雪の道-本能が告げるもの
業界が大きく動いている頃、ノルウェーではエヴェリーナの様子が…
DMCグループ総帥ヴェガルド・ヘルストレーム死去。
その報せは瞬く間に業界を駆け巡り、新たな総帥となったマーカス・ブラッドフォードは、恐ろしいまでの速度で経営陣刷新とグループ再編を発表した。
晴海本社でそれを聞いた日向キャプテンは、執務室で資料を閉じ、静かに笑った。
「……prisoner売却か。貴様が吐いた言葉、そっくりそのまま返してやろう」
低く呟き、椅子へ深く腰掛ける。
「貴様の未来が耐えられるものだといいがな。いっそ、うちで買い取って北欧へ置くのも悪くはない」
窓の外では、冷たい雨が静かにガラスを叩いていた。
⸻
その頃、ノルウェー。
雪は深く、大地は白く染まり、海は連日荒れていた。
クリストファーは、このところエヴェリーナの様子がおかしいことに気づいていた。
仕事ぶりも、自分への態度も変わらない。
だが夜になると、決まってどこかへ出掛けていくのだ。
その姿に、幼い頃の母が重なる。
「……所詮、そんなものか」
ぽつりと零れた声は、誰にも届かなかった。
その夜も、エヴェリーナは静かに支度をしていた。
厚手のファーコートを羽織り、ゆっくりと階段を降りていく。
そこには、眠っているはずのクリストファーがいた。
壁に寄りかかり、腕を組んでいる。
その瞳は、凍てつくように冷たかった。
「どこへ行く」
エヴェリーナは何事もないように微笑む。
「少し散歩に」
そう言ってフードを被り、静かに扉を開けた。
外は星が美しかった。
だが、肌を刺すような寒さだった。
エヴェリーナはそのまま雪道を歩いていく。
⸻
扉が閉まる。
その瞬間、クリストファーは力を失ったように床へ崩れ落ちた。
「……お前だけは、違うと思っていた」
そこへ、エヴェリーナの執事が通りかかる。
「クリストファー様? こんなところで何をなさっているのです。お部屋へお戻りください。お風邪を召します」
クリストファーは動かないまま尋ねた。
「エヴェリーナは毎夜どこへ行っている」
執事は目を瞬かせた。
「はて。社長はお休みのはずでは?」
「出て行った。散歩だそうだ」
「何ですと?」
執事の顔色が変わる。
「このところ体調も優れないご様子でしたのに……!」
慌てて部屋へ駆け込む。
クリストファーはゆっくり立ち上がり、壁に掛けられていたコートを羽織った。
戻ってきた執事は、青ざめたまま声を上げる。
「クリストファー様まで、どちらへ行かれるのです!」
「俺が行く。彼女が行きそうな場所は」
「この時間では辺りは真っ暗です。灯りがあるとすれば……教会くらいかと。ここから東にある小さな教会ですが……」
クリストファーは何も言わず、邸を出た。
雪を踏み締める音だけが響く。
遠くに、微かな灯りが見えた。
「クリストファー様!」
執事が駆け寄る。
その隣には、大きな白いシェパードがいた。
「せめて犬をお連れください。この辺りは狼も出ますので」
クリストファーは白い犬を見下ろした。
「叔父上が寄越した犬か」
「ブラッドフォード様が、クリストファー様のお役に立つようにと」
白いシェパードは静かに主人を見上げている。
クリストファーは短く息を吐いた。
「……リュスピール」
その名を呼ばれた瞬間、白いシェパードは耳を立てる。
「エヴェリーナを探せ」
リュスピールは矢のような速さで闇へ駆け出した。
その姿は、まるで雪原を走る白い光だった。
⸻
同じ頃。
蝋燭の灯りだけが揺れる小さな教会で、エヴェリーナは祭壇を見上げていた。
「神よ……」
暖炉の薪が、ぱちりと音を立てる。
「誰かを想うことは、こんなにも苦しいのですね……」
静かな祈りだった。
戻らなければ。
そう思っているのに、身体が動かない。
クリストファーの苦しみも、孤独も、自分では癒せない。
それでも、離れたくなかった。
暖炉の火が揺れる。
教会には、ただ静かな時間だけが流れていた。
⸻
一方、リュスピールは必死に雪の中を駆けていた。
エヴェリーナの匂いを辿り、ようやく教会へ辿り着く。
扉の前を何度も嗅ぎ回り、すぐに来た道を引き返した。
早く知らせなければ。
主人を連れてこなければ。
そう本能が告げていた。
遠くで狼の遠吠えが響く。
凍てつくノルウェーの夜は、どこまでも静かだった。
エヴェリーナが苦悩する理由は、クリストファーへの思い故でもありますが、リュスピールはそれだけではないと察したようで…




