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エメラルドの下僕  作者: 瑠愛
第四章
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罪と陰謀

二人で過ごした時間は、ほんの僅かなものだった。短く、そして悲しい幕切れだ。こんなことになるならば、逃げたりなどしなければよかったのかもしれない。突きつけられた現実の厳しさは、二人から交わす言葉さえ奪っていた。重苦しい空気を感じながら帰路を馬で駆ける。しかし、やがてザクレスの野営地に戻った二人を待っていたのは、想像もしない事態だった。


「ジルダ・バシュレー。上官であるディノワール隊長を誘拐した罪でおまえを捕える」


憲兵隊がジルダの腕をねじ伏せ、その体に縄を掛けた。いったい何が起こっているのか。目の前で起こっている予想もしない事態に、ロザリーは思わず声を張り上げた。


「何だって…!?誘拐だと!?いったいどういうことだ!?」

「ロザリー、鎮まるのだ」


現れたのは、ディノワール将軍と、現宰相の息子イリオス・エミール。沈痛な面持ちの彼らは、地へねじ伏せられたジルダを静かに見下ろしていた。


「父上!これはいったいどういうことです!?」

「ロザリーよ。聞けばこの副官は、自分の上官であるはずのそなたに邪な思いを抱いていたそうではないか」

「は…?な、何をおっしゃっておられるのです?」

「見た者がおると聞いたぞ。そなたが無理矢理にこの者に連れ去られている所を。どれほど心配したか。しかし、よくぞ無事で戻って来てくれた」

「父上!」


自分に触れようとする父の手を、ロザリーは振り払った。無理矢理に連れされれただと?いったい誰がそんなデマを流したというのだ!ロザリーは憤りに我を忘れていた。


「違います!誤解です!私はバシュレーに連れ去られたわけじゃない!」

「ロザリー、大事な部下を庇いたい気持ちはよくわかる。しかし、これは大変な問題だ」

「庇ってるわけではございません!全て誤解です!当事者である私が間違いだと言っているのですから、どうか彼を離してください!」

「ロザリー殿」


沈黙を貫いていたイリオスが、穏やかに問いかける。ロザリーの肩に手を置き、そして首を横に振った。


「あなたはどうやら気が動転しておられるようだ。無論、問題が問題だけに、あなたも真実を大きな声では言えないのでしょう。とにかく王都へ帰りましょう。この者の処分はそれからです」

「イリオス殿…?何を、言って……」

「お父上がどれほど心配なされたことか。とにかく無事で戻ってくださってよかった。さぁ、どうぞあちらでまずはお着替えを。この件に関しては、私がお父上から一任されておりますので、ご安心なさいませ」


何を言っているのかわからない。ロザリーはイリオスの一方的な言葉に、ただただ目を見開いていた。それ以上に不可解なのは、ジルダが何も言わないことだ。ただ無言で俯き、されるがままに後ろ手に縛られている。なぜだ?なぜ抵抗しない?誤解だと、なぜ言わないのだ?ロザリーのそんな悲痛な眼差しを受け、しかし、ジルダは首を横に振った。まるで、何も言うなと言われているようだった。


「違う…こんなの、何かの間違いだ。全部誤解だ!離せ!バシュレーを離してやってくれ!」


半狂乱状態のロザリーを静かに見つめて、イリオスはそっと手を上げた。その指示を受け、数人の憲兵隊がロザリーを拘束した。


「ロザリー殿を安全な場所へお連れしろ。大そうお疲れのご様子だ。くれぐれも目を離すことのないように」


まるで気がふれた病人のような扱いだった。しかし、不可解なのはイリオスが少しも自分と目を合わせようとしないことだ。イリオス…この男、いったい何を考えている?ロザリーは理解できない彼の行動に、ただただ愕然とする他なかった。


「何ということだろうか…」


連れられて行くロザリーを横目に、将軍は息を吐いた。


「申し訳ありませぬ、イリオス殿。まさか本当に我が娘がこのような事態に巻き込まれるとは」

「いいえ、将軍。私こそ謝らなければなりません。以前からあの副官の怪しい行動に気付いておきながら、放っておいたのが悔やまれます。ロザリー殿が落ち着かれてから、あの男の罪を問いただします」

「……本当に、残念だ。もう娘は傷ものになったのだろうか」

「無事に戻ってきてくれたことだけで十分です。将軍、私がロザリー殿を思う気持ちに嘘偽りはございません。彼女が心や体にどんな傷を負ったとしても、私は共に背負っていく覚悟ですよ」


落ち込む将軍を、イリオスは笑顔で宥めた。何と頼もしい男だろうか。この男の元に嫁ぐのであれば、ロザリーはきっと幸せになるだろう。将軍は再び覚悟を決めた。愛しい娘を、この男の元にやろうと。


「あちらでゆっくりとお休みください。そう気を落としてばかりではお体に障ります」


イリオスに促されるままに、ディノワール将軍は席を立った。そんな彼の背中を見つめながら、イリオスは笑みを浮かべた。ひどく冷たい笑みを。


「さすがはイリオス様。抜かりございませんな」


イリオスの傍らに、いつの間にか黒い影が佇んでいた。イリオスは彼を一瞥し、再び笑みを浮かべる。これで計画通りに事が進む。バシュレーの行動に感謝せねばならない。


「ジルダも馬鹿な男です。自らの首を絞めるような行動を起こしてくれるとは。しかし、おかげで私が手を下す手間が省けた」

「しかし、シオン。このまま葬り去ることなど可能だろうか。あの男が黙っているのが余計に不気味だ」

「さすがに身にこたえたのかもしれません。どうやらロザリー殿があの男の弱点のようですね。血も涙もないと思っていたが、あの男も人間だったということです」

「戻ってきたのは、あの男が真に彼女を諦めたということか?」

「恐らくは。きっと思い知ったのでしょう。どれほど望んでも、手に入らないものもあるのだと」


では、逆に言えば、自分ならば全てが手に入るということだろうか。彼女の心も、全部。他の誰も手にすることのないものを全て持っている自分ならば。

イリオスは未だ迷っていた。力づくでロザリーを自分のものにする。一度は諦めた女性(ひと)だ。けれど、再び手に入れようと決めたのは、この千載一遇のチャンスが巡ってきたからだ。危険を犯さずしてあの男を社会的に抹殺することができる。この機を利用しない手はないと、助言したのはシオンだった。今度こそ外堀を埋め、着実に手に入れるのだ。イリオスは死神に囁かれるがままに、手を下していた。もう今までの甘いだけの自分じゃない。エミール家を、そして王家を守らなければならない。この国を背負っていかなければならない。正しいだけが正義じゃない。父も、歴代の当主も皆、そうやって生き抜いてきたのだ。


「まだ迷っておいでですか?イリオス様」


全部見透かしたようなシオンの目が問う。

迷っていないといえば、嘘になるだろう。愕然とした様子でこちらを見つめていたロザリーの顔を、正面から見ることができなかった。彼女は強い。そして常に純朴で正しい。だからこそ、小汚い手を使う自分が恥ずかしくもなるのだ。きっと悲しむだろう。バシュレー副官を失えば、彼女はきっと自分を恨むのだろう。けれど、仕方ない。あの男はそもそも人殺しだ。数えきれないほどの人間の命を奪ってきた暗殺者なのだ。しかも、エミール家の真実を知っている。このまま野放しにしておくことはできない。ロザリーには惨い仕打ちだが、あの男には消えてもらう他ないのだ。


「私も覚悟を決めなければいけないな」


アーロンを生かしておいたことでさえ、シオンは甘いと思っているだろう。けれど、あれが最後だ。自分は変わらなければならない。イリオスはキュッと唇を噛みしめた。


「イリオス様、あなたの行動は正しい。世の中とは常に力を持つ者が支配するのです。力を持つ者こそが真実であり、正義なのです」

「ああ…わかっている」


恐れることはないと、何度諭されたことだろう。自問自答を繰り返し、けれどその度に、自分の運命に抗うことはできないと思い知る。もう引き返すことはできない。イリオスは覚悟を決めた。

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