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侯爵子息の結婚までの道のり  作者: 真守祐子
幸せな新婚生活までの道のり
23/24

023 離宮の休日③

「お時間を頂戴しありがとうございます」


 学院の研究者、ハルタスは伯爵子息を連れてカリスを訪ねてくると、深々と頭を下げて礼を述べた。


 離宮はすでに夜を迎えた。


 日のあるうちに、学舎からの一行と学院の者たちの手により、必要な観察記録も取られ、木枯らし病の処置も終わった。明日の作業の確認も終わり、今は身分にあわせて割り当てられた部屋へと入りそれぞれ休んでいた。

 明日は、この件に関する記録や今後の経過観察などを学舎学院の双方で研究できるようにするための計画を整えることになっている。二校による共同研究ということだ。


 学舎の専門家の知見を得られるという、学院側にももちろん益のあることとはいえ、はじめにこちらを招いてくれたハルタスの好意あってこそのことだ。


「……こちらこそ、ハルタス殿の好意を受けた。学長もとても有り難いと感謝している。わたしからも礼を言う」


 ここでカリスが駆け引きをしなかったことにハルタスは一瞬意外そうな顔を見せたが、すぐに納得の表情に変わった。

 武のサイロウの精神は複雑にみえて単純だ。好意には好意を、悪意や敵意にはすべからく。それなりに知られたことなので、それを思い出したのだろう。


 こうしてみるとハルタスは感情が表に出やすいようだ。すでにいくつもの成果を上げた、学院を代表する学者の一人だが、政治力に長けた類いの学者ではないので、一般に名前が知れ渡っているという人物ではない。研究を尊ぶ学者らしい学者、それがサイロウでのハルタスに対する評価だ。そんな人物だからこそ、カリスの目にも留まったし、学舎に欲しい人材だと話しに(のぼ)ったこともあった。だが、神教との繋がりの深い人物であるため、話しが出ただけに終わっていた。


「ハルタス殿がこのような件に関わるのは珍しいな」


 カリスが言うのにハルタスは苦笑を浮かべた。後ろの伯爵子息が決まり悪げにしている。この助手に引きずられてのことのようだが、その割に、場を設けるのには積極的なように思えた。

 テルトは黙ったまま、その場のすべてを注意深く見つめていた。サハルとも情報を共有するため、テルトも立ち会っていた。


「昼間にも申し上げましたが、どうか弁明の機会を頂戴したく」


 ハルタスの話によると、やはり(くだん)の伯爵令嬢から始まったようだ。


 令嬢は、学院へと逃げ込んだものの、徐々に精神的に追い詰められていったらしい。学院には令嬢の弟もすでに在籍し学んでいたが、令嬢の支えにはなれなかったそうだ。弟である子息はそれを恥じている。

 領地から離れていても、噂から逃げられるものではない。逆に離れているために、領民たちの冷たい反応に弁解もできず、色々なものを溜め込んでいった令嬢は、ある日とうとう爆発した。自分でカリスのもとに乗り込んでいき、話をつけてくると言い出したらしい。

 見事な逆切れだ。だいたい、カリスが何かをしたかといえばそうではない。サイロウは鎮めることもしていないが煽ることもしていない。そのサイロウに事を収めるよう頼むということは、自分たちのために働いてくれということで、さらに相手を煩わせるなど、許しを請う立場の者のすることではない。


「なんとまあ……」


 テルトが思わずといったように呟く。ものの道理を弁える前の子どもなのだろう。年齢としてはサイアよりも上なのだが、精神的には比べようもないほどに未熟だ。


「そのことはすぐに伯爵閣下に知らされました」


 そして当然伯爵は、すぐに娘を制止した。サイロウ侯爵家から直接報復を受けているわけでもなく、それどころか十分抑制の効いた対応をしてもらっている。だから娘を勘当せずにすんでいるのだ。それをきちんと理解して、しばらくの間は頭を低くして控え目にしていることこそが一番の良策であり、動けば動くほどより噂を助長することになり、かえって裏目に出るだろうと、道理を説いて聞かせた。


 それでも納得しない娘に見張りをつけて、なんとか抑えにかかっていたが、今回のことを聞きつけて、令嬢は一行のなかに潜り込もうとした。


「では、ハルタス殿は、それとは関わりなく学舎に声をかけてくれたのか……」

「はい。これからは離れて競うよりも、協力し合う距離感で切磋琢磨するほうが、学問の進歩に寄与することができると私は考えております」


 サイロウとの関係が近づいている今、学院の側からも手を伸ばすべきだと、これは良い機会だとハルタスは考えたそうだ。学院のなかにそのような考えを持つ者がいて、なおかつ、その考えを実行に移すことができる立場の者であるということに、嬉しい驚きを受けた。これからの学問の進歩に、大いに期待できる時代が来たようだ。

 よき競争はいがみ合いからは生まれない。


 それなのに、騒動のもとになる令嬢を連れてきては台無しだ。


 すぐに伯爵に連絡し、諫めてもらう。だが、今度は子息のほうが名乗りをあげてきた。姉が騒ぐのを制止し、必要に応じて家に連絡を取ってきた子息だ。それにもともと、ハルタスの研究室での活動に参加することもある学生だった。

 だがそれでも、はじめはこちらも断ろうとハルタスは考えていたが、色々話すうちに絆されたようだった。彼の話を聞いてもらえないかというハルタスの頼みに、頷くことで許可を出す。


「お時間をいただきありがとうございます」


 少年らしい高い声だが、落ち着きはある。昼間反論してきたのは若さからくる愚かしさだったのだろう。諫められたら理解するだけの賢さは持ち合わせている。

 総じて、子どもらしいまっすぐな愚直さはあれど、逆に子どもらしい素直な吸収力もある、教育し甲斐のある少年という印象を持つ。こういう子どもは成長に力を貸してやりたくなる者も多いかもしれない。

 そこがハルタスが絆された理由だろう。


「さて、わたしになにを言いたいのかな。恨み言でも言ってみるか?」

「いいえ、そのようなことは申しません。僕自身はカリス様に、そしてサイロウ侯爵家に恨みなど持ってはおりません。当家こそ、お詫びしなければならない立場だと理解しております」

「そうなのか?」

「はい。姉も冷静に考えれば理解するはずです」

「なかなかそのようには見えない態度だがな」

「……やはり、把握していらっしゃるのですね」


 どうやら子息は、サイロウが自分たちの情報を得ているだろうと予測していたらしい。


「姉のことは当家で必ず抑えます。王家からもよく言われておりますし、カリス様にご迷惑をおかけすることは絶対にありません。こちらが対処することを、どうかお許しください」


 そして、姉の件でサイロウにさらに迷惑をかけるような真似は絶対にしないと誓いたいらしい。姉にせっつかれて来たように姉には思わせておくことでおとなしくさせ、カリスには動かないよう頼み込む。


「それはかまわない。こちらとしては、これからも積極的にそちらに関わるつもりはない。ただ、見過ごせない状況になったら話しは変わってくる」


 そうさせないように誓えるのか確認する。


「もちろん、そのようなことには絶対にさせません」


 ほっとしたような顔をしている子息の心の隙に切り込む呼吸で声をかけた。


「サイアはとても元気だ。張り切って侯爵家のことを学んでいる」


 子息はまるで殴られたかのようにびくっとして、次の瞬間、それを表に出したことを恥じるかのように目を伏せた。


「……このことも知っていらっしゃったのですね……」


 今回のことは、姉のことももちろん本気だろうが、恋敵を見にきたというのに尽きるのだろう。カリスはすでにサイアと婚姻を結んでいるのだから、今更ではあるが、人の想いというものは言うほど簡単に割り切れるものではない。

 彼とサイアは、カリスとサイアよりもずっと、年の頃はちょうどよい。学舎と学院で、昔から交流がないわけではなかったので、どこかで知り合う機会もあったのだろう。


「わたしからサイアを奪うと宣言しに来たのかな」

「いいえ。もとからそのようなつもりはありませんでした。サイア様が幸せであることが何より肝心なことです。それに……」


 子息は苦い笑みを浮かべた。


「叶わない想いだと知ってはいましたが、今日一日カリス様を近くで拝見して、より、敵わないと実感致しました」


 それでも、苦さのなかに納得の気配がある。


「研究者たちに対する態度、伯母上への思いやり、物事に対する真摯な対応、無駄のない物事の進め方……」


 ひとつひとつ自分に言い聞かせるようだ。


「サイア様の想い人がカリス様でよかったです」


 最後にもう一度重ねて言う。


「今後の自分のために、貴方のようなよい男になれるよう頑張ります」

「それではわたしは、これからも君よりもよい男でいるとしよう」


 にっこり笑って宣言する。子息も笑みを返してきた。


「僕も頑張ります。……ありがとうございます。僕のような若輩者にも真摯に相手をしてくださって。貴方のような大人になれるよう励みます。改めて名乗ります。僕はマルクと申します。次にお会いしたときにカリス様に僕の名前を呼んでいただけるだけの、優秀な人間に成長していたいと思います」


 見ていて欲しいとは申しません、ただ己で頑張るだけですと、そう言ってマルクは深く頭を下げた。ハルタスはそんなマルクを嬉しそうに見守っていた。そして二人は下がっていった。


 カリスはハルタスの要望に十分に応えられたようだ。今後もハルタスはサイロウ、そして学舎に対して好意的でいてくれるだろう。


「やっぱりカリスは人がいい」

「……そんなことはないさ」


 人がいいわけではないからこそ、サイアは連れてこなかったのだ。





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