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【短編集】日常のすき間に潜むもの  作者: めこねこ


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鉛色のビー玉

 最近は、スマートフォンのゲームがずいぶんと流行っていますね。


 ガチャを引いて、お目当てのキャラクターを引き当てて冒険する――あの仕組み、実は私が子どもの頃にも、形を変えて存在していたんです。


 たまごっち? いえいえ、もっとずっと古い話です。


 私の小さい頃といえば、メンコとビー玉でした。


 当時のヒーローの絵が刷られた、分厚い紙のメンコ。夕陽に透かすと、中の色がとろりと溶けて流れて見えた、色とりどりのビー玉。友達と勝負して、勝ったほうが相手のものをもらえる。負ければ、取られる。それがルールで、それが、すべてでした。


 今でも、ゲームにお金を払って有利に立とうとする人がいるでしょう。昔も、似たようなことをした子がいましてね。


 ――ただ、その「課金」で支払ったものが、少しばかり、違ったのです。


 これは、そういうお話です。


──────────


 小学校の同級生に、F君という子がいました。


 ガキ大将を絵に描いたような男の子で、真冬でも半袖半ズボン。膝小僧はいつも擦り剥けていて、赤チンだらけ。風邪をひいているところを見たことがない、と言われるくらいの、丸刈り頭のワンパク小僧です。


 F君は、子どもの遊びなら何をやらせても群を抜いていました。メンコでは、あの剛腕から生まれる風圧で、相手の札をバッタバッタとなぎ倒し、根こそぎさらっていく。


 ただ、ビー玉だけは、力では勝てないルールでした。


 木の枝で地面に長い溝を掘り、そこをコースにする。手のひらで土を均し、大きな石だけを取りのけて、あとはそのまま。決められた関門を順に抜けて、一番先にゴールへ辿り着いた者が勝ち。


 指で弾く力が強すぎれば、ビー玉がコースから飛び出してしまう。狙いが乱れれば、脇道へそれる。そして、ただの地面がゲーム板。小石が邪魔をしてイレギュラーが発生する。だから、非力な私たちにも勝ち目があったのです。


 メンコで取られたらビー玉に誘い込み、なんとか取り返す。取ったら取られ、取り返したらまた取られる。


 膝と肘を地面につけ、頬が土につくくらいまで顔を下げて、みんなでビー玉を覗き込む。乾いた土の匂いと、汗の匂い。遠くで五時のチャイムが鳴っても、誰も帰りません。西の空が赤から紫へ変わって、あたりが本当に真っ暗になるまで――そんな遊びが、あの頃の私たちの日常でした。


──────────


 そんな中で、一人だけ、いつも負けの込んでいる子がいました。佐々木君です。


 大きな家に育った佐々木君は、多少メンコを取られても懐は痛みません。それでも、取られっぱなしが面白いわけはない。私たちがビー玉でなんとか取り返すのを横目に、自分もああしたいと、よくみんなに相談を持ちかけていました。


「コントロールが悪いんだよ。地面すれすれまで目線を下げて、ちゃんと狙って弾くんだ」


「指が曲がってるぞ。ピーンと伸ばしたほうがいい」


 みんな、それぞれのコツを教えてあげるのですが、なかなか上手くなりません。


 その日もコテンパンにやられ、一人とぼとぼと帰っていく佐々木君の背中は、子ども心にも、少し哀れに見えました。手にぶら下げた布袋の中で、残り少なくなったビー玉が、カラ、カラ、と寂しい音を立てていたのを覚えています。


 ある日の帰り際、彼はぽつりと、こぼしたのです。


「ビー玉を、自由自在に動かせたらなあ」


 独り言のような、小さな声でした。


──────────


 ところが翌日、前の日の落ち込みはどこへやら。佐々木君は、いつになく明るい顔で教室に入ってきました。


「ねえ、今日もビー玉やろうよ。昨日負けた分、取り返してみせるから」


 自分からそんなことを言い出すのは、初めてでした。


 そのとき、彼の右手の小指に、白い絆創膏が巻いてあるのに気づきました。どうしたの、と聞くと、佐々木君は「なんでもない」とだけ言って、手を袖の中へ引っ込めてしまいました。


 家で一人、練習でもして、何かコツをつかんだのかな。その成果を見てみたくて、その日もビー玉をやることになりました。


 放課後、いつもの駄菓子屋の横の空き地に集まります。積み上げられた空き瓶のケースと、雨水の溜まった錆びたドラム缶。地面はいつも私たちが踏み固めているので、コースを掘るのにちょうどいい硬さでした。


 私と、もう一人の友達。それに、いつも佐々木君からメンコを巻き上げているF君の姿もありました。どうやら、佐々木君自身が誘ったらしい。普段はなかなかF君をビー玉に引っ張り出せないので、私たちも、自然と気持ちが引き締まりました。


 遊びが始まります。


 カチン。


 カチン、カチン。


 澄んだ音が、夕方の空き地に響きます。ガラスとガラスのぶつかる、あの高い音。掘ったコースには小石や土くれが混じっていて、なかなか真っ直ぐには転がりません。その、ままならなさが面白いはずの遊びでした。


 ところが、佐々木君の番になったとき。


 コッ。


 音が、違いました。


 ガラスの音ではありません。石か、金属か。低くて、鈍くて、湿った土に何かを落としたような、まるで澄まない音でした。


 見れば、彼が弾いているのは、いつものビー玉ではありません。


 鉛色。


 ガラス玉の中に色ガラスを封じ込めたカラフルなものではない。光を通さない、のっぺりとした灰色の玉。表面だけが、油を塗ったように、ぬらりと鈍く光っている。


 (そんな色のビー玉、あったっけ)


 そう思っているうちに、その玉は、ツーッと滑り出しました。


 さほど強く弾いたようには見えないのに、止まらない。小石を避けるように――いえ、小石のほうが道を空けたように、するすると関門を抜けていく。まるで、磨き抜かれたガラスの板の上を走っているような動きでした。


 一度だけ、こんなことがありました。


 みんなが次の順番を決めているあいだ、誰も触っていないのに、その玉が、コロ、と半回転したのです。


 私は見ました。たぶん、もう一人の友達も見ていました。


 けれど、二人とも、何も言いませんでした。


 あれよあれよという間に、佐々木君が一位。


「約束だからね」


 と、F君から、さっさとメンコを取り返していきます。


 面白くないのは、F君です。いつもカモにしていた相手に、ボロ負けを食らったのですから。何度挑んでも、勝つのは佐々木君。


 けれど、妙でした。あの動きは、どう見てもおかしい。小石にも土くれにも、あの鉛色の玉だけは、引っかかる気配がないのです。


 何度かの勝負のあと、とうとうF君が叫びました。


「ビー玉なんか飽きた! メンコにするぞ!」


 佐々木君の一人勝ちが続いて、正直、私たちも面白くなくなっていたところです。F君の提案に、みんなが賛成しました。


「え、もう一回、もう一回だけ!」


 佐々木君は食い下がりましたが、多勢に無勢。ひとまずメンコ、ということになりました。


 ――そのとき。


 食い下がっていたはずの佐々木君の口の端が、ほんの一瞬だけ、笑いの形に動いたのを、私は確かに見ています。


 見ていながら、何とも思わなかったのです。


──────────


 メンコは、一回勝負でした。


 みんなで一斉に地面へ叩きつけ、その風圧で相手の札をひっくり返す。一度に多く返せた者が勝ち。一番少なかった者が負け。そして、一番勝った者が、最下位の持ち物から好きなものを一つ、戦利品としてもらえる――そういうルールです。


 パチン。


 パチン。


 乾いた音とともに、砂埃が舞い上がります。ひらり、ひらりとめくれ返る、色褪せたヒーローたち。


 まず友達がパチンとやって、二枚返し。続いて私がパチン――一枚。毎度こんなものですから、ああ、これはまずいな、と思いました。


 残るは、F君と佐々木君。F君は、いつも三枚は返します。佐々木君が一枚でも返せば、私が最下位です。天に祈る気持ちで、見守りました。


 佐々木君が、メンコを振り下ろします。


 ペチン。


 力のない、間の抜けた音でした。


 斜めから風を送り込むように打つのがセオリーなのに、ほとんど真上から落とすような、なんとも頼りない振り下ろし方です。


 一枚も、返りませんでした。


 あれだけ「やろう、やろう」とせがんでいた子の手つきとは、とても思えませんでした。


 F君がニヤリと笑い、「んじゃ、俺の番だな」と、腕をいっぱいに振りかぶります。


 バコン。


 見事に三枚返し。F君が一位、佐々木君が、最下位です。


「約束だからな。佐々木のから、一つもらうぞ」


 F君は返事も待たず、佐々木君の抱えていた菓子箱に手を突っ込み、無造作にヒョイとつまみ上げました。


 鉛色の、あの玉です。


「うわ、重っ。……なんだこれ、冷てえ」


 夏の夕方です。一日じゅう、私たちの手と地面のあいだを行き来していた玉が、ぬるくなっていないはずがありません。


 佐々木君の顔が、みるみる蒼白になっていきます。


「だ、ダメだよ。それは、僕が持っておかないといけないんだ」


「勝ったやつが何でも一個もらっていいルールじゃんか。これは俺がもらっとく。なんか、こいつに仕掛けがあるんだろ」


「F君、待ってよ。ほんとに、危ないんだ。僕が持ってないと――呪われるんだよ」


「何言ってんだ、ますます怪しいな。家で調べて、明日バラしてやるって」


 佐々木君は、まだ何か言いかけていました。


 けれどF君はもう背を向けて、その玉を半ズボンのポケットへ落とし込んでいました。


 ポケットの布が、玉の重みで、ぐっと引き伸ばされていたのを覚えています。


 その日は、それで解散になりました。


 帰り道、一度だけ振り返ると、佐々木君はまだ空き地に立っていました。暗くなりかけた地面に残った、掘ったばかりのコースの跡を、じっと見下ろしていました。


──────────


 翌日、教室は、朝からざわざわしていました。


 何事かと聞けば――F君の家が、火事になったというのです。


 お父さんの枕元のあたりから火が出て、カーテンに燃え移り、あっという間に家が燃えた。F君のお父さんは煙草を吸う人だから、寝る前の一服をきちんと消さなかったのだろう――もっぱら、そういう話でした。


 幸い、家族は逃げて無事でしたが、F君は、その日学校を休んでいました。


 昨日の続きで遊ぶ約束をしていましたが、とても、そんな雰囲気ではありません。


 なんとなく、あの日に集まった顔ぶれでのメンコやビー玉は、それからぱったりと、やらなくなりました。ちょうどその頃から、ビックリマンチョコやキン消しが流行り出して、みんな自然と、別の遊びへ移っていった時期でもありました。


 駄菓子屋の横の空き地に掘った溝は、しばらくそのまま残っていましたが、次の雨で、きれいに埋まってしまいました。


 F君は、ほどなくお父さんの実家へ家族で移ることになり、隣の校区へ転校していきました。少しガサツで乱暴なところもありましたが、遊びでみんなを引っ張るタイプ。なんだか寂しかったことを、今でも覚えています。


 佐々木君は、もともと少し暗いところのある子でしたが、それから、その暗さに拍車がかかっていきました。


 話しかけても、返事は少ない。休み時間も席に座ったまま、机の木目のあたりをじっと見つめて、何かをつぶやいている。


 聞こえてくるのは、決まって、こんな言葉でした。


「次は、もっと大きなものを使えば……」


 右手の小指に巻かれていた絆創膏は、いつのまにか、なくなっていました。


──────────


 それからしばらくして、母の買い物について行ったスーパーで、私は偶然、F君に出くわしました。


 一瞬、誰だか分かりませんでした。


 丸刈りだった髪は伸びて、前髪が目にかかっている。真夏だというのに長袖のシャツを着て、その袖口を、両手で握り込むようにしている。真冬でも半袖半ズボンだった、あの子がです。


 先に気づいたのは母のほうで、F君のお母さんに声をかけて、ようやく、ああF君だ、と分かったくらいでした。


 お母さん同士が久々の再会に話し込んでいるあいだ、私はF君に声をかけました。


「元気にしてた?」


「あぁ……なんとか、な」


 覇気がありません。それでもF君は、しばらく黙ったあとで、思い切ったように口を開きました。


「なぁ、聞いてくれるか。あの日――火事のあった日な。父ちゃん、夜勤でいなかったんだ。家に、いなかったんだよ」


 誰も寝ていない布団の、その枕元から、火が出た。


 火元は、結局はっきりしなかったのだそうです。枕元の何かが燃えた、たぶん煙草だろう、ということになっただけで、F君自身は、ずっと違うと言い張っているといいます。


「でな。火事のあと、何か使えるもんが残ってないか、焼け跡を掘り返したんだよ。そしたら――」


 F君が、手を開きました。


 その掌の上に、あの、鈍く光る鉛色の玉が、乗っていました。


 煤ひとつ、付いていません。


「これだけ、残ってたんだ。プラモも、テレビも、柱まで炭になったのに。これだけ、何ともなかったんだ」


 F君は、その玉をじっと見つめながら、絞り出すように言いました。


「俺な、思うんよ。これ……佐々木の、呪いなんじゃねえかって」


「ほら、馬鹿なこと言ってないで。帰るよ」


 お母さんに促されて、F君はスーパーを出て行きました。


 自動ドアが閉まる直前、彼はもう一度だけ、握った手をちらりと開いて、それがそこにあることを確かめていました。


 ――捨てられないのだ。


 なぜだかそう思って、私はしばらく、その場を動けませんでした。


──────────


 佐々木君の、呪い。


 まさか、と思いました。思いましたが、その言葉を聞いた瞬間、ふと、一つのことが頭に浮かんだのです。


 あの日から、佐々木君が、うつろな目でつぶやき続けていた言葉。


 あれは、こう言っていたのです。


「あの大きさで、あの効きめなら……次は、もっと大きなものを使えば……」


 あの大きさ。


 ビー玉のことだと、私はずっと思っていました。


 けれど。


 あの朝、教室に入ってきた佐々木君の、右手の小指。


 そこに巻かれていた、白い絆創膏。


 あれは――いったい、何の話だったのでしょう。

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