再旅
遠景と近景の緑が、自分のいる次元を確かめさせてくれていた。私は進行方向の左側に座っていて、向かいからは太陽が見えた。その視線に恥じ入った窓は黄色くなって失神し、したがって私が見る光も若干弱々しいものとなっていた。それにしたって強い光ではあったが。
景色のスクロールは感動を伴って行われた。陽光は万象の彩度を高め、日々を絵画のごときものとした。フレーム毎に目を見張る。ふんだんの輝きは惜しげもなく視野に飛び込んだ。鎖かたびらのような雲は、日の光線を遮るにはいささか力不足であった。太陽は遥かな遠くから、やすやすと北半球に光を与えることができた。あの恒星は主役に違いなかった。星も月も袖へとはけていき、スター(ステラだけど)の堂々たる登場に数十億の手が打たれた。流通通貨の最大額が、各国で風船にくくりつけられ飛ばされ、すべて成層圏のカラスに回収された。およそ十万の鳥の巣が十万ほど作られた。
腐りかけの街路樹が、売却地のブルーシートが、老朽した道路が、陽の光を受けきらきらと輝く。涙が出るほど美しい光景であったが、あいにく私は寝不足で、この涙が欠伸のためか心のためかは分からなかった。涙の色はいつも同じだった。味をみてみれば判明したかも知れないが、私にはペットボトル入りの水道水があったため、涙を啜る必要性を感じなかった。激して流す涙は塩辛いし、悲しくて流す涙はほろ苦い。欠伸の涙が一番美味かった。暇なときに流すくらいで十分なのだ。
ふと目についた。恒星に背を焼かれる病院の屋上で、誰かが手を振っている。見知らぬ人影だった。人でないかも知れなかった。しかし私も手を振り返した。良い気分だった。進行方向はまったく幸福に包まれていた。がたん、と車両が揺れた。規則正しい調子でそれは続いた。それに合わせて歌を歌ってみるくらい、私は上機嫌だった。
昨シーズンの錯視図は
咲く桜に錯乱し
気違いじみた気遣いの
気付けに茸と啄木鳥を
小鳥ことこと殊更煮れば
九日ここにはあらずと知りて
「あっ」そこまで歌って気がついた。
今日は祝日じゃないか。
いかがでしたか?
「不可」冷たい声は季節外れの山背のよう。
下に突き出す親指の二字熟語! 突きッ返される提出レポートの右上に赤く紅く朱くそれは刻まれていた。睨んでもなじっても滲まぬその二文字。油性か? 油性なら何とかなるかも。私は迅速に平坦な机を探索する旅へ出立し、脂汗と冷汗の三分後、目的を成就した。
実際には居なかったがもし居たならその蝿は間違いなく即死していただろうと思われる勢いでレポートを叩きつける。実在の蚊はその下敷きとなった。汗ばむ手を患部たる「不可」の部分にあて、後はこの世の摩擦が迷信でないことを祈る。一心に紙面上の指を上下させ、私をせせら笑っているかのような(あの書体は間違いなくそうだったと思う)文字が消える奇跡に僅かでも届かせようと努めた。息が切れる。肩が痛む。指は火を灯されたよう。それでも中断はできない。中止はできない。注視に堪えないこの二文字、B4に生を受けた赤インク、残酷だろうけれど、どうしても消えてなくなってもらわなければ。
あああ熱い。熱い。火。火が。指。指先。幻覚か。幻か。この文字。この文字めえええ。肩。肩が抜けたか。おおお骨が軋む。ぎしぎし。ぎしぎしと。油さす水差しはどこにある。血。指から覗くのは。だけど。赤い。赤。あれはインクか。じゃ、失血。私かペン。どちらが先か。ううう。死んでしまいそうだ!
全身の筋肉がこわばり超過労働に抗議の声を上げていた。普段ならそろそろ終業のはずで、後は夢見心地のまま寝返りを打つだけで済んでいたからだ。悪いね。今日はもうちょっと働いてくれ。筋繊維を励まし、骨格を鼓舞し、生き死にを懸けた死闘を演じる舞台に立っていた。
成績をごまかすくらいで何を、と聞こえたのは読者の呆れ声。確かに私もそう思う。実際、かなりばかばかしい。こんな無益のことに体力を消耗するのは今すぐやめて、建売住宅に備えつきの天体で暴れまわったり、道路に石灰岩で地上絵を描いたり、店内対戦の火蓋を落としてスイカを投げつけたりしたほうがずっと楽しいし、ためになる気がするのだが。それでも止めることができないのだ。人生においてこのような局面がいくつか存在していることは皆さんもおわかりだろう。どんなにくだらないことであろうと、その局面、その魔力が及ぶ時空間にいったん突入してしまえば、決してそこからもう逃れられない。人目も時間も富も外聞も世間体も明日も未来も昨日も気にせず、与えられた役をこなさなくてはならない。あー、ヒト科の宿命とはまさにこれだった。不可思議な現象は流れ行く人生のカワイルカに気づくことから始まり、あまたの学者たちはそれを究明することに人生と毛髪とを費やしていた(そのふたつで言えば、もちろん価値があるのは毛髪)。そして八割形禿げ上がってきたころ、ようやく彼らは真理を得るのだ――「こんな研究に、どうして長針はまわりだす!」
びよんびよん伸びてく人生の縄。入れ入れと囃し立て、私を急かすガキの声! 待て、待ってくれ。私は大縄跳びが作文と同じくらい苦手だったのだ(ようやく活きた過去話の設定)。欠陥システムの八の字飛び。ああ! 引っかかったのは私だったとも! うるせえ馬鹿。義務教育数年目の試練として私の鼻先眼前へとそびえ立ち、くぐろうと思ったら足元にぴんと張られたゴムに絡まり転倒。うう。痛た。わっ。血。学校で血を流す初めての日! 破瓜の痛みの百分の一でも知れただろうか? 貞操の在り処は膝小僧! あの緑色の艶やかな苔色の体操着が守り通したかったのは。緩やかに時流すせせらぎの岸辺の岩の端くれの緑。ちょっと触ってみると(もちろん浮き雲のふわふわを期待していたさ!)湿ってぐちゃりとこびりつく。先天的な知恵により、指先があまり良くない状態に陥ったことを知った幼児期の私! ぶんぶん手を指を腕を振り回し、既に爪先を侵しつつあったこのモスグリーンがどこかへ吹っ飛び消え去ること望んでた。加速度を増して空気を切り裂く我が腕はもう我が腕にあらず。別個の生物のごとく世界を味わわんと蠢いている。まとわりつく冷気すら(そのときは十月)おびえ、かしづき、忠誠を誓う。私は統べられた冬将軍に目を見張り、ただ当時の胸の内を占めていた切迫性をたんと持つ願いを涙声で一つ呟いた。
「この苔こそげ」
ただちに執行。万事は解決。残った問題はこの文章のごたごた。どうしてくれよう。
手遅れのストーリィは伸ばし棒を小文字に置き換える気取りを見せた。そういう実に細かい部分ばっかりを気にするのは木を見て森を見ずとか、砂を見て砂丘を見ずとか、アルデンテを見てパセリを見ずとか、そういう金言によって指摘される軽挙である。だからと言って私がそれをDDTのごとく使用中止するわけではない(これを書いている場所においては)。まとまった話には始まりと終わりがつきもので、そのニ点を稲妻のように結ぶ純正インクの太線も必須。そしてその三点セットは私の脳の絞りかすでは到底払うことの出来ぬほど高いもので、それでも求めようとすれば時間とか体力とかを消費しなければならない。で、私はそれが嫌なのだ。できれば楽をしていたい。楽をするために生きているのだ。普段の交通手段としてはスキップを採用している。国道には時たま沼沢地が顔を見せ、親戚を十人呼んで年玉をせびるのだ。そういう時が最大の困窮場面。だいたい右奥にあるレンズが何かを狙って私の顔にシャッターを切る。しかしあまり格好の良くないシーンだから、フィルムからはカットしてほしい。鋏なら右から二番目の机の下から三番目の抽斗!
ふふん。もう何も思いつかないぞ。頭はおおむね空っぽだ。起死回生を目指し見苦しき言い訳を展開する。滑らかにタイプされるのは普段考えているようなことばかり。それはきわめて凡庸な段落からなり、聞く者を例外なく夢へ送り出す。そんなにつまらないものしかもう私には残されていないのだ。
どうか私が、何か立派なもの、芸術的なものを目指しているとは思わないでいただきたい。ま、もちろん誰も思ってないとは思うが(重版出来の免罪符)。念のため。この言葉が私は好きだ。突飛な腹痛に備えて、都内の公共トイレをすべて確認しておくような、並大抵でない心配性がにじみ出ているようではないか(ここ含む三つの句点を授けられた文章は飛ばせ)。それはそれとして、ただ私はこれを思いつくまま適当に書いているのみである。当初の目的は忘れていない。それがなければたちまちにして段落は溶け文節は漂い始めるだろう。十万。充満する文字。その域に入る時、一体何が起るのか、それを知りたいがため、ただそれだけのためにあるのだ。記憶が正しければこれは十回目の確認になるだろう。十回も目標を説明する小説があるだろうか。たぶんあるな。でも文字数という比較的記憶しやすいものを掲げているのなら、十回も説明する必要は多分いや絶対ないだろう。それでも以前の文章に遡って修正する気になれないのは、もしそれをしてしまうとただでさえ遠いゴールがさらに遠のいてしまうからである。その宣言により、これはたちまちにして堆肥の山という称号を授かるところとなるのだ。めでたいね。夜食の鯛が海で跳ねる音すら聞こえた。
それにしたって怠けすぎかもしれない。読む者に対して残像を生じせしめるほどの速度で手を振っているに等しい。バイバイ(バイバイ)。カワセミも裸足で逃げ出すその速度が分かるか? 残念ながらスピードメーターは体に取り付けられないのだ。人体に車検はないが健康診断がある。引っかかるとすってんころりん。膝小僧に血を見出せば、ほらもうそこは彼岸。辞書の挿絵が咲き誇る。たいていイラストの花写真。たまさかに発生するミスプリント。黄金の彼岸花がそこにあり。買取業者垂涎の的。そしてまたワン・パターンで幕閉じるこの話。バイバイ(バイバイ)。




