02 星の殿下と甘い時間
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「私にどきどきしたんですか」
「……は、はい」
きっと私は顔が隅から隅まで赤かったろう。何か突っ込まれるかと思いきや、王族サマは穏やかに私を見ていた。
「まだ名乗っていませんでしたね」
そう言って、すっと立つと、胸に手を当てて名乗りを始めた。
「先王の第四子となるシリウスです。王宮の武官をしています。お見知り置きを」
金獅子の刺繍でじわじわジャブを入れられていたものの、正面から告げられると、その高貴さに身が縮む。
「王弟ではありますが、末弟なのでそう畏まらないでください」
ああ、王弟、で思い出した。この方はかつて金の王子と呼ばれた方だ。ご本人をこの目で見るのは始めてだった。社交式や凱旋式などの華やかな場は聖女ルミナス様が出ずっぱりで、そのぶん準聖女たちが聖女様の仕事を代行をしていたから。
私はシリウス殿下を見る。その髪色と瞳の色と、先の大戦では大国にも連戦連勝した金星からついた二つ名が金の王子。
一方で、敵国に大量失兵させたことから、裏では血濡れの王子とか、それをオブラートに包んで丸めて軍旗の色で誤魔化した赤の王子とも言われていた。ただそれは王位継承戦の頃に飛び交ったもので、言ってみればただの政治的悪口であるのだが。そして、赤色にしろ金色にしろ、継承戦の後はめっきりその名を聞かなくなっていた。
私が記憶を辿りながら、閃いたり、考え込んだり、眉をひそめる姿をおそらくずっと観察されていたろう、シリウス殿下は、私の反応が落ち着くのを見計らって、
「お名前を伺っても?」
と私に目線を合わせ、再び膝をついた。王弟殿下と知ってなお膝をつかせるわけにはいかず、私は長椅子を降りて床に正座する。
「何をしているんですか」
「殿下よりも高い位置にいるなど言語道断なので」
「ではいっしょに座りましょうか」
そう言って殿下は私をまたお姫様抱っこでふわっと抱き上げ、椅子の上に降ろす。そして自分も隣に浅く腰掛けた。
「また降りていただいてもかまいません。貴方を抱き上げる口実ができるまでです」
そう言われて私は観念して椅子に座るしかなかった。琥珀の目を細め、あらためて名を問われる。
「お名前を呼んでも?」
「ステラです」
「なんと愛らしい。ステラ様」
男性から誉めそやされるなど人生で初めてのことで、私はそれを素直に受け止めてお礼を言うことも、お世辞がお上手ですねとうまく交わすこともできなかった。緊張のあまりどうでもいい情報を補足してしまう。
「あの、城下では猫にもよく付けられる名前で……ちょっと子どもぽくてあれなんですけど」
「いえいえ、私も子猫を飼って同じ名前をつけましょうか」
にゃん。なんてことを言うんでしょうか。というか、王弟殿下のお猫様なら、私よりいいもの食べてそう。殿下は私のつたない会話を優しく拾ってくれる。
「シリウス殿下も、聖典の一番星のようで素敵なお名前です。なんだかキラキラしていますしぴったりです」
「大層な名前をつけられてしまい、火種になったこともあるのですが」
殿下は口角を上げる。
「いま、自分の名前が好きになりました」
殿下の好きという単語に反応して、頭がくらくらする。とんでもなく浮かれた気持ちでお話ししている間に、てきぱき動くメイドによって、目の前に小テーブルが置かれ、銀のプレートにお茶とスープとパンが添えられていた。
「どうぞ召し上がってください。作法など気になさらず」
目の前のご馳走を見て、また腹が鳴る。ぎゅるぎゅる、と。先ほどとは別の感情で恥ずかしくなった。私はすでにこの殿下の前で自分のいいところを見せたくなっていた。化粧も何も施していない顔だって今さら恥ずかしくなる。なんだろうこの虚栄心は。「なんか偉い人」から一段上がって、殿下を個として認識したせいだろうか。
追い討ちをかけるように、ぎゅるぎゅるぎゅると第三波の音が鳴ると、先ほどまで知らぬふりをしていた殿下が、ほうと息を吐いて、とんでもないことを言った。
「そのような虫の音も健気で愛らしいです」
私は流石に声には出さなかったが「は?」と思って殿下を見る。
「からかいではありません。王宮には腹が減るほど仕事に精を出す者が少ないのです」
殿下はちらと私を見ると、自分の前に置かれたお茶のカップに口をつける。ガラス皿に積まれた菓子もつまんだ。それを見て私もパンに手をつけ始める。その柔らかいことと言ったら。王宮のパンはふわふわもちもち、麦の味が全面に出ているのに草っぽくない。スープは野菜のポタージュで軽く裏漉してある。きっと口の傷を痛めないようにだ。
その美味しさにあっという間に食べ切ると、すかさずおかわりのパンとスープが給仕される。こんなにばくばく食べてもいいのかなと周りを窺っていると、殿下も菓子皿を追加した。私も二皿目のスープをいただく。スープとパンのおかわりも完食して、お腹が落ち着いたところで私は尋ねた。
「殿下は甘いものがお好きなのですね」
「ああ、いえ、実はあまり」
ああ、そうか。そうしないと私が食べづらいと思ったのだろう。いつもさりげなく優しくされて、私の心はどんどんふわふわしてしまう。
「お気遣いありがとうございます」
「いえ、ご一緒にいかがですか」
言われて私も砂糖菓子を手に取り、口に入れる。ほろほろ解けて舌に甘味が広がった。
「嫌いというわけではないんです。馴染みがないだけで」
「おかしいですね、私も甘味には馴染みがないのに、このお菓子がとても好きです」
「はは、それは良かった」
にっこり微笑んだ後、殿下は少し間を置いてから話し始める。
「私は菓子に警戒してしまうのかもしれません」
「菓子に警戒」
「砂糖は毒を包むのによく使われたので」
苦笑いする殿下に私は胸の奥がきゅっとなった。お菓子って食べていると幸せになるものなのに、そんな物騒な情報と紐づいているなんて。
「継承戦の醜聞は知っていますか」
「はい、多少は……ってすみません」
私は目を泳がせながら、ぎこちなく頷く。一番人気の金の王子と、長兄の現国王陛下が表裏で争った時期がある、と言われている。継承戦は正式には王位継承評議会のようなもので、物理で戦ったりはしない。けれど過去には評議期間中に落命したり粛清された貴い方々は存在する。
「兄弟姉妹で仲が悪い訳ではないんですよ。みな嫡室の子で、比喩ではなく血を分けた血縁ですし。それぞれを担ぎ上げる者同士が諍いをしていただけで」
殿下は穏やかに笑みを浮かべる。
「そうやって王家がごたついていた頃に」
シリウス殿下は私の目を覗き込む。
「私はステラ様の祈りに救われたことがあるのです」
まさか、私の非力な祈りが、誰かを、しかもこのように高貴な方をお救いしていたとは信じられなかった。それが本当なら、たいへんな誉れである、だけど。
「ですが、なぜ私とわかるのですか」
「私は聖杯の力が見えますので」
私は目を丸くした。
「見えるのは、聖女様や大神官様だけではないんですか?」
「はい、同じものを見ているかはわかりませんが。私の場合、祈る方によって、祈りで生まれる聖杯の加護が違って見えます。ですが、公言していないので内密に」
殿下は口元に親指と人差し指を添える。
「私は見えないので、羨ましいです。とても綺麗なのですよね。キラキラして」
「はい。ステラ様の祈りで生まれた加護はとりわけキラキラして見えます」
なんだか内臓美人と言われた時のような、くすぐったさである。嬉しい反面、本体もキラキラしたかった!
「ただ正面から問うても、毎朝の祈りは聖女ルミナスであるの一点張りで。今日はこっそり祈りの時間の後に張っていました」
「は、張って……?」
「私は単身では聖堂側には入れませんので。今朝はステラ様の祈りが流れたので、あの交差広場のところで張っていました。隠れていたら、聖女服の女性が見えたので、今日の祈りはどなたがされたのか聞こうと思ったのです」
「なるほどそれで」
「引き留めようと急に現れて、本当に申し訳ない。まさかステラ様その人に怪我をさせてしまうとは」
殿下はわかりやすく意気消沈している。緊急時とはいえ、王宮内で走った自分が悪いのに。しかも緊急では無かったようだし。おそらくしょうもないだろう仕事で、私を急かした神官様をうらめしく思う。
「ですがこうしてステラ様と言葉を交わすことができました。またお誘いしても良いでしょうか」
「はい、もちろんです。社交辞令でも嬉しいです」
私が無邪気にいうと殿下は困ったように笑った。
「良かった。それに社交辞令ではないですよ」
「ああ、でも神官様から許可が取れればですが」
「そこは大丈夫です。押し通します」
最後は、赤の王子と呼ばれた頃はこんなだったのかな?というようなギラっとした目つきになって、でもそんな鋭いお顔も素敵だなあと私がほわほわしていると、扉がノックされた。殿下のお付きの方が声をかける。
「殿下、お時間です」
「わかった」
殿下は私に向き直る。
「本日は他国を招いた式典がありまして、私も顔を出さねばなりません。帰りは侍従に送らせます」
シリウス様は私に一礼すると先に退室した。私も雑用らしいとはいえ、みんなのことが心配になったので、この部屋を出ることにした。交差広場から聖殿側に足を踏み入れると、あの調子の良い神官様につかまった。
「あ、神官様」
「聖女ルミナス様がお呼びです……」
「わかりました。他のみんなもルミナス様のところですか」
「いえ貴方だけ呼ばれています」
「私?……ですか」
神官様はこくこくと頷く。
聖女様からのお呼び出し。あれこれコマ遣いとして誰かきて頂戴と言われたことはあるけれど、ご指名があったのは初めてだ。神官様はおろおろしているし、ついてきていた殿下の侍従様はピリとした空気になり、誰かに目配せをしている。
「とにかくすぐに来るように、と」
もう廊下は走らないと決めたのに、神官様に急かされて、私はまたルミナス様のお部屋まで神殿の中を走っていった。




