表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それからのクリスタニア〜静かな海に灯はともる  作者: おーがすてぃーぬ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/57

短い日常 — それでも海は待たない

どんな緊張も、永遠には続きません。


けれど、緩んだ瞬間にこそ、

次の局面は静かに近づいてきます。

リヒトの父が去ったあと。


ブリッジには、張り詰めていた空気がほどけたような静けさが流れていた。


緊張が消えたわけではない。

ただ、ひとつの“山”を越えたあとの、束の間の弛緩だった。


その中心で―


「フレディ副長はお菓子よりプロテインっすよね♪ じゃあ、これは僕が―」


三井が手を伸ばした、その瞬間だった。


フレデリクが無言で一歩前に出る。


「閣下のお気持ちを無駄にするのは失礼だからな」


迷いなく、口へ放り込んだ。


一瞬の静寂。


誰もが“今のはない”と思ったが、誰も口には出さない。


「なんなんすか!? いっつもチョコなんか食べないのに!」


三井の叫びが響く。

その声だけが、場の空気を現実に引き戻す。


その隙に、栗栖と谷屋は何も言わず、次々とチョコを口に入れていく。


動きに迷いはない。

完全に“流れ”を読んでいた。


「あーーーっ!ちょっと!栗栖、谷屋!」


三井が振り返る。


「名前だけクリスタニアなんだから!!」


意味不明な抗議である。


だが、その意味不明さこそが、三井らしさでもあった。


シンシアもひとつ手に取り、何食わぬ顔で口に入れると、そのままブリッジを出ていく。


まるで何事もなかったかのように。


「シンシアさんまで!!」


取り残された三井は、残りを一気に掴み取った。


周囲の視線などお構いなしに、次々と口へ放り込む。

その表情は、妙に満たされていた。




同じ頃。


BMM本社。


ルナディア到着予定、およびロゼリア進水予定の報告が入る。


複数のスケジュールが重なり、時間の密度が一段階上がっていた。


オフィスでそれを受けたエリコは、少しだけ息を整えてからルイに視線を向けた。


「ルイ、社長からのご命令よ」


短く言い切る。


「ロゼリア進水のタイミングで、あなたがキャプテンになるの」


その言葉は、ただの人事ではない。

ひとつの船の“顔”を決める宣告だった。


「……私は見届けられそうにないけど」


ルイは首を横に振りながら、柔らかく笑った。


「いいんだ、エリコ。

ロゼリアと一緒に、ベビーの名前を考えておくよ」


エリコの出産予定は、ロゼリア進水とほぼ同時期。


およそ半年後。


クルーズ部門の社員たちは、忙しさの中でも、ロゼリア進水が先か、エリコとルイの子供が先かと、どこか楽しげな時間を過ごしていた。


慌ただしさの中にある、確かな未来。



そのため、本社では新たな体制が組まれた。


エリコの産休に伴い、その補佐役として日向キャプテンの起用が決定した。


クリスタニア導入における実績と手腕が認められた形だ。


特例として、現場とクルーズ部門を横断的に統括する立場となる。


それは、通常の昇格とは異なる。


“結果で押し上げられた”人事だった。


クリスタニア帰港時点で、BMMクルーズは正式に設立される予定だった。


そのスケジュールを遅らせないための暫定措置である。



その情報は、即座にクリスタニアへ共有された。


同時に、航海に関する新たな指示が入る。


喜望峰付近の低気圧は、現在中心気圧が960hPaを上回り徐々に勢力を落とし始めている。


進路と勢力から判断し―

低速航行での進入を指示する。


 

ブリッジでは、先ほどまでの賑やかさは消え、再び静かな緊張が戻っていた。


さきほどの笑いは、もう残っていない。


切り替えが早いのは、この船の強さでもあった。


「キャプテンに報告しろ。その間に機関とシステムのチェックだ」


フレデリクが即座に指示を飛ばす。

声は落ち着いているが、判断は速い。


その時、本社から通信が入る。


『クリスタニア、本社の日向だ。ヴァルナーは?』


「すぐお呼びします」


リヒトは呼び出しを受け、すぐにブリッジへ向かった。


「クリスタニア、ヴァルナーです」


『ヴァルナー、喜望峰の低気圧攻略の件だ。

クリスタニアの守り役によれば、反応はレジェンディアの倍以上だ。試験航海のデータと照合しながら、波が届く前に機嫌を取れ。しくじるなよ。


社長が最も愛する船だからな』


その一言に、意味が集約されている。


リヒトはわずかに口元を上げた。


「ご心配なく。俺は社長からクリスタニアを託されています」


短く続ける。


「守り役に伝えてください。クリスタニアをペガサスにしてやると」


『いいだろう。じっくり見届けてやる。』


通信は切れた。


誰も言葉を発しない。


だが、全員が同じ方向を見ていた。



海は、待ってはくれない。


束の間の賑やかさも、ほんの一瞬。


海は、誰の都合も待ってはくれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ