触れてはならない港 — 静かな警告
海では、嵐よりも厄介なものがある。
名前も記録も残らず、
ただ静かに人を消していく存在。
見えているものだけを信じていいのか、
その判断が試される航海が始まります。
クリスタニア、船内。
嵐の気配とは裏腹に、空気は穏やかだった。
だが、その穏やかさはどこか薄い。
まるで、音の一部だけが抜け落ちたような静けさ。
何かが、噛み合っていない。
遠くで波が当たる鈍い音だけが、規則正しく続いていた。
⸻
フォックスの端末に、メッセージが入った。
送り主はローズ。
短い一文だった。
『DMCには気をつけなさい』
フォックスの表情が、わずかに強張る。
視線が一瞬だけ止まり、そのまま動かなくなる。
「……レイコお姉様」
「どうしたの?」
フォックスは一拍置く。
言葉を選ぶというより、どう伝えるべきかを測っているようだった。
「DMCの副社長は先日のパーティーには参加しておりませんでしたが……非常に頭の切れる方で、とても恐ろしい方だとローズお姉様が」
レイコは首を傾げる。
「それとポートサイドに、何の関係があるの?」
「その副社長が寵愛している船長が、現在ポートサイドにいます。Alluringです。このままだと接触する可能性があります」
その瞬間、空気がわずかに変わった。
見えない何かが、ひとつ差し込まれたような感覚。
「……噂があるんです。Alluringと接触した船のクルーや船長が、そのままDMCに移ったと。あちらの株主たたちの間でも、パンデミックから短期間で復活出来たのは、その剛腕さがあるからだと。」
フォックスの声は落ち着いている。
だが、その落ち着きが逆に、内容の異質さを際立たせていた。
沈黙。
言葉にされなかった部分だけが、ゆっくりと広がっていく。
「レイコお姉様は提督のご息女です。狙われる可能性があります。……もちろん、クリスタニアもです。」
レイコは小さく息を吐いた。
「……そう」
それ以上は言わない。
理解したわけでも、納得したわけでもない。
ただ、ひとつの“可能性”として受け取っただけだった。
だがその可能性は、形を持たないまま、確かに船内に入り込んでいた。
説明のつかない不穏さが、静かに広がっていく。
⸻
ポートサイド入港前日。
夜だった。
照明を落とした室内に、柔らかな影が揺れている。
「レイコ」
リヒトの声は、いつもより低かった。
「……何?」
レイコは振り向く。
その表情は静かで、揺れはない。
だが、視線はわずかに鋭い。
リヒトは迷いなく言う。
「あの船には近づくな。Alluringには、絶対に近寄るな」
強い言葉だった。
命令に近い響き。
「……どうして?」
レイコの問いは、短い。
だが、その奥にあるのは単純な疑問ではなかった。
リヒトは答えない。
一瞬、視線が逸れる。
言えないのか、言わないのか。
その境界は曖昧だった。
「……知っているの?あの船の噂を。」
リヒトはレイコの肩を掴んで、言い聞かせるように言った。
「頼む。決して顔を出さないでくれ。」
その手は強い。
だが同時に、どこか切迫している。
それだけだった。
レイコは頷かなかった。
拒絶もしない。
ただ、静かに彼を見返す。
その視線は、問いかけでも反発でもなく——
測っていた。
どこまでが真実で、どこからが彼自身の恐れなのかを。
沈黙が落ちる。
外では、風がわずかに強くなっていた。
ポートサイドは、すぐそこまで迫っていた。
近づいてはいけないと分かっているものほど、
なぜか、そこに向かってしまう。
理由はまだ明かされていません。
それでも、
もう引き返せないところまで来ています。




