炎の魔女ボーメラ その4
魔女はかじかむ舌を小さく動かして口の中で呟く。
「目に見えないほど小さな氷の粒子を、空中に拡散させて炎の熱をかき消したってことねぇ……」
「くすっ、あいかわらず冷静で的確な観察力ね」
吸血鬼は耳ざとくボーメラが呟いた言葉をひろうと、自分にとって絶対的に優越な戦況を味わうように、言葉で状況をなぞる。
「拡散させて広げれば、それだけ熱を奪う範囲も広くなる、だから即座に対抗して炎の粒子を拡散したのもさすがだったわよ、ボーメラさん。でもお互いに炎と氷の魔力をばら撒くとなると……あとは粒子の密度と魔力の質……つまり単純な魔力量の優劣になってしまうわね。そして——」
青色の魔力を宿した吸血鬼は、氷のように冷酷な笑みを浮かべて魔女の顎に手をやった。
「ここであなたは、私の魔力に絶対に勝てない。分かっていたことでしょう? さあ、かわいそうなボーメラさん。私にこうして捕まって、あなたはどうなってしまうのかしらね。くすくす、私はあなたにどんな仕打ちをすれば良いのかしら。くすくすくす」
掌から伝わる冷気は痛いほど強く、ボーメラは筋肉が凍っていく感覚を覚えながら意識が遠のくのを感じた。
しかし、
魔女は紫色に変色した唇を無理やり歪めて笑う。その笑みを見て、不審に思ったイザドラの表情が反射的に険しくなる。
「あら、悪だくみをする詐欺師のように意地悪く笑うのね。虚勢かしら? それともかわいそうに、恐怖で狂ってしまったのかしら?」
「あらぁ~、まだ気づかないのぉ~? 捕まったのはテメエの方だって言ってんだよ!」
ボーメラが吐き捨てるように叫ぶと同時に、イザドラの足元から紫色の炎が勢いよく吹き上がった。そして鎖のように吸血鬼の身体を縛り絡めとる。
「!?」
とっさに飛び避けようとしたイザドラだったが、炎の鎖はしっかりと身体に巻き付いたまま固定されて動かない。そして炎から伝わる痛みにイザドラは思わず顔を歪めた。
「ぐっ……う……」
「呪炎の鎖さ。長くは保たないけど、吸血鬼の馬鹿力でも解けやしないよ」
ボーメラがまた吐き捨てるように言った。
「炎で地面を掘り進んで、足元から鎖を伸ばした……?」
「ご明察~。あたしが炎を生み出すのは別に目の前の空間だけじゃないのよぉ~?」
ボーメラはそう言って後ろに飛び下がり、イザドラから距離をとると、片手を上に大きく掲げた。
「離れた場所にも炎を生み出せるのよ~? こんな風にねぇ~♪」
魔女が掲げた手の上空で炎が勢いよく燃え上がり、渦を巻いて回り始める。炎はエルミュルの葉を瞬く間に燃やし尽くし、イザドラの上空に巨大なオレンジ色の光を宿した。
炎は次第に厚みを減らしていき、薄く引き伸ばされた炎の向こうから、太陽の光が淡く照らし始めた。ベルモッドがそれを見上げて呟く。
「薄い炎の壁が、透過する太陽の光を強めている……」
「吸血鬼にとって太陽の光は呪いそのもの……焼けただれ灰になり、二度と再生することもない。人間の血が混じってるあんたたちは、そこまで強力な呪いは降りかからないけど、それでもイザドラちゃん。あんたは妹に比べたら太陽に弱かったものねえ~? 炎の膜で増幅した太陽の光をまともに浴びたら、ただじゃすまないかもねえ~♪」
「ま、まて! ボーメラ!」
思わずデビッドが叫ぶ。魔女は楽しげに言葉を放ったあとで、怒りに顔を歪めながら三度吐き捨てるように呟いた。
「本当はここまでするつもりはなかったけどね。私を怒らせたあんたが悪いのさ。灰になっちまいな!」
ボーメラがパチン、と指を鳴らすと、それまで渦を巻いていた炎が静止し、滑らかな表面を透過した太陽の光が強烈な日光となってイザドラに降り注ぐ。吸血鬼の淑女は思わず顔の上に手をやって光を遮ろうとした。次の瞬間——
「水色に輝け! 聖剣デュランダル! うおおおおおおおおお!」
地面を蹴って高く飛んだ勇者デビッドが、水の力を宿した聖剣デュランダルで炎の膜を真っ二つに切り裂き、炎は空中で搔き消えた。
それを見たイザドラは、紫色の呪炎を恐ろしい力で引きちぎると、一足飛びでボーメラの頭を掴み、地面に組み伏した。
「いっ……てえ!」
魔女が腹だたしげに声を荒げる。
「あら~? これはどういうことかしら、勇者デビッド。いつから大英雄さんは吸血鬼の味方になったのぉ~?」
「別に、そこまでされることはねえなって思っただけだ」
勇者がなんでもない様子で言い放ち、剣を鞘に収めると、吸血鬼の淑女も不満げに声をかけた。
「デビッド、いつ私が加勢を頼んだかしら? 私はあなたに『手を出さず戦いの成り行きを見守るように』と命じたはずよ。 あなたは主の命に従うこともできないの? 従者としての作法もなってない下僕には、午後のデザートを与える道理はないわね」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺は炎をぶった切っただけで、お前に加勢したわけじゃないぜ!?」
「まるで中身のないゴミのような反論ね。あなたの頭の中にはホコリでもつまってるの?」
「何言ってんだ! 当たり前だろ! 勇者としてのホコリを捨てたことなんて一度もないぜ!」
デビッドの自信満々な返答を受けたイザドラは、クラクラと目まいを耐えるように力なく呟いた。
「まともな議論をしようとした私が愚かだったわ……テントウムシだってもっと話が通じるわよ……」
そんなやり取りを地面に組み伏されながら聞いていたボーメラに、イザドラは思い出したように声をかけた。
「まあとにかく、こうなった以上、あなたも私の従者になってもらうわよ、ボーメラさん。負けたら私の従者ってことは知っていたのでしょう? あなたは筋を通す人だから、従ってくれるわよね」
魔女はいかにも不服そうに、チッ、と舌打ちしてから、最後にまた吐き捨てるように言った。
「ガキの遊びに付き合うんじゃなかった……」
「ガキの遊び……?」
ルカがボーメラの言葉を引き取って疑問を口に出す。イザドラは一瞬、目つきを鋭くしただけで、何も答えず、屋敷へと歩いて行った。ベルモッドのさす日傘に身を隠しながら。




