1話 ヨナの失敗だらけの一日
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はじまり、はじまり
ガタンッ!何かが床に落ちる音で、ヨナ・サーストンは目を覚ました。
「ん……?」ぼんやりと天井を見上げる。見慣れた安アパートの天井だ。薄い染みが三つ。一つは犬みたいな形をしている。もう一つはジャガイモ。最後の一つは――
「……あれ?」ヨナは目を細めた。窓から差し込む光が妙に明るい。嫌な予感がした。ゆっくりと枕元の時計を見る。そして固まった。
「…………」数秒、現実逃避。さらに数秒、希望的観測。さらに数秒、諦め。
「やばいぃぃぃぃぃぃっ!!」
ベッドから飛び起きようとして毛布に足を取られ、そのまま盛大に転ぶ。頭を床にぶつけた。
「痛っ!」しかし痛がっている暇はない。今日は朝からバイトだ。しかも開店準備担当。つまり遅刻すると店長が怖い。ものすごく怖い。怒鳴る。説教する。そして最後にため息をつく。あのため息が一番心に刺さる。
「終わった……絶対怒られる……」ぶつぶつ言いながら服を着替える。シャツを前後逆に着た。着直した。靴下が片方見つからない。ベッドの下から発見した。鞄を掴む。玄関へ向かう。
途中でテーブルの上に置かれたパンが目に入った。昨日買った安売り品だ。少し固くなっている。食べるべきか、食べないべきか。ヨナは真剣に悩んだ。
結果。「……昼までなら死なないか」パンを置いたまま玄関の扉を開ける。そして階段を駆け下りた。
勢いよく飛び出したところで、鍵を忘れたことに気付いた。
「……」数秒沈黙。
「最悪だぁぁぁぁ!」ヨナは再び階段を駆け上がった。
どうにか鍵を回収したヨナは、今度こそアパートを飛び出した。石畳の歩道を全力で駆ける。朝のロンドンは既に人で溢れていた。通勤する会社員、学生たち、魔導自動車が行き交い、さらには時代錯誤にも思える箒に乗って配達をしている配達員までいる。
「どいてくださーい!」
人混みを縫うように走る。当然、周囲から迷惑そうな視線を向けられた。
「すみません!」
反射的に謝る。誰も怒ってはいない。それなのに謝る。もはや癖だった。
角を曲がったところで、ヨナは見覚えのある老人を見つけた。八百屋のミラーさんだ。小さな荷車を引いている。そして次の瞬間。
ガタンッ!
「あっ!」
車輪が石畳の隙間に引っかかった。荷車が傾き、積まれていた野菜が勢いよく道路へ飛び散った。ジャガイモ、ニンジン、タマネギが見事なまでに四方八方へ転がっていく。
「おおっと……」
ミラーさんが情けない声を上げた。ヨナは足を止める。止めてしまう。店長の顔が脳裏に浮かんだ。怒鳴っている顔、ため息をついている顔、給料を計算している顔。
「……」
野菜と時計が頭の中でせめぎ合う。
「うわあああぁ……」
ヨナは頭を抱え、そして観念したように駆け寄る。
「ミラーさん! 手伝います!」
「おや、ヨナ坊じゃないか」
「そんな場合じゃないですよ!」
転がったジャガイモを追いかけ、ニンジンを拾い、タマネギを集める。途中でジャガイモを踏んで滑り、転んだ。
「いてっ!」
「はっはっは!」
なぜかミラーさんは大笑いしていた。
数分後、ようやく全ての野菜を荷車へ戻し終える。
「ありがとうなぁ」
「いえ、それじゃ僕急ぐので!」
ヨナは再び走り出した。数歩進んだところで、ふと時計を見る。
「……あ。」
遅刻確定だった。
「終わったぁぁぁぁぁ!」
朝の街にヨナの悲鳴が響き渡った。
ウィルソン魔導雑貨店が見えた時には、ヨナはすでに息も絶え絶えだった。
「はぁ……はぁ……」
店の看板には大きく、**『ウィルソン魔導雑貨店』**と書かれている。ロンドンでもそこそこ評判の店だ。魔導ランプ、魔術触媒、生活用魔導具、ちょっと怪しい便利グッズまで取り扱っている。ヨナの貴重な収入源でもあった。
「お願いだからまだ店長来てませんように……」
祈りながら扉を開く。カラン、とベルが鳴った。
そして。
「ヨォォォォナァァァァァァ!!」
「ひぃっ!」
店の奥から雷のような怒声が飛んできた。反射的に背筋が伸びる。現れたのは店長のグレッグ・ウィルソン。四十代半ば、大柄で強面、髭面、そして声が大きい。
「今何時だと思ってる!」
「すみません!」
「また遅刻か!」
「すみません!」
「言うことはそれだけか!」
「本当にすみません!」
「よし!」
「よし!?」
なぜか納得された。だが店長はすぐに腕を組む。
「で、今日は何があった」
「え?」
「お前が普通に遅刻する訳ないだろ」
「それ褒めてます?」
「褒めてない」
即答だった。ヨナはしょんぼりしながら事情を説明する。
「ミラーさんの荷車がひっくり返って……」
「ああ」
「野菜が転がって……」
「ああ」
「拾ってたら遅れて……」
「ああ」
店長は深いため息をついた。怒られる、とヨナは身構えた。しかし返ってきた言葉は予想外だった。
「ったく……お前は本当に損な性格してるな」
「え?」
「手伝ったんだろ?」
「はい」
「ならもういい。次からはもう少し急げ」
そう言うと店長は店の奥へ戻っていく。数歩進んだところで振り返った。
「ただし」
ヨナの肩が跳ねる。
「今日一日失敗したら給料から引くぞ」
「えぇっ!?」
「冗談だ」
「笑えないですよ!」
「じゃあ失敗するな」
「それができたら苦労しません!」
店の奥から従業員たちの笑い声が聞こえた。どうやら今日も、波乱の一日になりそうだった。
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