絶望の海ー主人はどこだ
クリストファーが唯一心を許していた、葦毛のフレルセル。
クリストファーは絶望の淵にいますが、フレルセルはクリストファーを見つけられるのでしょうか
ソブリンが日本への帰路に就いた後のこと。
クリストファーは、茫然自失のままステイ先のホテルにいた。
パンデミック以降、結果を出すためなら手段を選ばず、DMCホールディングス副社長として勢力を拡大してきた。
それでも――父はあまりにもあっさりと、その執行権を剥奪した。
株価の下落も、子会社の離反も、すべて自分の責任だと言う。
(では……どうしろと言うんだ)
後継者であることを求め続け、自分と同じやり方でしか成果を認めない父。
気がつけば、良心などどこかへ置き去りにしていた。
「……何もかもが、どうでもいい」
その夜、クリストファーは姿を消した。
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シンガポールの夜から、二週間近くが過ぎた頃。
ノルウェーのPreceptクルーズに、DMCから一本の連絡が入る。
「そちらに、我が社の副社長は訪ねていないだろうか」
電話を受けた社員は、思わず眉をひそめた。
副社長――いや、元副社長の間違いではないか、と。
「我が社の社長は帰国しておりますが、あいにく副社長はご一緒ではありません」
「……そこにもいないのか」
声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
事情を尋ねると、堰を切ったように言葉が返ってくる。
「副社長が行方不明なのだ。イギリス中探しても見つからない。用があるから先に帰れと言われ、秘書だけが戻っている。それ以降、連絡が一切取れない」
「心当たりはありませんが、社長にはお伝えしておきます。早く見つかるとよろしいですね」
通話を終えた社員たちは顔を見合わせ、すぐにエヴェリーナへ連絡を入れた。
そして同時に、各所へ情報を共有する。
もしノルウェーで発見された場合、何もしていなければ、それ自体が新たな火種になる――そう判断したのだ。
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「社長、クリストファー様がシンガポールから戻られていないようです。DMCから問い合わせが来ています」
日本から戻ったばかりのエヴェリーナは、その報告に表情を変えた。
「何ですって?」
着替えもそこそこに、彼女は厩舎へ向かう。
馬房のフレルセルが、異様な様子を見せていた。
立ち上がり、嘶き、前掻きを繰り返し、落ち着きなく足を踏み鳴らしている。
「フレルセルまで……一体どうしたというの?」
厩務員が困ったように答える。
「実は、一週間ほど前からこの調子でして……馬場に出しても、どこかへ行きたがるんです」
エヴェリーナは静かにフレルセルに近づいた。
「フレルセル……あなた、クリストファー様の居場所が分かるのね?」
フレルセルは、はっきりと首を縦に振る。
「……準備を」
声が一変する。
「馬装を整えてちょうだい。それからヘリを手配して。私の後を追わせて」
厚手のファーコートを羽織りながら、矢継ぎ早に指示を出す。
「フレルセル、行くわ。クリストファー様を探すのよ」
馬装が整うと同時に、彼女は躊躇なく跨った。
次の瞬間――
フレルセルは、矢のように駆け出した。
その後方を、ヘリが追う。
ノルウェーの空は雪を孕み、冷たい風が容赦なく頬を打ちつける。
だがエヴェリーナは、ただ前だけを見ていた。
⸻
どれほどの時間が経ったのか。
クリストファーは、ひとり海の中に立っていた。
「……どうでもいい」
冷たい水が、足元から体温を奪っていく。
魔王と呼ばれ、疎まれた自分に救いなどない。
自分が自分であること――それ自体が呪いだった。
「俺が俺でなくなれば……終わる……すべて……」
波音にかき消される声。
「……最初から、父の駒でしかなかったのに」
遠くで、船の汽笛が鳴る。
「ラフィアン……貴様も嘲笑いに来たのか……」
その言葉を最後に、意識は途切れた。
⸻
フレルセルは、白波の打ち寄せる海岸を駆けていた。
速度を落としては嘶き、まるで誰かを呼ぶように首を振る。
エヴェリーナは目を凝らし、上空のヘリへ合図を送る。
ヘリは海岸線を低空でなぞるように飛び続けた。
そして――
フレルセルが、ある一点へ向かって一直線に駆け出す。
そのまま、躊躇なく海へ飛び込んだ。
「フレルセル!」
ヘリが慌てて旋回し、上空から照らす。
荒れる水面の中。
そこに―
彼はいた。
幼い頃の記憶。そして歪みに歪んだクリストファーでしたが、ノルウェーでの日々はクリストファーにとって唯一の光でした。
クリストファーは救われるのか。
次回をお楽しみに。




