一話
退屈なことこの上ないまわり道や、まったく心躍らない寄り道、度重なる公共交通機関のエンストにより、ひどく足止めを食らったが、ようやく帰って来られた。やはり同じ空間で、同じ生活ばかりをしていては、気づけない、見えないものがひとつふたつはあるものだ。しかも、それらはたいていとても重要で、扱い方を間違えれば致命傷を負いかねないものである。ふつう、そんなやっかいなものなら、注意書きがラベルに記載されていなくてはならないはずだが。法律は制定されていないのだろうか。ま、いいだろう。十万の頂きへ積む足場として、今回はそんなものについて話すとしよう。
わたしが愚にもつかない、業者が回収してまわるような小説を書いている理由。それは少々言いにくい部分を除くと、自分が素晴らしいと思った作品に少しでも近づくためである。どんな人間でも、複数の本を読んだのなら、その中に一冊くらいは気に入りのものが見つかるはずだ。まして何十冊、何百冊も読んだひとなら、自分の好みに合う、さらに多くのそれを手にするだろう。そして好きな本を複数知っているのなら、その中においても序列が発生する。好きな中でも、さらに好きだという本だ。わたしもそういう本を知っている(数百冊読んだわけではないが)。いずれも言葉にし得ないほど素晴らしく、面白く、無限のユーモアと、青天井の想像力を惜しみなく発揮した、世々限りなく称えるべき本ばかりだ。そしてわたしは身の程知らずなので、こういうものを読んだとき抱く感想が、「うわあすごい。自分には書けないなあ」ではなく、「うわあすごい。自分でも書いてみたいなあ」だったのだ。わたしは外食がきらいで、外食ぎらいなわたしがこういう厚顔無恥な考えを持つということは、外食ぎらいなものはみな厚顔無恥ということになる。だからあなたの子供には、外食を好む嗜好を身に着けさせるよう、配慮してやってほしい。無料の水も飲めることだし。
で、その傑作とのあまりのかけ離れ方に気圧差が生じ、わたしの頭をくらくらさせ、胃腸はぐらつくのだ。いや、ほんと、やってみると苦労がわかる。それを新たな知恵として身につけられただけでも、書き始めたかいはあったかしら。けれども、やはりもっと多くを望んでいる自分に気がつくのだ。エリュシオンにハルシオンで手っ取り早く向う前に、そのあいだになにがあるのか、あの鏡の欠陥を探るため、あと数段落を費やそう。
もう一冊はすでに紹介した。どの回だったかは忘れたが、だれも興味は持っていないだろうし、かまわないだろう。もちろん、ほんの一例に過ぎない。しかし他のものを最後に読んだのはもうずいぶんと前のことだし、いま再びそれを読んだとして、もう一度面白いと思えるのか、その確信がなく、確信がないものをここで書いてしまうのも気がひけるのだ。だからほんの数冊にとどめておく。例によって、タイトルは絶対に言わない。「えっ。そんなん読んでこんな文章?」という心ない言葉の刺突を、前もって回避するためである。もうひとつ理由はあるが、それはどこかにもう書いたから、遠慮なく怠慢させてもらう。
一冊目は夢と密接なかかわりがある小説だ。夢のあの突飛さ、突拍子のなさ、唐突さ、不思議さ、そういう感覚、だれもが経験したはずの感覚を、巧みに呼び覚ますのだ。わたしが憧憬のまなざしを投げるのは、その展開、発想の奇想天外。非常に得がたいもので、失敗作はわたしのこの作品そのもの。大成功はこの本。及びもつかない無数のイメージ。うーん。すごい。さっぱり思いつかない。抜群の面白さ。そう、けっきょくわたしが狙っているのはそれ。面白さ。それさえあればいいのだが、それが一番困難なのだ。たいていの日本語、それによって書かれた文章を、ほとんどの人は理解でき、面白いと感じられるが、だからこそ、自分にも書けるかもしれないと、生意気な考えを抱かせてしまうのだろう。書けないぞ。それをようやっと実感し始めた頃合いだ。ちなみにこの作品は三人称。
二冊目。これはめちゃくちゃ面白く、めちゃくちゃ感動する、めちゃくちゃ売れた本である。こういうものを書けるなら、どんなものを差し出したってよい(ただし物品限定)。一人称で、回想するような語り口。というか、じっさい回想している。最初に読んだ時は、始まりから十ページで中断してしまい、そのまま数年間ほったらかしにしていた。これは非常に愚かな行為であった。しかし、そう過去の自分を責めることもできないだろう。最大の面白さ、つまり随所に彫り込まれた美麗な装飾や諧謔は、当時の¥@:」のごときわたしの目には、ただただ読みにくい文章としてしか映らなかった。さんざん言われてきたことだが、世を占めるほとんどの事物は、しばらくの年月を隔てなければ、その価値の半分も理解し得ないのだ。だからあなたがどこか、尊敬すべき書店の宝物庫のような本棚にこの書を見つけて、購入して、読んでつまらないと思ったとしても、失望しないでほしい。数年か、それ以上かもしれないが、いつかきっと素晴らしいと思える日が来て、その日こそ、あなたの人生において最良の日となるだろう。
それはともかく、わたしもこの作品の文体というか筆致というか、語り口をまねたかったのだ。過去形ということで、当然それには失敗した。賢いものなら思考の過程を経るまでもなく解せるのだろうが、わたしは賢くないので、数段階の回路を通してやっと知れたところによると、あれは容易に模倣できるたぐいの文章ではない。マジで、まったく、どうやったらあんなのを書けるのか? 文体という観点のみから見れば(もちろんあらゆる角度から見てもその美しさはちっとも損なわれないし、世界中の図書館にある本をかき集めた山と比べたって、ぜんぜん見劣りしないが)、おそらくわたしの読んだ(きわめて少数の)本のなかでは、断トツである。むやみやたらに堅苦しいばっかりではない。翻訳の超絶技巧というのもあるだろうが、原文でもそうであるようだ。わざとくだけた言葉、カッコの効果てきめんの使用法、そういうものを用いていることが、至高の座へと押し上げた一因なのは間違いない。いやあ、なにを考えていたのだろう?
そして物語、ストーリーそのものも非凡であるのは言うまでもない。じっさいにぐらつく音が聞こえたほど、わたしの心は動かされた。痛ましいほどの感情が、よく理解でき、胸に迫るのだ。つまりこの本は、傑作の条件、その基準を示すグラフを、すべてぶち抜いた、とんでもない傑作ということになり、それはまったく事実である。あれだけ売れるのも当然だと思う。だって、ねえ、むちゃくちゃに面白いんだもの。ところでこの作品のみで数段階使ってしまったが、そのことからも、どれほどの素晴らしさであるのかがおわかりいただけると思う。一生のうちに読むべき本というものは、ま、いろいろあるだろうが、絶対に上位へランクインするはずだ。その確信に揺るぎはない。
三冊目だ。これはかなり特殊な本で、しかし間違いなく小説ではあるはずだ。書き方。それに特化したものだと言えよう。実に多くの手法で、文体そのものが、いかに大きな影響を物語にあたえるのか、読むものにまざまざと見せつける。その自由自在、奔放不羈は、無限の可能性を示唆し、相当の勇気を授かった。とはいえ、やはりその技能を盗むのは非常に厳しい。わたしは無理。手足のように文章を操れるなら、どんなジャンルの小説を書くときにも、これ以上ないほどの強みとなるはずなのだが。ふう。ままならないものだ。
四冊目。つい最近読んだばかりの本だ。非常に有名であったけれど、名前を知ったのもつい最近だ。自分の無知を改めて思い知ったが、そのときから読みたいと思っていた。そしてついについ最近読んだというわけ。あらすじは認識してしまっていたが、そんなものではとうていあらわせないほどの力、それが凝縮されてハードカバーに詰まっていた。もう背表紙がはじけ飛ぶのではないかと懸念されるほどの力。すごい、ものすごい小説。そうだとしか言いようがない。とてつもない密度で、それを説明しようとしたって、どんな言葉も言葉足らず。じっさいに読んでみるしか、この圧倒的な作品を理解するすべはない。それはどんな小説にだって適用できることかもしれないが、この本はとくにそうなのである。おびただしい人物が登場し、その各々に、それだけで一作品書けるのではないかと思わせるほど、濃密なエピソードが展開されていく。想像以上、期待以上の作品で、自分の矮小さを痛感した。もちろん、比べものにならないのは当然だが。
じっさいに読了すれば、感想を聞かれても、「すごい。すごい。すごい」しか言えないことに気づくはずだ。そう、すごいのだ。すごい。すごい。すごい。すごい本。わたしのような愚人にとっては、下手な説明をするより、その一言に尽きたほうがよい。すごい。すごい。すごい。読みにくさを感じないのも素晴らしい。翻訳の素晴らしさかも知れないし、原文もそうなのかもしれない。どちらにせよ、素晴らしいのには変わりない。難しいことはない(不思議なことはあるが)から、これはもう、絶対に読むべきだろう。というか、読め(傲岸不遜の口調は銃口を向けられなお衰えぬ)。
これらの作品を読んだからといって、すぐ自分の書くものがよくなるわけではない。わかりそうなものだが、わたしはわからなかったのだ。ちっとも面白くなく、ぎこちなく、苦痛なものしか書けなかった。自分の書いたもので、面白いと思えるものは、まだひとつもないかもしれない。ちなみに、いま紹介した二冊目の本の作者は、自分の作品のなかで、それを一番気に入っていたそうだ。見事だと思う。そうやって自分の書いたものに自信を持つだけでなく、自分で満足できるとは。おそらく、そういった高みにまでたどり着けるなら、いっぱしの物書きを名乗れるかもしれない。わたしはまだそこにつながるハシゴの在り処すらわかっていない。だれか教えてくれないか。非常灯の色合いは、わたしには少々まぶし過ぎるので。




