君の幻ー月は見えた?
月夜の君と日向キャプテンの関係とは。
お気づきの方もいると思いますが、少し切ない関係でした。
ソブリン運航に向けて、ロゼリア、ルナディア、クリスタニア各船へ人員配置リストが送られた。
クリスタニアのドック入りを考慮しても、ルナディアとソブリンのスケジュールに対し、人員が圧倒的に不足していることは誰の目にも明らかだった。
「これ……日向キャプテン、ぶっ倒れんとちゃう?」
リストとスケジュール表を見比べながら、クリスタニア通信士の栗栖が顔を引きつらせた。
二等航海士の三井も、珍しく難しい表情を浮かべている。
「俺、ソブリン乗るんっすよ。日向キャプテンと。……大丈夫かなー」
「大丈夫じゃないと思うわよ」
シンシアが腕を組みながら即答した。
「日向キャプテンって、基本的に暇な時間なんてないもの。それに次席はうちのキャプテンなのに、レイコさんは臨月間近でしょう? あれだけのサイズの船を、実質ひとりで見なきゃいけないなんて無茶よ」
「俺はルナディア預かることになったが、試験航海に時間かけないと人員のやりくりが出来そうにないな」
フレデリクも、大きな体を揺らしてため息をつく。
「谷屋さんもソブリン行くやろ? まぁサイズでかい船やからしゃあないとしても、クリスタニアの半分はソブリン乗らなあかんな」
ブリッジの空気は重かった。
運航そのものより——人員不足が深刻だった。
知らせを受けたリヒトは、レイコの部屋からブリッジへ戻ってきた。
先ほどまで、お腹の子をあやして穏やかな時間を過ごしていた男とは思えないほど、その表情は険しい。
「日向キャプテンの気遣いはありがたいが……俺がソブリンへ行こう」
その言葉に、クルー全員が固まった。
「キャプテン! 赤ちゃん産まれちゃいますよ! ダメですって!」
三井が真顔で止めに入る。
他のクルーたちも、一斉に頷いた。
「このスケジュールなら、ソブリンがイギリスへ寄港する頃に生まれるだろう。俺がいても何も出来ない。それより、日向キャプテンが倒れる方が問題だ。しかも今回は外務省絡みだ」
その言葉には誰も反論出来なかった。
そこへ、騒ぎを聞きつけたヘンリー船長がブリッジに姿を現す。
「何事だね?」
「ヘンリー船長! 日向キャプテンから来た人員配置とスケジュールなんですけど、見てくださいよ!」
ヘンリー船長は資料を見るなり、眉を顰めた。
「私やクルーがニューヨークへ飛ぶのは構わん。だが、日向はすでに過労状態なんじゃないのか?」
「俺はソブリンへ乗ります」
リヒトが静かに告げる。
「レイコさんの側にいてやらなくていいのか?」
「生まれるのはソブリンがイギリスへ着く頃です。それより、今の日向キャプテンだけにソブリンを回させるのは危険です。副長たちは優秀ですが、まだ経験が足りない」
ヘンリー船長は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「……よし。本社の日向を呼び出せ」
すぐに通信が繋がる。
『ヘンリー船長、本社日向です。お呼びですか?』
「ヘンリーだ。君の人員配置表を見た。イギリス帰港後、私がヴァルナーとクルーを連れてニューヨークへ飛ぶ。晴海からニューヨークまでは、なんとか持たせろ」
『しかし……』
「日向。お前が倒れることを、全員が心配している。艦隊統括なら、自分の管理も仕事だ」
『……分かりました。皆の厚意を頂戴します。ドック要員以外はニューヨークへ向かわせてください。イギリス本社に手配させます』
その声は平静を装っていた。
だが、誰が聞いても疲労の色は隠せていなかった。
「日向キャプテン、ホント大丈夫っすかねぇ……」
「あいつの悪い癖だ。仕事というより、精神的にきついんだろう。人手不足に政府案件。しかも今の状態じゃな」
クリスタニアクルーたちの不安は——残念ながら的中したのだった。
⸻
通信を終えた日向キャプテンは、そのまま次の会議へ向かっていた。
傍らには、いつものようにドーベルマンのカイザーが付き従っている。
だが、カイザーは何度も主人を見上げ、落ち着かない様子で鼻を鳴らしていた。
偶然通りかかった陽司は、兄の顔を見た瞬間、血の気が引いた。
「夏海!! すぐ来てくれ! 兄貴が倒れそうだ!!」
連絡を受けた夏海は、飛ぶように駆けつける。
そして、ふらつきながら歩く日向キャプテンを見た瞬間、顔色を変えた。
「葵一郎兄さん!! 休んどくれやす!! あきまへん!! 誰か!! 来とくれやす!!」
夏海のインカムが飛び、秘書たちと富士崎社長が走ってきた。
「あなた!!」
「大丈夫だ」
「大丈夫やありまへん!! すぐ休んどくれやす!!」
歩こうとしても、もう足に力が入らない。
意識は朦朧としていた。
次の一歩を踏み出そうとした瞬間——
日向キャプテンは、その場へ崩れ落ちた。
富士崎社長は即座に指示を飛ばした。
「居住区画へ運びなさい!!」
上層階に社長夫妻用の区画があることが幸いだった。
⸻
熱に浮かされながら、日向キャプテンは夢を見ていた。
『バカな人ね。ところで、月は見えた?』
顔は霞んでいる。
だが、その声だけは間違えようがなかった。
(晴海……何故俺を捨てた……。何故ひとりで生きることを決めた……)
女は静かに笑った。
『愛してたからに決まってるじゃないの』
その幻は、数日間、日向キャプテンの夢に現れ続けた。
界隈で知られた彼女と、日向キャプテン。
熱に魘される日向キャプテンが、当時の真実を知ります。




