言えない事実
王都に戻ったロザリーは、体調が万全になるまでの間、休暇を取ることとなった。とはいえ事実上の軟禁状態だ。ディノワール将軍はイリオスに言われるがまま、ロザリーを城の部屋に閉じ込めて1日中見張りを付けさせた。娘は誘拐されたことで気が動転しているのだと、固く信じて疑わなかったのだ。
そんな彼女の元をアーロンが訪ねてきたのは、それから数日後のことだった。
「気分はどうだい?…って、良くはなさそうだね」
塞ぎ込んだ様子の幼なじみを前に、アーロンは息を吐いた。最初は将軍とかなり言い合っていたみたいだが、頑として聞き入れない将軍に諦めたのか、今は落ち込んでいる様子だ。突然訪ねてきたアーロンに対し、ロザリーは訝しげな眼差しを向けた。
「何しに来た?」
「何しにって…君が心配で来たに決まってるじゃないか。随分棘のある言い方だな」
「そうもなるだろう。こうして強制的な休暇を与えられ、部屋に閉じ込められているんだから」
「ロザリー…」
「おまえも私を病人扱いするのか?アーロン」
アーロンは気まずさに思わず目を逸らした。イリオスの企みはすでに彼も知っていた。まともに話を聞くことなくあの副官を牢にぶち込んだことに、ロザリーがどんな反応をしているのかと心配していたのだ。
「なぁ、アーロン。どうして誰も私の話を聞かない?何度も言っているんだ。あれは誤解だって。私はバシュレーに攫われたわけじゃない」
「……皆、心配しているんだよ。君のことを」
「心配だと?私の話をまともに聞きもしないで?父上もイリオス殿もどうかしている。何も聞かずに事実無根の疑いをかけるなんて」
「事実無根だと…思えないからじゃないかな?」
「何だと?」
「現に君はあの副官と共にこつ然と姿を消した。それはいったい何故なの?彼が君を攫ったわけじゃないのなら、任務の途中でどうしていなくなったりしたの?」
「それはっ……」
――逃げようとしただなんて、言えるはずがなかった。元々、この危うい関係を大っぴらになどできるはずないのだ。あくまで近衛連隊の隊長と副官だ。愛し合うなんてもってのほか。任務を忘れて二人で逃げようとしていたなんて、どうして言えるだろう。それに、結局戻ってきた。いざとなったら逃げることさえできなかった、私は臆病で薄情な人間なのだ。
無論、アーロンはそんなロザリーの胸の内に気付いていた。顔を見ればわかる。辛い恋に苦しむ彼女の表情は、皮肉なくらいに美しかった。
「ロザリー…。どうしてそうまでしてあの男を思うの?そんなに好きなの?君は知らないだろうけど、あの男は……」
そう言いかけて、アーロンはハッとした。ロザリーの瞳が切なげに揺らいだからだ。ちらりとこちらを見た彼女は、小さく息を吐いて頷いた。
「知ってるよ。……バシュレーが、かつて暗殺者だったということは」
それでも好きなんだと、ロザリーは大きな目を潤ませながら呟いた。
「知っていたのか…」
わからない。どうして?あの男は普通じゃない。たくさんの人間の命を平気で奪ってきたような男だ。悪魔だ。死神だ。それでも好きだというのか?――アーロンは湧き出る疑問符を、必死で呑み込んだ。愚問なのだ。いくら責めてもロザリーの心は変わらないだろう。彼女は昔からどこまでも真っすぐで、他人の言葉に左右される人間じゃない。それは誰よりアーロンが一番よくわかっていることだった。
「バシュレーが暗殺者だったからなの?」
「……え?」
「だから、あらぬ疑いをかけられたの?」
「そういうわけじゃないと思うよ…」
言えない。ジルダ・バシュレーがエミール家に命を狙われているから、彼を抹殺することが目的だから、なんて…。決して言えるわけがなかった。ロザリーはエミール家の真実を知らない。あのバシュレーがどれほど危ない人生を歩んでいるかを、知る由もないのだ。
「任務の途中で二人がいなくなったこと自体がまずかったんだ。ちゃんと皆が納得できるよう、このことを説明できる?できないなら、君は黙っておいた方がいい」
「でもっ……」
「間違っても君は彼を愛しているなんて言わないことだ」
アーロンの言葉が、ズシリと胸に重くのしかかった。
わかってはいた。けれど、言葉にされるとこの愛の厳しさを改めて思い知らされる。真っすぐに突きつけられた現実の厳しさは、深い刃となってこの胸をえぐるようだった。
「結ばれないよ。君と彼とでは、何もかもが違う。それに、きっと君の周りにいる人を悲しませることになる」
そんなことは言われなくてもわかっていた。
それに、アーロンに言われる以前に身をもって思い知ったんだ。ジルダの過去を全て受け入れ、ありのままを愛することがどれほど厳しいことか。彼の真実の姿を突きつけられ、無意識に体が強張った。この心が感じた彼への恐怖、それは自分の覚悟の浅はかさを理解するに十分だった。
「なぁ、アーロン。皆、何を企んでる?」
「……え?」
「あんな仕打ち、どう考えてもバシュレーを故意に陥れようとしているとしか思えない」
ロザリーの疑うような目が、アーロンに注がれる。何か勘ぐっているのかもしれない。アーロンは心の内を読まれぬよう、必死に平静を装いながら言った。
「それはわからない。けれど、バシュレー副官を妬む人間はたくさんいるさ。特に王都の貴族たちは気に入らないだろうね。育ちのしれない子爵家の養子だから」
「本当にそれだけ?もしかして…暗殺者だという過去が、関係しているの?」
「それを知ってる者は少ないはずだよ。僕は憲兵隊の特殊な権限があるから調べられたようなものだし。考え過ぎだよ…」
そう言って顔を背けるアーロンを、ロザリーはじっと見つめていた。強張った顔に、震える声。嘘を付くのが本当に苦手な男だ。恐らくアーロンは何かを隠そうとしている。長い月日を共に過ごしてきたロザリーには、それがよくわかった。
「イリオス殿の様子が…何かおかしかった。いつもと違った。私の話を聞こうとしなかったし、目さえ合わせようとしなかった。あれほど理知的な人だというのに、どうして…?」
「ロザリー…」
疑うような、けれど試すような目で問いかけたロザリー。明らかに動揺しているアーロンに、ロザリーはやはりと思った。イリオスは今や次期宰相としての地位を確立している。政も軍も全て彼の手中にあるといって過言じゃない。その気になれば、将軍である父を意のままに動かすことすら容易いだろう。やはりイリオスが意図的にジルダを追い詰めようとしているのだろうか。いったいどうして?つまらぬ妬みなど抱くような男じゃないはずなのに。
「悪い、アーロン。おまえを追い詰めるつもりはなかった」
困ったような顔をするアーロンに、ロザリーは精いっぱいの笑みを向けた。アーロンは憲兵隊の幹部として色んなものを抱えてる。きっと言えないこともあるだろう。たとえジルダについての何かを知っていても、苦しめるくらいなら無理に聞き出そうとは思わなかった。
しかし、そんなロザリーの優しさを知らぬアーロンでもなかった。たとえ幼なじみだとしても、真実は決して言えない。いや、言えばロザリーの身に危険が及ぶかもしれないのだ。自分はすでにそれほどに恐ろしく、大きな秘密を知ってしまっている。エミール家の力は計り知れない。……けれど、本当のことを知ったらロザリーはどう思うだろうか。バシュレーに同情するつもりはないが、この非道な企みを知ればきっとロザリーが苦しむ。彼女が苦しむ顔は見たくない。見たくないのだ。
「ロザリー……」
アーロンは意を決し、口を開いた。勘ぐっているのならば、彼女はきっと自ら動くだろう。この不可解で理不尽な仕打ちを黙って見過ごす人間じゃない。だとすれば、自分はどうにか彼女を守る盾にならねばならない。自分だけは、彼女の味方でいたい。
「一つだけ忠告しておくよ。イリオスのことは信用しない方がいい。いいね?ロザリー」
それだけしか言えないけれど…。そんなアーロンの真剣な眼差しを、ロザリーは息を飲んで見つめた。昔から馬鹿正直で、お人好しな男だ。だから、ずっと兄のように慕ってきた。ロザリーはそんなアーロンの優しさに心から感謝していた。
「うん…。わかった。ありがとう、アーロン」
できるものなら自分だってロザリーのために動きたかった。けれど、やはり自分も命が惜しい。グランツ家の次期当主としての責任もある。なんて自分は無情で利己的な人間なのだろうと、アーロンは自らを呪いたくなった。
けれど、仕方がない。この世は力の強い者こそが正義だ。エミール家に反旗を翻せば、潰される。今まで秘密裏に調べてきた黒薔薇の正体が彼らだと知った今、アーロンはもう手出しをすることなどできるはずがなかった。




