宇宙
インターネットは世界に等しく、それは宇宙とのつながりをも意味していた。だから宇宙の果てしない闇の奥、地球に一瞥もくれない星々のあいだ、そこに住まうべニャル人が発見したのは無理のない話だった。しかし彼らがこれを自分たちに向けて発せられたメッセージだと解釈してしまったのは、まっこと不運であったと言わざるを得ない。そのうえ、彼らのコンソールにたまたま混入してきたコンテンツは、何とこの小説そのものであった。日本語は当然知らなかったが、超越的な技術により、三秒で翻訳されたそれを見ると、とたんに彼らは激怒し始めた。数億光年の彼方から、わざわざこんなつまらないものを送りつけてよこしたのか、と。ちなみに、彼らの翻訳機の精度はきわめて悪く、元の文章のひどさを十分の一も再現できていなかった。もし粗悪な文構造や、乱雑な変換、脈絡のない展開などまでが完璧に再現されていたのなら、地球は抵抗の隙もあたえられず、指先ひとつで発射される熱線により、原始の姿に回帰することを迫られていただろう。不幸中の幸いとは、このようなことを言うのかもしれない。
侮辱されたと怒ったべニャル人たちは、一週間で攻撃の準備を完了した。ベニャルコスタという星に住む彼らは、こういったことには慣れていた。つまり、しょっちゅう激怒していたのだ。どこの星にもあるような進化の過程はこの星にももちろんあったが、彼らの百世代前の両生類が、カルシウムを豊富に含んだ沼地の水をきらったために、子孫は短気の宿命を負わされることとなったのである。無意識の内にひそみ、進化の行く末をあやつる遺伝子たちは、どうにかしてこの欠点を補おうと努力した。しかし、むだだった。先祖伝来のカルシウム嫌いは、たとえその水を飲まなければ死ぬという瀬戸際になっても、かたくなに行動を縛っていたのだ。あきらめた遺伝子は、しかたなく他の活路を見出そうとした。強靭な肉体や、よく冴える頭脳など。銀河広しと言えどもなかなか見られない、相当に完成度の高い生物へと進化は歩んでいった。ただひとつ、どうしようもなく短気だという欠点さえ除けば。
実のところ、彼らのからだで最も恵まれているのは、体格でも、知恵でもなく、脳の血管だった。日に十回は強烈な圧迫に耐えなければならないこの血管は、間違いなく宇宙一の強度を誇っていた。それは彼らの生活にも活かされ、たとえば谷間にかかる橋など、向こうの部族の頭をかち割って得たそれで編まれたものであった。
そんな危険な集団が間もなく襲来してくるのに、地球はそれにまったく気づいていなかった。あいかわらず、なにも起きず、東から日は昇り、西へ沈んでいった。変わりない日常が、今日も日めくりカレンダーを破り取っていった。とはいえ、ただのひとりも気づかなかったわけではない。唯一危機が迫っていることに気づいたのは、不法投棄で有罪判決をもらい、刑務所で時計を作っている、年老いた男だった。彼がそれに気づいたのは、他ならぬ自身が、あの文章の作り主であったためだ。自分の身を削って生み出した文章は、この世にどこにあろうと存在を確かめられる。いまそれが、かつて感じたことのないほど遠くからの信号となって届き、それに伴って襲来の危機も察知したのである。
すぐに彼は自分の文章を削除し、自分の状態を示す行を書き換えた。一気に五十も若返り、一番初めの、家で文章を書いている時間まで戻った。とりあえずは、これで危機は去ったはずだった。しかし、安心はできない。ベニャル人がいる限り、いつ地球が塵屑に変えられてしまうかわからない。いろいろ考えて、彼はまず散歩をしようと思い立った。不足している描写を加えることで、文章の質が向上し、もしまたベニャル人が自分の文章を見ても、憤激させないで済むと考えたためだ。正直、あまり筋の通った理屈ではなかったが、理不尽に理屈で対抗しようとしても、笑われるのが落ちだとも考えていた。
「あはは、はは。一万とちょっとをつぎ込んで、買い上げたのはこんなもの。だれが、どこで、なにをやっているのか、どこに書いてある? この行の隙間に、実は極小の明朝体が隠されていて、それを読めば、本来明らかにされるべき事柄が、晴天の雲のように見えるのだろうか? はん。ばか。そんなわけないだろ。考えなしめ。%&#$。いったいどこに行けばいいのだ?」
言い尽くせぬほどみじめな、本来の用途をまったく度外視された、あわれな記号がそこにはあった。数万も積まれながら、ひとつの意味も成してはいなかった。面白さは、ひとかけらのパンほどにもないと言ってよい。なにが足りないのか、ひとつ、ここらへんで明らかにし、いま散歩に出かけた役者が、旧来の台本を読み上げるさまを見て、笑ってやろう。
1 なにをやっているの?
これについてはまったく答えようがない。質問のひとつ目から暗雲立ち込めさせ、申し訳ないが、他に言いようもないのだ。えっ。これはなんの話ですか?
2 十万文字が目標なんじゃなかったの?
あっ。そうだった。するとこれで半分を越えたことになるのか。しかし、ここ最近はまったくひどいものしか流れて来ず、これなら時間を無駄にしないという点で、乱数表を丸上げしたほうがよさそうだ。というか、そうすべき。なんの情報も得られないから、もしかしたら双子かも。親は記号の不貞の子!
そもそも世界観が定まっていないのではないか、という声がある(だいたい海の方向から)。次の瞬間海の底にいそうな次元では、実のある話をすることは不可能なのか。そもそも、これがどういう場なのかもわかっていない。十万、十万と、狂人のようにうわ言で繰り返す、無価値の文へと成り果てている。ううん。どうしたものか、と、って、これは二度目の仕草。こういう過去のいずれかの時点にあったかもしれない物事への示唆。よいものにはそれがあり、これにはそれがない。よってこれはよくはない。というのはよく知られた事実であり、トンネルにスプレーされている文字とは、実はこういう事柄を意味していたのだ。
や! 一方的で、裏は生焼けの、そういう片方しかない靴の特徴。それこそが実態ではないか? 得られるものはなにもなく、文章を騙ったなにかしら。残念ながら回収してくれる場所などどこにもないため、自分で食うか焼くかしなければならない。後者の方法はあまりすすめられない。吸うと頭が無益な思考で満たされる、そんな有害物質を多分に含んだ煙を、天高く立ち昇らせることになるから。もし天上界の神々がそれを吸えば、怒って雷を落とし、海の水がひと晩で干上がるかもしれない。それは困る。むかしむかしの海水浴で、二度溺れた記憶があるが、いまここにこうしているということは、溺れたのではなく、溺れかけたのであろう。
あっ! 年表! 私のとはそれであったのか? 無工夫の足踏み。進まない物語。なるほど。雑巾代わりに使われるわけだ。次は隣人の布とすり替えよう。それはこちらのものよりは高級で、そのぶん多くを吸い込めるだろうから。
家のあちこちに、ひどく臭う文章が散らばっていた。彼が留守の間、自己増殖を続け、もうそれは止まっていたが、この狭い空間でなければもっと増えていたと、恨めしげな息遣いすら感じられた。長らく光を浴びていない押入れを開け、ごみ袋を取り出した。この地域では、文章を捨てるに際して、かなり細分化されたルールが定められていた。この国においては、最も厳しいと言ってよかった。文章をまとめて燃やしてしまうことの危険性は、昨年末ようやく提唱され始めたばかりなのだ。それを受けて制定された基準によると、文章は、段落、文節、単語、句点、読点にわけなければならなかった。また、慣用句や比喩表現は、それ専用のべつの袋を使う必要があった。とくに毒性が強く、自然界にはない成分を含んでいたためだ。もし世界にこれが蔓延すれば、紋切り型の表現しか使えなくなるとのことだった。
彼は文章の残骸を集め始めた。寝床の裏、浴槽の中、カーテンの内。様々な場所に文章はあった。これだけ増殖したのを見るのは初めてだった。よほどひどい文章らしい。三十分ののち、リビングを飾るカーペットの上には、まったく使いみちのないものの山が築かれた。彼はその山に手をつっこみ、ひとつひとつを丁寧によりわけていった。これは段落、これは文節、これは句点……。いつの間にか日が手を振って、月が帽子をとって挨拶した。照明をつけ、寝ずに彼は分別を続けた。
雑多な文章を詰め込んだ袋を、けっきょく十三個も担ぐはめになった。玄関の扉を肩で押し開け、朝日がいっぱいに差し込む道を、収集場まで歩いていった。冷たい風は眠気をはらい、鋭い光はまなこを開いた。間もなくたどり着くと、先客が山を成していた。自分が運んできたものも、それに加え入れる。彼の手に残った赤い痕が、袋の重量をあらわしていた。
重りにくくりつけられた鳥よけのネットを持って、二度と日の目を見ぬごみ山に、埋葬するごとくかけてやった。昔はそうでもなかったが、近代のカラスは文章が生ごみなどよりよほど腹を満たしてくれることに気づいていた。ごみとはいえ鋭利な文章が混じっているかもしれず、そういったものがカラスにつつかれ道路に散らばっていると、それを踏んだタイヤをパンクさせる恐れがあった。また、燃やしてもいないのに瘴気を発する文章もあり得た。そういうことから考えると、まだけっこう使えるんじゃないかと彼は思ったが、それでも捨てるものはいるのだ。それもたいていは、製作者自身の手によって。その気持ちは多少なりともわかるため、少しもったいないなと感じつつも、文章のための曜日は必要だと考えていた。
ひと仕事を終え、彼は何気なく東の空を見た。夜気を打ち払って昇る日は、いったいなにを考えているのか。想像しようとしたが、うまくいかず、やめた。だがそんな胸の内とは裏腹に、その試みはかなり成功していた。なにしろ太陽はいま、「このごみを捨てているやつはなにを考えているのだろう?」と考えていたからである。




