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とても現実  作者: 皿日八目
23/24

模範囚

 いくつもの朝が過ぎ、いくつもの昼が通り、いくつもの夜が来た。それでも彼らが丘の頂上を見ることはなかった。丘はそれほどに大きかったのだ。

「飽きた」唐突に、彼が言った。「飽きた。飽きた」

「ええい。わかっておるわ」ブロッコリーがどなった。「愚痴を言うでない。彼女を見よ。不平ひとつ漏らさぬではないか……」

「……」たしかに、彼女はなにも言わなかった。それを見て、彼は自分の行動を少々恥じた。

「ごめんよ。大変なのはきみたちもおんなじなのに……」

「……」

 彼女はなにも言わなかった。会話をする気も起きぬほど、彼女は登丘に飽きていたのだ。


 いったいあとどれほど登ればいいのだろう。ほんとうに到着するときは来るのだろうか。こんなことをする意味はあるのか。そもそも、なんでこんな星くんだりまで飛んできたのだろうか。

 彼らの胸中を占めるのはこんな思考ばっかりだった。おかげで口数は減っていき、無駄話ができなくなったため、なおさら進軍速度は遅延した。彼らがその原理をちゃんと頭に入れておかなかったのは悲劇だったが、責めることはできないだろう。先述したように、無駄話の真価に気づいているものは、地球にだれひとりとしてなかったのである。


 とはいえ、頂上のない丘もそうそうないのだ。


「おっ――」彼は思わず声を出したが、すぐに口を閉じた。ぬか喜びはもうごめんだった。だからもう少し黙って歩行し、疑惑が確信へ華麗に变化したとき、改めて、「おっ!」

「頂上すね」彼女は長い息を吐いた。「やっとこさのゴール」

「おまえたち、よくやった」ブロッコリーも褒め称えた。「辛い道のりだったな」

「あ、わかりますか?」彼はつぶやいた。「バッグの中にずっといても?」

「なにか言ったか?」

「いいえなにも」


 終わりはあっけなく訪れた。とくに道のりに変わりもなく、またあの無限のような丘が連なっているのかと思いきや、そこにはもうなにもなかったのだ。ただひとつ、粗末な小屋を除いては。

 それの屋根はくすんだ色の木でできており、壁は腐った木でできており、柱はぼろぼろの木でできていた。それらの意見をまとめると、「粗末」という形容詞がぴったりだった。

 彼らは丘の無数の盛り上がり、その頂点に建てられたこれに近づいた。

「不動産のひとが言ってた一軒家」彼はつぶやく。「これがそれかな?」

「絶対そうだよ」と彼女。

「でもそうでなかったら?」

「そのときはそのとき」彼女はきっぱりと言った。「あの男を殺しても捕まらないで済む方法を考えましょ」


 例にもれず、貧相な木造であるドアの前に立った。彼がポケットを探ると、鍵はちゃんとそこにあった。鍵穴にあてがうと、あっさりと一致した。全員が息を呑む。ゆっくりと鍵をまわす。なんの手応えも彼は感じなかったが、ヘ短調の解錠音がうつろに丘にひびいた。そこまでしたところで、この小屋に主がいる可能性に思い当たった。自分が家にいて、いきなり玄関から鍵の開く音が聞こえたときを想像してみた。彼はノックをしたほうがいいんじゃないかと思った。


「あのー、すみません」ノックは三回。返事はなし。「あっ。じゃあ入ってもいいですね」

 彼は扉を開いた。

 ちなみに、外開きだった。

 それより重大かもしれない事実としては、小屋のなかに男がひとりいたことが挙げられるだろうか。しかし内開きと外開きの違いは、ときとして生死をわける天秤となり得るのだ。その観点から言って、この小屋の玄関にはまった扉が外開きだったという事実を言っておくことは、決して余計な情報ではなかったはずだ。

 ところで、べつにこの物語では外開きと内開きがだれかの生死をわけるといったことはないので、まあ、けっきょくのところ、無駄話である。


「これはめずらしい」男はいきなり自分の家の鍵を開けて入ってきた彼らを見ても、咎める言葉ひとつ言わなかった。「何年ぶりの客だろうか」

「たぶん十年ってところじゃないですかね」彼が答えた。「それくらいがちょうどよいですよ」

「では、そういうことにしておこう。よく来た、十年ぶりの客人よ!」

 男は彼らに暖炉の側のいすをすすめた。しかし彼が腰掛けたとたん、すでに虫の息であったぐずぐずの木のいすは崩壊し、尻もちをつかせた。

「あー。しまった」男は申し訳なさそうに言った。「この家ではなににも座っちゃいけないと、最初に忠告しておくべきだったな」

「気にしないでください」彼は手をふった。「ここに来るまでは、尻もちすらつけなかったんです」


 男は名を訊いても答えなかった。というより、答えられないようだった。自分の名前を忘れていたのだ。

「けれど、わたしはちっとも気にしていないよ」男は笑った。「自分の名前より大事で、忘れてはならないことはいくらでもあるからね」

「たとえばどんな?」彼女が尋ねた。

「たとえば……ああ」男はうつむいて考えた。そのまま十分(時間の進み方はどの惑星だろうが同じだ。よってこの星にも即席麺が存在することは自明)ほどが経過し、やっと男はしゃべりだした。

「なんの質問だったかね?」

「ああ、いいです」彼女は笑って言った。「じつのところ、ぜんぜん重要でない質問だったのですよ」


 男はそういう男だったので、彼らはなんの答えも得られないだろうと思っていた。それでも念のため、彼はこんな質問をしてみた。

「あなたはここで何をしているんですか?」返答はまったく期待していなかった。

 しかし、宇宙ではよくあることだが、期待していない物事ほど実現する可能性は高いのだ。男は彼の質問に答えた。もう言ったように、彼らはまったく男が返答するなどとは期待していなかったから、予想を裏切られてあまりに驚愕し、彼など暖炉のなかに足を突っ込んで靴を焦がしてしまった。しかしそのおかげで、靴にいつの間にかひそんでいたゲアオエルチョウコガタサソリは焼け死に、彼は九死に一生を得たのである。期待と実現可能性の反比例が、このような奇跡をもたらしたのなら、もうちょっと多くの人々がこれについて研究してもよさそうなものだが、残念ながら地球の予算はそこまで潤沢ではないのだ。


「私は待っているのだ」男は語りだした。「遠い星からの客人が訪ねてくるのを」

「わたしたちのような?」彼が訊いた。

「ああ、そうだ。それが仕事なのだ」

「仕事?」

「割のいい仕事だよ。ただ家の中にいて、勝手に扉が開くのを待っていればいい」男の唇の端が曲がった。「それだけでいいんだ」

「……ええと」彼女はなんと言えばいいのかさっぱりわからなかったが、とにかくなにか言おうとした。「その仕事、終わっちゃったみたいですけど」


「いや、終わっていないぞ」男は言った。「鍵は銀河中にばら撒いてあるのだ」

「わたしたちのほかにもだれかが?」

「ああ、そうだ。きみたちでもう何万人目か……」

「その仕事」彼は訊いた。「なんの意味があるんですかね?」

「さあね」男の返答はだれしもがだいたい予想していたものであった。「忘れた」


 彼らはひどく落胆した。きっとここまで来たことには意味が、意義があるはずだと思っていたのに。いたのはわけのわからぬ職業に従事する男がひとり。彼と知り合ったこと以外、なにひとつ得られたものはなかった。授かる知恵もなかった。あの幾重にも重なった丘を、ひたすらに登り続けた、その疲労の蓄積と四肢の痛みとには、なんの意味も与えられなかったのだ。


「誕生日がいきなりなくなったみたい」彼はため息まじりに言った。「そういう落胆」

「はあー」ブロッコリーもさすがに意気消沈。色がだいぶまずそうになっている。「ま、わたしはバッグの中にいただけだがな」

「か、帰、帰ろう」彼女はもうドアを開けて出ていこうとしていた。どもるのはただただ徒労のためである。

「宇宙、星、星、惑星、便座」彼はもう一度息を吐いた。

「大きい、あまりにも大きな道」


 こうして彼らは地球へと帰っていった。求めるものは得られず、というか、そもそもなにを求めていたのかもわからず、ただあやふやな期待に突き動かされ、平凡な太陽が昇ることを望み、星界を真っ二つに横切った。

 しかし、本当になにも得られなかったのだろうか?

 

 他国へ旅行に出かけるとき、船だろうが飛行機だろうが、必ず検閲を受けなければならないはずだ。「お前の故郷の黴菌を、こっちには持ち込まないでくれ」というような物腰で。これは当然、星間旅行でも行われている。でないとせっかく絶滅した天然痘が、また地球で流行りだすというような悲劇が起こらないとも限らない。宇宙はどうしようもなく広いため、地球のそれとうりふたつの生命体が、どこかの辺境の星で発生して()()()確率も、どうしようもなく低いのだ。


 こういう話をし始めたということは、これが今後の展開となにかしらの関わりを持っているのだろうと、きっとだれしもが期待してくれるだろうが、じっさいその通りである。

 宇宙の彼方へ防護ヘルメットひとつまとわず降り立った彼らは、現地である菌に感染した。地球にある菌ですらすべては解明されていないのに、辺鄙な星の菌である。言うまでもなく、地球のだれもがその存在を知らなかった。しかし、地球にも生息している菌だった。


 この菌は、時そのものであった。


 なぜ日々は過ぎていくのか。モーニングコーヒーが冷めるのか。日めくりカレンダーは破られていくのか。五分遅れの電車に駆け込まなくてはならないのか。これらはすべて時間があることが原因で、その時間はこの菌に起因していた。

 時は、この菌がまとわりつくことによって発生する感冒である。

 このことはまだだれも知らないので、その感冒を治療する手段ももちろんなく、そういうわけで時はいつまでも進んでいく。


 そしてたいていのやまいがそうであるように、これもまた、放っておくといつか死に至る病なのである。なぜあんなにぴんぴんしていた人間が、数十年後には死んでしまうのか。昨日までは冷蔵庫にあったステーキ用の豚肉が、なぜ明日には消えて無くなってしまうのか……

 だれもこの菌の存在を知らない。


 けれども、悪いことばかりではない。時はなにもかも破壊していくけれど、たまには治しもするのだ。そのふたつにちょっかいをかけてくるからこそ、時は時でいられるのかもしれないが。

 そしていま地球で起っているごたごたも、ただ唯一、時のみがその収拾をつけることができるのだった。

 そういうわけで、彼らが地球にオフィス用カーペットで着陸し、それぞれの家に帰って寝床で目をつぶったころ、事態はなにもかも収束していた。

 彼らは夢でそれを知った。


 




 


 



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