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とても現実  作者: 皿日八目
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「虫さん虫さん。どうして私の名を呼ぶの」

「ちょっと手を貸してほしいのです」

「それはいいけどさ、その前に一つ、お願いを聞いてくれないかな」

「どんなお願いですか」

「手、洗ってくれない?」

「ははあ。病原菌の媒介を?」

「うん。警戒しているのさ」 

「でも、たいていの虫に石鹸はきついのですよ」

「へえ。そうなんだ……ごめん。じゃあ手は貸せないや」

「ごめんなさい。お手を煩わせてしまって。時間を浪費させてしまって」

「いいよいいよ。実のところはね」私は笑って言った。

「こっちが君の時間を無駄にしたんだ」


 玄関の戸を閉じ再びディスプレイの前に座る。先程の出来事を思い返してみた。ははあ、白昼夢だな? それともまた作り話なのか。どっちだろう。私にとってその二つと現実との区別は、とっくに意味を成さなくなってしまった。しかし十万文字を達成するのだ。くよくよしてはいられない。落ち込んだ心に鞭を打てるのは自分自身のみなのだ。万列縦隊、整列せよシナプス。論理的思考に回帰するのだ――しかしこれも作り話かも。客人よ、何も信じることなかれ。


 話題。話題。話題よ降れ。降って湧け。題材もくれ。素材を拾え。それがなけりゃ一文字だって書き進められないのだ。一般的に、無から有を生み出すことはできないとされていて、実際できない。それはもちろん文章においても適用される法則なのだ。だってほら客人、あんたはこの文章は上から下に向って読んでんでしょ? 地球上に文章がある限り、重力の鎖を断ち切ることは叶わないのだ(切ったところで、ふわふわ浮遊する文章を誰が読む?)。それに無理矢理やってみたとして、誰も喜ぶ者はいないだろうし。下から上に読み進める? はっ。そこまで暇じゃないのでね。見た目にそぐわず。


 自分が憧れる文体を想う。ああ恋慕に似た感情。おしたいもうす……なんてくらい古風でもないけれど。あれはすごい。あれは壮絶。あれは超越。こちらの語彙まで吸い取ってしまうほど壮麗。美麗。絢爛。さらに窮理のあかしとして、俗語も軽口もお手の物。ゲキすごい! 辞書を掌握した上で、脈打つ現代語まで手篭めにしてしまう(一体どんな口説き文句を弄したのだろう?)。願わくば会話を演じてみたいものだ。演じるというのは、素のままではとうてい同じ領域に入れもしないだろうから、一時的に弁士の役を借りることを指す。それでも舌がぐるりと一回転して、牛タン味のロールアイスになってしまうかも。それは軽減税率対応済みなのだ。立てば十%座れば八%、歩いて食うなら条例違反。さあ走れ! 走って食え! 夜気に腹を冷やされる前に!


 上の段落がかなり上手くまとまった(この世でそれを感じたのが私一人だとしても、その気持を大切にして生きたい)ので、満足気に私は立ち上がった。当然どこかに行くことを期待するがしかし、まったく驚くべきことに、こいつはまた座った。ええ。何がしたいんだ? こういうことから推察するに、もうちょっと自分のしたいことが的確に認知できるなら、人類はさらなる発展を遂げられるかも知れない。行く先は宇宙の星々だ。夜の帳に点点と開いたその光。憧憬の眼差しを向ける者数知れず。もちろん私もその列に加わる(現在の待ち時間は三年)。私のとこの市長は暗闇にトラウマがあるらしく、冬の夜すらサディスティックに照らし出す。あの清楚な冬の娘を。頬を赤らめた彼女を見たか? 見てないだろう、吹雪にヒト科を見出す日は来ず。その第六感を鍛える手段として、私は家の清掃を提案したい。およそ屋根のあるところすべてに埃は積もるもので、それをあの大寒波に見立てようというわけだ。氷点下に足りない分は化学で賄え。剣を吊るしておくのが友好だ(有効ではないので悪しからず)。冷汗が真の姿を見せる時。第六感たる霊感は冷汗がもたらしたものだった。ここまで続けておきながら申し訳ないが、この話題はよくわからない。もうちょっと卑近なそれに接近することを試みたい。その成果を欲するなら次の段落へ。

 

 人間の脳はニンジン二本分くらいの大きさで(個人差はない)、ピーマンの内側ほどの空洞がある。それ自体は悪いことではないと思う。空洞があればその分有用な三面記事を詰め込めるからだ(古紙扱い)。しかし私の場合、空洞が空洞のままであった。「何もない」が「ある」ではないか、と考える学派の方もいるだろうが、私はそんなもの知らないのでやっぱり何もない。注入は何度も試そうとした。しかしこの脳はまさしくザルで、有用なものはすべて排水溝に流してしまうのだった。けれどその分、私の頭は非常に軽い。偏頭痛に悩む人の多さを見ると、これは恵まれた性質だと言えよう。事物の覚えは悪いが、まあ仕方ないだろう。呼吸の仕方さえ習得しておけば何とかなるものだ。


 人の体の構成物を尋ねてみると、筋肉、骨、脂肪、水、夢(?)、などの回答が返ってくるだろう(実際には訊いていないので)。だがそれは全部間違いで、人体はただ空気によって構築されているのだ。だから理論上、八分息を止めれば体重がゼロになる。まあ誰もやらないだろうし、やったって死んでしまって痩せるどころではないし、じゃあ無意味な真実なのかと言うと、実はそうでもない。さあこれを知ったあなた。今すぐ体重計に躍り上がり、息を止めてデジタルの数字を見るのだ。そこには爆発的な下降を見せる体重が……あるといいですね。


 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 失礼、ちょっと文字を稼がせてもらった。もう二度とやらないので斧にかけたその手は収納してほしい。十万を志すに手段は選ばぬと言えど、流石に無粋と呼ばれるであろう禁じ手は心得ているつもりだ。もうしません。


 ここで正直に胸の内を吐き出すなら(口から出るのは臓器。そして私以上にわかっているのは読者だろうが……)、ここまでの流れはあまりよろしくない。あまりにも意味不明だ。しかもただの意味不明ならまだしも、洗練されていない意味不明なのだ。これ以上に見苦しく、理解不能で、目を背けたくなるものは(朝のプラットフォームに散らばっているやつを除けば)そんなにないだろうと思われる。まったくひどい。常識を最後に確認したのは何日前だ? 正気と最後に話したのは何ヶ月前か? 良識を最後に見かけたのは何年前? 行方不明者のリストに加えよ。懸賞金は三角定規。冬にかけての必需品。木枯らしと憂鬱の角度を測るに有用。人生の五六問目に対する唯一の解答手段。配点は三。飛ばせ。あ、名前だけはちゃんと書いておくように。それを書かずに落第した者を、私は一人ならず知っているから。


 あー、ほら。また不明の文章。一体何を目的にしているのかと言ったら、そりゃこの行を埋めるため。他に何の意義があろうか。意味は無い。これ周知の事実として大西洋に流布。ふふふ。明日の味噌汁も麩。ここ五十年それが続いている。


「そろそろ他のタネが食べたい。私の身長が縮むから」五尺の差を物ともせず張り上げた声の主は私。

「すべて畑に蒔いてしまったの。例文の例となるために」答えたのは長身の我が母。彼女の父親はオリンポス山であり、母親はマリアナ海溝である。名は山高海深(父親が山なのにね!)。

「でもあれは読み飛ばされてしまうものだよ。鼻をかむ意地悪さんもいるかも」

「そうね。でも伸びた基準法をつたっていけば雲の国にいけるのよ」

「それって新宿?」

「いいえ南極よ」

 実在したか疑わしき会話。思い違いだろうか。いや、本当は思い過ごしなのかもしれない。基準線を引いたのはもう千年前だから、あのチョーク粉は吹き散らされてしまったんだ。検証可能な記事とてないが。


 しかし私の母の身長が高かったのは本当だと思う。おかげで彼女は一回も電車に乗れなかった。それでスペインに行くことができなかったのだ。その話をする度、悲しそうな、寂しそうな笑みを浮かべて、今はリニアモーターカーがあるからね、なんてわけのわからないことを呟くのだった。


 でもやはりその会話もおかしい。電車でスペインには行けないし、電車に乗れないならリニアモーターカーにも乗れないだろう。彼女は身長が高かったのではなく、乗り物酔いをしやすかったのかもしれない。そう考えたほうが辻褄が合う。そう言えば薬剤耐性が強く、酔い止めすら効かなかったエピソードもあった気がする。じゃあいつも飲んでいたあの錠剤は? ……知らないほうが良さそうだ。


 またまたまた! 変な方向(大体南)に話が進んでしまった。軸が、軸がないのだ文章に。十万文字が唯一の目的として月のように昇っていて、そこに辿り着けるなら歩いてもいいしタクシーでもハイヤーでも鈍行でも快速でも新聞紙でもいいよ(ロケットはダメ)、なあんて、まとまる方が不自然だ。これから先もこんなスタイルを貫く(何に?)しかないだろう。物語を作る気はないのだ。それを作るのには非常な労力がかかり、今私の財布にそれはハチドリの涙ほども入っていないので、無秩序を承知でこれを続ける。


 ところで、労力とはどこで稼げるものなのだろう。いくら求人のフリーペーパーを大量に誘拐してめくってみたって(ここらへんの表現がR15の理由)、どこの雇用主も円でしか支払ってくれない。ひどい。ま、やむなし。それに私の労力は、私が発行した通貨でしか買えないのだ。単位は特に決めていないから、決めたい者が勝手に決めれば良い。募集はしていません。係もありません。不可解な葉書を投入して、ポストの満腹中枢を刺激しないように。もうじき吐くぜあれ。


 なんてところで目が覚めた。三十回鳴ったかもしれない目覚まし時計はもうかんかん。照りつける太陽もかんかん。ああそうか。

 もう夏だ。カンカン(閉幕を告げる鐘の音)。



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