第13章――王権の咆哮
前書き
この長い間、待っていてくださった皆さん、本当にありがとうございます。
この素人作品は、私自身の仕事もかなり忙しい中で、少しずつ完成へ向けて頑張っています。
原作ゲームを基盤とした、できるだけ現実的なサバイバル路線を目指しているため、主人公たちの旅はこれからも続き、その先にはさらに多くの試練が待ち受けています。
13話まで書き進めたところで、次の章にはかなり修正しなければならない部分があることに気づきました。
単純に、作品の中にプラットフォームの規定にそぐわない可能性のある要素が含まれているためです。
ここで、改めて一つだけ明記しておきます。
本作品はフィクションであり、実在する個人・団体・組織、または実際に起きた事件や出来事とは直接関係ありません。
また、元となるアイデアはWar Thunderというゲームのゲームシステムを参考にしていますが、本作品は著作権およびプラットフォームの規約を遵守するため、一部の内容については表現を変更、あるいは婉曲的に描写しています。
皆さんからいただく応援は、執筆に使える時間が限られている中で、これからも作品をより良いものへ仕上げていくための大きな励みになります。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
第一部――霧の中の盤上
帝国魔法学園へ戻る――
Edhenで起きた爆発が、学園のみならず帝国評議会までも大混乱に陥れた、その翌朝。
大陸北部。
そう遠くない場所にある帝国魔法学園は、冷たい雨と雪に包まれていた。
薄い霧と厚く積もった雪が、学園の鐘楼を色褪せたヴェールのように覆っている。
空は重く曇り、細かな雪混じりの雨が静かに降り続けていた。
Dolvens山脈から吹き下ろす北風は、古い雪の匂いに灰と煤の煙を混ぜて運んでくる。
その寒さに、外へ出た者は誰もが思わず愚痴をこぼしてしまうほどだった。
北棟図書館、その最上階。
青白い光を放つ魔法石が静かに天井のドームを照らす、小さな石造りの部屋があった。
その光の下に、一人の若い男が立っている。
背は高く、痩せた体つき。
色褪せたローブをまとい、手には小さな記録帳を持っていた。
しかし、その表情は決して明るいものではない。
彼の名は――Clovis Arven。
十九歳。
法務魔法科、六年生の学生である。
空色に近い濃い青の目は、昨夜、自ら記録した魔力振動の最後のページへと釘付けになっていた。
胸元の札には、学園の紋章と名前が刻まれている。
Clovis Arven――
Velindia帝国魔法学園・臨時規律委員会副委員長兼、臨時委員長。
「Clovis、学園長がお呼びです。至急、会議室へ来るようにとのことです!」
一人の男子学生が走ってきて告げる。
「分かった……」
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学園長室
「報告してくれ、Clovis。例の振動警報装置についてだ」
「はい、学園長」
Clovisは手元の記録板を持ち上げ、一語一語を確認するように読み上げた。
20時27分。
振動観測装置が、戦術級の魔力振動を伴う巨大な光柱の爆発を確認。
爆発原因は魔力の暴発と推定。都市の防護層を貫通したものと見られる。
推定死者は約29万5千人。
中央部Velindia、Arkenham地域――主要港および副港周辺を含む一帯に位置する都市Edhenは、完全に消滅。
以上が報告です、学園長。
「分かった。それで……ほかには何かあるか?」
学園長は少し間を置いて続けた。
「昨夜から、Eとも連絡が取れなくなっている」
Clovisの手が、ぴたりと止まった。
窓の隙間から入り込んだ雨に濡れた紫色のインクが、わずかに震えている。
しかし、Clovisは顔をしかめることさえしなかった。
E。
常に後輩たちを気にかけ、幾多の事件を経験しながらも、決して弱さを見せない先輩。
そんな彼女も、最後に確認された連絡位置はEdhenの近辺だった。
彼女は、都市Edhenである人物を追跡していると、何度もClovisへ報告していた。
だが――現在、彼女とは完全に連絡が途絶えている。
爆発以降、周囲の魔力通信はすべて遮断されている。
まるで何らかの干渉波によって、情報そのものが届かなくなっているようだった。
「その件ですが……何度か連絡を試みました。しかし、先輩からの返答はありません」
Clovisは落ち着いた声で続けた。
「別の副委員長を一人、調査隊に同行させています。中央転移区画にある転移門へ向かわせ、そこで先輩へ伝えるべき情報と、学園長から受けた指示を送る予定です」
「そうか……。では、今のところはそれだけでいい」
学園長はそう言ってから、静かに続けた。
「Eは、我が学園がこれまで受け入れてきた学生の中でも、最も強い子の一人だ。現状を考えれば、すでに別の場所へ移動していて、単に通信上の問題に巻き込まれている可能性も高い」
「だから、そう心配する必要はない」
「……はい」
「それに、私の知る元学園生が何人か調査隊に参加している。お前一人を派遣するよりも、彼女を見つけられる可能性は高いだろう」
「はい、学園長」
チク、チク、チク……。
――ベン。
「さて、もうお前の学生巡回の時間だ、Clovis」
学園長は時計へ目を向ける。
「この情報は、学園内の不安を煽ることになる。絶対に外へ漏らすな」
「今日、魔力測定を行う学生たちが、恐怖のせいで実力を発揮できなくなるような事態だけは避けたい」
「Eがいない間、どこまで長く情報を封じられるか。それもお前の責任だ」
「はい、学園長」
ギィ……バタン。
Clovisが部屋を出ていった後。
Merion Halvars――学園長は再び机へ腰を下ろした。
そして静かにペンを置くと、上着のポケットから一つのRune石を取り出した。
振動記録用のRune石だった。
「……これは」
Merionの目が細くなる。
「Ramnarsの時に近い……。ただ一つ違うのは……誰かが魔力そのものを暴発させたように見えることだ」
石版に残された記録には、Edhenから送られた最後の記録が刻まれていた。
――20時27分。
魔力爆発。戦術級。発生源――不明。
リン、リン、リン……。
ガリ……ガリ……。
学園長室から、小さな警報音が鳴り響いた。
帝国中央防衛評議会による緊急会議の合図である。
「……また評議会へ行かなくてはならないか」
Merionは深いため息をついた。
荷物をまとめ、その中へ異常魔力変動の記録を入れる。
重要都市Edhenとの通信が途絶えたことが、評議会を大きく揺さぶっているのは明らかだった。
……
一方、Clovisはいつもの学生巡回の仕事へ戻っていた。
冷たい石造りの廊下を、ゆっくりと歩いていく。
高くそびえるアーチ天井の下に、その足音だけが静かに反響していた。
壁に掛けられた魔法絨毯には、薄く埃が積もっている。
規律委員会の人間を見つけた学生たちは、誰一人として余計な動作や言葉を口にしようとはしなかった。
「おはよう、Clovis……」
「おはよう、Clovis。今日も良い一日を……」
「今日はお菓子を持ってきてないです! だから、どうか検査だけは……!」
「おはよう、Clovis。今日は教室の点検ですか?」
「ああ……ちょっと通り過ぎるだけだ。今日は何も問題が起こらないといいんだけどな」
Clovisは学生たちの横を通り過ぎる。
しかし今日の彼には、もう一つの任務があった。
Edhenの事件について――
学園に広がり始めた情報を、可能な限り長く封じ込めること。
……
その頃。
Velindia首都から北西へ十キロにも満たない場所にある都市Aurellia。
その中心に位置する大広間では、昨日までの平穏が嘘のように消え去っていた。
雪は街道を真っ白に染めていた。
それでも、都市内部の張り詰めた空気を冷やすことはできなかった。
その大広間の奥。
高い天井を持つ六角形の会議室では、Rune石から放たれる光が、そこにいる者たちの顔を鮮明に照らしていた。
その中心に、一人の年老いた男が座っている。
身長はおよそ一八〇センチ。
薄銀色の鎖帷子を身につけ、その上から高価な紫色の外套を羽織っている。
空色の瞳。
そして――大きな権力を象徴する一本の剣。
会議室の最上席。
その男こそ――
Tharl Venctil。
Velindiaの宰相。
保守派の指導者であり、旧王権を支える三本の柱、その一人である。
Tharl Venctil、58歳。
Velindiaの宰相。
帝国全軍の三分の一に相当する軍事権限と戦力を掌握する男。
「本日、諸君をここへ集めた理由は一つだ」
Venctilの声が、室内へ低く響いた。
「これからArkenham中央部の権力と港湾地帯は、すべて私が掌握する」
「そして、王女派にはこの戦略地域を渡さない」
「この地域だけでVelindiaの税収のおよそ二十パーセントを占める」
その言葉に、会議室が一気にざわめいた。
これまで宰相と王女の間では、奇妙な均衡が保たれていた。
それが今――
Venctilは帝国税収の二十パーセントを生み出す地域全体を、自らの手中へ収めると宣言したのである。
「Tharl Venctil閣下」
一人の男が慎重に口を開いた。
「先ほど、閣下がEdhenの支配構造そのものを変更する計画を立てたと聞きました」
「現在の王妃陛下と国王陛下は、この件をご存じなのでしょうか?」
その質問を聞いた瞬間、Venctilの表情が険しくなる。
この機会。
最前線へ出ている王女派の小娘を、政治の舞台から叩き落とす千載一遇の機会。
それを彼は、十年もの間待ち続けてきた。
十年。
「……私が軍事権限を握る者として、この件をいちいち誰かに報告する必要があるとでも?」
Venctilは鋭く睨みつけた。
質問した男は、怯えたように視線を下げる。
そして――
「では、始めよう」
Venctilはそう言って、盤上の一つのポーンをつまみ上げた。
「――盤上の戦いを」
会議室の中央に置かれている石造りの机。
そこにはチェス盤と同時に、都市Edhenの詳細な地図が描かれていた。
交易路。
警備所。
物資保管庫。
資源の集積地点。
さらには後方ルートと封鎖地点まで、すべてが記されている。
地図上に刻まれた赤い印。
それらは、Puritan Allianceの内部を走る血管網そのものだった。
そして同時に――
最も簡単に断ち切れる場所でもある。
Venctilはチェスの駒を動かすように、Edhenの地図上へ一つずつ駒を置いていく。
その位置は、すべて事前に集められた諜報情報をもとに決められていた。
王とクイーンは遠く離れた場所にある。
そして、この戦局を支配するために使用されるのは、ただ一つのポーンだった。
「悪くない……実に悪くない」
Venctilは低く笑った。
「一か月もの準備を積み上げた」
「だが戦いそのものは、一晩で十分だ」
指先が、一定の間隔で地図の端を叩く。
「Puritan Allianceは、たった一夜で大きく弱体化する」
「そして今回だけは――」
「王女派の連中に、この税収源を握らせるつもりはない」
「この時点で、勝負はほぼ決した」
「最後に盤上へ残る切り札は――Iron Handだ」
Venctilの唇が、わずかに歪んだ。
「その時になれば、人質を解放するための交渉を行えばいい」
「そして、あたかも赤の駒――すなわち我々のIron Handとの間で合意が成立したかのように見せればいい」
「そうなれば、Edhen全体は必ずこちらへ屈服する」
「Edhenを起点にすれば、中央地域全域の物流まで掌握できる」
室内にいた他の者たちも、その計画へ耳を傾けていた。
その中には、西方の教団に属する者も何人かいる。
彼らでさえ、この展開を予測できていなかった。
王女派の人間をたった一晩で排除する。
それは、あまりにも現実味のない話だった。
王女派の勢力は、Venctilを上回るほどの力を持っている。
だが、今の状況なら――
両者はほぼ互角になる。
そしてVelindia内部の権力争いは、これまで以上に激化するだろう。
「閣下」
一人の男が口を開いた。
「この計画は、閣下ご自身が立案されたものなのですか?」
「正直、この規模の地下勢力を一夜で崩壊させるなど、天才にしか不可能だと思っていました」
彼自身も、この展開を予測していなかった。
王女が前線で戦っている間に、Venctilはその隙を利用して、長年争っていた権力地域を一気に奪おうとしている。
「そうでもない」
Venctilは静かに否定した。
「ずっと前から準備していた」
「Puritan Allianceと戦っていた頃からな」
「そして、その大部分を実際に成し遂げたのは――Rugustだ」
「私の片腕であり、Iron Handを率いて動かしている男だ」
ドタ、ドタ、ドタ……。
その時だった。
「失礼いたします!」
一人の情報網の担当者が、急ぎ足でVenctilのもとへ駆け寄った。
その表情には、どこか朗報を届ける者のような色があった。
「閣下、内部諜報からの報告です」
「昨夜、七時半頃から――」
「Iron Handとの通信が、完全に途絶しました」
「……何だと?」
Venctilの表情が変わる。
「なぜだ? この時間なら、勝利の報告が届くはずだろう」
「現状はどうなっている?」
「外部に配置している諜報員からの報告では――」
「Edhenで原因不明の魔力暴発が発生したとのことです」
「その影響で通信が途絶しており、我々の計画がどの程度影響を受けているかは、まだ判明しておりません」
「何だと!? 魔力暴発だと!?」
Venctilの怒号が会議室を揺らした。
一瞬にして、室内が静まり返る。
何人かはまだ事態を理解できていない。
なぜ突然、宰相が魔力暴発による通信障害について声を荒らげたのか。
だが――
中央地域を支配するための計画は、すでに開始されている。
その中心こそがEdhenだった。
そして今、その全計画が揺らぎ始めている。
「現在、必死に調査を進めています」
報告係が続ける。
「評議会側から、転移門を通じてEdhenへ調査隊を派遣する命令が出たという情報もあります」
「こちらからも数名を調査隊へ潜り込ませました」
「新しい情報が入り次第、すぐにご報告します」
「分かった。それでいい」
Venctilは低く答えた。
「だが、我々も一度計画を停止する」
「おそらく帝国中央防衛評議会から、Edhenとの通信途絶について呼び出しが来るだろう」
「私の命令を伝えろ」
「残っている全員に、一時的に作戦を停止させろ」
そして――
「もし誰かが余計な情報を漏らしたら……」
Venctilの目が鋭く細くなる。
「地面の下へ送れ」
「……はい、閣下」
伝令が退室した。
その直後。
会議室にいた若い女性の監視担当者が立ち上がった。
学園から届いた極秘情報を手にしている。
声は冷静だった。
だが、その一言一言は刃のように鋭い。
「Venctil閣下」
「悪い知らせが入りました」
「Edhenでは、諜報監視室からの報告どおり、確かに魔力暴発が発生したようです」
「学園長も急遽、帝国中央防衛評議会の本部へ向かいました」
「ただし、それ以上の情報はありません」
「学園側も情報封鎖を徹底しているようです」
Tharl Venctilは、ゆっくりと目を閉じた。
自らが長年かけて準備してきたEdhen掌握計画。
それが――
失敗へ近づきつつある。
副港はすでに確保している。
だが、Edhenそのものに異変が起こった。
そして、それは――
Ramnarsの時と、どこか似ている。
あの場所では、神々と魔王の戦いに巻き込まれ、Venctil自身も命を落としかけた。
もし彼があの時、現地へ向かう計画を破棄していなければ――
結果はどうなっていたか分からない。
「……もし学園からの情報が本当なら」
Venctilは、女性監視官をじっと見つめた。
「Arkenham地域――Edhenで起きた事件は、単なる魔力暴発ではない」
「何かが……」
「何かが、戻ってきたということか」
口元の髭が、わずかに震えた。
「……もう一つ、まだお伝えしていないことがあります」
彼女は一通の密書と、もう一つのRune石をVenctilへ差し出した。
「帝国魔法学園の規律委員会委員長」
「Eという名で知られ、学園長がその特異な力を常に隠している人物が――」
「一人でEdhenへ向かっていました」
「さらに、先週からEdhen支部の冒険者ギルドより、彼女が到着した時期とほぼ同時に、奇妙な召喚物体が確認されたとの記録があります」
「見たことのない荷獣」
「これまで確認されたことのない奇妙な武器」
「それらを、一部の冒険者が記録していました」
「そして、それらを操っている人物と今回の異常魔力暴発の原因が――」
「E本人である可能性もあります」
「ただし、現段階では私個人の推測にすぎません」
「学園から新しい情報が入り次第、すぐにご報告します」
密書がVenctilの手へ渡った。
彼は封を開き、同時にRune記録石へ視線を落とす。
そこに刻まれたのは、わずかなRune記号だけだった。
それでも――
老いた目は、鋭く細められた。
「E……」
「学園最強とまで呼ばれる存在」
「いったい、なぜEdhenへ向かった?」
「そして、あの怪物たちと武器……」
「今回の魔力暴発……」
「すべて、お前に繋がっているのか?」
Venctilは窓の外を見る。
霧と雪は、まだ消えていなかった。
ヒヒィィィィ……。
カラ、カラ、カラ……。
短い非公開会議が終わった後。
特殊な馬車が、雪に覆われた道を速やかに走っていた。
行き先は、Aurelliaから首都内部にある評議会庁舎。
Tharl Venctilを、そのまま帝国中央防衛評議会へ運ぶための馬車だった。
……
学園へ戻る。
Clovisは、いつもの巡回任務を終えた後、自分の教室へ戻っていた。
そして、今学期最後の授業を受けている。
彼とEは、同じ時期に卒業する予定だった。
Eは先輩だった。
それでもClovisにとって、彼女はまるで教師のような存在だった。
規律委員会の仲間たちを常に気にかけ、守ってくれる――
そんな大切な先輩。
そして今日。
Clovisは、自分が臨時で規律委員長の仕事を引き継いで初めて理解した。
Eが過去およそ十年にわたって、どれほど多くのものを背負ってきたのかを。
「……先輩は、本当に並外れた人だ」
授業を聞きながら、Clovisは心の中で呟いた。
「でも……やっぱり心配だ」
「学園長から与えられた仕事以外に、いったい何のためにEdhenへ行ったんだ?」
「先輩が追っていた相手は、誰なんだ?」
「どんな奴で……どれほどの力を持っている?」
そして――
Edhenの爆発。
Clovisは、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……あの爆発の規模は……大きすぎる」
「普通の魔法使いが作り出せるような、戦術級の力じゃない……」
授業終了の鐘が鳴る。
――チリン、チリン。
Clovisは教室を出た。
その後、古びた石段へ腰を下ろした。
すぐ隣には、鉄骨の芯だけが剥き出しになった壁がある。
足元では、すでに雪は止んでいた。
学園の清掃員たちが道に積もった雪を除去している。
Clovisは再び記録帳を開いた。
新たに書き込まれた文字は、まだインクが乾ききっていない。
先輩が追っている相手……
もしかして、あの機械たちと関係があるのか?
魔法とは異なる奇妙な力。
それが魔法と融合し、帝国が保有する魔導兵器にも劣らない、凶悪な機械を生み出している。
もし、その人物をこちらへ連れてこられたら……
この秘密を巡って、各勢力が奪い合いを始める可能性だってある。
第二部――残された灰の痕跡
その日の早朝――
午前六時三十分。
転移門区域に設置された高価な機械時計が、正確な時刻を示していた。
帝国中央防衛評議会の近くには、大きな石碑が設置されている。
この日の早朝、緊急調査評議会が急遽編成され、現地調査に必要な荷物もすでに準備されていた。
三十人の調査隊員が転移台の上に立っている。
彼らはそれぞれ、測定器具や調査用の道具が詰め込まれたケースを手にしていた。
そして全員が、魔力汚染に対抗するための特殊な魔法服を身につけている。
これは重要な防護装備だった。
過去の記録によれば、魔力が暴発した現場には高濃度の毒性魔力が発生することがある。
普通の人間がその中へ入れば、体内の魔力が徐々に相克し、最後には苦痛の中で命を落とす。
「魔力暴発……か。これはさすがに危険すぎるな」
一人の隊員が、防護服を見下ろしながら呟いた。
「幸い、毒性魔力対策の装備が三十着全部揃っている。これがなかったら、現地へ行っても外から眺めるしかないところだった」
「二年前の爆発事故を覚えてるか?」
別の男が答える。
「研究施設の中で起きた、ただの小さな事故だった。それでも、毒性魔力の粉塵雲が発生してから五分も経たないうちに、施設内にいた一般人の身体はほとんどただれてしまった」
「幸い、治療師がいたから助かった。そうでなければ、助からなかった者も多かっただろう」
「おい、不吉なことを言うなよ」
別の隊員が声を潜める。
「俺たちはまだ、今のEdhenがどうなっているのか詳しく分かっていない」
「ただ……どういう状態かと聞かれたら、秘密裏に消えた都市の伝説に近い気がする」
「しっ!」
すぐ隣の男が慌てて止めた。
「その伝説の話はもうするな。牢に入りたいのか?」
「……悪かった」
男はすぐに口を閉ざした。
その間にも、魔法師たちは転移のための手続きを終えていく。
この転移魔法は、緊急時にのみ使用される。
あまりにも複雑な術式であり、大量の人員を必要とするため、一度使用するだけでVelindiaの年間税収の一パーセントを消費する。
さらに、一度に転移できる物体にも厳しい制限がある。
好き勝手に使用できる魔法ではない。
そのため、一般には普及していなかった。
――Mana、充填完了。
「全員、配置につけ」
「これより緊急転移を実施する」
「目的地――中央転移都市」
「準備完了!」
隊員たちの声が、一斉に重なった。
「転移――!」
ヴィン……。
カシャン……!
一秒にも満たない時間の後。
彼らは中央転移都市の転移台へ到着していた。
ここからEdhenへ最短で接近するため、専用に設定された近道を通ることになる。
最初の班が高度転移術式を使用し、先行してEdhenへ向かった。
残りの調査員たちは列車で移動することになっている。
調査用の特殊装備。
物資。
食料。
そして大量の機材。
それらをまとめて運ぶ必要があるためだ。
また、学園からもう一人、規律委員会の副委員長が列車へ乗り込んでいた。
目的はEへの連絡。
予定では三日後、中央転移都市へ到着することになっている。
「嫌だなぁ……」
派遣された規律委員会副委員長の少女が、ため息をついた。
「彼女の顔を見ると、まるで石でできた冷たい要塞と向き合ってるような気分になるんだもの……」
彼女はかなり気品のある少女だった。
誰に対しても比較的寛容で、周囲からは「規律委員会の薔薇」とまで呼ばれている。
表面上はそういう人物だった。
だが――
彼女自身がEに対して密かに求めているものがあった。
あの鋼鉄の獣たち。
Eが操る、未知の力。
彼女が長い間、憧れ続けていた力だった。
「……いつか、コピー・シミュレーションの魔法を試してみたいなぁ」
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Edhen方面――午前八時、近道
「し……信じられない……!」
「ど、どうしてこんなことに……?」
「Edhenは……どこへ行ったんだ!?」
Edhenから一キロ。
中央転移都市から馬車で移動してきた調査隊は、そこで足を止めた。
目の前に広がった光景。
それは、まるで地獄そのものだった。
周囲では、何らかの強大な力によって村々が吹き飛ばされている。
遠くを見ても、彼らが期待していた白い城壁の姿はどこにもない。
そこに残っていたのは――
激しいMana爆発によって生じた、不安定な魔力の塵だけだった。
かつて人々が暮らし、賑わっていた都市。
Edhen。
その姿は、完全に消えていた。
「み、みんな……何か言ってくれよ……」
一人の男が震えた声を漏らす。
「俺は去年ここへ来たばかりなんだ……」
「この場所は……あんなに綺麗だったじゃないか……」
どうして、こんなことになった。
一人の隊員はその場に膝をついた。
涙がこぼれる。
別の隊員は、周囲に漂う乱れた魔力の臭いを感じた瞬間、耐えきれずにその場で吐いた。
それを見た隊長が、すぐに命令する。
「仮設警戒所を設置する!」
「まずは体力を回復しろ!」
「我々は評議会所属の長期調査隊だ。こういう事態への対処法も多少は知っている」
「特に毒性魔力だ」
隊長は、亡くなった恩師の言葉を思い出すように続けた。
「昔、師匠から教わった。こういう現場に遭遇した場合、最低限の封鎖拠点と採取用器具を準備しなければならない」
「中央転移都市へ再接続しろ」
「ここで得た情報を、最優先で評議会へ送ってもらうんだ」
そして――
「こう報告しろ」
「Edhenは、もはやVelindiaの地図上に存在しない――と」
……
午前十時。
中央転移都市からEdhenへ続く近道。
その北西方向に、仮設警戒所が完成した。
爆発現場は簡易的に封鎖されていた。
人の侵入を防ぐため、数枚のRune幕が張られているだけだ。
朝の弱い光が、厚く漂う毒性魔力の粉塵へぼんやり反射している。
遠くから見ると、焼け焦げた大地の上へ薄い粉雪でも積もっているかのようだった。
「みんな、準備は終わった」
「魔力耐性服の点検も済んでいる。あとは着るだけだ」
「分かったよ、この馬鹿チビ」
「この仕事、もう百回以上繰り返してるんだ。いちいち急かさなくていい」
「誰がチビよ!」
少女が怒鳴る。
「私だってもう二十五歳なのよ!」
「しかも今日は恋人と夕食の約束があったのに、任務のせいで断ったんだから!」
「……まだ言ってなかったけどね!」
「だからって、お姉さん扱いするのをやめろとは言ってないだろ!」
「それとチビって呼ぶのは別!」
そんなやり取りが続いていた時だった。
西側の道。
彼らの陣営へ続く道を、一人の人影がゆっくり歩いてくる。
その人物が身につけているのは――
帝国魔法学園の制服だった。
「ん?」
一人の隊員が目を細める。
「誰か、こっちへ向かってきてないか?」
「見間違いじゃないか?」
「この爆発で住民は逃げたんだ。もうここに残ろうとする人間なんて――」
男は無言で、その方向を指差した。
確かに。
そこには一人の少女が歩いている。
学園の制服姿。
「……まったく」
男は深いため息をついた。
「まだ問題が片付いてないっていうのに、向こうから問題がやって来た」
「誰なんだ?」
「誰って……」
男は顔をしかめた。
「隊長へ知らせろ」
「Eだ」
「学園長から彼女の行方を探せと言われていたが……まさか本人のほうからこっちを見つけてくるとはな」
E。
その名前を聞いた瞬間、隣にいた男は頭を抱えた。
「規律委員会のあのチビか?」
「危うく留年させられるところだったぞ、俺」
「今日は本当にツイてないな……」
Eはゆっくりと仮設警戒所の前まで歩いてきた。
しかし、彼女はあの鋼鉄の機械――2A6*を召喚しなかった。
学園長から、こう言われていたからだ。
「あの機械たちは、お前の力の秘密だ」
「一般人の前では、謎の幻獣を従える召喚士として振る舞え」
「他の学園関係者ではない者たちに、この力について知られすぎてはならない」
Eは立ち止まり、二人の男へ視線を向けた。
「久しぶりね」
「TraceとFuthrer……だったわよね?」
Eの灰色の目は冷たかった。
二人とも学園を卒業し、今では調査員になっている。
それでも――
この少女を前にすると、心の奥にわずかな恐怖が蘇った。
「E……?」
「本当に卒業して以来だな」
「こんにちは……」
「調査員になったの?」
Eが尋ねる。
「だったら、もう内部調査を始めているの?」
「それは……」
二人は互いに視線を逸らした。
「隊長へ聞いてくれ」
「彼の許可がなければ、君にも勝手に入る権限はない」
Eは小さくため息をついた。
そして魔法帽を整えると、二人の肩を軽く叩く。
「じゃあ、隊長のところへ案内して」
________________________________________
仮設会議室――
崩壊した建物を簡単に修復し、最低限の形だけ整えた部屋。
その中で、調査隊長がEと向き合っていた。
「Velindia学園規律委員会委員長……ですか?」
隊長が尋ねる。
「どういう風の吹き回しで、こんな魔力暴発現場へやって来たんです?」
「まさか――Edhenの件は、あなたが引き起こしたのでは?」
Eは静かに自己紹介する。
「改めて紹介するわ」
「通称はE」
「Velindia帝国魔法学園、現規律委員会委員長」
「現在、ある人物を追跡している」
「あなたたちの仕事とは無関係よ」
「ただ――」
彼女は真っ直ぐに隊長を見る。
「私がEdhenの中へ入るために、少し協力してほしい」
「正確には……」
「かつて『都市』だった場所へ」
白く長い髪が、風などないはずなのにわずかに揺れた。
「私が追っている人物が、まだ生きているのかどうか確認したいの」
隊長から見れば、これは悪い話ではなかった。
学園の上級生。
規律委員会所属。
そして何より、魔力に関する専門知識を持つ人物。
爆発原因を特定する上でも、毒性魔力の霧の中から生存者を探す上でも、これほど心強い助力はない。
しかし――
「ただ……」
隊長は慎重に言葉を選ぶ。
「あなたのような人物は、Velindiaにとって極めて重要な人材です」
「万一あなたに何かあれば、こちらでは学園側からどれほどの圧力を受けるか分かりません」
「安全規則には従ってください」
「そして、同行責任者からの指示がない限り、単独行動は避けてもらいたい」
「構わないわ」
Eはあっさりと答えた。
「私からも、この魔力暴発に関係している可能性のある物品や、客観的な分析結果を提供できる」
「その代わり――」
Eは一拍置いた。
「行動については、私の自由にさせてもらう」
「Edhenへ入り、戻ってきた後は、ここに滞在するつもりもない」
「それでいい?」
隊長は彼女を見つめたまま、しばらく考えた。
そして――
「分かった」
「こちらの調査に少しでも協力してもらえるなら、あなた自身の事情には口を出さない」
「ただし、安全だけは守ってください」
Eは小さく頷く。
「いいわ」
「契約成立ね」
張り詰めていた空気が、わずかに和らいだ。
その後。
Eと最初の調査班は、必要な機材と特殊な毒性魔力耐性服を完全に装備した。
そして――
爆発によって生じた毒性魔力の霧へ深く沈んでいるEdhenへ、足を踏み入れた。
________________________________________
Edhen内部――西門から進入
大地には、かつて建っていた建物の残骸だけが残されていた。
それらは今や、熱で溶けたかのように曲がりくねった線へ変わっている。
木製の城門は焼け焦げ、細かな灰しか残っていない。
黒い防護服を着た八人の調査員が、毒性Manaの霧の中を歩いている。
死体はない。
建物は粉々に崩壊している。
そして、軽く触れただけで消えてしまうほど脆い。
瓦礫の中心。
Eはその場に立っていた。
長い銀色の髪は、魔力耐性服の下で後ろへまとめられている。
彼女は何も言わない。
灰色の瞳。
冷たいガラスのような光を宿した目が、ゆっくりと周囲を見回している。
わずかな粉塵が、かつて生命に満ちていた場所の残骸から巻き上がる。
調査隊はさらに先へ進んだ。
そして――
Eは、いくつかの異常な痕跡を発見した。
「死体がない」
「肉片すらない……」
「血痕もない」
「すべて、何かによって焼き尽くされたみたい」
彼女は静かに呟いた。
「確認できるのは、戦術級の魔力暴発だけ……」
「これほど大規模な魔力暴発となると……」
後ろから、男の低い声が聞こえた。
「兵器級でもなければ不可能じゃないか?」
「誰かが兵器実験をしていた可能性は?」
Eは答えない。
ただ、深く考えていた。
(これほどの暴発を起こせる存在……)
(私が知っている範囲のものじゃない)
(こんなものを作れるだけの潜在力を持つなら、国家規模の技術が必要になる)
(でも――)
(今もっと重要なのは……)
(あいつが生きているのか、それとも死んでいるのか)
毒性Manaの粉塵と灰が、防護服へまとわりつく。
Eは、かつて中央広場だった場所へ向けて、さらに数歩進んだ。
一歩。
また一歩。
そのたびに、靴跡が灰の上へ残されていく。
まるで、挽きたての石粉の上を歩いているようだった。
呼吸はない。
生存者の気配もない。
一歩進むたびに――
今、自分が踏んでいる場所そのものが、人間の遺骸である可能性があった。
やがて中央部に到着すると、巨大な穴が現れた。
直径は広く、深さはおよそ百メートル。
どうやら、今回の暴発の中心点らしい。
ほとんどすべてが灰となって消えていた。
それでも――
いくつか残っているものがあった。
「中央に……何かある」
Eの杖が、内部に封じられた反応を捉えた。
赤い信号が点滅する。
一度。
二度。
さらに近づくにつれ、その点滅回数が増えていった。
「何か見つけたのか?」
「この穴の周囲――北側」
Eが指示する。
「みんな、探してみて」
しばらくして。
調査員たちは、いくつかの金属片を発見した。
そして――
戦闘で焼け焦げた一門の砲。
しかし――
________________________________________
午後二時
調査隊の防護服も、彼ら自身の体力も、そろそろ限界に近づいていた。
「こ……これが……武器なのか?」
一人の調査員が、目の前の残骸を見つめる。
「本当に……こんなもの、見たことがない」
「Eさん!」
別の隊員が声を上げた。
「こっちに、妙に硬い木片があります」
「見てもらえませんか?」
Eが近づく。
しゃがみ込み、手袋をつけた手で焼け焦げた木片を拾う。
掌の半分ほどしかない、小さな破片。
だが――
触れた瞬間。
彼女は、そこに何かが封じられているような感覚を覚えた。
Eは木片をゆっくり裏返した。
内部には、深く刻み込まれた渦状の紋様。
極限までManaを封印する魔法刻印。
その縁には、薄い金が施されている。
しかし――
内部へ押し込められていた膨大なエネルギーが暴発したことで、それさえも溶けていた。
「使用済みのMana封印箱……」
Eは目を細める。
「でも……」
「どうしてManaが、箱そのものを溶かすほど強く暴発できるの?」
「今まで確認されてきたRune石の封印は、すべて安定していた」
「暴発そのものは可能でも……爆発することはない」
「それが可能なのは――」
Eは思考へ沈み込む。
「何らかの秘匿された精製方法を使っていた場合だけ……」
その時。
別の調査員の声が響いた。
「みんな! こっちだ!」
「いくつかの紋章と個人カードを見つけた!」
「ここは……おそらくEdhen冒険者ギルド支部の建物跡だ!」
Eは狭い防護服の中から、そちらへ視線を向ける。
いくつかの紋章。
そして、個人証明カード。
その中の一枚。
ほとんど崩れかけた銀色のカードだけが――
Eの杖に表示された赤い信号と、まるで呼応するように微かに反応していた。
「……それ」
Eの表情が変わった。
「それは……!」
彼女は驚いたように、素早く歩み寄る。
そこにあったのは、銀とRuneが混ざり合った小さな塊。
それでも、かつてカードだったことだけは分かる。
表面には、封印された木目のような紋様が残っていた。
「それ……私に見せてもらえる?」
「え……ああ」
「もちろん」
カードの破片がEへ渡される。
渡したのは、調査隊第一班を率いる二十七歳の男だった。
だが――
Eへそれを手渡した瞬間。
長年調査員として生きてきた男の直感を、冷たい殺気が一気に駆け抜けた。
(な……何だ、この狂気じみた感覚は……?)
Eは破片を手に取る。
しばらく無言で見つめる。
そして――
ふっと笑った。
「なるほど……」
「最初から知っていたのね」
「私を弄んでいた……」
彼女の口元がわずかに歪む。
「やっぱり」
「……あいつは、まだ死んでいない」
Eの様子が、明らかに変わり始めた。
第一班の隊長はそれを見て、すぐに撤退の合図を出した。
「全員、警戒所へ戻るぞ!」
隊員たちが移動を始める。
男が方向を確認しながら、他の隊員たちへ指示を出していく。
その間に――
Eは、あらかじめ用意していた一本のナイフを取り出した。
胸の奥にあるのは、憎悪だった。
自分の力の秘密を知る者。
そして――
自分のような狡猾な人間と、知略で渡り合うことのできる者。
その存在を、彼女は決して許さない。
まるで本能に突き動かされるように。
Eはナイフの先端を地面へ突き立てた。
一文字。
また一文字。
そして――
その場所へ、一つの言葉を刻み込んだ。
それは、一つの歌の名前であり――
同時に。
彼女自身の名前だった。
――ERIKA.――
________________________________________
一時間後――午後三時
都市北西部・仮設警戒所
「現在までの調査結果を報告します」
「死亡者数は、暫定で約二十九万一千人に達したと確認されています」
「Edhen市内全域」
「そして帝国基準で半径五マイル――およそ五・五キロメートル――以内に存在していた住民に、生存者は確認できません」
「死因は、暴発した魔力による融解」
「さらに深刻な魔力汚染」
「そして、爆発後に発生した無音波による影響が重なったものと推定されます」
「一部の遺体を回収し、簡易検死を行った結果から判断すると、現状のEdhenは完全な廃墟です」
「爆発原因については、いまだ不明」
「また、毒性魔力の霧が消えるまで数週間は必要と予測されており、それまでは現場へ本格的に接近することも困難です」
報告書を手にした隊長は、ただ深くため息をついた。
一夜にして。
三十万人近い命が消えた。
そのすべてが中央地域の住民だった。
身分証に基づいた行方不明者の記録。
確認可能な生存者の情報。
それらは現在、順次データへまとめられている。
そして――
避難民もまた、周辺の各地域へ大量に流れ込んでいた。
各地の社会基盤は、すでに受け入れ能力を超え始めている。
「この報告書を中央転移都市へ送れ」
「できるだけ早く」
「了解しました!」
________________________________________
一方。
TraceとFuthrerは、調査隊の仲間たちとEについて話していた。
「……あの子、どうして突然ここへ来たんだ?」
TraceがEdhenを見つめながら呟く。
「まあ、今の俺たちはもう評議会の調査員だ」
「学園長から頼まれていた仕事も、これで一応終わった」
「それより、家で待っている子どものほうが心配だ」
「まだ三歳なんだが、最近はずっと俺に抱っこしてくれってせがんでくる」
「はぁ……」
Traceは深いため息をついた。
その視線の先。
Edhenは、いまだ黒い霧の中へ沈んでいる。
Futhrerが苦笑する。
「お前には家族がいるからいいよな」
「俺は独身だ」
「この歳になっても、自分のことすらまともに面倒を見られていない」
そして――
「そういえば、あの子……もう行ったみたいだぞ」
「態度が少し……不安定だったな」
「昔から、みんな彼女のことを『危険で冷たい少女E』って呼んでる」
「今でも学園ではそのあだ名が使われてるらしい」
Traceが首を傾げる。
「実際には、EっていうのはExtra――つまり、極秘指定って意味らしい」
「学園長も言っていた」
「彼女の本名は、あまり口にしないほうがいいって」
「その名前は、かつてある異世界を揺るがした帝国を描いた小説に登場する、一つの古い歌と結びついているらしい」
「まあ、実際は……」
Futhrerは肩をすくめた。
「単純に、あの子が本名で呼ばれるのを嫌っているだけなんだけどな」
「特別な秘密があるわけじゃない」
「Eという通称のほうが、もうすっかり定着している」
「そして――」
「規律委員会のあの子の本当の名前は……」
Erika.
________________________________________
Erikaは必要な情報をすべて確認すると、その場を離れた。
その表情は冷たい。
だが――
その目に宿る殺意だけは、隠そうともしていなかった。
仮設テントの中。
何人かの調査員が、学園から来た少女について話していた。
「さっきの学園の規律委員会の女……」
「瓦礫を見ながら笑っていただろ?」
「それに、あの丸く潰れた銀色のカードを手にした時も」
「本当に、何を考えているのか分からない人間だ」
「誰かを追っているようだけど……」
「追われている奴も、あの女に目をつけられたら長生きできそうにないな」
第一班の隊長は、Erikaと直接接触した感想をそう漏らした。
「それはまだ分かってないな」
別の男が答える。
「帝国魔法学園を出て調査員になった連中は、みんなあの人を怖がっている」
「百年に一人出るかどうかってレベルの学園生だぞ」
「聞いた話じゃ、Geman国境付近でBasiliskと一人で戦ったらしい」
「しかも、あれは初期型の等級VI級怪物だ」
「鶏と蛇を混ぜたような外見の化け物だが――」
「彼女は生きて戻ってきた」
「その上、首まで持ち帰ったらしい」
「俺も噂で聞いたことがある」
また別の男が口を挟む。
「帝都周辺で高位怪物、特に(IV*)級や(III*)級の個体が、ここ数年で何体も突然消えている」
「調査依頼が出た時には、現場に残っているのは乾ききった死骸だけ」
「しかも、Mana核心を一本の矢で撃ち抜かれていたらしい……」
「本当に――」
誰かが息を呑む。
「召喚士としての名声も、学園最強という称号も、俺たちには到底理解できないな」
「……ところで」
「その規律委員会委員長の子、どこへ行った?」
その時になって初めて。
全員が気づいた。
Erikaの姿が、いつの間にか消えている。
誰も気づかなかった。
誰も見ていなかった。
ただ、TraceとFuthrerだけが、その事実を確認していた。
そして――
遠くの空から、一つの影が近づいてくる。
十字の鉄徽章と翼を持つ鋼鉄の機械。
それが、ゆっくりと姿を現した。
「まあいい」
隊長が言う。
「今日は休んで体力を回復しろ」
「明日は東側を調査する」
「そして、評議会へ報告だ……」
________________________________________
北西部――広く平坦な道
夕暮れ。
そこには、何かが離陸するには十分すぎるほど長く、広く、平坦な道が続いていた。
Erikaはそこへ立っている。
ゆっくりと腕を伸ばす。
まるで召喚魔法を使うように――
その手を掲げた。
「出てきなさい」
「私の鋼鉄の十字の鳥――!」
カシャン……。
光が地面へ降りる。
一瞬で周囲を白く染め――
そして消えた。
その後に残ったのは、一機の戦闘機。
Bf-109 G6*。
機械と魔法が融合した、特殊な兵器。
Erikaは、その機体へそっと手を触れた。
まるで一羽の鳥のように。
主人の命令へ絶対服従し、決して不平を漏らさない鋼鉄の獣。
「……もし、あの時の悲しい記憶をいつまでも乗り越えられないのなら」
「私は、この地位も……この称号も……名乗る資格なんてない」
彼女は慣れた動作で操縦席を開いた。
そのまま中へ乗り込む。
機体がわずかに震える。
内部の各部が動き始める。
操作系統が一つへ統合される。
今――
人と機械は、一つになった。
――ブォォ……ン……
金属製エンジンの音が、小さく唸る。
戦いの始まりを告げるように。
Erikaは静かに息を吐いた。
そして、微かな笑みを浮かべる。
「この戦いは……」
「もう地上だけじゃない」
「そろそろ――空へ進む時よ」
彼女は、いつもの無線機を手に取った。
そして――
初めて、叫ぶようにその通信機へ声を叩き込んだ。
「こんにちは、Cyran Yilfen。自己紹介しておくわ。
私のフルネームは――Erika Skavov。
このVelindiaの大地で、あなたを追い続ける者よ。
どこへ逃げても、あなたの正体も……あなたの名前も……私が必ず見つけ出す!」
返事はない。
その言葉の意味を理解する者も、ここにはいない。
だが――
彼女にとって、それは明確な宣戦布告だった。
Cyran Yilfenにとって――
死神は、ただ姿を変えただけだった。
今度の死神は、人の姿ではない。
それは――
戦闘機という形を得た。
空を飛び、獲物を追う。
空そのものから襲い来る恐怖だった。
________________________________________
Bf-109 G6*
BR 4.7 / Rank IV
20 mm MG 151 cannon:200発
2 × 13 mm MG 131 machine gun:600発
航続燃料:1時間
――時刻、午後四時。
第三部――狂人たち
その夜へ戻る。
________________________________________
南部高地――Edhen
午後八時
魔法爆発が起きた地点から数十マイル。
遠すぎず、しかし十分に離れていて、爆発の様子を観測し記録するには適した高い丘の上。
周囲の低木には、先ほど発生したエネルギー波の衝撃痕が、円状の波紋として今も残っていた。
空気は乾き、焼け焦げた臭いと衝撃波が残した熱気が漂っている。
だが――
その地下には、魔力耐性を持つ魔法壁によって補強された施設が存在していた。
その中で、何人もの人間が立ったまま、遠くの地平線を見つめている。
その中心。
一人の大柄な男が、権威を示すような椅子へ腰を下ろしていた。
乱れた銀髪。
使い古され、Mana石の粉塵がこびりついた研究者用の白衣。
その手には赤いワインの入ったグラスが握られている。
男は一口だけ口へ含み、特殊な通信石へ映し出された光景を眺めていた。
そこへ映っているのは――
数年どころか、何十年もの間、彼の配下たちが準備してきた都市。
そして今。
その都市は、彼の目の前で消えた。
男はくぐもった笑い声を漏らした。
まるで壮大な交響曲を楽しむかのように。
ただし、それは音楽ではない。
先ほど空を染めた、破壊の光を楽しんでいるのだ。
自分自身は現地へ行くことができなかった。
だからこそ――
Edhen側に残していた部下が、彼の代わりにこの成功を味わっている。
その男の名は――
「狂博士」。
大陸最強クラスの魔力術式を操り、かつては魔王の配下でもあった存在。
しかし、彼は使徒の後継者たちが集う組織へ加入する道を選ばなかった。
この世界に生まれながら、不死という力を与えられた男。
彼が現在目指しているものは一つ。
――魔王に代わる存在となること。
そして今。
その第一歩が、ついに彼へ微笑み始めていた。
その魔法の力は、もはや魔王の放つ破壊力と肩を並べるほど。
彼が望めば、どんな敵であろうと消し去り、平らにすることさえできる。
「美しい……」
狂博士は呟いた。
「本当に美しい」
「十年もの間、苦労して再現しようとしてきた……キノコ雲の花だ」
男は通信石へ映る光景を見つめる。
「前の時と同じだ」
「中央地域で起きた、あの戦い……」
「だが、今回はもっと綺麗だ」
「悲鳴もない」
「血の跡もない」
「ただ、一筋の光が走って……」
「――すべてが消える」
彼の傍らには、一人の部下が立っていた。
少し痩せた体つき。
同じく古びた研究用の白衣をまとい、魔獣の皮で作られた分厚い記録帳へ異常な速度で書き込んでいる。
そして、Rune通信を通じて報告した。
「分解後に残留する毒性Manaの量ですが……」
「旧基準をまだ下回っています」
「以前の試作品より4.7パーセントほど純度が高く、消散もしやすい」
「ですが……まだ不十分です」
「原始型爆弾の試料と比較すると――」
「かつて、あの者が使用したものは威力こそ高かった」
「しかし、体積に対する魔力圧縮率はまだ低い」
「より強力なものを作るには、まだ足りません」
「その代わり……」
「こちらは、よりクリーンで安全な方向へ進められます」
「また計算か」
狂博士は通信石へ視線を戻し、横目で部下を見る。
「おい」
「私は完璧なものが欲しいわけじゃない」
「今の段階で、十分に安全で――」
「そして、売れるものが欲しい」
男はワインを一口飲む。
「資金が必要なんだ」
「もっと多くを作るための資金がな」
「そして――」
「今度こそ、この世界を蝕み続ける運命そのものを変えるほどの大戦争を起こす」
狂博士の部下。
彼もまた、古代級の錬金術師だった。
鼻梁にかかった眼鏡を押し上げ、深く息を吸う。
「売るつもりなら、旧式より優れていることを証明しなければなりません」
「それはつまり……」
「より強力な起爆物質を追加する必要があるということです」
「この二つのエネルギー源が衝突すれば――」
「理論上、爆発規模は十倍」
「いや……」
「百倍に達する可能性があります」
「まだ実証されてはいません」
「ですが……非常に有望です」
「しかも、残留物は五十パーセント以上減らせる」
男は少し間を置いた。
「……私は提案します」
「金属Xを探し直すべきです」
その言葉が落ちた瞬間――
観測室に、奇妙な沈黙が広がった。
そこにいた職員たちは、金属Xという名を聞いただけで、明らかに身体を強張らせた。
金属X。
Rune核心と同じような遠心分離工程を経ながら、複数の有害化合物を通すことで、特殊な放射線を放つ金属。
通常の魔法探知球ですら、その存在を検知できない。
専用の無Mana探知装置でなければ、見つけることさえ難しい。
突然変異した人間。
二つの頭を持つ生物。
異常な植物。
変異した花。
それらすべてが、かつて魔王自身が残した一冊の記録へまとめられていた。
タイトルは――
『放射線安全規則』。
そこには金属X、そして同様の性質を持つ金属群が持つ恐怖について記録されていた。
その未知の性質。
――「放射能」。
Xは最適な手段だった。
しかし――
必ずしも最強とは限らない。
狂博士もまた、部下の意見を簡単には退けなかった。
そして突然。
小さく笑う。
「X……か」
「わずか数人の『地球人』が口にしていた名前」
狂博士はグラスを傾けながら呟く。
「私はその名前を忘れていない」
「……URANIUM-235」
「そうだろう?」
通信石の向こうにいる男が、静かに頷いた。
「それが必要です」
「完全な連鎖反応へ到達するなら、避けては通れません」
「ですが――」
「この土地の誰も、それを見つけることができない」
「自然界には存在しない」
「少なくとも、我々が理解している方法では……」
「必要なのは知識です」
「採掘システムも必要になる」
「そして――」
「そこから来た人間が必要です」
狂博士は立ち上がった。
飲みかけの赤いワインを手にしたまま、外へ目を向ける。
異世界の星空は宝石のように澄んでいた。
月明かりが大地を静かに照らしている。
だが、彼には見えていた。
その美しい空の奥。
厚く重なった大気の層が、先ほどのMana衝撃によって微かに震えている。
そして――
その異変へ、情報を狩る者たちが引き寄せられ始めていることも。
「なら、探せ」
狂博士は言った。
「『地球』と呼ばれる場所から来た人間が、まだ生きている」
「そして、私が欲しい情報を持っている」
「以前、私はあと一歩のところまで行った」
「彼ら――あのお方の使徒たちから、それを生み出すものを知ることができるはずだった」
「この牢獄へ神によって閉じ込められた、あの漂流者たちからな」
狂博士の表情が、一瞬だけ曇る。
「だが、あの戦いの後……」
「私は、ほとんどすべてを失った」
「承知しました、博士」
部下が頭を下げる。
「それと……」
「Edhenでのことですが」
「私の部下が、爆発用のMana核心を回収した直後、興味深い人物と遭遇しています」
「名前は――Cyran Yilfen」
「Voldaから来た者です」
「Varrikに雇われ、荷物を運んでいた男だそうです」
「ただ……」
「彼も、あの爆発の後に消えました」
「おそらく、確認する間もなく完全に消滅したのでしょう」
「惜しかったですね」
「もう少し早ければ、私の組織へ迎え入れることもできたのですが」
「ほう……残念だ」
狂博士の喉から、低い音が漏れた。
ごくっ……ごくっ……。
そして赤いワインを飲み干す。
空になったグラスが、ゆっくりと机へ置かれた。
「まあ、いい」
「その程度の情報で十分だ」
狂博士は静かに言った。
「それより――」
「お前も少し警戒しておけ」
「東の帝国から来た連中が、もうこちらを盗聴している」
一瞬。
通信石の周囲を、不自然なManaの揺らぎが走った。
何者かによって、特殊なMana波が抽出されていた。
だが――
その盗聴装置が拾えたのは、一つの名前だけだった。
Cyran Yilfen
そして、その直後。
通信は完全に途絶えた。
「ご安心ください」
通信石の向こうで、部下の声が響く。
「すでに対策は済ませてあります」
「連中には、ただ一つの名前だけを与えた」
「それだけで、状況は一気に曖昧になるでしょう」
「これから各勢力が、今回の爆発について情報を求めてVelindiaへ入り込んでくるはずです」
「その時――」
「例の二つの『鉄の球』を島へ運び戻します」
「そこで、引き続き処理を進めます……」
第四部――新たなる変化
元の時間軸へ戻る。
午後四時――
西の空が、燃え上がるような赤橙色へ染まっていた。
まるで昨日、終末の光に呑み込まれた都市の残光を、そのまま空へ映し出しているかのようだった。
爆発地点からおよそ六十キロ離れた、起伏の激しい未舗装路。
そこを、一両の1942年型T-34-76がゆっくりと進んでいた。
湿った地面には、履帯の深い跡が一直線に残されている。
YilfenとCelesは道中にあった廃屋で一夜を明かした。
長く続いた混乱の翌日。
二人が再び旅を始めたのは、すでに午後になってからだった。
コト……コト……。
エンジンの音は小さい。
逃走中のように激しく唸ることもない。
車内には、静寂だけが広がっていた。
Yilfenは視線を、VR上に縮小表示された地図へ向け続けている。
隣に浮かぶ仮想キーボード。
その「W」キーへ指を置き、見知らぬ道を戦車に進ませていた。
砲塔内部では、普通の冒険者姿に身を包んだCelesが俯いている。
両手を膝の上で組んだまま、彼女はまだ自責の念から抜け出せずにいた。
赤く腫れた目。
青白い顔。
見た目は十八歳の少女。
しかし、その内側にいるのは――
かつてEdhen冒険者ギルドを率いていた、二十八歳の元ギルド長。
精鋭たちを率いた指導者。
そして今は――
ただ一人、生き残った者。
「これから、どこへ行くつもりなんですか?」
Yilfenが尋ねる。
彼自身も、まだこれからの方針を決められていなかった。
Celesはしばらく黙っていた。
「この事件の後なら……」
「家へ戻ったほうが、少しは気持ちを整理できると思います」
「仲間たちの遺品も……持ち帰りたい」
「小さな慰霊碑を作るつもりです」
「故郷へ戻るのか?」
Yilfenはそう答えながらも、視線を仮想操作盤から離さない。
「私の家……」
Celesの声が小さくなる。
「Edhenから、およそ二百マイル」
「北東の方角にある」
「帝都へ向かう街道沿い」
「私は毎年、一度は必ず戻っていました」
Yilfenはしばらく黙った。
一度、深く息を吸う。
そして、ゆっくり吐き出す。
「今そこへ戻ったら――」
「あなたが追われる側になる可能性が高い」
「俺を追っている連中だけじゃない」
「帝国の調査員も、生存者には目をつけるだろう」
「だから、できるだけ身を隠したほうがいい」
「俺たちは今回の事件の目撃者だ」
「正体が知られたら、口封じのために消される可能性だってある」
Yilfenはそう言いながら、自嘲気味に苦笑した。
「映画や物語じゃ、よくある話だろ」
「俺は別に、追跡システムを出し抜けるような超人でもない」
「それに、あのEっていう女がここまで時間を稼いでくれたこと自体、十分すぎるくらいだ」
Celesはしばらく考え込んでいた。
やがて砲塔内部から身を乗り出し、Yilfenの肩を軽く叩く。
Yilfenは戦車をゆっくり減速させた。
そして振り返る。
Celesは初めて真正面から、その黒い瞳を見つめた。
その表情は真剣だった。
「……あなたは、本当にそう思うの?」
「そう思う」
Yilfenは答えた。
「似たような話を、たくさん読んできたからな」
Celesはもう一度考える。
そして、前方を見た。
「この先……」
「私の記憶が正しければ、この街道を四十マイルほど進んだところに、中立都市がある」
「そこは、新しい身分を作ることに関してかなり緩い」
「しばらく、そこへ隠れているのはどう?」
Celesはそれ以上何も言わなかった。
ただ、夕暮れの霧の向こうへ視線を向ける。
遠くには――
その中立都市の塔が、かすかに浮かび上がっていた。
「……つまり、身分を変えるってことか?」
Yilfenが尋ねる。
「そう」
Celesは瞬きをした。
そしてYilfenを見る。
しばらくして――
彼女の感情は、ようやく落ち着きを取り戻していた。
今、自分はまだ生きている。
ならば――
冒険者としての姿勢を崩してはいけない。
自分を信じてくれた者たちの想いを無駄にしないためにも、生き続けなければならない。
Yilfenは少し迷った。
だが、身分を変えるのであれば、二人の間には確かな協力関係が必要になる。
彼は戦車を道の端へ寄せる。
そして医療用バッグの中から、あのノートPCを取り出した。
「これが――」
「俺を生き残らせたものだ」
Yilfenは画面をCelesへ向けた。
「この世界のものじゃない」
「でも、これは武器にもなる」
「情報庫にもなる」
「そして……」
「俺自身の命そのものでもある」
Celesは、その道具を以前から見たことがあった。
Edhenでかつて持ち込まれた禁制品に関する石板。
それと関係する存在。
彼女は、Yilfenが何をしようとしているのか理解していた。
これは――
互いの信頼を確かめるための告白だった。
「知ってる」
「Edhenにいた時から、あなたがそれを使っているのは見ていたもの」
「それに……」
CelesはYilfenの首元を見る。
「その首に掛けているもの」
「いつも身につけているの?」
「今までちゃんと見る余裕がなかったけど」
Yilfenの青いRuneの首飾りが、衣服の隙間から露出した。
彼はそれを指先で触れながら話す。
「これも、同じくらい重要なものだ」
「これがなければ、俺はあなたと普通に会話できない」
「正確には……」
「この場所にいる人たちと、まともに意思疎通することもできない」
一度、言葉を止める。
「俺は――」
「遠い、別の場所から来た」
「この世界の人間じゃない」
「言うなら……」
「鉄と鋼でできた獣たちを連れて、世界を彷徨っている流れ者だ」
沈黙が続いた。
聞こえるのは、戦車のエンジンが一定のリズムで刻む音だけ。
砲塔の中でCelesは、じっと考え続けていた。
数か月前に出会った、奇妙な青年。
すべてが光に消える直前、Edhenから自分を連れ出してくれた青年。
この世界では見たこともない異物。
そして――
彼女の心を、これまで一度も感じたことのないほど揺らした人物。
長い時間をかけて考えた後。
Celesは衣服の中へ手を入れた。
そして、首から下げていたペンダントを外す。
そこには、自ら隠していたArvenwald家の紋章が刻まれていた。
彼女はそれを、Yilfenの目の前へ差し出す。
「これは……」
「私がArvenwald家の人間であることを証明するペンダント」
「信頼の証として、あなたに預ける」
「あなたが別世界から来た人間だったとしても――」
Celesは静かに続ける。
「今の私は、何をすればいいのか分からないから」
それは、言葉にしない決意だった。
Yilfenがこの世界の人間でなくても――
彼女は彼についていく。
Yilfenは、手の中のペンダントを見る。
精巧に彫り込まれた金色の薔薇。
その美しい細工を見つめていると、胸にあった重圧が少しだけ軽くなった。
一人増える。
それだけで、背負うものはかなり減る。
そして――
互いに秘密を共有することで、その秘密を守ることも容易になる。
「……それでも、俺と一緒に行くのか?」
Celesは小さく頷いた。
「どのみち、私はもうただの冒険者だから」
「これまでEdhenで一緒に歩いてきた仲間たちは……」
彼女の声が少し震える。
「……あの魔法の光の中で、消えてしまった」
そして、静かに続ける。
「だから今の私が信じられるのは……」
「あなたしかいない」
Yilfenは数分間、黙り込んだ。
そして最後には――
Celesの手からペンダントを受け取った。
それは、二人の間に交わされた一種の契約だった。
初めて触れたペンダントは、不思議なほど温かかった。
人との交流を苦手とするYilfen。
そんな彼にも――
今日から、小さな変化が始まる。
少なくとも、そうなるはずだった。
「分かった」
「それなら、あなたが言った中央転移都市へ行こう」
「しばらく身を隠す」
ブォン……。
コト……コト……。
T-34-76は再び前へ進み始めた。
二人の背後には――
まだ互いに語れない、悲しい過去が残っている。
だが、これからの人生は続いていく。
次の目的地へ。
――中央転移都市へ。
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ヴォォォォォォ……。
一方、その頃。
別の場所。
南の遥か上空。
灰色の雲の中を、一つのエンジン音が轟いていた。
Bf-109 G6*。
黒く塗装された機体。
原型の機械技術と魔法が融合した、その特殊な戦闘機が――
風を切り裂き、南へ向かって飛んでいる。
操縦席にはErika。
彼女の姿は、夕焼けの光の中で完全に浮かび上がっていた。
白銀の髪は後ろで束ねられ、風に揺れている。
その手は操縦桿をしっかりと握っていた。
まるで長年戦場を駆け抜けてきた、熟練の戦闘機パイロットのように。
彼女の隣には、小型の地図が浮かんでいた。
Rune石によって現在位置が表示されている。
Erikaは眼下へ視線を落とす。
戦闘機は、そのままVoldaへ近づいていく。
彼女の予測では――
Yilfenは、ここへ逃げる可能性が高い。
「逃げなさい……」
Erikaは小さく呟く。
「そうすれば――」
「また会える」
「今ごろは、どこかの村に身を潜めているのかもしれない」
「でも、私にはあなたを追い詰める方法がある」
遠くから地上を見下ろす。
その機体の胴体には、帝国の鉄十字章が今もはっきりと残っている。
それは、Arkenham中央地域――Velindia帝国内を逃走する標的を探していた。
現在位置。
Voldaまで――
三十キロにも満たない。
時計が示す時刻は――
午後四時三十分。
そして今。
空の上で行われる追跡劇が――
始まろうとしていた。
第五部――二つの乗員間の交信
午後4時35分――
夕暮れの陽光が厚い雲の隙間から斜めに差し込み、中央転移都市から20キロほど離れた、人気のない廃村を鬱々とした黄金色に染めていた。
苔むした石壁。
長い年月にさらされ、緑色へ染まったその壁の近くに、一両の1942年型T-34が静かに佇んでいる。
まるで疲れ果てた獣のようだった。
今夜。
二人はこの場所で一夜を明かし、これから先の計画を立てることにした。
コト……コト……。
「とりあえず、ここで休もう」
Yilfenがエンジンの状態を確認する。
「この機械、かなり熱を持っている。少し冷やさないとまずい」
「分かった」
Celesが答える。
「私は外へ行って薪を探してくる」
「あなたは?」
「俺は少し確認しておくものがある」
「先に行ってきてくれ」
Celesが外へ薪を拾いに出た後、Yilfenは一人でいくつかの確認作業を始めた。
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T-34――Stock
解放済みモジュール:煙幕弾のみ。
無料燃料残量:
230km
車両状態:
エンジン残存32%。冷却が必要。
「ゲームの中なら、普通は車両を連続して走らせても問題ない」
Yilfenは心の中で呟いた。
「だが、この改造された現実世界では違う」
「この古い機械をできる限り良い状態で維持するなら、ちゃんと休ませる必要がある」
「今はゲームシステムから整備することもできない」
「この車両はまだラインナップ上で戦闘状態だからな」
「それに、ここで完全分解して修理するための工具もない」
「Voldaに置いてきたT-80BVMみたいにはいかない……」
Yilfenは次に弾薬を確認する。
76mm弾:
BR-350A(MD-5 fuze):30/100
OF-350M:12/100
D-350A:13/100
……
車内は静まり返っていた。
エンジンはすでに停止している。
その結果、車内にはほとんど無音に近い空間が生まれていた。
まるで瞑想でもしているかのような静けさだった。
操縦席でYilfenは、最後の確認へ入る。
――無線機。
説明書を頼りに、彼は無線周波数のダイヤルを一段ずつ慎重に回した。
鋭さのある黒い瞳。
その奥には、わずかな緊張も混ざっている。
その時。
大量の薪を抱えたCelesが戻ってきた。
スマートフォンの時計は、午後4時50分を示していた。
「それ……何?」
CelesはYilfenが操作している機器を見下ろした。
「通信機器だ」
Yilfenは短く答える。
ザ……ザ……ザ……
その時――
奇妙な周波数が、無線機から流れた。
聞き覚えのある音。
しかし、それは時間と記憶によって押し潰されたように、不明瞭だった。
「……?」
しばらく雑音が続いた後。
まるで何かの信号を拾ったかのように――
ピッ。
一度だけ音が鳴り、再び消える。
ザ……ザ……ザ……ピッ……
「爆発からこれだけ時間が経っている」
「たぶん、向こうは俺が頼んでおいた方法で連絡を取ろうとしている」
「無線機の操作方法も単純にしてある」
「説明書と合図も残してきたからな……」
Yilfenは音量と周波数を調整する。
やがて――
途切れ途切れの声が、二人の耳へ入り込んできた。
________________________________________
Volda郊外――秘密訓練区域
ザ……ザ……ザ……。
「昨夜からずっとだ」
「この通信機、何も拾わない」
「隊長、どう思います?」
Dariosが、無線機の隣に座るEliraへ声をかけた。
これはYilfenが残していった、緊急連絡用の装置だった。
T-34に搭載された無線機と接続できるよう、送受信範囲が調整されている。
さらにゲームシステムの補助によって、百キロ単位の通信距離なら十分に接続可能だった。
この緊急連絡方法を提案したのもYilfenだった。
爆発から三日以内に連絡が取れなかった場合――
二人は、自分たちだけでYilfenが残した鋼鉄の機械をどうするか決めなければならない。
Dariosが、何度も決められた暗号を繰り返す。
「スズメからハトへ。ハト、聞こえるなら応答せよ」
「スズメからハトへ。ハト、聞こえるなら応答せよ」
「スズメからハトへ。ハト、聞こえるなら応答せよ」
そして――
その夕暮れ。
無線機から、ついに声が返ってきた。
一言。
また一言。
確かに声が聞こえる。
数週間前に送られた手紙。
そしてYilfenが残した暗号。
すべてが一致した。
二人の表情が一気に明るくなる。
彼らは、Yilfenがあの魔法爆弾の爆発で生き残れなかったのだと思っていたからだ。
Eliraがすぐに応答する。
「ハトよりスズメへ、こちらは明瞭に聞こえる。スズメの声を確認。通信を確認、通信を確認……」
声は少し途切れていた。
まるで、一晩中通信を試みて疲れ切った身体を無理やり奮い立たせているようだった。
その瞬間。
EliraとDariosの顔に、小さな笑顔が浮かんだ。
そして――
「こちらYilfen」
「現在、こちらは無事だ」
「そちらの状況はどうなっている?」
Dariosは、その声を聞いた瞬間、泣き出しそうになった。
「お前は知らないだろうな」
「俺は昨夜のEdhenの爆発で、すぐに叩き起こされたんだぞ」
「それに隊長が、お前の残した装置をずっと調べろって言うもんだから……」
「ようやく、安心して横になれそうだ」
無線の向こうで、Yilfenは小さく笑った。
そして続ける。
「銀の獅子が描かれたコインを、一枚渡した奴がいるだろ?」
「ええ」
Eliraが答える。
「最近、警備兵を辞めたAlven Drennという人物よ」
「ちょうどいい」
Yilfenが続けた。
「車長の席には、もう一人必要なんだ」
「彼には、指揮席の観測員としての素質があると思う」
「あなたとDariosで、彼の訓練を手伝ってくれないか?」
「問題ないわ」
「今は病気になった祖母の看病をしているけれど、機会があれば私から話しておく」
その時。
Celesが少し身を乗り出した。
その目には、かつての傍観者のような冷たさはなかった。
ただ、純粋な関心があった。
「私も……」
「彼らと話していい?」
「もちろん」
Yilfenが頷く。
「どうせVoldaの普通の住民だ」
「何か聞きたいことがあるなら、聞いてみるといい」
Celesが無線機へ顔を近づける。
その声は穏やかで、少し低い。
初めて出会った戦友へ捧げる、静かな挨拶のようだった。
「こんにちは、Voldaの皆さん」
「私はCeles Arvenwald」
「Edhenの元ギルド長です」
「現在、私はYilfenと一緒に行動しています」
「私たちは、あの都市から脱出できた唯一の二人です」
「Volda側の状況はどうなっていますか?」
無線の向こうが数秒間、静かになる。
そしてEliraが答えた。
「今朝の早い時間から、Edhenから避難してきた人々がVoldaへ流れ込んでいるわ」
「彼らのほとんどは、都市の外縁にある小さな村の住民」
「毒性Manaに感染した人も何人かいて、すでに治療へ送っている」
「それ以外の人たちは、町の評議会が仮設テントを用意して受け入れている」
「この中央地域周辺の町にも、Edhenから避難してくる人が押し寄せる可能性が高いわ」
「……分かった」
「ありがとう」
ザ……ザ……ザ……。
ウゥゥゥゥ……。
その時だった。
Celesがさらに質問しようとした瞬間――
Volda側から、別の奇妙な音が混じった。
EliraとDariosが同時に顔を上げる。
T-80BVMはすでに仮設倉庫の中へ収容してあり、エンジンも停止している。
つまり、この音は鋼鉄の車両から出ているものではない。
「な……なあ、Yilfen」
「こっちで妙なエンジン音が聞こえる」
「でも、鋼鉄の車両からじゃない」
「もうエンジンは切ってある」
「それに……」
「どうも、空から聞こえるんだが……?」
Dariosの言葉を聞いた瞬間。
YilfenがCelesから通信機を受け取った。
そして――
初めて声を荒らげた。
「通信を切れ!」
「今すぐだ!」
「何者かが狩りに来ている!」
「狩り……? どういう――」
Dariosが言い終えるより早く。
EliraはYilfenの指示に従い、無線機の電源を切った。
ピッ。
――通信、切断。
「伏せろ!」
EliraとDariosは身を低くした。
二人とも、まるで空飛ぶ竜と対峙しているかのような防御姿勢を取る。
ウゥゥゥゥゥ……!
ウゥゥゥゥッ……!
タタタタタタ……!
ビューン……!
その直後。
上空から、激しい砲撃音が響き渡った。
Volda郊外。
訓練場近く。
そこに群れていた数匹のRank II級怪物が――
一瞬で肉塊へ変わった。
「忌々しい……」
空を飛ぶErikaが呟く。
「さっき信号が発生したのは、この辺りだった」
「下の民間倉庫付近……」
彼女は小型の燃料計へ目を向ける。
「……なんだ」
「怪物の信号だったのね」
しかし、燃料の残りは少ない。
「飛行可能時間は、あと五分」
魔力で無理やり飛び続けることもできる。
だが――
時間を消費する。
「先に北側のどこかで着陸できる場所を探す」
「そこで燃料を補給して、武装も交換する」
「明日、またあいつを追えばいい」
________________________________________
同時刻――
CelesはYilfenを見る。
通信を切った後、彼はただ唇を固く結び、一言も発していなかった。
Celesには、もう聞く必要などなかった。
その表情。
それは――
大規模な戦場を生き延びてきた者が見せる視線だった。
しかしYilfenは、一度も実際の戦場へ出たことなどない。
彼が知るのは、ゲームの中だけ。
鋼鉄の機械と共に戦う戦場だけだ。
しばらくして。
Yilfenがようやく口を開く。
「……あいつは通信を拾った」
「あと少し遅ければ、向こうの二人が危なかった」
Celesが尋ねる。
「あなたを追っている者?」
「そうだ」
Yilfenは答えた。
「数か月前、任務中に一度遭遇した」
「それ以来、ずっと俺を追跡している」
「そのせいで、俺はEdhenから自由に出ることもできなかった」
「それに……」
「どうやら、あいつは学園の生徒みたいな服も着ている」
Celesは記憶を辿る。
すると、身体に悪寒が走った。
かつて――
学園の服を着た、一人の自由魔法師を見たことがある。
彼女は帝国魔法学園の元学生を名乗り、異常な兆候を見せているRank I級ダンジョンの調査に来ていた。
その後。
彼女は必要な情報を残して、姿を消した。
だが――
Celesの直感は告げていた。
あの少女の中には、何かが抑え込まれている。
しかし、それが同一人物なのかどうかは分からない。
だから、CelesはYilfenへそのことを話さなかった。
________________________________________
着陸地点――北西部の見知らぬ町付近
青く澄んだ空を、轟音が切り裂いた。
Erikaが戦闘機、Bf-109 G6*を平坦な道路へ着陸させる。
夕焼けの中。
機体に刻まれた鉄十字章が、金属質な輝きを反射していた。
それは、まるで夕日の上を滑る鏡のようだった。
操縦席の時計が、午後5時30分を示す。
Erikaは機体を収納し、装備袋へ収める。
そして一度だけ、空を見上げた。
何層にも重なる雲。
そこを流れる風が、白銀の髪をわずかに揺らす。
灰色の瞳は、装備袋から離れなかった。
「明日――」
「また狩りを続ける」
「Cyran Yilfen」
彼女は静かに呟いた。
魔法の装備袋。
その内部には――
新たな戦利品が一つ。
Zis-30(57mm砲)
Rank II、ソ連製対戦車砲。
Yilfenの持つ力を解明するための、重要な戦利品だった。
「あなたが逃げられる時間も、もう長くない」
「フッ、フッ、フッ……」
Erikaが小さく笑う。
「私の速度は、空の上であなたを圧倒する」
「もう、逃げる隙なんて与えないわ」
彼女は姿を隠すようにして、見知らぬ町へ歩き出した。
帝国の距離基準で――
Voldaまで37マイル。
________________________________________
その夜――
再び、無線機が静かに鳴る。
「こちらの状況は一応安定している」
「しばらく通信は控えよう」
「何かあれば、こちらから連絡する」
「スズメより再度通達」
「『鉄の鳥』について警戒してくれ」
「絶対に発見されるな」
「了解」
「ハトより通信終了――」
ピッ……。
午後八時。
スマートフォンの画面が、その時刻を示していた。
Volda側の安全が確認されると、Yilfenはようやく息を吐いた。
そして、T-34の脇に置かれた簡素な焚き火の前へ腰を下ろした。
Celesはその横で食事の準備をしている。
簡単な料理。
そして、あらかじめ用意していたパンが数個。
焚き火の上では、鉄製のスープ容器が小さく煮立っている。
もし今回の事件が起きていなかったなら――
Yilfenは、このまま冒険をやめていたかもしれない。
この世界のどこかで、名もない人間として暮らしていたかもしれない。
何も考えず、静かな人生を送ろうとしたかもしれない。
だが――
この世界は、根本的に彼を受け入れてはくれない。
そしてCelesも――
彼女がこれから何を望んでいるのか、Yilfenにはまだ分からなかった。
「……その『鉄の鳥』って、何なの?」
Celesが尋ねる。
「ドラゴンみたいな機械だ」
Yilfenが答える。
「ただし、空を飛べる」
「しかも、ドラゴンより速い」
「それに――」
「そいつの声が響いた時は、下にいる奴が無事で済むことはまずない」
CelesはじっとYilfenを見る。
「あなた……」
「本当に、戦場を経験した人みたいね」
Yilfenはすぐに否定した。
「いや」
「俺は一度も兵士になったことはない」
「ただ、自分に合う仕事を探していた普通の人間だった」
「そして……何かに引き込まれて、この世界へ来た」
「その話は長い」
「今は……話せない」
Yilfenは焚き火を見る。
その隣では、鉄製のスープ鍋がぐつぐつと煮えている。
Celesは再びT-34へ目を向ける。
「じゃあ……」
「この機械は?」
Yilfenは少し考えてから答えた。
「これは……」
「一世紀前の機械だ」
「俺が生き残るために使っている道具」
「俺にとっては、戦争から来たもの」
「そして――」
「今この世界で選べるものの中では、最高の選択肢だ」
「そう……」
Celesは少し考えた。
そして微笑みながら言った。
「なら、この場所の長老みたいなものね」
「過去を覚えていて、その知識や経験を次の世代へ伝える存在」
そう言いながら、石板の上で焼いている肉をひっくり返す。
その下では、古い木片が赤く熾っている。
「それが何に似ているかって?」
Yilfenが少し笑う。
「俺なら――」
「『鋼鉄のゴキブリ』って呼ぶかな」
「……え?」
Celesが目を丸くする。
「ゴキブリ?」
「家中の人間を恐怖させる、あの虫のこと?」
「その名前、冗談じゃない」
YilfenはT-34へ目を向けた。
「俺の世界では、こういう機械たちは最も激しい戦争を経験してきた」
「速いわけじゃない」
「強大なわけでもない」
「でも――」
「とにかく、倒しにくい」
CelesはYilfenの話を聞きながら、静かに笑った。
いや――
今の彼女は、もうYilfenを「あなた」と呼ぶだけでは足りない気がしていた。
初めての旅。
この世界へ来てから続いた長い時間の中で――
彼女は初めて、本当の意味で笑った。
その笑顔は、どこか寂しい。
それでも――
それは同じ結末へ抗おうとする者同士の笑顔だった。
Edhenを呑み込んだ、破壊の光。
その結末へ。
二人は、わずかながら抵抗し続けている。
夜が訪れる。
休む時間だ。
月は薄い雲の向こうへ隠れ、淡い光だけが地上へ落ちていた。
Yilfenは星空を見上げる。
そして、ゆっくりとT-34の中へ戻った。
操縦席へ座る。
先ほど受け取ったペンダントを手に取り、静かに眺める。
一方、Celesはすでに簡易テントを張っていた。
T-34の近くに、簡単な寝床も用意している。
Yilfenは、ペンダントを見つめながら呟く。
「俺を追っている奴……」
「お前の名前は『E』なんだろ?」
「少なくとも、覚えておけ」
「お前が追っているのは――」
「この世界のものではない人間が操る、鋼鉄のゴキブリだ」
「次に会う時――」
「もう、お前が狩る側だとは限らない」
それは――
Yilfenが初めて口にした、押し込めていた言葉だった。
模擬戦の世界でも。
そして今、現実の世界でも。
一人のプレイヤーとして――
彼はもう、自分の敵に何度も脅かされるつもりはなかった。
ただし、今の段階ではまだ観察が必要だった。
敵がどれほどの力を持っているのか。
どのような手段で追跡してくるのか。
それを知った上で、次の計画を決めなければならない。
そうでなければ――
またBR差の大きい戦いへ引きずり込まれる。
それは、Yilfenにとってあまりにも大きな不利だった。
星空は静かに回り続ける。
追跡劇は、一時停止した。
だが――
次に待っているのは。
空と空の上で繰り広げられる、新たな戦いだった。
________________________________________
この世界へ来て、7か月と20日。
第13章・完
暫定記録
通貨:14ゴールド 250シルバー
車両:1942年型T-34
76mm:
BR-350A(MD-5 fuze):30/100
OF-350M:12/100
D-350A:13/100
無料燃料:230km
SL:643,700 | 累計XP:2,250 | 現在SP:0
GE:?
GJN:?
War Thunderバージョン:10/2020
Backup:2*
――BTR-152A(Anti-Air)
――All vehicles
【Rank III航空機・全車両共通 Backup×1】
________________________________________
※Velindiaにおける距離単位:
1マイル=1.1km
あとがき
次回予告:次の章
新たな人物が登場する。
勝利の日を迎える前に、この世界へ転移してきた――東部戦線出身の元兵士。
そして待ち受けるのは、
百年という世代を隔てた二人の人間の邂逅!
さらに――
空を駆ける追跡劇。
そして、Grenmark郊外を舞台にした、生死を賭けた戦い。
相対する二人の勢力。
そして――
二つの陣営の二つの機械が激突する。
――Do not Hurry――
次回:第14章
2026年9月29日予定




