4話 今日は調子がいい
(`・ω・´)
はじまり、はじまり
朝。
小鳥のさえずりが窓の外から聞こえてくる。
ヨナはゆっくりと目を開けた。「……ん」まだ眠い。
だが、不思議と目が覚めてしまった。
寝返りを打ちながら時計を見る。「……え?」目覚まし時計が鳴るまで、あと三十分。いつもなら夢の中にいる時間だった。
「早く起きちゃった……」
ヨナはベッドの上でぼんやりと天井を見つめる。何か忘れている気がした。
いや、違う。
何も忘れていない。「……あれ?」
昨日のうちに仕事着は用意した。
鞄も玄関に置いてある。
鍵も財布も確認済み。
朝食はいつも食べない。
つまり。
「やることがない」
ヨナは困った。
毎朝時間に追われていたせいで、余裕のある朝をどう過ごせばいいのかわからない。
とりあえず顔を洗う。
歯を磨く。
服を着替える。
時計を見る。
「まだ二十分もある……」落ち着かない。
部屋の中を意味もなく歩き回る。
窓を開ける。
閉める。
時計を見る。
まだ十五分。「今日、何かあるのかな……」
熱でもあるんだろうか。
額に手を当ててみる。
平熱だった。「うーん……」
少しだけ考えたあと、ヨナは肩をすくめる。
「まあ、たまにはこういう日もあるか」
鞄を持つ。
玄関で靴を履く。
そして、いつものようにドアノブへ手を掛けた。「……鍵」ポケットを探る。
ちゃんと入っていた。
「よし!」
小さく頷く。
今日は忘れ物もない。
ヨナは少しだけ嬉しそうに笑うと、アパートを後にした。
その時はまだ知らなかった。
今日という一日が、今までで一番順調で、そして人生が大きく変わる一日の始まりになることを。
出勤途中。
ヨナは石畳の道を軽い足取りで歩いていた。
「余裕があるって気持ちいいなぁ」いつもなら全力疾走している時間だが、今日は…違う。
歩いているし、景色を見る余裕まである。
街路樹の葉が朝日に照らされて揺れ、パン屋からは焼きたての香り、道端では花屋が店先に花を並べていた。
「朝はこんな感じなんだ」ヨナは少しだけ感動する。
毎日通っている道なのに、初めて見る景色のようだった。
横断歩道へ差しかかると信号は青。
「おっ」止まらなくていい、そのまま渡れる。
今日は運までいいらしい。
「すごい」思わず笑みがこぼれた。
店まであと少し、息も切れていないし汗もかいていない、転んでもいない。
「完璧だ」
ヨナは小さくガッツポーズをした。
ウィルソン魔導雑貨店はまだ開店準備中で、店長が店の前を掃除していた。
ヨナの姿を見るなり動きが止まる。「……お前」
「おはようございます!」ヨナは元気よく頭を下げる。
店長は時計を見て、もう一度ヨナを見て、また時計を見る。「……誰だお前」
「ヨナです」
「嘘つけ」
「本当にヨナです!」そのやり取りを聞いたベンが店の奥から顔を出した。
「あれ?」ベンも時計を見る。「遅刻してない……?」
「してません!」
「熱ある?」
「なんでですか!」
「だってヨナだぞ?」
「僕ですよ!」
ベンは腕を組み、真剣な表情で店長を見る。「店長」「なんだ」
「今日は雪かもしれません」
「六月だぞ」
「じゃあ雹ですかね」
「もっとひどくなってる」
店内にいた他の店員たちも笑い始めた。
「失礼ですよ、みんなして」ヨナは頬を膨らませる。
「今日はちゃんと起きて、ちゃんと来ただけなのに」
店長は深いため息をついた。「まあいい」
店の扉を開ける。「その調子で今日一日頑張れ」
「はい!」ヨナは笑顔で返事をした。
その返事を聞いた店長とベンは顔を見合わせる。「……気持ち悪いな」
「気持ち悪いですね」
「聞こえてますよ!?」
開店のベルが鳴る。
「いらっしゃいませ!」ヨナは今日一番の笑顔でお客を迎えた。
朝一番のお客は、常連の老婦人だった。
「あら、ヨナ君。今日は元気ねぇ」
「はい!」
「何かいいことでもあった?」
「寝坊しませんでした!」
「ふふっ、それは良かったわね」老婦人は優しく笑った。
その後も客は途切れることなくやって来る。
商品の場所を聞かれる。
すぐに案内できた。
会計も間違えない。
袋詰めも完璧
商品も落とさない。
「ありがとうございました!」
客が帰っていく。
ヨナは小さく拳を握った。「よし……!」
失敗していない。本当に失敗していない。
店の奥ではベンたちがその様子を見ていた。
「……おい」ベンが小声で呟く。
「もう昼前だぞ」
「そうだな」
「何も壊してない」
「壊してないな」
別の店員も腕を組む。
「商品も落としてない」
「接客も普通だ」
「普通すぎて怖い」
全員がヨナを見つめる。
ヨナは気付かない。いや、気付いていた。
「何ですか、その目は」
「いや……」ベンは真面目な顔で言う。
「本当にヨナか確認したくて」
「確認してください!」
「名前は?」
「ヨナ・サーストンです!」
「年齢」
「十五歳!」
「好きな食べ物」
「パン……じゃなくて、お肉!」
「本人だな」
「どこで判断したんですか!」店員たちが笑う。
その時、店長が帳簿から顔を上げた。「ヨナ」
「はい!」
「今日まだ何も失敗してないな」
「してません!」
「珍しい」
「今日は調子がいいんです!」
店長は少し考え込んだあと、真顔で言った。「…気を付けろ…」
「え?」
「こういう日は最後にでかいのが来る」
「縁起でもないこと言わないでください!」
店内にまた笑いが広がる。
ヨナは頬を膨らませながらも、どこか嬉しかった。
失敗しないだけで、こんなにも仕事は楽しいものなんだ。
そんな当たり前のことを、今日初めて知ったのだった。
気が付けば、窓の外は夕焼け色に染まっていた。
今日も一日が終わる。
しかも――。
「失敗……してない」ヨナは自分でも信じられなかった。
商品を落としていない。
遅刻もしていない。
倉庫も爆発していない。
脚立からも落ちていない。
奇跡だった。
「おい」ベンが笑いながら肩を叩く。
「本当に何もやらかさなかったな」
「だから言ったじゃないですか」
ヨナは少し胸を張る。「僕だってやる時はやるんです」
「その台詞、ようやく証明されたな」
「でしょう?」珍しくヨナは得意げだった。
閉店の鐘が鳴る。
店員たちは片付けを始める。
店長は帳簿を閉じると、小さな封筒を取り出した。
「ヨナ」
「はい?」
「今週分だ」
封筒を受け取る。
ずっしりとした重みが手に伝わる。
ヨナの目が輝いた。「給料……!」
封筒を両手で大事そうに持つ。
思わず頬が緩んだ。
「ありがとうございます!!」
店長は鼻を鳴らす。「無駄遣いするなよ」
「しません!」
「本当か?」
「たぶん!」
「もう怪しい」
店員たちが笑う。
ヨナは封筒を見つめながら、頭の中で今日の夕飯を考えていた。
(今日はパンじゃない、ソーセージもいいな〜いや、たまにはローストビーフも……ステーキは高いかな)
自然と口元が緩む。
そんなヨナを見て、ベンが苦笑した。「何考えてる?」
「今日の晩ご飯です!」
「現金だな」
「今日は給料日ですから!」
ヨナは封筒を大事に鞄へしまう。
今日は失敗ゼロ、しかも給料日。
きっと人生で一番いい日だ。
そんな気さえしていた。だからこそ。
このあと、とんでもない買い物をしてしまうなんて、この時のヨナは夢にも思っていなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。




