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エメラルドの下僕  作者: 瑠愛
第一章
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アーロンの危惧

毎年初夏が訪れる頃、王都では軍の合同訓練が行われていた。しかし、実際は合同訓練とは名ばかりで、敵国の侵略を想定したような実践的な訓練はほとんど実施されず、極めて形式的な軍の儀式だった。近衛連隊を始め、憲兵隊や衛兵隊など全ての部隊の重装歩兵が仰々しく王都のあらゆる道路を練り歩き、この国の軍事力や権力を民衆や貴族たちに見せつけるのがその目的だったのだ。

今年は特に、パフォーマンス的な意味合いが大きかった。それも近衛連隊の隊長を初めて女性が務めるということで、言わばロザリーは軍のシンボルとして矢面に立たされ、まるで演劇の主役さながら総軍の先頭を馬で闊歩させられた。隣国と協定を結び、長らく戦争がなくなったこの国だ。民衆の目が敵国に向かない分、国内での反逆が起こらないよう、とにかく威信を高めたいという国の思いの表れなのだ。ロザリーは自分が国と軍に利用されていることをわかってはいたが、立場上何も言えず受け入れる他なかった。しかし、やはり正直な性格だ。ロザリーは訓練の間ずっと、不機嫌極まりない仏頂面だった。


「美人が台無しだよ、ロザリー。もう少しにこやかに出来ないかい?」


広場で行われている部下たちの訓練の様子を眺めながら、アーロンはいかにも可笑しげに腹を抱えていた。


「見世物みたいな役目はもう御免だよ。王家のためなら仕方がないけれど」

「初の女隊長のお披露目は、民衆の興味を引き付けるには十分だからね」

「白々しい訓練だな。これが本当に国のためになるのか、甚だ疑問だよ」


ロザリーの言葉に、アーロンも同じ思いで頷いた。目の前で繰り広げられる、騎士たちの1対1の武術訓練。まるで演劇でも見るかのように、周りを熱狂した民衆が囲んでいる。今のこの国で、軍が存在する意義はどこにあるのか。どうあるべきなのか。それを思うと、軍の未来を担うであろう二人は複雑な思いだった。


「なぁ、アーロン。私は騎士になってから、ずっとこの国の役に立つ人間になることを志してきた。でも、本当にこの国の役に立つことなんてできるんだろうか。王都はこんなに平和だけれど、地方は貧しく疲弊している所も多いんだろう?王家のための近衛連隊とはいえ、この国の軍に属してるんだ。このままでいいのかと、迷うことがある…」


いつになく落ち込んだ様子のロザリーに、アーロンは少し驚いていた。隊長というポストを与えられ、色々と考えることが多くなったのだろうか。その華奢な肩に圧し掛かるものは、想像以上に重いのかもしれない…。


「それは僕も同じだよ。この国のためと思ってやっていても、それが正しいのかどうかはわからない。憲兵隊なんて、民衆からも貴族からも嫌われているからね…」


軍内部だけでなく、貴族、そして民の行動や思想までもを取り締まる憲兵隊。その存在は疎まれることも多い。アーロンは主に、地方の領地を治める貴族に対する取り締まりを任務としていた。王都から遠く離れた領地だ。地方貴族や民が国に対して要らぬ反発や不満を抱くことも少なくはない。それが危険な思想や暴動に発展しないよう、厳しく取り締まる。それが本当に国のためになっているのかどうか。アーロンもわからずにいたのだ。


「アーロン。やはり地方では民の不満が高まっているのか?」

「そうだね…。まぁ、どんな時代でも常に国への対抗勢力は存在するものだろうけれど。富の集まる王都に不満を抱き、水面下で活動している者たちも確かに存在する。そういう危険な芽を事前に摘むことで、この国の平和は保たれているんだけれどね…」

「でも、不満を持つ者にもそれぞれの言い分があるだろうに…」


どこか不満げなロザリーに、アーロンは囁くような小声で言った。


「ロザリー。人が多くいる場では、こういう話は控えた方がいい。発言によっては王家への反逆だと捉えられかねないからね」

「……アーロン?」


ひどく周りを警戒した様子のアーロンに、ロザリーは首を傾けた。


「ロザリーも耳にしたことがあるだろう?<黒薔薇ブラックローズ>と呼ばれる暗殺者の存在を」


アーロンの口から出たその名に、どこか不気味な響きを感じた。黒薔薇――その名は、赤い薔薇を紋章とする王家の、まさに影の存在としての象徴だった。数年前、国全体のひどい天候不良による農作物の不作が続いた年があった。それによって大飢饉が起こり、農民を始め民衆のほとんどが苦しい生活を強いられた。しかし、それにも関わらず課せられた税はそのまま搾り取られ、民衆の不満が一気に高まったのだ。議会ではそのことに危機を抱く者もいて、貴族の中にさえ国への不信感を高まらせる勢力が出てきたのだ。しかし、王都でのそういう勢力の貴族たちを始め、地方で反逆を企てる首謀者たちが一斉に謎の死を遂げたのである。そうしていつしか天候の回復とともに自然と事態は鎮圧されたのだが、それには彼らの死が大きく影響を及ぼしていたと言われている。いったい、誰の仕業なのか。王家も軍でさえもそれを掴めなかった。しかし、確実にそれは国への反逆を阻止する結果に繋がっている。王家の番犬≪黒薔薇≫の仕業だと、誰かが噂し始めた。


「それは数年前の話だろう?今じゃもうあまり聞かないし、表立った暴動や反発は起きていない」

「ただ、今またそういう思想が高まりつつあるんだ。そういう時こそ注意が必要なんだよ。これは本当かどうかはわからないけれど、あの暗殺者は情報収集に長けていた。どんな小さな芽も見逃さず、確実に摘み取って行ったという話だよ。それに、その殺し方も華麗だった。警備の行き届いた城の中でも、雨の道を走る馬車の中でも、華やかな舞踏会の行われている最中でも。どんな場所でも確実にターゲットを殺した。とても静かに、華麗に、だけど確実に、そして残酷に。誰も阻止できない形で暗殺を完了させる。軍の手にさえ負えない者だと恐れられていたほどだ。今はその消息もわからないけれど、そんな者がまた出てきたら僕らの手には負えない。いくら反逆者を狙っているとはいえ、その素性はわからないし。いつ王家や軍に刃を向けるかも知れない。だから、ロザリーも十分注意した方がいい」


いつも能天気にさえ思える穏やかな男が、ひどく真剣な顔でそう言った。それだけ差し迫っているのだろうか。憲兵隊は機密事項をたくさん抱えている。同じ軍とはいえ他の部隊の人間や、家族にさえも言えない重大な機密だってあるのだ。自分にも本当のところは言わないのだろうが、これほど身を案じるということは何か重大な情報を掴んでいるのかもしれない。そんな数年前の暗殺者の話など今になっては昔話のようなものだし、考えすぎではないかとも思うが…。ロザリーは仕方なく、素直に頷いた。


「それにしても珍しいね。ロザリーが王都の外に目を向けるなんて。地方に暮らす民の心配まですることなんて、今までなかったのに」


アーロンの率直な指摘にギクリとしたのは、きっとあの男のせいだろう。事実、そういうことを考えるきっかけになったのはジルダの存在だった。あの男は自分の知らない現実を知っている。世間知らずの自分とは違って、この世界のあらゆる現実をその目で見てきたんだ。そんなジルダの発言はいつもロザリーの心を動かし、そして彼女の考えに影響を与えた。傲慢でどこか掴みどころのない性格だが、本当は洞察力のある聡明な男だとロザリー自身もわかっていた。


「ロザリー?」


ぼうっと物思いにふけるように、ため息を吐いたロザリー。自分の呼びかけにさえ気付かない様子の彼女の横顔に、アーロンはハッとした。

いつも好戦的なくらいの強気なエメラルドの瞳が、なぜかユラユラと頼りなく揺れている。キュッと結ばれているはずの唇も、ふっくらと赤く色付いている。淡い桃色に染められた頬、悩ましげな表情。そのひとつひとつが、アーロンの心をざわつかせた。昔からよく知っている妹のような存在のロザリーが、なぜか別人のように思えた。彼女はこんな顔をしていただろうか。まるで何かに囚われたような危うさと共に、感じられる女性らしさ。いつになく柔らかな雰囲気から自然と滲み出るのは、大人の女の色気だった。男であれば誰だって、目を止めるだろう。自分では自覚がなくても、この生まれ持った美貌だ。それに色っぽさが付けくわえられれば、嫌でも目が離せなくなる。こんなロザリーは見たことがなかった。そして同時にアーロンは気付いたのだ。いつの間にか彼女を“女”にさせた、誰かの存在に。


「ロザリー、聞いている?」

「……えっ!?わ、悪い。アーロン、何か言った?」


途端にこちらに向けられた宝石のような瞳の揺らめきに、一瞬息を飲む。明らかに今までと纏う雰囲気が違う。どこか棘がなくなり、丸くなったような感じがする。いや、それだけじゃなく。仕草のひとつひとつが、嫌でも“女”を感じさせる。きっと彼女自身は気付いていないだろうが…。長い付き合いだが、初めてかもしれない。ロザリーを女として見てしまったのは。


「ねぇ、ロザリー。もしかして君、恋でもしているの?」


唐突なアーロンの言葉に、ロザリーはポカンと口を大きく開けて固まってしまった。


「……は?」


恋…?何を言ってるんだ、この男は。

一瞬呆気に取られたロザリーだが、アーロンはどこまでも真剣な様子だった。


「だってさ、何か変だよ?ロザリー。気になる男性でもできた?」


気になる男性…?そう考えて、突然頭の中に浮かんだあの男の顔に、ロザリーは愕然とした。

いや、あり得ない。何でこんな時にあの男の顔が浮かぶんだ!何かの間違いだ。別に気になってなどいないのに。きっとあの男に変なことをされたから、トラウマになってしまっただけで…


「大丈夫?顔、赤いけれど」

「だ、大丈夫だ!」


思わずアーロンから顔を背けた。

全く、アーロンのせいで思い出してしまったじゃないか!思い出したくもない、あの忌々しい感覚を。ジルダに触れられ、無理矢理に呼び起こされた甘い感覚。少し思い出すだけで、体の一番奥が熱を宿す。そんな自分がロザリーは許せなかった。


「たっ…たぶん、この暑さで体がバテてしまったようだ。悪いけれど、少し退席させてもらう」


そう言って逃げるようにその場を後にしたロザリー。焦った様子の彼女の後姿を見ながら、アーロンは少し複雑な思いだった。昔から兄の背中ばかりを追いかけ、男のように自由奔放に育ったロザリーだ。彼女は自らの意思で軍に志願し、女隊長として生きる道を選んだが。この世界は、そんなロザリーにそれほど優しいものではない。本来ならば女としての幸せを追い求めることが、一番の幸せなのかもしれない。だとすれば、彼女が女としての幸せや喜びを知るのなら喜ばしいことなのに…。アーロンはどうしてか、手放しでは喜べなかったのだ。


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