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とても現実  作者: 皿日八目
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序盤

「ぎゃー、燃える!」彼は叫んだ。「……あれ」

 彼らはまったく無事に地球の重力を振り切った。

「宇宙へ行くのって、あんがい簡単なんだ」まったく距離感のつかめぬ星を見ながら、彼女が言った。「オフィスに敷くカーペットがあればいいんですもの」

「今だけだぞ」ブロッコリーが戒めた。「クリアランスで星間飛行ができる日は」

「けっこう上物じゃない?」カーペットの表面を彼はなでた。「あ、そうでもないか」

 目指す星はまだ遥かだ。


 ふと彼が振り向くと、地球はもう見えなくなっていた。どうやら凄まじいスピードでこのカーペットは飛行しているらしい。「そんな感じはぜんぜんしないけど」彼はつぶやいた。

「あとどれくらいで着くの?」彼女が尋ねた。「酔ってきたんだけど」

「天の河を渡れば、もうすぐだ」とブロッコリー。「いつだって目的地があるのは川の向こう側なんだ。そう思わないか?」

「うーん?」彼はあいまいにうなずいた。「ま、そんなときもあったかもね」

「早く到着してほしいわ」彼女が亡霊のような声色でつぶやいた。「昼食を吐き出す前に」

「酔い止めを忘れてきちゃったな」彼は悔しそうに言った。「普段なら常に十種類は持ち歩いているのに」

「旅なんてのは、そんなもんだ」ブロッコリーは言った。


 幾千の色をした幾万の星を流す河を、彼らはゆっくりと渡った。足を早めるには、あまりにももったいない光景だと思ったからだ。そのとき見たものを、彼らは決して忘れないだろう――少なくとも一時間くらいは。

「美しいな……」ブロッコリーが嘆息した。「写真で見るよりずっと」

「へええ」彼女は感心していた。「天の河って、ほんとに河なんだ」

「……なあ」彼は彼女らに、真剣な調子で質問した。「これって淡水?」

 河の向こうには、求めていた星があった。彼と彼女は、それを目の前にしてなんと言ったらいいのかわからなかった。というのも、その星の名をとっくに忘れていたからである。

「あれがゲアオエルだ」タイミングよく、ブロッコリーが名前を教えてくれたため、ふたりとも言うべき言葉を発見した。

「あれがゲアオエルかあ」


 その惑星は、便座の形をしていた。真っ白な岩石で構成されているらしく、遠目には日常用いる便座と変わりなかった。便座カバーにあたる部分はカラフルなモザイク模様のようになっていて、おそらく文明が築かれているのだろうと思われた。

「巨人用のおまるだな」と彼。「トイレットペーパーはないのか?」

「さすがにないが、しかし惑星の中心にある山からは水が吹き出るぞ」ブロッコリーはおかしそうに言った。「宇宙も変な星を作りなさるな」

「どこらへんが首都なの?」と彼女。「ここからじゃわからないわ」

「案ずるな。すぐにわかるだろう」ブロッコリーは自信たっぷりに言った。「一番汚れて見えるところが首都だ」

「じゃ、あそこだな」彼は黒ずんだ染みのようになっている場所を指差した。「ここから見てもあんなに汚れてるんだから、近くで見たらもっと汚れてるだろうぜ」

「あーあ」彼女はため息をついた。「ガスマスクを持ってくればよかった」


 近づくにつれ、首都ピリコザンが思っていたよりもずっと汚い場所であることがわかってきた。からだにまとわりつくような黒雲を抜けると、彼らはダストシュートに入ってしまったのかと錯覚した。それほどの臭気が街全体からただよっていたのだ。

「あー、えー……」彼は鼻声で言った。もちろん、鼻をつまんでいるためだった。「うーん、想像以上だな」

「臭い」彼女はカーペットに乗ったことを後悔し始めていた。「臭い」

「自分がブロッコリーでよかったと、これほどまでに強く思ったことはない」ブロッコリーだけが余裕しゃくしゃくだった。「なにせ、鼻がついていないからな」

 彼はポケットをまさぐった。鍵はまだそこにあった。これが合う扉、それが玄関にはまっている一軒家を探さなくてはならない。家、という言葉から彼が連想できたのはただひとつだった。

「不動産ないかな?」


 大気と同じくらい灰色の街角に、彼らはカーペットを着地させた。地球であるならなかなか奇ッ怪な場面だっただろうが、道行く人々は一瞥もくれなかった。

「こういうことがよくあるのかな?」彼はふしぎがった。「コロンビアみたいに」

「いや、興味がないだけだろう」とブロッコリー。「みな、道を歩くのに忙しいのだ」

 くすんだ色のタイルを敷き詰められた道を歩き、彼らは不動産を探した。街並みは地球の日本のそれとさほど変わりなく、彼が「ここは本当に異星なのだろうか?」といぶかしんだほどであった。しかし、看板やポスターに書いてある文字はまったく理解できなかった。彼にはそれが、大中小の洋式便器を組み合わせたような記号に見えたのだ。また、それよりもっと重要なことにも気づいた。

「不動産を見つけても、言葉が通じないよ」彼は言った。「異星の言語を一から勉強する気にはなれないし」


「そう言えばそうだね」彼女も。「翻訳機とか、持ってくればよかったな」

「問題ない」とブロッコリー。「情報端末は持っているだろう?」

「これのこと?」彼は鍵を収納してあるのとは反対のポケットからそれを取り出した。「ずいぶん堅っ苦しい言い方だけど」

「インターネットには繋がるな?」

「はあ? ここは地球じゃないんすよ。接続されるわけが……」画面に目を落とした彼は、驚愕した。「はあ?」「繋がっているじゃないすか」

「それで翻訳すればよかろう」ブロッコリーはうなずいた。「インターネットなど、宇宙のどこででも使えるのだ」

「じゃ、ちょっとわたしの家に連絡してくれない?」と彼女。「いまディボイアのゲアオエルのピリコザンにいます、って」

「それは言わないほうがいいと思うよ」と彼は指摘した。


 奥から神経質そうなゲアオエル人が出てきた。ネクタイが上からちょうど十センチのところで三叉にわかれている。何の意味があるのか彼にはわからなかったが、それはふつうのネクタイでも同じ事だった。

 さんざんピリコザンを歩きまわり、ようやっと見つけ出した不動産に彼らはいた。「これ……」彼は鍵を男に差し出す。「が、ぴったり合う家ってどこにありますかね?」

 差し出された鍵を手に取り、男はじっくりためつすがめつ調べた。三五秒後に鍵を返し、男は言った。「ピシラの丘の家ですね」

「ぴしら?」

「古い言葉ですよ。意味はたしか……」それを探ろうとしているのか、男の目は宙をさまよった。

「ああ、『現実』とか言いましたっけね」


 ピシラの丘は遠かった。それはピリコザンの郊外にあり、ピリコザンはとても広かったためである。彼女が大きな声でその名を呼ぶと(名は体を表す)、あのカーペットがすぐやって来た。通行人を千人ほどなぎ倒しながら。

「まずい、訴えられるかもしれぬ」ブロッコリーが焦って言った。「よし。逃げるぞ」

「おかしいですね。目的地は『現実』」彼はカーペットにそろそろと上がった。「ふつう、そこからは逃げるものなのに」

「うん。でも」と彼女。「ここにいること自体、信じがたいことなんだよ」

「そんな信じられないような場所でも、訴訟は起こされる」ブロッコリーはため息をついた。「地球にあるくらいだから、裁判所などどこの星にでもあるのだろう」


 この星は地球とはちょっと違った重力がはたらいているようで、カーペットはそこまで高く飛翔することができなかった。だいたい、高層ビルの十階程度である。速度も伸び悩んだ。だいたい、高速道路の十キロ程度である。

「えっ。それどういう意味?」彼も悩んだ。「高速道路じゃないじゃん」

「高速道路は高速で移動するから高速道路なのではなく」ブロッコリーが考え深げに言った。「購読で移動できるから高速道路なのだ。べつに、高速度でたたずむことを強制されているわけではない」

「でも、後ろから光線のような」と彼女。「鉄塊がぶーん」

「それは横に移動すればよかろう」ブロッコリーが答えた。「高速道路は縦に見ると何キロもあるが、横に見れば数メートルでしかないだろう」

「横にも障害物がありますよ」彼が指摘した。

「その一致の確率は低いと言っておこう。並木はたいてい縦に並ぶ」

「前で不測が発生したら?」

「そのときはそのときだ」ブロッコリーは深慮の果て。「保険に加入しろ」


 取るに足らない無駄話は、実はまったく取るに足る価値を保持している。それは時を異常な速度で加速させるのだ。プロトタイプカーより、リニアモーターカーより、さらにロケットなどよりも、無駄話が最速の移動手段である。この技術を上手く応用すれば、銀河など一日で横断できるだろう。惜しむらくは、地球の価値観がそれに追いついていないことだ。いまのところ、無駄話は忌むべきこととされていて、そんなことをしているならクラッカーの一枚でも噛めと叱責されてしまう。


 そういうわけで、彼らは次の瞬間にはピシラの丘のふもとに到着していた。カーペットで頂点まで行かなかった理由は、そこがビルの十階以上に高い場所に位置していたからである。

「丘と山ってさ」彼が言った。「何が違うんだろうね?」

「表面が滑らかなのかでこぼこしているかだろ」ブロッコリーはどうでもよさそうに言った。どちらにせよ自分の足で登ることはないからだ。「さっさと登るぞ」

「高いねえ」彼女は早くも満身創痍の体たらくであった。「こう高いと……登る前から疲れる」

「見るだけで疲れるというのは」と彼。「名に恥じない特性だね」


 背の低いシトラス色の草が、びっしりと丘の表面をおおっていた。とくに道らしきものは見つからず、彼らはいやいやながらも登り始めた。勾配はきつく、紅梅は枯れていた。郊外と言えども、空気はかなり汚染されていた。彼は十年前の体験を思い出していた――エレベーターが動かず、階段を使わなくてはならなかった。あれ以来、彼は階段のない建物にしか住まないようにしている。飽きるほど草を踏んだころ、ようやく足場は平らになった。


「あ、着いた――?」彼はそう言いかけたが、続く言葉はすぐ呪詛に変わった。「#%$&#……」

 丘は何重にも積み重なっていたのだ。

 






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