雨の夜ー富士崎社長の涙
初登場。三井会長。
時間は少し巻き戻る。
日向キャプテンが倒れたその日の夕方。
仕事を切り上げた富士崎社長は、魘され続ける夫の側で、汗を拭ったり体を冷やしたりと甲斐甲斐しく看病を続けていた。
夫は風邪は滅多に引かない。
たまに引くと高熱が続くこともあった。
しかし、今回はどうやらそれだけではないようだった。
夫は、魘されながらしきりに誰かを呼んでは、何故だと繰り返す。
思わずタオルを落としたほど、ショックだった。
(誰なの…?)
富士崎社長は、様子を見に来た夏海に留守を頼み、外へ出た。
夫を案じて声を掛けてくる社員たちには申し訳なく思ったが、どうして優しい妻にはなれそうもなかった。
ビルの外へ出ると、涙が溢れた。
「どうしてなの…。」
自分の夢を共に叶えてくれた夫が、誰かに未練を残したままだとは、とても信じられなかった。
すると、携帯が鳴った。
見ると、先代BMMグループの社長で現会長の三井脩太郎だった。
富士崎社長は、涙を拭って電話を取った。
「富士崎です。」
『富士崎くん、日向が倒れたと孫から聞いたが、具合はどうかね?』
「…私の責任です。面目次第もございません…。」
『ソブリンのこともある。疲れが出たのだろう。明日にでも顔を出すことにしよう。土産はすっぽんにでもしようかね。』
「……」
『富士崎くん、どうしたんだね。何かあったのか?』
「恐れながら…会長は『晴海』という名前にお心当たりはございませんか?私が知っているのは、クラブローレライの晴海ママしか存じ上げなくて…」
富士崎社長は、夫が口にした名前を言った。
三井会長は、笑いながら答えた。
『どうしたんだ。日向がその名前を寝言で言ったりしたのかね?』
「夫が…魘されながら確かに『晴海』と言いました。何故自分を捨てたのか…とも。
夫の過去など気にしたこともありませんが、実際こうなるとなかなかショックは大きいものですわ。」
三井会長は少しの間黙っていた。
そして、少し厳しい声で言った。
『富士崎くん。女好きの私が言うことではないが…。日向はそんな間違いなど犯す男ではない。それだけは言える。君が良ければだが、明日ゆっくり茶でもどうかね?』
「お心遣いに感謝致します。」
その頃、グループのホテルに滞在していた影千夜は、夏海からのメッセージを読んで愕然とした。
過労で葵一郎が倒れたところまでは理解できた。
問題はその後だった。
"姉さん、葵一郎兄さんが、しきりに晴海と言うてはる…。うちの人も言うてたけど、晴海というのは昔兄さんが本気だったお人やろ?桜姉さんが知ってしもうた…どないしよ…"
影千夜は、すぐに返事をした。
『これから行くぇ。陽司さんにも伝えとくれやす。桜さんには、何も言うたらあかん。よろしいな。』
影千夜は、ソファーでゴロゴロと寝転がる月乃に言った。
「月乃ちゃん、うちは少し用があるさかいに。スイーツ買うてくるぇ。何がよろしい?」
月乃はスイーツ、というワードを聞いて飛び起きた。
「スイーツですかぁ?シュークリーム食べたいです!!」
「ほな、買うてくるわ。キーはフロントに預けるさかい。行ってくるぇ。」
「いってらっしゃいですー♪」
影千夜は、軽く支度を整えると、BMM本社ビルの入り口に向かった。
夏海から連絡を受けた陽司が、影千夜を待っていた。
「影千夜姉さん、ひとまずうちで話そう。社長は兄さんとこに戻ってるから、大丈夫だ。」
夏海夫婦の部屋にいくと、
夏海はぐったりしていた。
影千夜の姿を見ると、青ざめた顔で駆け寄った。
「姉さん!月乃ちゃんは、葵一郎兄さんの娘なん?どういうことやの?!」
影千夜は、少し目を閉じて話し始めた。
「昔、葵一郎坊ちゃんが航海士だった頃のことやけど…」
外は雨が降り出した。
晴海埠頭は、雨に霞んでいくつもの光が滲んでいた。
次はいよいよ、日向キャプテンと月夜の君の関係が明らかに!




