水神さまのお節介
私の家の近くに、こんこんと水が湧き出る池を抱えた公園があります。
熊本という土地は、蛇口をひねれば地下水が出てきます。水道水が一〇〇パーセント地下水という、ずいぶん贅沢な町です。阿蘇に降った雨が、火山灰の積もった大地に染み込んで、二十年とも、それ以上ともいわれる長い時間をかけて地の底をくぐり、ようやくこのあたりへ湧いてくる。
つまり、いま池の底でぷく、ぷくと砂を噴き上げているあの水は、私がまだ生まれてもいなかった頃に降った雨、ということになります。
そう思って眺めていると、底まで透けて見えるほど澄んだその水が、なんだかとても遠くから帰ってきたもののように思えて、不思議な気持ちになるのです。
そんな公園へ日課のように散歩をしていますが、ときどきご挨拶程度のお話をする方がいます。Dさんです。
同じく近所に住む方で、はじめてお見かけした頃は、いつもお一人でした。背筋を伸ばして、ゆっくりと歩いておられる。どこか近寄りがたい雰囲気があって、私はしばらくのあいだ、遠くから会釈をするだけでした。
ある朝、池の畔の小島に祀られた祠へ、気まぐれで手を合わせていたときのことです。
「あなたも、来るんですか」
ふと横を見ると、Dさんが立っておられました。少し驚いたような、それでいて、どこか嬉しそうな声でした。
そこから言葉が増えていき、今では立ち話をする仲になりました。
この祠を掃き清めている方のひとりが、Dさんだったのです。
――――――
Dさんは、七十代に見えるご老人です。
数年前に奥様を病気で亡くされ、それからは毎朝この祠を掃き清めることが日課になったと、話してくださいました。仕事はとうに引退し、子どもたちもとうの昔に独立して、家にはひとり。朝、目が覚めても、特にやることがない。
「健康のために、歩きよるだけですたい」
そう言いながら、どこかその言葉を言い訳にするような表情をなさるのが、私は少し気になっていました。
理由を知ったのは、ずいぶんあとのことです。
朝の散歩は、もともと奥様の提案だったのだそうです。
「健康のためにも、歩かんといけませんばい」
それが、奥様の口癖でした。
この公園を二人で歩き、祠に手を合わせて帰る。それが長いあいだ、Dさんご夫婦の朝でした。
――だからDさんは、いまも同じ道を、同じ時間に、お一人で歩いておられたのです。
「最近は世話をする人も減ってきましてなあ。私も、いつまで続けられるか分かりませんけん、どなたかに引き継いでもらいたかとですがなあ」
その言葉を聞いて、私は正直、少し尻込みしました。
けれど後日、いつもの気難しそうな表情ではなく、どこか照れくさそうに顔をほころばせたDさんが「実はね……」と話してくださった出来事を聞いて、少しだけ前向きに考えてみようと思ったのです。
――――――
その湧水公園は、公園と呼ぶには少し大きすぎるほどの場所です。
市の小さな施設と、広い芝生のグラウンドが併設されており、その一角に、水の湧き出る池と、木々の植えられた静かな区画があります。
夏になれば、子どもたちは池から溢れた湧水を引いた浅い用水路へ足を突っ込み、小魚を追いかけ回します。私も子どもの頃、ああやってさんざん膝まで濡らしては、母に叱られたくちです。遊具のそばでは、近所の保育園の小さな子たちが歓声を上げている。
夜になれば街灯が公園を明るく照らし、サッカーボールを蹴る親子、並んでランニングするカップル、ベンチで夕涼みをするご老人。一日中、誰かしらが訪れる、賑やかな公園です。
池は半径二十メートルほどの丸い形をしていて、真ん中あたりの小島に、小さな祠が建っています。人がひとり渡れる幅の橋が架かっていて、そこを渡って、祠のもとへ行くことができます。
祠に何を祀っているのか、明記されているわけではありません。
もっとも、この土地ではさして珍しいことでもないのです。井戸端に、湧水のそばに、「水神」や「龍神」とだけ彫られた小さな石が、あちこちに残っている。誰が建てたのかも、いつからあるのかも分からないまま、誰かが花を供え、誰かが掃く。そうやって、なんとなく守られてきた。
ですから私も、水の湧き出る場所に祀られているのだから水神様だろうと、勝手にそう決めて手を合わせています。
――――――
Dさんは毎朝、清々しい朝の空気を独り占めするように、その公園へ通っていました。
竹箒で、シャッ、シャッと落ち葉を掃く。ご近所の同年代の方と、二言三言、挨拶を交わす。水神様に手を合わせて、家に帰る。
何事もなく過ぎていく毎日。寂しさを抱えながらも、ただ淡々と続く、穏やかな日々でした。
――――――
ある春先の朝のことです。
まだ空気の冷たい時間に公園へ行くと、池の水面に、薄い霧がかかっていたそうです。
湧水ですから、水の温度は一年中ほとんど変わりません。冷え込んだ朝には、外の空気より水のほうが温かい。だから、こうして白い息のような霧が立つのです。
その霧が風に押されて、ゆっくりと流れていく。眺めていると、まるで池そのものが呼吸しているように思えたといいます。
水底では、湧き上がる水が細かい砂を持ち上げて、ぷく、ぷく、と小さな砂の花を咲かせては、崩している。
「毎日通いよるとですね。水面の揺れ方ひとつで、今日は機嫌のよかな、今日は少し眠かとかな、そぎゃんことまで分かる気になるとですよ」
Dさんは、笑いながらそう話してくれました。
その朝もいつものように、竹箒で落ち葉を払い、小さな石畳を整えました。
最後に手を合わせながら、首から下げた奥様の形見の結婚指輪を、そっとシャツの中から取り出して、両の手のひらに包む。
そうすると、奥様と一緒にお参りしているような気持ちになれる。
毎朝繰り返されるその小さな儀式は、二人だけの、大切な時間でした。
日課を終え、帰ろうとした、その時のことです。
ガアッ。
誰かが供えた小さな桜餅を狙って、カラスが祠めがけて舞い降りてきました。
Dさんは「食べられても仕方なか」と思いながらも、供えた人の気持ちを思うと忍びなく、箒を手に追い払おうとしました。
しかし、カラスも空腹だったのでしょう。バサバサと羽を鳴らし、威嚇するように飛び跳ねながら、向かってきます。
後退りしながら橋のたもとまで下がったとき、カラスが勢いよく突っ込んできました。
咄嗟に箒で防ぎ、反撃しようと振り上げた、その瞬間。
プツッ。
箒の先が、首から下げた紐に引っかかりました。
あっ、と思ったときには、もう遅い。
銀色の小さな輪が、朝の光の中できらりと一度だけ回って、放物線を描いて――
ぽちゃん。
ずいぶん、小さな音でした。
Dさんは橋のへりに膝をつき、水の中を覗き込みました。
澄んだ水です。底の小石のひとつひとつまで、はっきりと見える。
見えるのです。
沈んでいく指輪が、木の葉のようにゆらゆらと揺れながら、水底へ落ちていくのが、ちゃんと見えている。
届くわけがないと分かっていながら、Dさんは腕を突っ込みました。肘まで。肩まで。それでも指先は、水を掻くばかりです。
靴を履いたまま、水の中へ下りました。
触れた瞬間は、思ったほど冷たくありません。けれど、そのぬるさに騙されて立っていると、じきに、骨のあたりから熱を吸い取られていくのが分かります。
そして、一歩踏み出した瞬間。
足元から、灰色の煙のように、砂が舞い上がりました。
あれほど澄んでいた水が、たちまち濁って、何も見えなくなったのです。
両手で、闇雲に底をさらいました。小石。落ち葉。苔。指の隙間から逃げていく、冷たい泥。
どれだけそうしていたのか、Dさんは覚えていないそうです。
気がつくと、水はまた、嘘のように澄んでいました。
けれど、いくら目を凝らしても、あの小さな銀色は、どこにもありませんでした。
濡れたズボンのまま、Dさんは橋のたもとに座り込みました。
悲嘆に暮れるその姿に同情したのか、カラスは供え物にも目をくれず、いつのまにか静かに飛び去っていたそうです。
その小さな銀色の輪は、奥様の形見の小さな銀の指輪。値打ちのあるものではありません。ただ、亡くなってから一日たりとも、肌身から離したことのなかったものです。
「仕方なか。あれはもう、奥さんのとこに帰ってしもうたとやろ」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟いて、その日は帰ったそうです。
その晩から二日ほど、Dさんは熱を出して寝込みました。
――――――
それからのDさんは、以前よりもずっと長く、祠の前に立つようになりました。
掃き清める手つきは変わりません。ただ、祈る時間が、ずいぶんと長くなった。
顔見知りと交わす挨拶も、少しずつ短くなっていったそうです。
はじめのうちは、熱心に祈っていれば、ひょっこり指輪が戻ってくるのではないか――そんなことも考えたといいます。
けれどやがて、そういう祈り方ではなくなりました。
「あいつが、この池におるごたる気がしてですね」
奥様の住処を掃くような気持ちで、Dさんは毎朝、箒を動かすようになったのです。
――――――
それから数日後の、夕刻のことです。
放課後になると、近所の子どもたちが、虫取り網を手に池へ集まってきました。畔で網を沈めては、何か捕れないかと騒いでいます。
池には鯉が自生していて、それを狙ってサギもやってきます。
子どもたちが騒いでいるすぐ横で、一羽のサギが、灰色の置物のように立っていました。ぴくりとも動きません。
その鋭い眼差しに気づいた子どもたちは、誰からともなく黙り込み、固唾を呑んで様子をうかがいます。
夕日が、池の面を橙色に染めていました。
次の瞬間。
シュッ、と首が伸びて――バシャッ。
サギは水面を突き、少し大きめの鯉の稚魚を一匹、くちばしに捉えていました。
魚をくわえたまま、大きな翼を広げて飛び立ちます。子どもたちのいる方角へ、地面すれすれをかすめるようにして――
その瞬間でした。
コツン。
何かが、子どもたちの足元に落ちました。
サギは、そのまま夕焼けの中へ飛び去っていきます。
一部始終を見ていた子どもたちは、落ちたものへ一斉に駆け寄りました。
「ねえ、これキラキラしとるよ!」
「指輪だよ。お母ちゃんがつけとるのと同じ感じ!」
鳥が落としていったのは、鈍く光る、銀色の指輪でした。
不思議なことに、それは、少しも濡れてはいなかったそうです。
子どもたちは、文字どおり降って湧いたお宝に夢中になりました。かわるがわる指にはめてみては、大きすぎる、抜けなくなった、と大騒ぎです。
ひとしきり盛り上がったあと、その場にいた唯一の女の子が、みんなから「女の子やけん、やる」と譲られ、それを手にすることになりました。
――――――
家に帰り、夕ご飯を待ちながら、女の子は蛍光灯に指輪をかざしては、きらりと光るのを楽しんでいました。
細い指には大きすぎて、親指にしか入りません。
台所からは、味噌汁の匂いが流れてきています。
あれやこれやと指輪をかざす、その様子に気づいたおばあさんが、声をかけました。
「どぎゃんしたとや、その指輪は」
「池でね、サギが魚くわえて飛んでったら、なんか落としていったの。それがこれ」
おばあさんは指輪を受け取り、蛍光灯にかざして、じっと見つめました。
値打ち物には見えません。ただ、内側に、小さな刻印がありました。
アルファベットが二つと、日付がひとつ。
結婚記念日です。
おばあさんは、それをしばらく黙って見ていました。
おばあさん自身の左手の薬指にも、細い指輪がひとつ、はまったままであることを、女の子は知っています。
「こりゃあ……誰かの、大事かもんかもしれんばい」
「どうしたらよかと?」
「そうたいねぇ……誰のもんか、聞いてみらんといかんね」
翌朝、二人は公園に併設された市の施設へ、指輪を届けることにしました。
――――――
事情を聞いた施設の職員は、すぐに思い当たりました。
先日、指輪を池でなくしたと、それはもう気落ちした様子で話していた、Dさんのことです。
連絡を受けたDさんは、電話口で大喜びでした。
「すぐ行きます。直接お礼が言いたかですけん、少しだけ待っとってください」
おばあさんも「そんなに大事な指輪なら、直接お渡ししたい」と思い、待つことにしました。
息せき切って施設に飛び込んできたDさんは、靴のかかとを踏んだままでした。
丁寧に、深く、おばあさんへ頭を下げます。
差し出された指輪を、Dさんは両手で受け取りました。
そして、そのまま――両の手のひらに包み込んで、胸に当てたのです。
毎朝、祠の前でしていたのと、まったく同じかたちに。
しばらく、言葉が出てきませんでした。
その姿を見て、おばあさんは静かに微笑みました。
「よかったですねぇ」
Dさんは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、言いました。
「ありがとう……本当に、ありがとうございます」
その声には、奥様への想いと、指輪が戻ってきた安堵と、目の前の見知らぬ人への感謝とが、ひとつになって滲んでいました。
――――――
それからDさんとおばあさんは、時々、お茶を飲むようになりました。
お互いに伴侶を亡くした者同士です。話題は自然と、昔の思い出や、今のささやかな日々のことへと流れていきます。
やがて、どちらからともなく、朝の散歩に誘い合うようになりました。
「健康のためにも、歩かんといけませんなあ」
Dさんがそう言うのを聞いたとき、私は思わず、胸のあたりが熱くなりました。
それは、奥様の口癖だった言葉です。
「そうですね。せっかくですけん、水神さんにも挨拶していきましょう」
毎朝、二人は並んで、湧水公園へ向かいます。
Dさんが祠を掃き清め、おばあさんが小さな花を供える。
その光景は、まるで祠が、ずっと前からそうなることを知っていたかのようでした。
私も朝の散歩で、その二人を見かけることがあります。
そのたびに、思うのです。
――あの日、池に落ちた指輪は、ただの偶然ではなかったのかもしれない。
水神様が、寂しさを抱えた二人を、そっと引き合わせたのではないか。
いいえ、もしかすると――池に還った奥様ご自身が、独り残されたDさんを案じて、水神様の手を借り、新しいご縁を手繰り寄せたのではないか。
そんなふうにも、思えてくるのです。
なにしろ、この池の水は、二十年も、あるいはもっと前に阿蘇へ降った雨が、地の底を長い長い旅をして、ようやく帰ってきたものなのですから。
――失くしたものが返ってくるのに、これくらいの不思議は、あってもいいでしょう。
――――――
ある朝、思いつきでふらりと公園へ立ち寄ったとき、ふと、池の水面が、いつもより強く揺れているのに気づきました。
風は吹いていません。木の葉ひとつ、動いていない。
それなのに水面だけが、まるで誰かがそっと指先で触れたように、ゆっくりと波紋を広げていました。
Dさんの言葉が、耳によみがえります。
「最近は世話をする人も減ってきましてなあ。どなたかに引き継いでもらいたかとですがなあ」
波紋を見つめながら、私は思いました。
――お受けしても、いいのかもしれない。
もっとも、私のほうには妻も、生意気な子どもらも、我が物顔の猫まで四匹おりますので、これ以上ご縁を運んでいただく必要は、まったくございません。
ただ、この先も誰かが、ここで誰かと出会うのだとしたら。
その掃除当番くらいなら、私にも務まるかもしれない。
そういえば、ひとつ思い出したことがあります。
水神様といえば、弁天様を思い浮かべる方も多いでしょう。嫉妬深いことで有名で、男女で参ると別れさせられる――なんて話も、ありますよね。
でも、この公園の水神様は、少し違うようです。
むしろ、ずいぶんとお節介で――人と人を、そっと結びつけてくださる水神様なのかもしれません。
明日の朝は、竹箒を一本、持って行ってみようと思います。




