01 おさぼり聖女の後始末
――聖女様がお倒れになった!今すぐご公務をお助けするように!
朝食を食べ損ね、厨房で余りの黒パンをもらい、ようやく食堂の椅子に腰を下ろしかけたところへ、神官様がやってきた。私は開けた大口を閉じて、ハンカチの上にパンを置く。やれやれ、よくお倒れになる聖女様だわね……と思いながら。
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本日、朝のお祈りの時間に聖女様は来なかった。
よくあることだ。あまりによくあることなので準聖女でバックアップメンバーのシフトが組まれている。しかし、今朝たまたまシフトだった子が熱を出してしまった。シフトの子は高熱で顔真っ赤っか、ふらつく足で「いやでもシフトなんで……」と這々の体で礼拝堂へ向かう。教会の神官様も止めるどころか「そうだね、日々の儀式に穴を開けるのは良くないね」などと、のたまわる。みかねて私が代打の手を挙げた。
『礼拝堂で準聖女一名が意識不明の重体で……』だなんて速報が国中に出回ったら嫌だもの。それにそもそものご担当である聖女様は何も言われないのに、バックアップの子だけが無理をさせられ、穴を開けたら咎められるなんておかしな話だ。
それで礼拝堂へ向かったのだが、正直、私は聖力が弱い。聖女様ならものの5分で終わる祈りの仕事を、50分以上マラソン状態でなんとか成し遂げる。身体中の栄養素を吸い取られるような感覚と引き換えに、祈りの力は純金とガラスでできた聖杯に溜まっていく(らしい)。らしいというのは私には見えないからだ。それなりに高位の神官様や聖女様には見えるのだそうだ。
聖杯は自身の底に溜まった聖力を国中にあまねく拡散する。聖杯から吹き出るようにキラキラと輝きが舞ってそれはもう幻想的なのだとか。私には見えませんが。
今日もヘトヘトになりながら聖杯へ朝のお祈りを終えた。お祈りの後は、お腹が空いてフラフラになる。なんでもいいから口に入れたい。そう思って食堂の扉をくぐって絶望した。私は人より祈りに時間がかかるから、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、朝食はすでに下げられていた!悲しすぎる。事情を言ったら「聖女さんにすんません、こんなものしかないんですが」と食堂の使用人が、まかないの黒パンを分けてくれた。本当にありがとうございます。
あと私は聖女ではなく、準聖女です。聖女と定義するにはちょっと聖力が弱々しいので、準聖女としてご奉仕しています。そして今年度、聖女規定に達したのは聖女ルミナス様ただお1人。
すでに話を聞いておらず洗い物を再開している使用人に、一応は自分の立場を明示する。聖女も準聖女も似たような制服なので、よく聖女様と間違えられるのだ。
そうして、もらった黒パンの端っこいくつかを胸に抱いて、食堂の角でほっとひと息吐こうとしたその時。神官様から次の業務指示がきてしまった。
「聖女様がお倒れになった!今すぐご公務をお助けするように!」
聖女様が倒れた、それはお国の一大事とふつうは思うだろうが、あの方の場合おそらく二日酔いである。
「あの、他の準聖女のみなさんは……」
「他の準聖女たちも今、大至急で対応しています。それでも人手が足りないのです。急ぎ王宮へ」
「わかりました」
私は行儀悪く口に黒パンを押し込むと、急いで小走りに神官様の後を追う。聖職域の聖堂と王宮は比翼になっている。中央部のちょうど翼の重なった渡り廊下で、王宮勤めのご令嬢たちとすれ違った。みなさんが私を見てクスクスと笑っている。
あれ、黒パンが口からはみ出していただろうか。
そうやって横目で気をとられていたら、バチンと誰かに思いっきりぶつかった。跳ね飛ばされて後ろにすっ転ぶ。ぶつかった瞬間、頭から火が出そうだった。あんなカッタイ人間の身体ある?石柱かと思った。
しかも口の中が切れている。黒パンと鉄の味がした。パンなんか食べながら屋内を走るからだ。自分が悪い。
起きあがろうと体を横に半回転して四つん這いになる。こういうとき一気に立たないほうがいいんだ。腰を痛めるから。
すると、目の前に差し伸べられた手があった。白い手袋。床につかれた片膝。キラキラと視界に飛び込んでくるのは、濃紺のコートに贅沢に刺された金糸の刺繍。袖口の折り返しには、金獅子と盾の紋章がある。
――王族だ。
盾を背景に金獅子が威嚇する紋様はこの国の紋章である。私は差し出された手を取らず、床にへばって頭を下げる。額が床につくほどに。しかしお相手は、私の渾身の平伏を、具合が悪いと受け取ったらしい。上品なバリトンボイスが降ってきた。
「聖女様、お怪我を?それともお加減が悪いのですか」
「いえ、私は聖女ではなく準聖女です。聖女と定義するにはちょっと聖力が弱々しいので、準聖女としてご奉仕しています。当代聖女はルミナス様ただお1人……」
「聖力をお持ちの方は皆、等しく聖女様です。失礼」
頭を低くしながらいつもの口上を述べるも相手はガン無視で、なんと私は抱きかかえられた。まさかのお姫様のように。ふわっと。神殿育ちで男性免疫ゼロの私は、抱っこされるなんて赤ん坊の時以来だと思う。あまりの衝撃で声の主を見られない。
「神官殿、休める部屋に聖女様をお連れしても?」
「もちろんでございます」
えっ、私、そっちに行かなくていいんですか。人手が足りないのでは?
私は抱っこされたまま、くるりと進行方向を変えられた。
首を伸ばして後方の神官様を確認すると、聖職者らしい慈悲の微笑みをたたえながら、私に向けて軽い感じで、オッケーサインを出している。
ということは、招集はさして緊急性のない雑用だったのかもしれない。なあんだ。とたんに力が抜けて、緊張も解ける。そのせいかぎゅるぎゅるぎゅるるるる……と大きな音で腹が鳴った。
ああ、絶対に聞こえた。王族サマに、盛大な腹の虫の音を聞かれてしまった。なのに何も言われない。その紳士な対応に、かえっていたたまれない気持ちになる。聞かれてもいないのに私は言い訳をした。
「あの、これは、今朝、急遽、聖杯様のお祈り担当になりまして、それでちょっと朝食を取り損ねまして」
「今朝の祈りは貴方でしたか」
その優しい声色に、おや?と思って顔を上げた。いや今までもジェントルではあったのだけれど。ふと心をくすぐられて、糸を引かれるように目を合わせてしまった。美男子だ。琥珀の瞳に、彫像のような目鼻立ちと輪郭。肩にかからない、王族にしては短めの髪。その明るく柔らかなゴールドブロンドを耳にかけていらっしゃる。癖っ毛なのか、毛先の短い耳下は緩めにくるくるっとカールしているのがお可愛らしい。おっと私は何を言っているんだ。
「今までもあなたが?」
「いえ、いつもは聖女ルミナス様です。私はほんの年に数回お手伝いしているだけです」
「本当に?」
「……ああ、いえ、最近は月に1回でしょうか……うーん週に1回ほど?」
琥珀色の二つの目がじっと見てくるので、私は誤魔化すことができない。今日当番を変わってあげたから今週は週2回だけれど、いつもは週1ペースなので嘘では無い。
「今週は2回目ですか」
「えっ、あっ、ハイ」
そう答えると相手は満足そうに頷いている。というか、なんでわかるの、怖いんですけど。しかも王族サマは、何やら少し考えた後、
「腕が疲れてきたので、首に手を回していただいても?」
などと言い出した。無理無理。私は顔が熱くなる。それにその端正な顔立ちと反するようにこのお方はけっこうな筋肉質で、さっきからビクともしない感じで横抱きされている。疲れている様子とか全然無いんですけど。
「とんでもないことです、ご負担なら降ろしてくださ……」
「言ってみただけです。羽根のように軽い貴方に疲れるはずがない。どうかこのままで」
め、めちゃくちゃだ……言っていることがめちゃくちゃだこの人……!その戯れに私はいちいち百面相をしていたろうか。琥珀の目が楽しそうにこちらを見ている。ちょっと顔が近すぎじゃないですか。顔圧に耐えられなくなって顔を逸らしたが、逸らした先には、さっき私を見てクスクス笑っていたご令嬢3人組がいた。彼女たちの目は血走って、口は下唇を噛み、私に言いたいことが山ほどあるといった鬼の形相だったが、急に3人とも慌てて下を向いて最敬礼のポーズをとる。振り返ると、王族サマが3人組に冷ややかな一瞥をくれていた。
運搬されたまま、衛兵が2人立っている通路を通る。この入り口の前を通ったことはあるが、入るのは始めてだ。衛兵の1人が先導してすぐ手前の部屋で立ち止まる。流麗な掘りの入った扉を開けて、私たちが室内に入ったのを確認すると外に下がる。豪華なゲストルームのようだった。いつの間に用意されたのか、侍女2人もついてきている。
部屋の奥の、片側の肘に大きな背もたれがついたソファにそっと下ろされた。体が離れても王族サマに密着していた感覚が離れず、めまいがしそうだった。誤魔化し半分に、お茶の用意を始めた侍女たちを眺めていると、
「王宮侍女を呼びました。聖女様と二人きりというわけにはいきませんので」
と王族サマは言った。二人きりにならないよう気を遣うとは、あの3人組のなかに恋人でもいたのだろうか。申し訳ない。そう思って眉根を寄せる。
「いま、ちょっと違うことを考えていませんでしたか。いま心にあったことを教えてください」
私は素直に、しかし言葉足らずに聞いた。
「ええと恋人はいるんですか」
「いません」
王族サマは部屋中がぱあっと明るくなるような笑顔で答えてくれた。じゃあ、あの3人組はただの王族ファンだったのかな?親衛隊とか?などと考えていると、同じ質問を返された。
「聖女様は?……恋人は」
「聖職者ですので、いたことはありません」
「聖女ルミナスには、いるのに?」
ギク。聖女ルミナス様には恋人がいる、何人か。それは公然の秘密であるけれど、準聖女の私ごときが口にすることではない。困ったなと思いながら、とりあえず自分のことだけ答えようと思った。
「私はいません」
「ああ良かった」
王族サマは心底ほっとしたように息を吐いた。
そうですよね、聖女ばかりか準聖女まであちこちで乱痴気騒ぎをしていたら国の威信に関わりますもの。ルミナス様のことはそれ以上突っ込んでこなかったので助かった。
ところでこの方、私は聖女様というのに、聖女ルミナス様についてはルミナスと呼び捨てるのはなぜか。もしかして、ルミナス様の元恋人だったりするのだろうか。そう考えると心臓がきゅっと縮む思いがした。
ちくとした痛みを覚えながら胸の辺りで拳を握り締めていると、王族サマが膝をついて、私の顔に手を伸ばし、顎に三つ指をかけた。そして親指を顎から唇まで、つつとなぞらせる。
「な……ななななな」
「血が」
王族サマが嵌めた白い手袋に滲む血を見せた。それからもう片方の手を皿のようにして、ぽとっと落ちた血の雫を拾う。準聖女服に落ちないようにしてくれたのだろうけど、私の一着よりもたぶんその手袋片方のほうが高価だと思うのだ。
「ガーゼを。それから茶は緩くしたものを」
「賜りました」
「同じく緩いポタージュと柔らかい白のパンを」
「賜りました」
王族サマが声をかけるたびに、侍女がカチャカチャとワゴンを往復させていく。
「痛みますか」
「いえ、ちょっと口の中が切れているだけです」
「申し訳ない」
口の中の傷はぶつかったとき噛んだせいだと思うけれど、今ごろ血が吹き出してるのは、私がさっきから心臓をばくばくさせて興奮しているせいなのだ。そのうち鼻血も出てきそう。謝られたので訂正したいが恥ずかしすぎる。
「あの、王族サマのせいではございません。これは自分の胆力が足りないせいでして」
「と言いますと?」
琥珀の目で見つめられて、うまくあしらえない。
「少しだけ切れてたんですけど、血はすぐにおさまりました。いま吹き出してきたのは、その、心臓がどきどきしたからです」
「どきどきした」
「はい」
「何にですか?」
「えっ」
私は王族サマを見た。口を開きかけては閉じる。指をさしたら不敬罪だろうか。
「あの、お名前がわかりません……」
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