雨の航海ー2人の航海士のひと時
シンシアさんの旦那さんはあの人です。
バルセロナへ向けて出港したクリスタニアは、一路マルセイユへ向かっていた。
かつてレジェンディアで辿った航路と、ほとんど同じ海。
レイコは、それだけで上機嫌だった。
悪天候のため速度を落として航行しているものの、船内は穏やかで明るい空気に包まれている。
「フリード、お散歩に付き合ってちょうだい」
レイコは、大きな黒いシェパードの頭を優しく撫でた。
フリードは元々、晴海本社で警備任務についていた警備犬だ。クリスタニアのイギリス移籍に合わせ、現在はこの船で過ごしている。
フリードはレイコの腹部へ鼻先を寄せると、不思議そうに何度も首を傾げた。
「フリード、ベビーもあなたが気に入ったみたいよ」
レイコとリヒトの子は、とにかく元気だった。
運動のために少し歩きたいのだが、思った以上に体力を消耗する。結局、長くは歩けない。
デッキをフリードとハンドラーと共に歩いていると、フォックスが海を見つめながらため息をついていた。
レイコはハンドラーと顔を見合わせる。
「ロバートさん、最近ちょっと変じゃありません?」
「そうなの。なんだか恋でもしちゃったみたい。」
その瞬間、フリードが元気よく吠えた。
「えっ、そうなの?!」
レイコの目が一気に輝く。
「ねぇフリード!そうなのね!」
フリードは飛び跳ねる。
まるで“その通りだ!”と言わんばかりだった。
ハンドラーは悪戯っぽく笑った。
「レイコさん、相手気になりません?」
「もちろんだわ。楽しみねぇ」
レイコはすっかり上機嫌だった。
⸻
その頃、クルーラウンジでは、エレクトラとシンシアが休憩を取っていた。
「……ほんと、うちの旦那は筋肉バカで困るわ。“筋肉は正義だ!”とか真顔で言うのよ?」
シンシアは軽食を摘みながらぼやく。
エレクトラはコーヒーを混ぜながら吹き出した。
「まぁ、年中見てたら疲れるかもね。でも可愛いところあるじゃない」
「まぁねぇ。緊急時だけは頼もしいけど」
シンシアは肩をすくめた。
「あなたは最近どうなの? ……まぁ、なんとなく分かるけど」
「そうねぇ」
エレクトラは、薔薇模様のカップを手にしたまま視線を落とす。
「BMMで仕事してると、旦那のことどうでもよくなっちゃってねぇ」
「分からなくはないわね」
「でしょ? だって仕方ないじゃない」
エレクトラは小さく笑った。
「私はダンサーの端くれだけど、やっぱり船で踊りたいんだなって思っちゃうんだもの」
シンシアはふっと微笑む。
「あなたはBMMの花なんだから、それでいいのよ。私は私で、船でも旦那の顔見る生活してるし」
筋肉バカの旦那。
エレクトラの脳裏に、猫とチューリップのカップを片手にブリッジへ立つ、あの男の姿が浮かんだ。
「……まぁ、いいコンビだとは思うわ。緊急時は安心だし」
「ふふっ。惚気じゃない」
「違うわよ」
「はいはい」
シンシアは立ち上がった。
「そろそろ交代ね。行きましょ」
エレクトラも髪を整え、静かに立ち上がる。
シンシアはブリッジへ。
エレクトラはフロアへ。
それぞれの持ち場へ向かっていく。
雨に煙る海を、クリスタニアは静かに進んでいた。
いくつもの想いと——
いくつもの物語を乗せながら。
クリスタニアでも割と普通の時間はあります。
平和な航海ではありますが、日本にいる日向キャプテンはその頃…




