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とても現実  作者: 皿日八目
24/24

 楽しい時間はあっという間に終わるが、楽しくない時間だってそれなりの時間が過ぎれば終わるのだ。喜べ、ついにこの駄作に幕を引くときが来た。そのことは地球に帰った彼も悟った。そしてようやく、自分の目的に気づいたのだった。そう。どんなににぶくたって、終わりのときには賢いもの。とうとう、彼は気づいた。だから電車に乗った。

 

  遠景と近景の緑が、彼のいる次元を確かめさせてくれていた。進行方向の左側に座っていて、向かいからは太陽が見えた。その視線に恥じ入った窓は黄色くなって失神し、したがって彼が見る光も若干弱々しいものとなっていた。それにしたって強い光ではあったが。


 景色のスクロールは感動を伴って行われた。陽光は万象の彩度を高め、日々を絵画のごときものとした。フレーム毎に目を見張る。ふんだんの輝きは惜しげもなく視野に飛び込んだ。鎖かたびらのような雲は、日の光線を遮るにはいささか力不足であった。太陽は遥かな遠くから、やすやすと北半球に光を与えることができた。あの恒星は主役に違いなかった。星も月も袖へとはけていき、スター(ステラだけど)の堂々たる登場に数十億の手が打たれた。流通通貨の最大額が、各国で風船にくくりつけられ飛ばされ、すべて成層圏のカラスに回収された。およそ十万の鳥の巣が十万ほど作られた。


 新しい街路樹が、アベニューの石畳が、新築の道路が、陽の光を受けきらきらと輝く。涙が出るほど美しい光景であったが、あいにく彼は寝不足で、この涙が欠伸のためか心のためかは分からなかった。涙の色はいつも同じだった。味をみてみれば判明したかもしれないが、彼にはペットボトル入りの水道水があったため、涙を啜る必要性を感じなかった。激して流す涙は塩辛いし、悲しくて流す涙はほろ苦い。欠伸の涙が一番だ。暇なときに流すくらいで十分なのだ。


 ふと彼は目をとめた。恒星に背を焼かれる病院の屋上で、誰かが手を振っている。見知らぬ人影だった。人でないかも知れなかった。しかし彼も手を振り返した。良い気分だった。進行方向はまったく幸福に包まれていた。がたん、と車両が揺れた。規則正しい調子でそれは続いた。それに合わせて歌を歌ってみるくらい、彼は上機嫌だった。


 変わらない日はないけれど

 変わりない火がここにあり

 変われないわたしに非を認め

 変わるときだと陽をかざし

 変わる問いにも答えはあらで


「あっ」そこまで歌って彼は気がついた。

 これ前もやったな。


 電車の行き先などたかが知れている。たいていは駅だ。彼は駅に降り立った。駅の側には川がある。この駅に限った話ではないが、しかしこの駅に限った話であるかもしれない。川が側にある駅はそれほど多くないだろう。

 川の両岸を守護するように、木や草が茂っていた。かき分けて彼は進む。目的地はその先にあった。なぜそこが目的地なのかと、彼は自分自身に問うてみたが、まったくわからなかった。しかし、足取りは確信に満ちていた。ここまで自信を持ってなにかを行ったことは、彼にとって初めての経験であった。根拠はない、しかし強固な衝動が、彼を突き動かしていた。


 緑を抜けると、川が目の前に広がった。水はきれいだった。ごみも捨てられていないように見えた。彼はうれしくなった。清潔な川など、近年はまったく見られなかった。こんなに近くにあったのに……

 彼はさらに川へ近づいた。靴が濡れたことが、かすかな水音でわかった。彼の靴はそれなりにぼろぼろだったが、水が染み込むほどではなかった。それでも、彼は足が冷えていく感触を得たと思った。それは決して不快なものではなかった。


 あたりを見まわした。彼を除いてはだれもいないようだった。ちなみにこの彼というのは、彼のことではない。彼とはべつの彼である。彼は彼がいる方向へ向かって歩いた。彼は彼には目もくれず、川を見ていた。やがて彼に気づいたが、おどろいたようすは見せなかった。彼は彼が来ることを知っていたようだ。

「彼彼って、ややこしいな」彼が――あとからここへ来た彼――先に口を開いた。「名前を教えていただけますか?」


「知ってるくせに」彼が――最初からここにいた彼――答えた。笑っていた。「代名詞はそこまで不便なものじゃないよ」

「それは知ってるけど。こんがらがらないかなあ」

「その言いまわしのほうがもっと複雑だね」

「そうかも」


 ふたりはしばらく黙って見つめ合った。ところで、川の岸辺というのはあまりよい足場とは言えない。やたらとでこぼこしている。そのため、ずっと立ち続けているとひどく疲労するのだ。ふたりとも、いまになってそれを強く実感していた。そういうわけで、どっちからともなく、ふたりは腰を下ろした。


「疲れたなあ」彼が言った。もうひとりもそれに同調して言った。「あー。疲れた」

「ずいぶんいろいろとやった気がするな」「ああ。わたしもそう思うよ」

「なんの意味があったんだろう?」「おいおい。気づいているくせに」

「へえ。そう思うの」「思うさ。だってこっちも気づいているから」

「でも間違っていたら?」「そもそも、始まりからして間違いだ」

「じゃ、やっぱりそのためだったんだね?」「そのためだったんだろうな」

「それなくしては」「ってことは知っていたんだろうな」

「多少は役立つ」「多少はためになる」

「少々無駄な」「けっこうクズ本」


「なあんだ」彼はため息をついた。「そんなことだったのか」

「その程度だと思うか?」彼が尋ねた。

「いや、まあ。うーん……ま、この程度だろうね」

「そう思うか」彼は笑った。「そうか、そうか」

「いい迷惑だとも思うけど」

「賠償金を請求してみるか」

「法律で罰せられないのかな?」

「なんだ、あれが法律」

「いやなひと」

「それは折り込み済み」


 彼は彼の話を聞き、自分の予想が間違っていないことを知った。彼は彼のことがよくわかったから、ひどく省略された会話でも理解は進んだ。そういうことだったのだ。彼は思う。そういうわけで、わたしは、あれや、あれを。ひどい目にあわされたこともあった。というか、ほとんどそうだった。意味のわからないことだと、意味のないことだとわかりきっていた。と、思っていた。意味のないことが意味のあることと、彼は彼に訊いて気づいた。けれど、それは先んじて頭にたびたび浮かんでいた。デジャブのようなもので、きっとフランス語が堪能な電話機からの伝言。そんなものはないから、つまり夢のような話だったのだろう。そうか、それも似たようなもの。


 まったく。最後となるとどんどんわけのわからない方向へ進んでいく。自己完結のために話が閉じていく。人々を置き去りにして。しかし、どうか怒らないでほしい。これはまったく、知らなくてもいいことだから。知らなくてもいいというのはつまり、どうでもいいということだ。まるで価値のない話であり、それは今に始まったことでもあるまい。

 繰り返された四千は、ただひとつの目的のためにあった。彼が彼に訊いて確信したのもそれだ。どうでもいい話の中身もそれ。というわけで、はっきりと六歳児向けの言葉として発信されることはないのだ。たいていの人にとって意味がない。関わりもない。そういうたぐいの戯言のゆえ。


「だよね」彼が言った。「わたしもそう思う」

「あれ? いまなんの話だったっけ?」彼が尋ねると、彼が答えた。「地下街のアスパラの話」

「あっ。そっか」


 挿話は総和を成すのかと、行間の賢人が訪ねて尋ねた。その言葉の意味がわからず、とりあえずセールのチラシを押し付けて帰った。賢人がいくら賢しいと言えど、そのような情報は知らないはずだと知っていたためだ。なにせ、あれはあまり兼ねられないから。

 もう言った通り、いまに始まったことではないのだ。むしろ見慣れた光景とすら言えるかもしれない。懐かしい景色。自宅の窓。ほこりを照らす日の香り。燃え立つ石油。それと冬。袋入り大入り袋。


「それもけっこうな懐古」彼は水をすくう。水はつかめないからだ。

「あったあった。お役立ちな句読点」

「薬味の調合も知らないそうで」

「だからぐちゃぐちゃだったのか」

「そういうこと」手を開くと水はこぼれた。「こういう感じで」


 塵は積もろうが塵に過ぎぬ。そのことを証明するためだったのだろうか? それが目的だったのだろうか? いや、思い出す。十万。十万に達したときなにが起るのかを知りたかったのだ。それだけであった。


「建前は張りぼて」彼は唱える。最終回向けの呪文を。「吹き飛ぶためにあり」

「軽量化の段階を分で踏み」

「文に書き付け『こんなもん』」


 口から、手から、汚らしくあふれ出る。それは行を埋めていく。起源であった期限を攻めていく。ほら! あと少し! 激励の声は自分で出せと言われた! このインクこそが支援!


「どんどん消えていくよ」彼は砂をもてあそぶ。なんの興味もなさそうに。「空白と共に去る感嘆」

「たしかにこれだけ薄っぺらけりゃ」彼は言った。「風にだって飛ぶだろうね」

「文字数ではないぞ。その質量だ」

「あー、羽一キロのたとえ」

「岩のような岩はあるのか?」

「もはやあるのは石だけでございます」

「自敬表現は生存の基礎」

「基礎には堅い石」

「けれども岩でなし」

「人でなしにはおあつらえ」


 およそ千文字後に終わる。なにもかも終わる。消える。そうだ消える。消去の時間。デリートキーの場所を探すと、目は鍵盤を行ったり来たり。ブラインドの向こう側。太陽はデスクトップの彼方に微笑む。だってさ、わかるだろう。明るいのはいつだってモニターなのだから。

 結果もなにもかも、確かめられぬまま最後。文章に死後はない。散文に季語がないのと同じ。けれどいまは秋だから、ひとつくらいは入れるのが礼儀作法の四行目。鐘食えば 柿が鳴るなり 腸捻転。


「含むと含まざる」さいわい柿は川に自生しない。「数百の乖離があるぞ」

「あー、思い出すな。あのサービスエリアの出来事」

「どんな出来事?」

「いや、忘れたよ」彼はいささか憤慨していた。「思い出すな、って言っただろう」

「声の調子で判断しろってか?」

「わかるでしょ。こうして話しているのに……」


 食えない文の消化過程。強酸は下腹からにじみ出る。どんな出会いがあったと言うのか。なにもなかったと結論づけるのが容易。けれども、それでは報われないではないか。設定のミスへのあれなのか? 天罰は二次元で生き延びたのか?


「どっちでもいいけどさ」彼は石を川に投げていた。おそらく、暇なのであろう。「今日のメニューはなんなのかな」

「ステーキ、ハンバーグ、トンカツ」思いつく限りを彼は言った。「あれ、言えば叶うんじゃないの?」

「やめておけ」彼が静止した。「それはもう、だれかがやったことだ」

「わたしがやっちゃだめなの?」

「だめってこともないだろうが」彼は肩をすくめた。「べつに面白くもないしな」

「美味しくもないね」

「おっ。よくわかったな」若干おどろいたようす。「茶葉は店売りか?」

「店では売ってないよ」

「そんなに希少なのか?」

「いや、売る価値もないんだ」


 まさしくそんなもの。秋めいてきました今日このごろ。すると指も仮死状態におく。つまり動きがたくなる。ますます進みが遅くなっていく。あの外から聞こえる高音の由縁は? 聞き過ごした警告なのか? ひたすら続いた十万。その結末はこんなもの。


「もとよりこんなものだから」彼は石を十回も川で跳ねさせることができる。

「終わりよければ……」聞きかじりの金言を口にしてみる。

「いや、だめだ」にべもなく言う。

「そもそも、そうでない箇所がわずかにでも有るか?」

「……ない」と、彼はそう言わざるを得ない。「ぜんぜんない」


 あー。どうも。大変ご迷惑をおかけしました。および、および、および……

「一人称はweから始まる」

「一緒にしてほしくはないが」


 川に日が当たると、水面は黄金のようになる。どうやらそれは、こんな場所でも変わりないようだ。じつのところ、他にも言いたいことはいろいろあるが、結末が近いため、ここで終わりにしたいと思います。




 







 

 

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