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とても現実  作者: 皿日八目
18/24

新シリーズ

 倒すべき相手とは自分である。自分で自分を倒しに行くのだ。倒す、と遠回しな言い方をしてはいるが、息の根を止めるのには変わりない。彼は殺人に対してけっこう抵抗があり、土壇場で身がすくむ可能性もあった。しかし、やらないで済ませるわけにはいかない。何と言っても、全てのごたごたの始まりはあの者にある。気まぐれを起こさなければ、甚だしく絡んだ糸を伝って生きるような、みじめさだけが感じられる日々は送らないでよかったのだ。正午の日差しが差し込む部屋の中、ひとり彼は自分の打倒を決意した。それは展開から言っても妥当であり、異議を差し挟む余地はまったくなかった。


 目的が固まり、この物語がようやく物語らしくなったのはよいものの、何をするべきなのか、彼にはわからなかった。自分の居場所すら不明なのだ。憎むべき相手、その脳天に致命的な一撃を与えてやるべき相手は、一体どこにいるのだろう? しばらく、具体的に言うと三〇秒悩んだのち、彼は気づいた。頭上の電球を握り、フィラメントを確かめる――そうだ。どうにもならないことに頭を悩ませ、時間を浪費したって仕方ない。他にもできることが何かあるはず。それを探し出し、注力したほうが、ずっと効率はよくなる。しかし、他に一体何を。


 浮かんだ豆電球は、彼が手に入れた最初の報酬だった。対価の支払いはこの世の常であり、それは気づきへの褒美とも言えた。とはいえ、ありふれたものである。手近の果汁に突き刺すと、慰めになる光を放ち、表面の温度も著しく上昇した。「熱い」。それは指の神経が正常に作動していることの証明となったが、それだけには留まらず、彼に示唆を与える刺激でもあった。「あっ。武装」。それが必要であることを悟らせたのだ。


 邪悪な生命を断ち切り、その死体が二度と蘇らないようにする武器。討伐にはそれが不可欠であった。辺りを見回す。重量があったり、鋭利であったり、そういうものが武器として適することを彼は知っていた。真っ先に目についたのは、台所に鎮座する包丁であった。

「やあ」彼は親しげに声をかけた。もちろん、友好関係を取り結ぶために有効な手段と心得て。

「何ですか?」いきなり挨拶され、包丁はやや不機嫌そうに返事をした。そんな態度をとってしまうのも、あまり責められず、何と言っても包丁はふつう、話すものではないからだ。

「一緒に冒険をしようよ」陽気に話しかける。「きっと、胸が踊って不整脈を打つくらい楽しいよ」

「ふうん」彼の胸をときめかせるような説明も、包丁にはまったく通じていないようであった。「何のために?」


 理由を問いただされ、思わず彼はたじろいだ。なんで? なんでだろう。私は何のために、自分自身を殺すのか。おかしいな。数段落前に書いておいたはずなんだけど……


 このまま黙っているわけにもいかないため、彼は答えをでっち上げることにした。そもそも彼自身がでっち上げられた存在であるため、でっち上げは彼の得意とするところだった。

「ファンタジーしかファンタジーじゃないと思っているやつらに、一発おみまいしてやるためさ」

 自分では完璧な返答。満点だな。と会心であったが、包丁はそう思わなかったようである。

「へえ」ひとさじほどの興味すら、その声には混じっていなかった。「がんばってくださいね」

 それっきり、口を開くことはなかった。


「なんだよ」彼の声も沈んだ。「やっぱり安物はだめだな」

 気を取り直し、彼は部屋にある様々な物品に、手当り次第声をかけた。旅に出ようよ。面白いよ。こんな辛気臭い部屋に閉じこもってないでさ。私の力になってよ。道具扱いしないからさ……

 外では雲がさかんに動き、非生物に声をかけてまわる奇妙な男を興味深げに見ていた。日はその影に隠れて没し、今夜も月が登場した。そこまで時間が遅くなっても、まだ彼は話しかけ続けていた。面白いよ。楽しいよ。冒険に行こうよ。途中でガソリンがワセリンに変わるかもしれないし……


 彼は目を覚ました。朝になっていた。鋭角の日差しが、彼の部屋を照らしていた。しばらく状況がのみ込めず、彼は天井を見つめていた。だいぶ古くなっているのか、あちこちにしみができていた。そのうちの一つは、水瓶座にどことなく似ていた。何故そう思うのか、それはまったくわからないけれど。


 ここまで考えて彼は、昨日勧誘に疲れ果てて眠り込んでしまったのだと思い出した。またそこまで尽力したのにも関わらず、成果がゼロだったことも思い出した。後者は嫌な記憶であり、顔がひとりでに渋くなった。しかし、彼にとっては幸運だったのだ。もしその記憶が抜け落ちていたのなら、今日も決して実らない種蒔きを繰り返すに違いなかったからだ。


 冷蔵庫から水を出し、透明なコップに注いで飲んだ。口内に放流された水は食堂を下り、胃の腑に落ちて体を冷やした。その頃にはようやく彼の脳の朝靄も晴れ、まともにものが考えられるようになっていた。もっとも、元からそこまでまともというわけでもなかったのだが。


 嚥下した水が知恵をくれたのか、ひとつ思いついた。それは、他の場所で武器を求めようという考えだった。もはやこの家に望みはなかった。役に立ちそうなものはどれも、いきなり声をかけられると不機嫌そうに黙った。人と話し慣れてないのだ。そりゃ、私は頻繁に話しかけるほうではなかったけれど。彼は思った。でも、大抵の人はそうなんじゃないかなあ?


 あっ。あっ。ひどい。二度とは見られぬほどひどい。見よ、まるで前進せぬ我が醜態を! そのうち全身から錆を垂れ流し、銅鉱石の前進となるのであろう。見るべきところがまるでなく、したがって意識を割く価値もまったくない。やはり、どんなに輝く書物に触れたとしても、それがそっくりそのまま血肉に還元されるなど、愚か者の妄想であった。あんなに良いもの、琴線を引きちぎるほどの迫力、それを見てなお私は無知蒙昧のまま。しかし、それも当然か。魚を食せばえら呼吸の才能が開くとほざいているのに等しい。達人は一行一行を額に入れて千年先まで保存したくなるような文章を、たやすくさらさらと記してみせる。私が同じ事をやろうとすると、上記のような惨憺たる散文がぶち撒けられることとなる。あまりにも未熟だ。


 足りない頭を振り絞っても賢人の飛耳長目を駆使した豊かなそれの足元を見ることすら叶わないのに、熟慮の過程を切断してしまったら? そこに生まれるものは虚無。冷え冷えとし、虚ろで、いくら目を凝らしても、何も得ることができない。私が垂れ流した稚拙の分類はそれだ。いたことすら誰にも感知されず、ひっそりと息を引き取る。葬儀に来る者ももちろんなく、私はひとり経を上げる。その方面(あの方面やこの方面に詳しいわけでもないけれど)の知識は乏しいため、でまかせの言葉を言い募る。


「あー、段落文節括弧小節句読点の母の子の魚の骨つまらせ絶命墓石にカルシウムと石灰の花散らし寿司はテイクアウトで堤防で飲み込み出がらしを食べしめやかに」


 正しい儀式で埋葬されなかった文章はおそらく化けて出現し、私の枕元の安全を脅かすであろう。枕元にあるのは目覚まし時計なので、困るのは単三電池というわけだが。手を合わせ祈祷することしかできない。文章の幽霊も、電池の電力も、どちらも見て触ることはできないのだから。塩をまいて忘れよう。家では砂糖を切らしているし、薄力粉は三年前に売り切れたから。


 そうは言っても、このまま投げ出して別の楽しいことをするわけにはいかない。それは非常に魅力的な選択肢であり、できればそちらを選びたいが、今こそ歯列矯正の真価を見せるとき。歯を食いしばりて耐えるのだ。歯茎の出血は気にするな。いずれ流れ出るものだったかもしれない。それと多少関連のあるかもしれない話題として、これから試みるのは訂正である。もはや書き直すのと変わりないだろうが、汚らわしい履歴をそのままにはしておけない。しかし――これはまったく言い訳ではないことを主張しておくが――今すぐ開始することもできない。


 だいたい一話が四千文字という設定でこの物語は回っており、もしそれを狂わせるなら、すなわち地軸も狂い出し、生存に適さぬ気温となる恐れがある。ただでさえ汚染され、肺に声帯があるなら抗議の声を上げるだろうと思われる空気の呼吸を余儀なくされているのだから、これ以上からだを苛むのは遠慮したいところだ。そのため、書き直しは次回以降にとっておく。これほど心躍らぬとっておきもそうそう見ないが、腐敗が発酵に仕様変更されることを期待するとしよう。わずかな期間とは言え、自然の摂理は間違いなくその威光を及ぼすのだ。


 しかしまったく、文章を書くことの難しさ! この話は馬鹿の一つ覚えのように何度も繰り返しているが、その理由は私が馬鹿であるからだ。なんて、周知の事実だっただろうか? この星で呼吸する知的生命体の全個体の前頭葉に刷り込まれた情報を、改めて居丈高に提示するというのは、あまり褒められた行為ではないのだろう。それでも、言わずにはいられなかった。むずかしい。とてもむずかしい。私は後転と逆上がりばかりがこの世の困難だと思い込んでいたが、どうやらそれは誤りだったようだ。分断された時を跳躍できるなら、あの日の自分に教えよう――「あのさ、もうちょっと腰を上げろよ」


 此処に至るまでの軌跡を心に問うと、実につまらぬ旅路であった。歩んだ地はどれも荒涼としており、みずみずしい葉も、脈動する土も、どの方角へ目を向けようと現れなかった。ただ太陽だけが燃え盛り、既に死に絶えた地表を風化させてしまおうと目論んでいた。だが、その土地のありようは私の胸の内そのものであった。見せかけの知恵は、脆い紙細工のようで、実在に晒されるとひとりでに破れていった。豊かに見えた森も、その葉はすべて偽装であり、現実の一吹きでどこかへ消え去った。木々の根は枯れており、丘陵はやまいに罹っていた。沼沢地は毒され、空はボール紙に過ぎなかった。水性絵の具で描かれた星々は、いんちき星座を象る。


 そういう情景が意味するものとして、もうそこに何も残っていないことが指摘でき、つまりこの話もここで終了というわけだ。あまりにも有名な話だが、始めるのは簡単でも、終わらせるのは難しいという箴言は、あらゆる物事に当てはまる真理である。

 


 

 



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