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エメラルドの下僕  作者: 瑠愛
第一章
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排除すべき存在

ロザリーにとって、毎週末の休暇はただ暇な時間でしかなかった。近衛連隊の隊長に就任し、早く仕事に慣れたいという焦りもあった。それに、単純に何もしないでいると体がむずむずしてならず、結局アーロンを連れて狩りに出たり、家の使用人に剣の相手をさせたりとせわしなく過ごしていた。しかし、今はどうだろう。この休暇が待ち遠しくてならないのだ。それは紛れもなく、ジルダに顔を合わせなくてすむからだった。


「はぁ…」


朝食を終え、いつものように城のバルコニーで熱いハーブティーを啜りながら、ロザリーはため息をひとつ吐いた。何を考えているのか、物憂げなその眼差しはどこか切なげだ。ディノワール家の使用人たちはそんな彼女の変化に、ただ目を丸くするばかりだった。


あんなことがあっても、ジルダは何ひとつ態度を変えなかった。冷静沈着に仕事はするし、お節介と過保護ぶりは相変わらず。いつも通り足をマッサージしてくれるし(どんなに拒んでも)、接し方だって今までと何も変わらない。あんなこと、あの男にとっては大して気にかけるほどのことでもないということだろうか。振り回されているのは自分だけなのだろうか――やきもきしているロザリーの元に、やってきたのは執事のハリスだった。


「ロザリー様、アーロン殿がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいですか?」

「アーロンが?ああ、通してくれ」


ロザリーの許可を取り、ハリスはバルコニーにアーロンを通した。今日はアーロンも休暇らしく、軍服ではなく白いブラウスと長ズボンにブーツを履いただけのリラックスした姿だ。昔からディノワール家の城に来るときは、だいたい一緒に狩りに出る事が多かったので、ロザリーは今日もそんなところだろうと思った。


「やぁ、アーロン。今日も出るかい?まだ着替えてもないから、悪いけれど少し待っていて――…」

「いや、今日は狩りじゃなくて。たまには君とお茶をと思ってね」


お茶だと?何だ、珍しいな――ロザリーは、意外にも目の前にゆったりと腰を下ろしたアーロンに、少し驚いた。そんな様子を目にしたハリスはメイドに命じ、すぐに二人分のハーブティーを持ってこさせたが。こうして向かい合って二人でお茶を啜るなど滅多にないことで、ロザリーは何となく居心地悪く感じた。


「珍しいな。どうしたんだ?狩りには出ないのか?」

「いつまでも君を狩りにばかり誘うのもワンパターンで味気ないだろう?もう立派なレディーなんだし」

「レディーだと?」


ロザリーは極端な女扱いをされることをひどく嫌う。型にはめられることが昔から何より嫌なのだ。そのことを誰よりもわかっていたのはアーロンだったし、彼だけはそんなロザリーに理解を示し、性別など関係なく一人の友人として接してくれていた。だからこそ、アーロンの口から出たそんな言葉に、ロザリーは眉をひそめた。


「嫌みを言いに来たのか?」

「そうじゃないよ。ロザリー、休暇のたびに獣を追いかけ回すより、少しは舞踏会にでも顔を出してはどうだい?」

「アーロン、おまえ」


思わず目の前の男を睨んだ。いつも温厚で思慮深く、優しい男で。今日だって至ってそれは変わらないというのに。発言だけを取ると、まるで別人だ。なぜこんなことを言うんだろう。ロザリーは驚きとともに頭に血が上って行くのを感じた。


「この私に、ヒラヒラしたドレスを着て踊れとでも言うのか?」

「大抵の伯爵家のご令嬢にとっては普通の事じゃないのかい?」

「伯爵家のご令嬢にとって普通の事を、私にも同じようにしろと?」

「ロザリー。君もそろそろ受け入れるべきなんじゃないかな。頑なに女性らしさを拒んでも、きっと生きにくいだけだろう。女性であるということは変わりないんだから」

「アーロン、見損なったぞ。おまえは誰よりも私を理解してくれていると思っていたのに」

「理解してるつもりだよ。だからこそ言ってるんだ。君はただムキになってるだけだよ。本当なら綺麗なドレスを纏い美しく着飾りたいと願ってる。一人の女性として男に愛されたいと願ってる。女としての幸せを手に入れたいと感じてる。違うかい?」

「な…何を…!私がいつ、そんなことを願ったって言うんだ!?私はっ…女としての幸せなど求めてない!」

「だったらどうして、あの男の前では女になるの?」


今にもアーロンの胸倉を掴もうとしていたその手を、ロザリーははたと止めた。突然放たれたその言葉に思わず眉をひそめる。目の前の男はただ静かに、だけれど、どこか挑戦的にこちらを見据えていた。


「……あの、男?」


誰のことを言ってる?――そんなこと、聞かなくてもわかっていた。自覚があるからこそ、なぜアーロンの口からあの男のことが出てくるのか、ロザリーは頭が真っ白になった。

まさか、知っているのだろうか。私があの男に何をされたか。あの男の手によって、無理矢理に女であることを自覚させられたことまで、アーロンは知っているということなのか。


「ジルダ・バシュレー。最初からおかしいと思っていたんだ。君を見る目が普通じゃない。いつも君のそばにべったり張り付いて、他の男を寄せ付けないようにしているだろう?尋常じゃないよ。普通の上官と部下の関係ならば、ああはならない」

「アーロン、でもそれは…」

「あの男に何をされたの?いつもそばにいるから、わかる。最近のロザリーは明らかに様子がおかしいから。女性の色香が滲み出てる。あの男に何かされたからなんだろう?」


問い詰めるように強く言われ、ロザリーは口を閉ざした。何をされたかなんて言えるはずもない。思い出しただけで顔が熱くなる。あの男の手で狂わされたことを、誰かに知られるなんて絶対に嫌だった。


「ロザリー。あの男は危険だ。たとえ君が望んだとしても、彼と男女の関係を持つのは好ましくない。この国随一の騎士だとはいっても、それだけで近衛連隊に上がってきた男だよ。家柄も爵位も、ロザリーにはふさわしくない。子爵家の養子だそうだし、どこの馬の骨かも知れないよ」

「……アーロン?」

「どんなことをされたのか知らないけれど、もし酷いことをされたのなら、即刻副官をやめさせるべきだ。君のお父上に言えば、それこそ罪にも問えるだろう?何なら僕が訴えてもいい。あんな卑しく無礼な男は、近衛連隊にいることさえふさわしくないよ」


ロザリーは目を見開き、茫然とアーロンの顔を見つめた。なぜここまでアーロンがあの副官のことを非難するのか、不思議に思った。ただ自分を心配して言っているだけならわかる。でも、彼の悪行を見たわけでもないし。だとすれば憶測だけでものを言っているに過ぎない。挨拶を交わすぐらいで、交友などないはずだし。それに何よりも、アーロンの言葉はまるであの男の人間性を根本から否定しているようなものばかりで、根拠のない所で人を蔑む行為はロザリーにとって最も嫌悪すべきものだった。


「アーロン?それは違うぞ。いったいあの男の何を持って卑しいっていうんだ?私はそんなこと、一言も言ってない」

「ロザリー。君はディノワール家のご令嬢だ。そこらの地方貴族とは訳が違う。付き合う人間も選ばなければ、自らの家の格を下げてしまうよ?」

「家柄や爵位や地位で、付き合う人間を選ぶのか?おまえがそんな人間だとは知らなかった」

「僕は心配してるんだよ。君が下賤な男に辱められでもしたらと…」

「黙れ、アーロン!それ以上、私の部下を侮辱したら許さない。バシュレーは私の部下だ。おまえがとやかく言う権利などない!わかったら出て行ってくれ!」


ロザリーは矢継ぎ早に吐き捨て、アーロンに背を向けた。


無性に腹が立った。別にあの男が気に食わないのには変わりはないが、アーロンがあんなふうに誰かを貶めるなど、思いもしなかった。確かに辱めを受け、傷ついたのは事実だ。でも、あの男に副官をやめさせようなどと考えはしなかった。腹黒く傲慢ではあるが、自分を支える大きな力となってくれていることだけは事実なのだ。あの男の尽力を無下にはできない。それに、あれはこの私の部下だ。何も知らない部外者に非難される筋合いはない。まして人間の力量でなく、その出自だけでその者を判断するなど、どうしても許せなかった。そして、何よりアーロンがそんな考えの男だったということが、ショックでならなかったのだ。



そんなロザリーの怒りを買い、アーロンは少し落ち込んだ様子でディノワール家の城を後にした。

あれほどまでに激昂するとは思いもしなかった。それでも、どうしても忌々しく思えて仕方なかったのだ。何から何まで不気味なあの男が、大切な親友に触れるなどと。まして男女の関係を嬉々として持ってしまえば、それこそ許せるわけがなかった。身分のことまで言って侮辱するのは少々乱雑だったが、間違ったことは言っていない。ロザリーのように人間は皆等しいものだと綺麗事を並べるのも悪くないが、現実は違う。人間は生まれてきた場所によって、背負うものが初めから違い、そして生きる道も違うのだ。だから、ロザリーのディノワール家の令嬢としての人生に、傷を付けるようなものがあれば排除すべきだとアーロンは思っていた。

一目見て分かったのだ。あのジルダ・バシュレーという男は、普通の人生を歩んできた男じゃない。あの死んだような冷めた目は、ロザリーが経験したことのない世界を見てきた目だ。あの男がそばにいることで、ロザリーの人生にもたらすものを考えると、アーロンは危惧せずにはいられなかった。大切に思うからこそ、このまま見過ごすわけにはいかないのだ。


アーロンは城に戻ると、すぐに部屋に執事を呼び寄せた。グランツ家の優秀な執事は、どこか差し迫ったような主の姿に少し危機感を覚えながら、あらゆる命令に従う心づもりをしていた。


「調べてもらいたいことがある」

「如何なる事でしょう?アーロン様」

「近衛連隊、連隊長付きの副官、ジルダ・バシュレーのことだ」


悪い虫は排除しなければならない。ロザリーのためにも。我が憲兵隊にとっても。そして、この国のためにも。


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