魔王の涙ー母の決意
ヴェガルド社長の冷酷さに、リディア夫人は怒りを募らせます。
大帝国崩壊は、すぐそこです。
ヘリでオスロの病院へ搬送されたクリストファーは、危険な状態にあった。
エヴェリーナも応急処置を受けた後、すぐに領事館を通じてDMCへ連絡を入れる。
返答は早かった。
だが——その内容は、あまりにも冷たかった。
「迎えには行けない、ということ?」
エヴェリーナは静かに問いただす。
回線の向こうで、疲れたような息が漏れた。
『社長は現在、グループ再編に着手しています。彼の副社長の肩書きは残されていますが、実務からは外されました』
短い沈黙。
『…今は、彼に時間を割くことを許されていません』
エヴェリーナは言葉を失う。
「それでも……息子でしょう?」
静かに、しかしはっきりと問う。
返ってきた声は低く、重かった。
『私も人の親です。だからこそ申し上げます。今は、そちらに置いておいた方が彼のためです。こちらに戻せば……さらに辛い思いをするでしょう』
更にはっきりと告げた。
『今のDMCに、彼の居場所などありません』
通話は、そこで切れた。
⸻
エヴェリーナは、しばらく動けなかった。
部屋には沈黙が落ちる。
社員たちは何も言わず、ただ判断を待っていた。
やがて、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「……しばらくの間、私の邸宅で療養させるわ」
静かな決意だった。
「フレルセルが彼を見つけたのよ」
視線が、窓の外へ向けられる。そして、溜息を吐きながら言った。
「それは——神が彼を見捨てなかったということだわ。DMCにも、そのように伝えてちょうだい」
⸻
だが、三日が過ぎても、クリストファーは目を覚まさなかった。
幸いなことに身体は回復しつつあるが
それでも——
「まるで…意識を取り戻すことを、拒んでいるように見えます」
医師はそう告げた。
⸻
その頃、クリストファーは長い夢の中にいた。
砂に覆われた地に、ひとり立っている。
周囲には、これまで自分が切り捨ててきた者たちがいた。
誰一人、言葉は発さない。
ただ——嘲笑している。
侮蔑の表情だけを浮かべて。
父も、秘書も、同じ顔でこちらを見ていた。
やがて、黒い船が遠ざかっていく。
誇りだったはずの船たちが、何も告げずに離れていく。
汽笛も鳴らない。
追うことさえ許されない。
(何のために……俺は手を汚した…)
言葉は、途中で消えた。
その時だった。
葦毛の馬が、静かに近づいてくる。
まっすぐに、迷いなく。
(……フレルセル)
かすかに息をつく。
(お前だけは……いてくれるのか)
⸻
その頃病室では、エヴェリーナが、その手を握っていた。
冷たいままの手は、かすかに震えたままだった。
「クリストファー様……」
呼びかけても、応答はない。
ふと、その瞳の端に、涙が滲んでいることに気づく。
エヴェリーナは息を呑んだ。
「神よ……彼の罪をお許しください。どうか……彼を見捨てないでください」
祈ることしかできなかった。
⸻
同じ頃。
スコットランド、ヘルストレーム邸。
クリストファー発見の報せを受けた母のリディア夫人は、すぐにノルウェーへ向かう決断をしていた。
夫のあの言葉が、頭から離れない。
「生きていたか…。死んでおれば、我が社の立て直しも早かっただろうに。役に立たん息子だ。」
ヴェガルドの感情のない、冷たい一言。
その瞬間、何かが決定的に崩れた。
(あなたは…息子の死さえ、利用するつもりだったのね…。)
リディア夫人は、すでに動き出していた。
誰にも告げずに。
「クリストファー……」
小さく呟く。
「あなたのことは、私が守るわ」
その声に、迷いはなかった。
「だから——生きていて」
⸻
この半年後。
大帝国を支配し続けたヴェガルドは、その座を失うことになる。
まだ、誰も知らない。
エヴェリーナが優し過ぎるのか、それとも神の選択なのかは分かりませんが、クリストファーがこうなったのは父ヴェガルド社長のせいだと言えます。
クリストファーの運命はいかに。




