表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/25

第二十二話 見ている人間が、見られる側になると少し黙る

 人を見るのが得意な人間は、自分が見られるのは苦手だ。


 そんなことは、少し考えれば分かる。

 見る側は、距離を選べる。近づく角度も、踏み込む深さも、言葉にするかどうかも、自分で決められる。相手の表情が崩れた一瞬だけ拾って、そこから先は見なかったことにもできる。


 でも、見られる側は違う。


 相手がどこを見ていたか分からない。

 何を“それらしい”と思ったのか分からない。

 自分でもまだ名前をつけていなかった感情の揺れを、勝手に一行の文へされる。


 それは、たぶん思っている以上に居心地が悪い。


 文化祭以降、俺はようやくそのことを自分の側から知り始めていた。


    ◇


 木曜の放課後、生活記録同好会の資料整理室は、外の曇り空のせいでいつもより少し暗かった。


 窓の向こうには海が見えるはずなのに、今日は光が薄くて輪郭しか分からない。机の上には、昨日までに見つかった匿名文のコピーが並び、その横に出どころ不明のメモがいくつか重ねてある。


 誰か一人の恋文ではない。

 誰かたちの“遅れ”を見て書いた観測文。


 そこまでは、昨日時点でだいぶはっきりしていた。


「追加、二枚」

 結月が淡々と言って、クリアファイルから紙を抜いた。

「図書室の廃棄前雑誌の間に挟まっていました」

「またか」

 俺が言う。

「はい」

「ほんとに増えるな」

 澪菜が顔をしかめる。

「しかも毎回、なんかちょっとずつ嫌な方向に慣れてくるのがやだ」

「慣れないでください」

 星彩が即座に言う。

「こういうものに慣れるのはよくありません」

「分かってるって」

 

 澪菜はそう言いながら、結月の持ってきたコピーを覗き込んだ。


『見つけるのが上手い人ほど、自分が見つかったときだけ静かになる。』


『観察は優しさの顔をしていても、受け取る側には刃物みたいな日がある。』


 部屋が、少しだけ静かになる。


「……うわ」

 澪菜が小さく言った。

「これ、だいぶ嫌」

「はい」

 結月が言う。

「かなり」

 

 俺は二枚目の文を見たまま、少しの間何も言えなかった。


 観察は優しさの顔をしていても、受け取る側には刃物みたいな日がある。


 その一文が、妙にまっすぐ胸へ入ってきたからだ。


「先輩」

 結月がこちらを見る。

「今、だいぶ刺さりましたね」

「……」

「図星」

「おまえ最近、それ言うの好きだな」

「便利なので」

 

 反論しづらい。


 玻乃先輩が少し遅れて部屋へ入ってきたのは、ちょうどそのときだった。


「お、空気重」

 第一声がそれだ。

「先輩、もう少し別の入り方ないんですか」

 俺が言う。

「あるけど、今のほうが正確かなって」

 

 そう言いながら、先輩は机の上のコピーを見て、「あー」と小さく息を吐いた。


「なるほどね」

「何がですか」

「だんだん、誰か一人の気持ちを描くんじゃなくて、“見てる側”の性質が前へ出てきてる」

「はい」

 星彩が頷く。

「しかも、視点が近い」

「うん」

 玻乃は紙を指で軽く叩く。

「これ書いてる人、自分では外側の顔をしてるけど、当事者のすぐ近くにいる」

「……」

「だから細かい揺れが見える」

 

 俺はその“見える”という言葉に、妙な居心地の悪さを覚えた。


 見える。

 揺れが分かる。

 近くにいるから気づく。


 それは、今まで俺が自分の側でやってきたことにも近い。


「先輩」

 澪菜が言う。

「今の、透真ちょっと嫌そうだった」

「うん」

 玻乃先輩があっさり言う。

「だいぶ自分に返ってる顔だった」

 

 逃げ場がない。


「……そうかも」

 俺は認めるしかなかった。

「だろうね」

 先輩は机の端に腰をかける。

「後輩くん、自分は“ちゃんと見てる側”だと思ってたでしょ」

「今も思ってる」

「うん。でも」

 一拍置いて、

「見られる側に回ると、急にその“ちゃんと”が怖くなる」

 

 結月が静かにうなずく。


「はい」

「うん」

 澪菜も小さく同意する。


 星彩は何も言わなかったが、視線だけはコピーから離さなかった。


    ◇


 話の流れで、机の上の短文を“誰を見ているか”ではなく、“どう見ているか”で分類し直すことになった。


 距離の観測。

 感情の遅れ。

 怒りや沈黙。

 役割と本音のずれ。

 見る側と見られる側の反転。


 作業としては地味だ。

 でもやってみると、この匿名文の嫌さの正体が少しずつ輪郭を持ち始めた。


「これ」

 星彩が、ある束を指先でそろえながら言う。

「“好き”を直接書かないんですね」

「うん」

 俺が答える。

「“気になる”とか“言いたい”とかも、あんまりない」

「はい」

 結月も頷く。

「代わりにあるのは、“言えない”とか“遅れる”とか“黙る”とか」

「手前ばっかり」

 澪菜が言う。

「ほんとに」

 

 玻乃先輩は少しだけ笑った。


「だってさ」

 言う。

「“好きです”って書いた瞬間、それは自分の言葉になるから」

「……」

「でも、“正しい人は順番を守りすぎる”とか“近い人ほど名前をつけてもらえない”とかなら、まだ観察の顔できる」

「卑怯ですね」

 星彩がはっきり言う。

「知ってる」

 先輩はあっさり受け止める。

「でもその卑怯さ、ちょっと分かる人もいるでしょ」

 

 その言い方に、部屋の空気が少しだけ変わる。


 誰もすぐには返事をしない。


 先輩はそれ以上は続けなかった。

 でも、あれはたぶん全員に向けた言葉だった。


 まっすぐ言わないで済ませたい気持ち。

 自分のものとして差し出すにはまだ怖い気持ち。

 それを、誰もまったく知らないわけではない。


「ただ」

 結月が静かに言う。

「分かることと、許せることは違います」

「うん」

 玻乃先輩が頷く。

「その通り」

 

 結月は一枚のコピーを指で押さえた。


『見つけるのが上手い人ほど、自分が見つかったときだけ静かになる。』


「これ」

 言う。

「かなり嫌です」

「俺も嫌だ」

 思わずそう言った。

「何で」

 澪菜が聞く。

「だって」

 一度息をついてから答える。

「これ、ただ俺を見てるだけじゃなくて、“見つけること”自体を、少し悪いものみたいに置いてるから」

 

 それは、自分で口にしてみて初めてしっくりきた感覚だった。


 たしかに俺は、人を見る。

 小さな違和感に気づく。

 隠しているものの輪郭が見えてしまうこともある。


 でもそれは、傷つけるためではない。

 少なくとも、自分ではそう思っている。


 なのに、この文はその行為自体を“外側から切り取って”置いている。

 しかも、まるでそれを一番よく分かっているみたいな顔で。


「先輩」

 結月が言う。

「今のは、かなり大事だと思います」

「何が」

「自分が嫌な理由を、ようやく“嫌です”で言えたので」

 

 前の俺なら、たぶんもっと曖昧にした。


 何となく気持ち悪いとか、距離が近すぎるとか、そういう言い方で終わらせたかもしれない。


 でも今は違う。

 見られる側になったからこそ、自分の何が切り取られているのかが、少しだけ分かる。


「うわ」

 澪菜が小さく言う。

「それ、なんかちょっと分かる」

「何が」

「私もさ」

 澪菜は紙の束を見たまま言う。

「“明るい子ほど、先に自分を脇役へ置く”みたいな文、嫌だったじゃん」

「うん」

「嫌だったの、たぶん“図星だから”だけじゃなくて」

「……」

「私のそういうとこを、私の言葉じゃない形で先に説明された感じがしたからだ」

 

 星彩がその言葉に少しだけ反応した。


 目を上げ、澪菜を見る。


「それは」

 静かな声で言う。

「かなり、分かります」

 

 そこで二人の視線がほんの少しだけ重なった。


 文化祭前なら、もう少し棘のある空気になったかもしれない。

 今は違う。

 同じ嫌さを、違う場所から知ってしまった者同士の静かな共有がある。


「だから」

 星彩は続ける。

「誰かを見て気づくこと自体が悪いのではなくて」

「うん」

「その気づきを、本人より先に“説明”へしてしまうのが嫌なんだと思います」

 

 その言葉は、たぶん今この部屋にいる全員にとって、大事な結論だった。


 見ること。

 気づくこと。

 それ自体は悪ではない。


 でも、本人の言葉やタイミングを飛び越えて、“分かってます”の形へしてしまうと、急に刃物になる。


 匿名文の嫌さは、そこにある。


    ◇


 そのあと、少しだけ作業の手が止まった。


 曇り空のせいで部屋が暗くなってきて、星彩が蛍光灯をつける。白い光が机の上のコピーを均一に照らして、余計に文字だけが前へ出てくる。


「ねえ」

 玻乃先輩が、わざと軽い調子で言う。

「後輩くん」

「何ですか」

「今日、ちょっと静かだね」

「そうですか」

「うん」

 先輩は笑う。

「見られる側になって、ちょっと黙ってる顔」

 

 結月がほんの少しだけ目を細めた。


 たぶん、その言葉をどう置くか見ている。


「……そうかも」

 俺は答えた。

「嫌だな、それ」

「嫌?」

 澪菜が聞く。

「だって」

 少し言いにくいが、もう曖昧にするのも違う気がした。

「前までは、“見つける”ことにそこまで責任感じてなかった」

「……」

「今は、見つけたあとにどうするか、前よりずっと気になる」

「うん」

「しかも、自分が見つけたつもりのものを、別の角度から勝手に文章にされると」

 そこで言葉を探す。

「……自分がやってることの雑さまで、まとめて見せられた感じがする」

 

 部屋が静かになる。


 玻乃先輩は笑わなかった。

 星彩も、澪菜も、結月も、すぐには何も言わない。


 やがて結月が、静かに言った。


「それはたぶん、悪いことではありません」

「何が」

「怖くなったことです」

 

 思わず顔を上げる。


「怖くなる?」

「はい」

 結月は頷く。

「今までは、“見つけた”で止まっていた」

「……」

「でも今は、“見つけたあとに傷つけるかもしれない”まで見えている」

「それって、動きにくくなるだけじゃ」

「そうかもしれません」

 結月は言う。

「でも、その怖さがない人よりは、たぶんずっとましです」

 

 星彩も小さくうなずいた。


「わたしもそう思います」

 静かな声。

「見つけること自体をやめる必要はない」

「うん」

「でも、見つけた側が“怖くならない”ままだと、たぶんすぐに雑になります」

 

 澪菜が、それを聞いて少しだけ笑う。


「今日の委員長さん、結構いいこと言うね」

「今日は?」

 星彩がわずかに眉を寄せる。

「いや、普段もだけど」

「フォローが雑です」

「そこはごめん」

 

 小さな笑いが起きる。


 でも、その笑いのあとに残るものは前より少し違っていた。

 ただ軽く流したのではなく、何か一つ共有したあとに起きる笑いだ。


    ◇


 作業を切り上げた頃には、外はもうかなり暗くなっていた。


 先に星彩と結月が帰る。

 玻乃先輩も「今日は駅前で本探すから」と言って、手を振って去っていった。


 昇降口を出ると、澪菜が隣へ並ぶ。


「帰り、一緒?」

「うん」

 俺が答える。

「よかった」

 

 短く、それだけ。


 坂を下りながら、少し沈黙が続く。

 でも悪い沈黙ではない。

 今日の資料整理室で話したことが、それぞれの中でまだ少し熱を持っているのだろう。


「ねえ」

 澪菜が言う。

「何」

「さっきさ」

「うん」

「“見つけることの雑さまで見せられた感じがする”って言ったじゃん」

「言った」

「あれ、ちょっと分かる」

 

 俺は横を見る。


「どういう意味」

「私も」

 澪菜は前を見たまま言う。

「透真に見つけてもらうの、前より嫌じゃない」

「……」

「でも、だからって“はいはい分かってるんでしょ”って第三者に先回りされるのは、めちゃくちゃ嫌」

 

 今日一日で、何度も出た感覚だ。


 見ることと、説明することは違う。

 気づくことと、代わりに言ってしまうことも違う。


「だから」

 澪菜が少し笑う。

「先に言いたいんだよね、自分で」

「うん」

「今の私なら、たぶん前よりそう思う」

 

 平気な顔の練習をやめ始めた。


 昨日の澪菜の言葉が頭をよぎる。


「……それ、いい変化だと思う」

 俺が言う。

「うん」

 澪菜は頷く。

「でしょ」

 

 少しだけ風が強くなる。


 海の匂いが坂の途中まで上がってきていた。


「透真」

「何」

「今日ちょっと、前より人間っぽかった」

「どういう褒め方だよ」

「見られてるの嫌で、少し黙ってる感じ」

「褒めてるのかそれ」

「半分」

 

 やっぱり便利だな、その言い方。


 でも今日は、その半分で十分な気がした。


 見ている人間が、見られる側になると少し黙る。


 たしかに俺は、前より黙るようになった。

 けれどその黙り方が、ただの逃げじゃなく、誰かの言葉を雑に奪わないための一歩になっていくなら、悪い変化ではないのかもしれない。


 坂の下の分かれ道で、澪菜が立ち止まる。


「じゃあ、また明日」

「おう」

「次は、見るだけじゃなくてちゃんと聞いてね」

 

 その言葉に、思わず少し笑う。


「分かってる」

「ほんとに?」

「前よりは」

「じゃあ、よし」

 

 そう言って手を振り、澪菜は自分の家のほうへ下っていった。


 その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。


 見つけるのは上手い。

 でも今は、見つけたあとにどう黙るか、どう聞くか、どう持つかを覚えなければいけない。


 文化祭明けの日常は、やっぱり少しだけ元に戻らない。

 そしてその戻らなさの中で、俺は前とは違うやり方を少しずつ選び始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ