胸をざわつかせる。
荷物袋の肩紐を握り締めながら歩く。
頭上には冒険者ギルドの紋章。
炎の翼を貫く剣を掲げた兵士の紋章が、鐘楼の頂で輝いていた。
偶然ではない。
DevがVRシステムと等価交換を行ったことも。
無限バッテリーのノートPCにゲームが存在し続けていることも。
そして――
数多の漂流者の中から彼がこの世界へ送られたことも。
戦争は銃声で始まらない。
静かに。
誰にも気付かれぬまま始まる。
ボルダはチュートリアルの町だった。
そして今。
新たな身分を得た一人の無名の男が歩き出す。
その名は――
シラン・イルフェン(Cyran Yilfen)
異世界生活――三ヶ月十六日目。
【任務達成】
【報酬は確認後、倉庫へ送付されます】
◆第5章終了◆
所持金:金貨2枚 銀貨600枚
車両:
T-60
20mm弾薬:10発
7.62mm弾薬:126発
SL:632,000
累積XP:2100
SP:100
GE:?
GJN:?
War Thunder Version:2020年10月
Backup:2
・BTR-152A(対空型)
・All Vehicles
※1回分は譲渡済み
次回の舞台は――エドヘン。
美しく穏やかな景観を持ちながらも、その裏では数多くの思惑と騒乱が渦巻く街です。
冒険者として新たな身分を得たユルフェンは、初めての偵察任務で何と向き合うことになるのでしょうか。
そして、第一部のボスもいよいよ登場する予定です。
次回更新は、引き続き6月16日(火)の午後を予定しております。
ただし、時差などの都合により前後する可能性がありますので、あらかじめご了承ください。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
拙いながらも精一杯執筆しておりますので、このアマチュア作品を少しでも楽しんでいただければ幸いです。
それでは、次回の更新でお会いしましょう。




