第1話 空き家で冒険 3
【速太】
こわくってこわくって。心臓がばくはつしそうで。
ぼくは、転びそうになりながら階段をかけあがって廊下をかけて、そこにあったドアに中も見ないで飛びこんだ。
冷たい空気の中にほこりがたくさん舞い上がって、むせそうになる。手のひらで口を押さえて必死でガマンする。
「おい、どっち行った?」
「やめようよ、あたし本当おっかない‥‥」
下の方から、突然ガラスを割って入ってきた大人のひとたちの叫び声がする。
暗い中で、ひとりきりでふるえてうずくまる。
ドアを引っぱって閉じて隠れたいのに、なにか引っかかってできない。
こわい、こわいこわいこわいこわい。だれか助けて。
‥‥‥‥ぼくは、ぜんぜん無敵なんかじゃなかった。
「速太くん」
「──ひっ!」
丸めた背中にそっと手が置かれて、少し叫んでしまった。
黒い影が、小さく丸まったぼくの後ろに立って、前かがみになってぼくの顔をのぞきこんでいる。
パジャマごしの指はやわらかくて、あたたかい空気といっしょにふわっといい匂いがした。
「速太くん、しーっ」
部屋はまっ暗なはずなのに、なぜかそのひとが見えた。
腰までのびた黒い髪の毛、まっ白い肌、まつ毛の長い大きな目。
おとなりの、ゆらお姉ちゃんだ。
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【ゆら】
悩んでいる暇に行動することにした。
「お巡りさんこっちです!」
って叫んで追い払うことも考えたけど、立地がちょっと説得力に欠けるよね。
まずは、病院前に停まった無人の自動車。ヘッドライトが玄関をもろに照らしていて鬱陶しい。
素早く歩み寄って、指紋を付けないようどてらの裾で手をくるんでキーを捻る。エンジンが止まってもライトが消えないし音楽もやまないのでちょっと驚く。そういうものなのか。少し捜してライトを消した。
騒がしい車内オーディオは放っておいて、小走りに病院の裏に回った。
速太くんの匂いの跡を辿ると、裏手にコンクリートでできた箱のような建物があって、その横に生えた立木を登ると建物の屋根から病院の窓に入れるらしい。
木に登るなんて何年ぶりかなあ。
わたしは覚悟を決めて、厚ぼったいどてらを脱いで藪に隠し、膝下まであるワンピースタイプの寝巻の裾をくくってミニスカート状態にする。寒っ。脚寒っ。
右脚の太腿あたりから生えている黒犬をどうしたものかと思ったが、わたしが太い下枝に手を掛けると犬は幹に纏いつくようにしてするすると一緒に登ってきた。
犬は木登りできないんじゃないのか。いや、夜闇にまぎれてよく分からなかったが、なんだか四肢や爪を使っている風ではない流体まがいの動きだった。
改めて、なんなんだコイツ。
まあ今ここで悩んでもしょうがないんだけど。
窓から廃病院の廊下に入る。荒れた様子はなく、廃墟というより単に空っぽの建物だ。
からげた裾をほどいて、ロングワンピース姿に戻るわたし。
犬が不愉快そうに眉間と鼻の間に皺を寄せる。わたしの首筋の毛もちりちりする。
興奮と恐怖とパニックの匂いがする。
「なんでいきなり車のライトが消えたんだ!?」
不法侵入者(わたしもだが)たちは怯えて高揚して、玄関ホールから階段を上がってきたあたりで口々に叫び交わしている。
「ねえもう戻ろーよぉ、萩やん!」
ひとりは涙声だ。
戻れ戻れ。ライトを点け直すために彼らが玄関前へ引き返してくれれば、わたしは速太くんを見つけて逃げ出せる。
「心霊スポットで電気系に異常が出るのはよくあることなんだよ。本物の証拠だと思え。
ビビってないで、夜間撮影にしろよ。それで周りも確認すればいい」
ありゃ、もしかして藪蛇か? その上暗くても見えるだと? わたしの優位が潰されるじゃないか。
でもカメラに夜間撮影モードが付いてるのは今時普通かもしれない。だったらあらかじめ分かっていた方が用心できるよね。
まずは速太くんの安全を確保しなくちゃ。犬をいったん腿の内側に押し込め、わたしは床に残った彼の足取りを追って歩きだした。
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【速太】
真夜中の病院に現れてぼくをおどろかせたゆらお姉ちゃんは、
「落ち着いて速太くん。大丈夫だからね」
といって、ぼくの頭をなでてくれた。
心臓の苦しさがおさまって、ごうごうと耳の中でなっていた自分の血の流れる音が、だんだん静かになっていく。
「ゆら、お姉ちゃん、どうして」
ぼうっとして、前かがみになっているせいで顔が近くなったお姉ちゃんに聞いた。
「用事があって外に出ていたら、速太くんがこの建物に入っていくのを見かけたの。
その後にすぐ車に乗ったひとたちが来たから、心配になって追いかけてきたのよ」
小声だったのと、病院の外からうるさい音楽がひびいてくるせいで、お姉ちゃんはぼくの耳元に口を寄せてそう答えてくれた。ちょっとくすぐったい。
しゃがんでいたぼくは、ようやく立ち上がる。立ってみると、ゆらお姉ちゃんの背はぼくとあんまり変わらない。
「あのひとたちは?」
「この病院を幽霊屋敷だくらいに思って、カメラを持って遊び半分で荒らしに来たみたいね。木の芽時になると、えてして浮かれたひとが出てくるものなのよ」
コノメドキってなんだろう。
「正直関わり合いたくないから、顔を合わせないで速太くんと一緒にこっそり帰りたいんだけれど。
速太くん、この建物の中のこと、詳しいでしょう? いくつか教えてもらえるかな」
ゆらお姉ちゃんに聞かれて知っていることを話したけれど、あんまり都合がよくないみたい。お姉ちゃんは難しい顔をした。
それを見ているうちに、ぼくはまた不安になる。
あのひとたちに見つかったら、捕まっちゃうんだろうか。
だまって病院の建物に入って遊んでいたことを大人のひとにおこられるだろうか。
けいさつに連れていかれるんだろうか。
そんなことをぐるぐる考えていたら、じわじわ涙が出てきて、うつむいてしまった。もう四年生なのに、お兄ちゃんなのに。
「速太くん」
前からぼくの両肩に手を置いて、ゆらお姉ちゃんがにっこり笑った。
いつもとは違う、きゅっとくちびるの端が持ち上がった、きれいでちょっと意地悪な笑顔で。
「──お姉ちゃんと一緒に、少しイタズラしてみようか?」
‥‥‥‥え?
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【ゆら】
問題は相互の位置なんだよね。
廃病院の構造は三階建てで一棟、東西に細長い構造をしている。廊下と各部屋の配置はオーソドックスで、学校の校舎を思い浮かべてもらえればまあ間違いない。
エレベーターも当然あるんだけど、電力を切られた現状では役に立たない。
階段はふたつ、中央やや東寄りに、踊り場ごとに一八〇度折れ曲がりながら玄関ホールから三階まで続く広い階段。これを仮に中央階段と呼ぶ。
もうひとつは棟の西の端にある、これまた一階から三階までを繋ぐやや狭い階段。仮に西階段と呼ぶ。
棟の東端には、屋外にらせん状になった非常階段が設けられている。
このうち、非常階段は病院の閉鎖とともに非常扉が閉ざされて、昇り降りできなくなっていた。
西階段は、書類やらが詰まった段ボール箱やオフィス家具の物置のようになってしまっている。一階と二階の間は完全に通行不能。二階と三階の間は、机や椅子がぎっしり踊り場に置かれて一見通れそうにないが、速太くんによると、
「ぼくなら四つんばいでスイスイって抜けられるよ」
とのこと。
わたしと速太くんが廃病院を出るルートは、彼とわたしが入ってきた二階の窓、三人の侵入者が破った玄関ホールのガラス扉、そして内側から開けられる一階の窓のどれかだ。事実上、一階まで降りられればどこからでも外に行けるはず。
ただ、わたしたちが今いるリネン室のような部屋は、二階の中央階段と西階段の間なのだ。侵入口に使った窓は、中央階段を挟んだ向こう側の一室にある。
問題の三人組は、騒ぎながら中央階段を昇ってきていた。カメラ担当の女性が竦んでいて随分もたもたしているが、もう二階の廊下は視界に入ってきているはずだ。
「速太くん、わたしのいう通りにできる?」
訊ねると、速太くんはわたしと視線を合わせて頷いてくれた。
「いいわ、それじゃあ‥‥」
説明しながら、わたしはどてらのポケットにあった使い捨てマスクを速太くんに着けさせ、自室で勉強をするときに髪を留めるヘアピンでヘアスタイルを変えた。
幼いながらくっきりした目鼻立ちのイケメン小学生である速太くんだが、身体つきはすらりとしていて、僅かに癖のある長めの髪をいじると女の子のように見える。
柄のない水色の冬物パジャマは性別不詳。カメラの夜間撮影モードは色を認識しないと思うので、無地の白っぽい寝巻に写るだろう。
さっきまで可哀想なくらい怯えていた速太くんは、目をきらきらさせ足音を殺して走り出した。
さてと。
わたしは部屋の棚に取り残されていたシーツのような布を取り上げる。使用前らしくきちんと折りたたまれていたが、埃とともにうっすら黴の匂いが立ち昇る。ううっ。くしゃみが出そう。
思惑通り、うまく運ぶといいんだけど。
十数秒後。
病院跡の廃墟に、恐怖の絶叫が響きわたる。
♦ ♦ ♦ ♦
揉めながら中央階段を昇りきって二階の廊下までやってきた幽霊ハンターたちは、廊下の向こう側を横切る少女の姿を目撃した。
マスクをして白いパジャマを着た小さな姿が、病室を出て階段のある場所に消えていく。
「ぎゃああ! 見ちゃったあぁぁ!」
「すっげぇ‥‥」
「笹っち撮ったか? 行くぞ!」
「やだよ、行けないってばぁっ!」
「ああもう、カメラ貸せ!」
やっぱり引き返さないかー。
へたり込んでしまった撮影担当女子の手から小型のデジタルビデオカメラを攫って、縦にひょろ長い男が廊下を西側へ進んでいく。
その後をがっちりした男が携帯電話のLEDライトを点灯させて付いていくのだが、夜間撮影モードになってるんじゃないのか?
カメラには詳しくないけど、普通に照明を使ったりしていいのだろうか。まあ、わたしたちが映らないならそれに越したことはない。
わたしが立てた作戦は簡単。
顔を隠した速太くんが、お化けのふりをして物好きの皆さんを西階段へ誘導する。
速太くんは踊り場に積み重なった机の間を抜けて三階へ上がり、廊下伝いに中央階段へ。そこから一階まで一気に下って、割られた玄関ドアから脱出する。
わたしはリネン室で相手をやり過ごし、これまた中央階段から玄関ホールに降りて逃げる。
二階の窓からも出られるけれど、精神的に動揺しているであろう速太くんに木登りとかさせたくない。策を練るならシンプルに。
頭からシーツを被ってドアの陰に潜んだわたしの前を、及び腰の男性ふたりが通り過ぎる。
「うちを置いてくなよぉ~!」
進みたくはないが、ひとりになる方が嫌なのだろう、這うようにして女性がその後を追っていった。
犬の聴覚は、速太くんの足音が三階の廊下を移動するのを聞いている。車のオーディオがかけっ放しなので、人間の耳ではほとんど察知できないはずだ。
速太くんはそろそろと中央階段を下り、踊り場を回った。建物の構造上、一階へ向かうためには二階の廊下を横切らなくてはならない。廊下と階段を繋ぐ角に体を隠して、彼は機を窺っている。廊下の同じ側にあるリネン室に潜むわたしとの距離は、五メートルもない。
つんとしたアドレナリンの匂い。荒い呼吸。
早鐘のような速太くんの心臓の音が聞こえる。わたしまで足元がフワフワしてきた。
「これ絶対、通るの無理だろ‥‥」
「すげーすげー!」
騒々しい三人組は、西階段の踊り場が見上げられる位置まで行って、ぎゃーぎゃー声を上げている。さっさと階段に足を踏み入れてくれれば廊下が死角になるのだが、尻込みしている。
リネン室の扉は内開きだ。開けて、顔半分だけ出して中央階段側を見る。角から顔を出した速太くんと目があった。怯えているけど、眼差しはしっかりしてる。
臆病な探検隊は、いつまでたっても昇っていきそうにない。
わたしは頷いた。一拍おいて、速太くんが息を詰めて駆けだす。
────あっ!
彼が廊下の中央で体勢を崩すのを、犬の目が捕えた。
がっちりした男が振り向いて、速太くんを指さして叫ぶのを、わたしの目が捕えた。
まず。
上から下まで身体を白いシーツで覆ったわたしは、ドアの隙間から滑り出て侵入者たちの視線を遮った。
お~ば~け~だ~ぞ~!
「なんだ!?」
新たな幽霊、というか不審人物の登場に、一瞬固まる三人。
廊下に突っ立ったわたしはシーツを内側から持って顔の下半分を隠し、しわがれた作り声で低く、
『カ・エ・レ‥‥‥‥』
と呟き‥‥。
いきなりその身長が半分ほどに縮んだかと思うと、侵入者たちに顔を向けたまま、物凄い速度で背後に疾走した。シーツと、隙間からこぼれた黒髪がはためいて宙に舞う。
人間には到底不可能に見えるその動きに、彼らは悲鳴を上げて逃げ出した。
塞がった西階段からじゃ、どこにも逃げられないんだけどね。
ミッション、いちおう成功!




