緑の小人
私には、霊感なんてものはありません。
もちろん、家族にも。……そう思っています。
ただ、この長い人生の中で、不思議な出来事に袖を引かれた経験がひとつふたつ、ございます。そんなお話の一つを、今日は語らせていただきます。
それは、息子が六歳の頃のことでした。ある日、息子がひどく真剣な顔をして私にこう告げたのです。
「二階にひとりで寝ていたくない」と。
当時、我が家では二階の寝室に親子四人、川の字になって眠っていました。
私と妻が両端に、真ん中に二人の子供たちが挟まれるという、どこにでもある幸せな家族の形です。朝、私と妻が先に起き出して階下で支度を整え、頃合いを見て寝ぼけ眼の子供たちを起こしに行くのが日課でした。
実は、娘は寝起きが良くてすぐに起きてくるのですが、息子はしばらく布団の中でぐずぐずと微睡む癖がありました。その、ほんのわずかな「ひとりになる時間」が怖いと言うのです。
その時は「早く起きればいいじゃないか」と真面目に取り合わず、息子も「じゃあ、妹と一緒に絶対起こしてね」と約束させて終わりました。
そんなある日のこと、息子が風邪をひいて寝込んでしまいました。
病院で処方された薬を飲み、薄暗い二階の寝室で、息子はひとり静かに眠っていました。
不意に、「ひッ!」という、喉を詰まらせたような短い悲鳴が聞こえたのは、私が一階で一息ついていた時です。
高熱による異常行動だろうか、それとも容態が急変したのか。私は嫌な予感に背中を焼かれる思いで、二階へ駆け上がりました。
寝室の戸を開けると、部屋の真ん中で布団を頭からかぶり、ガタガタと震えている息子の姿がありました。
「どうした、大丈夫か?」
肩に手を置くと、息子は消え入るような声で「……出た」と漏らしました。
蜘蛛か、あるいは大きな羽虫でも出たのか。そう思ってもう一度尋ねると、息子は布団の端から怯えた瞳をのぞかせ、こう言ったのです。
「小人が、出たんだ」
息子が言うには、ひとりで二階にいると、いつもドアの向こうを横切る小さな影があるのだそうです。そして今日は、その小人が自分の布団の先まで走ってきたのだ、と。
我が家は、小高い丘を切り拓いた分譲地に建てた新築住宅でした。当時はまだ築三年。霊が住み着くような因縁のある家とは到底思えません。
土地の権利書を遡ってみても、そこは以前から何の変哲もない雑木林で、忌まわしい記録など一切ありませんでした。
しかし、そこに降って湧いたのが、息子の語る「小人」の話でした。
実を言うと、私は昔からこうした不可思議な話が嫌いではありません。好奇心に抗えず、私は怯える息子を尻目に矢継ぎ早に質問を重ねてしまいました。
「どんな服だった? 背の高さは? 男か、女か?」
息子は最初こそ口をつぐんでいましたが、「正体がわかれば、ただの生き物だと安心できるかもしれないよ」となだめると、渋々と語り始めました。
動きがあまりに素早いため細部までは分からないが、緑色の服を着ていたこと。背丈は二十センチほどであったこと。髪が短いから、おそらくは男だろうということ。
見間違いにしては、具体的な証言でした。
「なんだか、お伽話に出てくる妖精みたいで可愛らしいじゃないか」
私が緊張を解こうと笑いかけると、息子は首を振りました。
「……顔ははっきり見えないけど、すごく怖いんだ。すごく、厳つい顔をしているんだよ」
おじさんのような顔か、と聞くと、そうではないと言います。彫りが深く、眉がつり上がり、何かを威嚇するような「クワッ」とした表情。けれど、不思議と悪意や機嫌の悪さは感じられないのだそうです。なぜなら、その小人はいつも、何かを楽しんでいるかのようにリズミカルに走っているから。
山を削って家を建てたことへの、自然界からの抗議だろうか。それとも山の神の類だろうか。
私の懸念をよそに、息子の断片的な言葉を繋ぎ合わせると、奇妙な像が浮かび上がってきました。
厳つい顔をした緑色の小人が、何かを探し物でもするように、あるいは遊んでいるかのように、楽しげに家中を駆け回っている。そして息子が見ていることに気がつくと、悪戯が見つかった子供のように慌てて物陰に隠れるのだというのです。
私は、自分もその姿を拝めないものかと、部屋の隅々まで視線を走らせました。けれど、私の凡庸な目には、古びた埃ひとつ映りません。傍らにいる息子も、「今はもういない」と首を振るばかりでした。
親の気を引くための作り話でないことは、息子の表情を見れば分かりました。彼は心底、自分の目で見た「理解しがたいもの」を恐れ、その正体のなさに身を震わせていたのです。
本物なのだろうか。
確証は何一つありません。その日は息子をリビングで看病し、それで終わりにしました。
――――――
それからしばらくして、息子が「緑色の色鉛筆がない」と騒ぎ始めました。妹と共有している、大切なお絵かきセットの一本です。
整理整頓が苦手な息子です。私はつい、お小言を口にしてしまいました。
「最後に使った時に、ちゃんと片付けなかったからだろう?」
すると、隣にいた娘が「私は最後に片付けた時、ちゃんとあったよ」と加勢します。ケースを確認すると、確かに、色の並びの真ん中に不自然な隙間ができていました。
色鉛筆をいつも置いている箇所を中心に、それこそ這いつくばるようにして探しましたが、緑色の色鉛筆だけが神隠しに遭ったように見つかりません。
その時、息子がハッとしたように顔を上げました。
「……小人が持っていったんだ」
確信に満ちた声でした。
「お父さん、僕、前は緑色の服だって言ったけど、あれは服じゃなかったのかもしれない。あの小人、緑色の何かを持っていたんだ。あいつ、緑色のものを集めているんだよ」
緑色のものを集める小人。
そんな話、聞いたこともありません。普段なら笑い飛ばしていたでしょう。けれど、その時の息子の瞳に宿っていた、射抜くような真剣さに、私は冗談を飲み込みました。
その夜、妻にこの話をすると、彼女は鼻で笑いました。
「子供の空想よ。色鉛筆なんて、どうせそのうち変なところから出てくるわ」
私も、そうだろうな、と同意しました。そう思わなければ、家の中の平穏が崩れてしまいそうだったからです。
結局、その出来事は解決しないまま、時間という砂に埋もれていきました。
息子は成長するにつれ、当たり前のように一人で二階へ上がるようになり、自分の部屋で過ごす時間が増えました。夜、階段の下で二階に上がることを躊躇することも、小人の話をすることもなくなりました。
中学生になった息子は、背も伸び、声も低くなり、時折生意気な口を利くようにもなりました。それでも、どこか幼い頃の面影を残し、部屋で漫画を読み耽ったり、鼻歌を歌ったりして機嫌よく過ごしています。あの頃の恐怖など、忘却の彼方に追いやったかのように。
ある時、ふと思い出して聞いてみたことがあります。
「なあ、昔、二階に小人がいるって怖がってたの、覚えてるか?」
息子は読んでいる本から顔を上げず、照れくさそうに笑いました。
「あー……そんなこと言ってたっけ。夢だったんじゃないの? 子供って変なもん見るしさ」
「夢じゃないって、あんなに言い張ってたのに」
「さあね」と息子は他人事のように首を傾けました。「暗いと影が何かに見えたりするんだよ。子供の頃なんて、そんなもんでしょ」
そんなものかもしれない。
成長とともに失われる感受性が作り出した、束の間の幻灯機。私もそう納得し、その話を心の引き出しの奥に仕舞い込みました。
――――――
それが、去年の秋のことです。
どんよりと重い曇り空が広がる日の午後でした。私は二階の書斎にこもり、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら、次のお話の構想を練っていました。
椅子に深く腰掛け、目を閉じているうちに、いつの間にか微睡みに落ちていたようです。
ふと目を覚ますと、部屋の中はすっかり闇に包まれていました。
ドアの隙間から、食欲をそそるカレーの香りが、階下から漂ってきます。そろそろ夕食の時間でしょう。スマートフォンを見ると、音楽の再生画面は動いているのに、耳元からは何も聞こえてきません。
イヤホンが耳から外れていることに気づき、私は手探りで周囲を探しました。
左のイヤホンは、椅子のすぐ脇に落ちていました。
ところが、右側がどこを探しても見当たらないのです。
机の下、本棚の隙間、カーペットの裏。スマートフォンのライトで照らし、三十分以上かけて這いずり回りました。埃の積もった床に、何かが転がったような、かすかな跡は見つかりました。けれど、その先に、あるべき物体が存在しないのです。
その時、脳裏にあの日の息子の声が蘇りました。
『こびとが、とった』
まさか、と苦笑しようとして、頬が強張るのを感じました。
私のそのイヤホンは、鮮やかなエメラルドグリーン色をしていたのです。
後日、リビングで息子にこの話をしてみました。
「なあ、お父さんも二階で変なことがあったんだ。お気に入りのイヤホンが片方だけ消えちゃってさ」
笑い話のつもりでした。けれど、息子は笑いませんでした。
「……緑色のやつ?」
「ああ、そうだよ。おかしいだろ」
息子はしばし沈黙した後、遠い目をしてポツリと言いました。
「そういえばさ、あの小人。リズミカルに走ってたって言ったじゃん。あの時、なんか歌ってた気がするんだよね。そいつ」
私は言葉を失いました。
「まあ、夢だけどね」
息子はそう言って自嘲気味に笑い、それ以上は何も語りませんでした。
その夜、私は再び書斎に座り、あきらめきれずに床を眺めていました。
当然、何もありません。
けれど、電気を消して部屋を出る間際、私はなぜか、暗がりに向かって小さく呟いてしまったのです。
「返してくれると、助かるんだけどな」
翌朝、イヤホンは見つかりませんでした。そんな奇跡が起きるはずもありません。
大人の私には、もう彼らと交渉する術も、その姿を捉える感性も残っていないのでしょう。
けれど、この家のどこかに、あるいはどこか別の場所に、私のエメラルドグリーンのイヤホンは存在し続けている。それだけは確かな気がしました。
――――――
先週、実家の母に電話をした際、何気なくこの話をしてみました。
すると母は、事も無げにこう言ったのです。
「あら、うちにも昔いたわよ、そういうの」
驚く私をよそに、母は懐かしそうに続けました。
「あんたが小さい頃、ガチャピンのキーホルダーがなくなったって大騒ぎしたじゃない。緑色のものばかり消えるのよ。お父さんに言っても笑われるだけだったけど。私はなんとなく、気配で分かってたわ。ああ、今日もいるなって」
「……怖くなかったの?」
「害はないもの。取られるのは、いつも小さなものばかりだったし」
害はない。
その言葉が、妙に心に波紋を広げました。
害がないと断言できるほどに、母は、あるいは私たちの先祖は、彼らと「共に」暮らしてきたのでしょうか。
そういえば、あの丘の上の家は、土地を遡っても何の因縁もない、まっさらな新築のはずでした。
けれど――因縁があったのは、土地ではなかったのかもしれません。
あの家へ越してきたのは、私たち家族だけではなかった。知らぬ間に、「あれ」も一緒に、ついてきていたのではないでしょうか。
今夜も、私は二階で眠りにつきます。
イヤホンは片方しかないので、左耳にだけつけて。右耳は、あけたままにして。
トコトコという足音も、小さな歌声も、今の私には聞こえません。
けれど、目を閉じる直前。
部屋の隅の暗がりが、私の聴いている音楽に合わせて、ほんの少しだけリズミカルに揺れたような気がしました。
朝になれば、すべては「そんなもの」として、日常に溶けていくのでしょう。
でも、そういうことがあってもいいのだと、今は思うのです。




