表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/25

第二十一話 校内に落ちる短文は、誰かの恋ではなく、誰かの観測だ

恋文と観察記録は、似ているようで少し違う。


 どちらも誰かを見ている。誰かのちょっとした変化に気づいて、それを言葉にしたくなる。笑い方、目の逸らし方、沈黙の長さ、名前を呼ぶタイミング。そういう細かいものに反応するところまでは、たぶん同じだ。


 でも、決定的に違う点がある。


 恋文は、本当なら持ち主がいる。


 誰かが誰かへ向けて言おうとする。届くかどうかは別として、少なくとも矢印がある。


 観察記録には、それがない。


 ただ見ている。見て、分かったつもりになって、短く切り取って、置いていく。そこに当事者として入る勇気も責任もないまま、“分かってる側”の顔だけが残る。


 最近、校内に落ちている短文は、たぶん後者だ。


    ◇


 水曜日の放課後。

 生活記録同好会の資料整理室は、珍しく人が多かった。


 俺、澪菜、星彩、結月、そして乙部先輩。

 机の上には、昨日までに保管庫や旧資料箱から見つけた短文のコピーが並んでいる。どれも元の紙は劣化や紛失を避けるために別保管して、作業用としてコピーしたものだ。


 文化祭が終わって、学校は一応普通の顔へ戻っている。

 でもこの部屋の中だけは、まだ終わっていないことのほうが多い。


「……増えましたね」

 星彩がコピーの束を見ながら言う。

「うん」

 俺が答える。

「昨日だけで四枚」

「しかも、どれも方向が似てる」

 澪菜が言う。

「“誰かを好き”じゃなくて、“誰かたちを見てる”感じ」

 

 その表現はかなり的確だった。


 机の上の紙には、たとえばこういう文がある。


『笑っているほうが、先にあきらめたふりをする。』


『正しい人は、好きになる前に迷惑を考える。』


『静かな人の怒りは、だいたい“そういう子”で終わらされる。』


『近すぎる人ほど、最後まで名前をつけてもらえない。』


 どれも、特定の誰かを思わせる。

 でも同時に、誰か一人だけへ向いているわけでもない。


 ひどく近くで見ているのに、当事者ではない書き方だった。


「これ」

 乙部先輩が紙を一枚持ち上げる。

「もう恋文じゃなくない?」

「はい」

 結月が即答する。

「告白ではありません」

「じゃあ何」

 澪菜が聞く。

「監視?」

「そこまで直接的ではないです」

 結月は静かに言う。

「もっと、参加できない人の書き方」

 

 その一言に、部屋の空気が少しだけ変わる。


「参加できない」

 俺が繰り返す。

「はい」

 結月は頷く。

「好きだとまっすぐ言う側でもなく、ただ見ているだけでもなく」

「……」

「近くにいるけど、輪の中へ入る勇気はない。だから“観測したこと”として残す」

 

 それは、昨日までぼんやり感じていたものを、かなり正確に言葉にした気がした。


 自分の感情を自分のものとして出せない。

 でも何もなかったことにしたくもない。

 だから“観測記録”の顔をして置いていく。


 卑怯で、切実で、だいぶ面倒だ。


「嫌だねえ」

 玻乃先輩が、少しだけ本音寄りの声で言う。

「“私は当事者じゃありません”の顔したまま、誰かの心だけ切り取ってる感じ」

「嫌です」

 星彩が即答する。

「非常に」

 

 その“非常に”の強さに、澪菜が少しだけ目を細めた。


「委員長さん、それ相当だね」

「相当です」

 星彩は言う。

「だって、本人がまだ言っていないことを、“分かってます”の形で置いていくんですよ」

「うん」

「趣味が悪いです」

 

 そこまで強く言うと、逆に星彩らしくない気もする。

 でも今の彼女は、文化祭前よりこういう嫌悪を隠さなくなっている。


「先輩」

 結月が俺を見た。

「何」

「これ、まだ“誰が好きか”を特定する段階ではありません」

「分かってる」

「本当に?」

「……」

「今、一瞬だけ“この文は誰っぽい”を考えましたよね」

 

 図星だった。


「いや」

 澪菜が笑う。

「それはたぶん全員ちょっと考えてる」

「考えるのは仕方ないです」

 結月が言う。

「でも、そこへ先に行くと、書いた人の思う壺です」

「思う壺?」

 俺が聞く。

「はい。誰かの感情を勝手に分類して、勝手に読んで、勝手に意味を増やす流れになるので」

 

 それはまさに、結月が一番嫌う種類のことだ。


 文化祭の展示で怒ったときもそうだった。

 言葉が誰のものか曖昧なまま、“雰囲気”として消費されていく感じ。

 今も、あの怒りの延長線上にいるのだろう。


「じゃあ」

 澪菜が机に肘をつきながら言う。

「まずは“誰かの恋”としてじゃなく、“誰かの観測”として整理する?」

「それがいい」

 俺が言う。

「うん」

 星彩も頷く。

「少なくとも、今の段階では」

 

 そうして、俺たちは短文をいくつかの傾向で分け始めた。


 恋愛っぽいもの。

 距離感について書いたもの。

 感情の遅れや順番を扱ったもの。

 沈黙や怒りを切り取ったもの。


 やってみると、さらに違和感がはっきりした。


 “好き”そのものを正面から言った文は、ほとんどない。

 代わりに多いのは、誰かの感情が出る“手前”を切り取った文だ。


 笑ってごまかす。

 先に引く。

 言わない。

 待つ。

 遅れる。

 順番を守りすぎる。

 そういう“未満”ばかりだ。


「うわ」

 澪菜が小さく言う。

「これ、ほんとだ」

「何」

 俺が聞く。

「誰もちゃんと前に出てない」

 

 その一言が、かなり本質だった。


 たしかにそうだ。

 短文の中にいる人間たちは、みんな“好き”の手前で止まっている。

 踏み込めない。

 遅れている。

 観測されている。

 でも言えない。


「だから恋文じゃないんだ」

 玻乃先輩が言う。

「“好きです”の文じゃなくて、“言えません”の文なんだよ、これ」

 

 部屋が静かになる。


 その言葉が、机の上の紙束の全部を一度に説明した気がした。


    ◇


 そのあと、誰がどれを書いたかではなく、“どういう位置から書いているか”を考える流れになった。


 これはたぶん、普通の高校生の放課後の会話ではない。

 でも俺たちは、もうそういう方向へ進みすぎていた。


「まず」

 星彩が言う。

「当事者ではない、という顔をしている」

「うん」

 俺が頷く。

「でも、完全な外側でもない」

「はい」

 結月が続ける。

「遠くから見ているなら、ここまで細かい“遅れ”や“迷い”は拾えません」

「じゃあ近い」

 澪菜が言う。

「かなり」

「たぶん同じ学年か、同じ校舎圏内」

 俺が言う。

「文化祭中の空気も知ってる」

 

 玻乃先輩が、コピーの束を軽く扇みたいに広げる。


「しかも」

 言う。

「これ、書いてる本人も、自分の言葉として言う気はないよね」

「ないと思います」

 星彩が言う。

「責任を取る気配が薄い」

「でも、何かを見つけてほしい感じはある」

 俺が言う。

「うん」

 澪菜が頷く。

「“ここにあるよ”って置き方はしてる」

 

 結月は少しだけ考えてから、静かに言った。


「つまり」

「うん」

「近くにいるけど、自分では前へ出られない人」

「……」

「だから、観測した言葉として参加している」

 

 また部屋が静かになる。


 そのとき、不意に俺は変な感覚に襲われた。


 ぞわっとするような、不快さと納得が混ざった感覚だ。


「何」

 澪菜がすぐに気づく。

「今、顔変わった」

「……」

「また“分かったかも”の顔」

 玻乃先輩が言う。

「そうかも」

 俺は言った。

「何が」

 星彩が聞く。


 一度言葉を選ぶ。


「これ」

 俺は机の上の紙を指した。

「“誰かの恋”を見て書いてるんじゃないかもしれない」

「どういう意味ですか」

 星彩が聞く。

「誰か一人の片思いを、じゃない」

「……」

「“遅れてる人たち”全体を見てる感じがする」

 

 誰もすぐには喋らなかった。


 そこで俺は続ける。


「たとえば、澪菜っぽい文もある。星彩さんっぽい文もある。結月っぽいのも、乙部先輩っぽいのも」

「ひどいラインナップだなあ」

 先輩が笑う。

「でもそう」

 俺は言う。

「一人を好きで見てるなら、こんなに複数の“遅れ方”を拾わない」

「……」

「たぶんこれ、誰か一人の恋文じゃなくて」

 そこでようやく、その言い方がしっくり来た。

「俺たちの周りの“恋に遅れてる空気”を見て書いてる」

 

 澪菜が息をのんだのが分かった。


 星彩も、結月も、玻乃先輩も、誰も軽く受け流さなかった。


 たぶん全員、思い当たるものがあるからだ。


「……最悪」

 澪菜が小さく言う。

「そうだな」

 俺が返す。

「だいぶ」

「嫌です」

 星彩が言う。

「その“空気”の中に、自分が含まれている前提で書かれるのは」

「はい」

 結月が即座に同意する。

「かなり嫌です」

 

 その“かなり嫌です”の重なり方が、妙に今の俺たちらしかった。


    ◇


 議論はそこで終わらなかった。


 むしろ、そのあとが本番だった。


「じゃあ」

 澪菜が言う。

「犯人って、恋してる人じゃないの?」

「してるかもしれない」

 俺は答える。

「でも、その恋がメインじゃない」

「観測がメイン?」

「うん」

「うわ、嫌」

 

 澪菜は心底嫌そうな顔をした。


「好きなら好きで、自分で言えって感じ」

 言う。

「観測者ぶるなっていうか」

 

 それはたぶん、澪菜自身が“自分の言葉で言いたい”側へ回り始めたからこそ出る怒りなのだろう。


「でも」

 玻乃先輩が机に頬杖をつく。

「言えないから観測に逃げる気持ちも、ちょっと分かるんだよね」

「先輩」

 結月が静かに言う。

「分かるのと、許すのは別です」

「分かってる」

 先輩は苦笑した。

「だから擁護はしてないよ」

 

 星彩はしばらく黙っていたが、やがて低い声で言った。


「たぶん」

「うん」

「この人は、誰かの恋を応援したいわけでも、壊したいわけでもない」

「……」

「ただ、自分だけ外側にいるのが耐えられないんでしょう」

 

 その分析は、妙に冷静だった。


「外側」

 俺が繰り返す。

「はい」

 星彩が頷く。

「だから、自分の言葉として入る勇気はないけれど、“見ていた”という形で参加している」

「うわ」

 澪菜が顔をしかめる。

「それ、ほんと嫌」

「わたしも嫌です」

 星彩がはっきり言う。

「非常に」

 

 また“非常に”だ。


 でも今の星彩は、その嫌悪を隠すつもりがない。


「これ」

 結月が静かに言った。

「先輩」

「何」

「今後、誰が書いたかの前に」

「うん」

「“どう止めるか”を先に決めたほうがいいです」

 

 その言い方には、結月らしい線の引き方があった。


 犯人探しより先に、言葉の扱い方を決める。

 誰かを晒すより先に、これ以上“意味を増やさせない”方法を考える。


「そうだな」

 俺は頷く。

「その流れでいく」

「はい」

 

 星彩も異論はなさそうだった。


 玻乃先輩は少しだけ笑って言う。


「この同好会、だいぶ物騒じゃない?」

「どこが」

 澪菜が聞く。

「普通の高校生の放課後、ここまで“観測文の倫理”について真面目に話さないでしょ」

「それはそう」

 俺が言う。

「でも今さらだろ」

「まあね」

 

 先輩はそう言って、小さく息をついた。


「たださ」

 少しだけ本音の混じる声になる。

「誰かの恋じゃなくて、誰かの観測だって分かったの、ちょっと救いかも」

「何で」

 俺が聞く。

「だって、“誰か一人の告白”なら、もっと直接傷つくじゃん」

 

 その一言に、少しだけ沈黙が落ちた。


 たぶん、全員そこを想像したのだ。


 澪菜。

 星彩。

 玻乃先輩。

 結月。

 そして、まだ見ぬ観測者。


 誰か一人の“好きです”なら、もっと分かりやすく痛い。

 今のこれは、もっと遠回りで、もっと卑怯で、でもそのぶん処理も難しい。


「救いかどうかは分かりませんが」

 星彩が言う。

「少なくとも、整理の方向は見えました」

 

 いつもの委員長めいた言い方だ。

 でもその中に、文化祭前より少しだけ個人的な感情が混じっているのを、俺はもう見逃さない。


「じゃあ今日は」

 俺が言う。

「“誰かの恋文”として読むのはやめる」

「はい」

 結月が頷く。

「“観測記録”として分類し直します」

「そのうえで」

 星彩が続ける。

「次は出所と置かれ方を見ていく」

「了解」

 澪菜が答える。

「その作業、地味だけど大事だね」

「まさに本作って感じ」

 玻乃先輩が言う。

「自分で言うな」

 

 少しだけ笑いが戻る。


 けれど机の上の紙束は、やっぱり嫌な感じのままだ。


 誰かの恋ではなく、誰かの観測。

 しかもそれは、自分の責任を少し薄めたまま、近くにいる誰かたちの“遅れ”だけを切り取って置いていく。


 卑怯で、でもたぶん、まったく他人事でもない。


 だからこそ面倒なのだと、俺は改めて思った。


    ◇


 その日の帰り、坂道を一人で上りながら、俺はスマホを見ていた。


 文化祭明けから増えたメッセージ。

 澪菜の、短くても続きのある文。

 星彩の、事務連絡に少しだけ混ざる個人的な温度。

 玻乃先輩の、冗談三割本音七割くらいの文面。

 結月の、必要最低限なのに妙に残る言葉。


 近すぎる人ほど、最後まで名前をつけてもらえない。


 好きになった順番と、言える順番は、だいたい一致しない。


 あの短文たちは嫌だ。

 嫌だが、今の俺たちの周りにある“遅れ”を、妙に正確に掠めてもいる。


「最悪だな」

 小さく呟く。

 

 でもその最悪さに、少しだけ心当たりがあるから余計に厄介だった。


 海の匂いが強くなる。

 坂の途中で足を止める。


 校内に落ちる短文は、誰かの恋ではなく、誰かの観測だ。


 そう分かったことで、むしろ面倒は増えた気がした。


 恋なら、まだまっすぐに痛い。

 観測は、痛みの出所がぼやける。

 誰も責任を取りたがらない形で、でも確実に何かを削っていく。


 だからたぶん、この先はもっと慎重に見なければいけないのだろう。


 見つけるだけで満足するな。

 誰を、何を、先に持つか選べ。


 何度も言われたその言葉を思い出しながら、俺はまた坂を上り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ